自己承認

前向きとか後ろ向きとか、気にするな

「誰の真本音も

前向きなのですか?」

 

よく、そうご質問いただきます。

 

確かに皆さんの真本音出しをすると、

言葉としては前向きなものが

出ます。

 

しかし実は真本音とは、

前向きとか後ろ向きとか、

そういった次元にはないものです。

 

前向き・後ろ向き、

プラス指向・マイナス指向

といったものは、

私達の反応本音レベルの「解釈」に

過ぎません。

 

ですから、

「前向きに生きています!」

ということを強く語る人ほど、

その前向きな心の裏側に

(その人曰くの)後ろ向きな気持ち達が

潜んでいます。

 

前向きな心と、後ろ向きな心が

せめぎ合っています。

 

その結果、

前向きな心がわずかでも勝てば、

その人は前向きな行動を

とります。

 

逆に、

後ろ向きな心がわずかでも勝てば、

その人は後ろ向きな行動を

とります。

 

どちらにしても

勝った・負けた

の世界です。

 

どちらが勝っても負けても、

正直言いまして、

大差はありません。

 

前向きと後ろ向きの「葛藤」が

存在し続けていますので、

その葛藤によって

パワーが大量に奪われ続けてしまいます。

 

葛藤とは引っ張り合い、

綱引きと同じだからです。

 

ですので、その人は

疲弊し続けています。

 

疲弊した状態で

どれだけ前向きに生きようとしても

その前向きさは

たかが知れているのです。

 

私達の真本音は

そのような疲れる生き方は

望んでいません。

 

真本音で生きるとは、

自己統合へと続く道です。

 

つまりは、

自分の心と魂のすべてのパワーが

一つの方向に

結集されます。

そこに、

葛藤も引っ張り合いも

ありません。

 

常にエネルギーが満ち足りた

状態となるのです。

 

そういった状態になると

私達人間は、

前向きとか後ろ向きとか

そんなことはどうでもよくなります。

 

そんなことを気にするよりも、

自分の人生の願い、

自分の人生の目的、

自分の人生のミッション

などに楽しく向かっていこうと

自然に思います。

その結果、

自分も周りも幸せ度合いが

必然的に高まります。

 

「いやぁ、今日は俺、

全然やる気出ないなぁ。

サボりたくてしょうがないよ」

と言いながら、笑える人。

 

そう笑いながらも、

自分が決めている行動を

いつもの通りにしっかりと

実践する人。

 

意識の次元が高まれば、

誰もがそうなります。

 

心の状態がどうのこうの、

ということは

関係なくなるのです。

 

そうなるともう

自由です。

 

そしてそうなると逆に、

心の動きの一つ一つを

楽しめるようになります。

 

どのような心があっても、

すべての心を

愛せるようになります。

 

それが本当の

自己承認です。

 

次元が高まったとしても、

低い次元の心が

消えるわけではありません。

 

高い次元から低い次元まで、

あらゆる意識が存在するのが、

私達人間です。

 

私はそこに

人間の神秘と尊厳を

感じます。

 

高くても低くても

すべての自分を愛せる。

それこそが、

高い次元の意識です。

 

そしてそういった意識は

心配しなくても

すべての人の中に

すでに存在しています。

ただそれが

眠ったままの人が多い

というだけのこと。

 

何度も同じことを

書いてしまいますが、

そういった眠ったままの次元の自分を

呼び覚ます一番の近道が、

自らの真本音に素直に生きる、

ということなのです。

 

つづく

 

人間関係を壊すもの

平井さんの変化について、

さらに深掘りをしていきます。

(→前回記事)

 

「実は、私はあなたのことが嫌いでした」と

平井さんに告白した生田さんという部下がいます。

 

私は生田さんにお訊きしました。

 

「平井さんが最も変化されたのは

どこですか?」

 

生田さんは、じーっと考えた後で、

こう言われました。

 

「上手く言えませんが、

以前は、私は平井から全否定をされていたような

気がするんです。」

 

「全否定?」

 

「はい、そうです。

自分のすべてを否定されていたような。」

 

「どんな時に、そんな風に感じられたんですか?」

 

「多分、彼は全否定をしている気はなかったと

思います。

でも私は、彼のちょっとした一言一言に、

あぁこの人は私にいてほしくないんだ、

私のすべてが嫌いなんだ、という印象を受けました。」

 

「何か具体的なやりとりの場面を思い出せます?」

 

「う〜ん、一つ一つは本当に小さなことなんですよね。

でもその積み重ねで、私は平井のそばにいることが

本当に怖くなりました。

まぁ、いい大人ですし、仕事ですから、

そんなことは言っておれないのですが。

でも、会社に来て、平井の顔を見るのは

本当に嫌でしたね。」

 

実はこのようなケースは生田さんだけでなく、

とても多いです。

 

思い出せないくらいに小さな一つ一つの

積み重ねで、心を深く傷つけてしまうケースです。

 

「今はどうなのですか?」

 

「今はまったく変わりましたね。

大袈裟ではなく、私は平井という人間が、

一度、死んで生まれ変わったか、

体だけ同じで、中身がまったく別人と

入れ替わったか。

そんな感じがしています。

部下で年下の私が言うのもおこがましいですが、

平井を見ていると、人は変われるんだ、と

希望を持てます。」

 

生田さんの言われていることは

私にもよくわかります。

 

私は第三者ですから良いのですが、

もしこの人の部下になったら、

かなりキツイだろうなぁ、というのが

出会った頃の平井さんへの印象でした。

 

時折、彼からふっと漂ってくる空気感が、

とてつもなく冷たかったからです。

 

それを言葉で表現するのは難しいのですが、

あえて言えば、

「人間嫌い」

「人間不信」

の塊のような空気感です。

 

それが今はまったくない。

どころか、常に平井さんから感じるのは

「すべてを受け止めるあたたかさ」

です。

 

人間不信の冷たい空気感を持った人が、

ほんの些細なことでも人を叱ったり注意をすれば、

それをされた人は、

自分が全否定された、という印象を得ます。

 

それに対して、まったく同じ言葉で

注意を受けたとしても、

もし、あたたかい空気感を持った人からの

言葉であれば、

人はそこに愛を感じます。

 

管理職研修などで、

部下を上手く叱るにはどうすればよいでしょうか?

というご質問を、私はよくいただきます。

 

しかしそれは、言葉の言い回しや

テクニックではないのです。

 

自分が、「人間」というものに対して、

どのような空気感を発しているか?

で、ほぼすべてが決まってしまうのです。

 

そしてその、あたたかい空気感は、

「心を大きく持とう」とか

「自分は人格者であろう」とか

「もっと器を大きくしよう」とか、

そういった心構えレベルで出せるようになるものでは

ありません。

 

空気感を決めるものは、

「自己承認」

できているかどうか、です。

 

自分のすべてを、

自分が許せているかどうか?

です。

 

そして、

人が自分のことを最も許せなくなる

最大の要因は、

 

「自分の真本音を自分がないがしろにする」

 

ということなのです。

 

つづく