葛藤

もう私達は未来を知っている

一本道を歩いて来たら、

目の前に分岐が現れました。

 

道は二つに

分かれています。

 

右の道を、A

左の道を、B

とします。

 

Aを行くか?

Bを行くか?

答えを出すのに非常に

苦労したとします。

 

どうしても

決められない。

 

どうしても決められないけど、

決めなければならない。

 

自分の気持ちをしっかり

見つめると、

Aに行きたい気持ちが51%

Bに行きたい気持ちが49%

であることが

わかりました。

 

そんな場合、

あなたはどちらの道を

選びますか?

 

第3の道は

ないものとします。

AかBか、

必ずどちらか一方に

決めなければならないと

します。

 

あなたはどうしますか?

 

恐らく、

多くの人が、

51%であるAを選ぶと

思います。

 

ほんのわずかでも

気持ちが多く傾いている方に

向かうと思います。

 

ところがその場合、

Aに行ったとしても、

「本当はBの方が

よかったのではないか?」

という気持ちが

49%も残っているのです。

 

49%の気持ちが

後ろに引っ張られながら

Aの道を進むことになります。

 

するともし、Aの途上で

何か壁にぶつかった場合、

「ほらやっぱりBの方が

よかったじゃん」

と、その時点で進むことを

諦めてしまう。

・・・そんな恐れが高まるでしょう。

 

迷いながら進む、

葛藤しながら進む

というのは、そういうことです。

 

では、どうして私達は

迷ってしまうのでしょうか?

 

その最もシンプルな答えは、

「未来がわからないから」

ですね。

 

AかBか、どちらに行けば

どうなるか?

そういった未来の結果が

明確にわかるのでしたら、

私達は迷うことはありません。

 

未来がわかっていて

進むのであれば、

たとえ壁があっても、

それを乗り越えられます。

 

では、

未来がわかる方法は

ないのでしょうか?

 

実は、

あるのです。

 

ただし、正確に言えば、

未来がわかるわけではありません。

ですが、

未来がわかっているのと同様の

選択をすることが

できるのです。

 

それが、

高い次元の自分の意識で

物事を進める

・・・ということです。

 

この3次元の世界では、

時間は過去から未来へと

一方向に同じスピードで

流れ続けています。

ですから、未来を見ることが

できません。

 

しかし、高い次元においては、

過去・今・未来という分離そのものが

もともとありません。

 

過去も今も未来もすべて

ここにあるのです。

すべてが、「一つ」なのです。

 

その自分自身からの

判断や選択に素直になれば、

上手く行くだろうか?

上手く行かないだろうか?

という葛藤や不安をすべて超えたところでの

確信的な決断をすることが

できるようになります。

 

「なんかそれ、

答えを教えてもらって進むみたいで

つまらないじゃないか」

そう思われる人もいるかも

知れませんね。

 

でもご安心ください。

 

たとえ高次元の自分で

進んだとしても、

壁や課題はいっぱいいっぱい

現れます。

 

実は、

私達の真本音は、

どの道を選ぶか?については

何もこだわっていません。

 

大事なのは、

どの道を選んだとしても

一歩一歩をどのように進むか?

です。

 

高次元の迷いのない自分で

進めば進むほど、

そのレベルに見合った

壁や課題は降って来ます。

 

それらを一つずつ乗り越えることに

私達は人生の生き甲斐を感じます。

 

高次元の道であればあるほど、

難易度は高まりますが、

それが楽しくてしょうがなく

なります。

 

なぜならそれはまさしく、

進化への道のり

だからです。

 

つづく

 

前向きとか後ろ向きとか、気にするな

「誰の真本音も

前向きなのですか?」

 

よく、そうご質問いただきます。

 

確かに皆さんの真本音出しをすると、

言葉としては前向きなものが

出ます。

 

しかし実は真本音とは、

前向きとか後ろ向きとか、

そういった次元にはないものです。

 

前向き・後ろ向き、

プラス指向・マイナス指向

といったものは、

私達の反応本音レベルの「解釈」に

過ぎません。

 

ですから、

「前向きに生きています!」

ということを強く語る人ほど、

その前向きな心の裏側に

(その人曰くの)後ろ向きな気持ち達が

潜んでいます。

 

前向きな心と、後ろ向きな心が

せめぎ合っています。

 

その結果、

前向きな心がわずかでも勝てば、

その人は前向きな行動を

とります。

 

逆に、

後ろ向きな心がわずかでも勝てば、

その人は後ろ向きな行動を

とります。

 

どちらにしても

勝った・負けた

の世界です。

 

どちらが勝っても負けても、

正直言いまして、

大差はありません。

 

前向きと後ろ向きの「葛藤」が

存在し続けていますので、

その葛藤によって

パワーが大量に奪われ続けてしまいます。

 

葛藤とは引っ張り合い、

綱引きと同じだからです。

 

ですので、その人は

疲弊し続けています。

 

疲弊した状態で

どれだけ前向きに生きようとしても

その前向きさは

たかが知れているのです。

 

私達の真本音は

そのような疲れる生き方は

望んでいません。

 

真本音で生きるとは、

自己統合へと続く道です。

 

つまりは、

自分の心と魂のすべてのパワーが

一つの方向に

結集されます。

そこに、

葛藤も引っ張り合いも

ありません。

 

常にエネルギーが満ち足りた

状態となるのです。

 

そういった状態になると

私達人間は、

前向きとか後ろ向きとか

そんなことはどうでもよくなります。

 

そんなことを気にするよりも、

自分の人生の願い、

自分の人生の目的、

自分の人生のミッション

などに楽しく向かっていこうと

自然に思います。

その結果、

自分も周りも幸せ度合いが

必然的に高まります。

 

「いやぁ、今日は俺、

全然やる気出ないなぁ。

サボりたくてしょうがないよ」

と言いながら、笑える人。

 

そう笑いながらも、

自分が決めている行動を

いつもの通りにしっかりと

実践する人。

 

意識の次元が高まれば、

誰もがそうなります。

 

心の状態がどうのこうの、

ということは

関係なくなるのです。

 

そうなるともう

自由です。

 

そしてそうなると逆に、

心の動きの一つ一つを

楽しめるようになります。

 

どのような心があっても、

すべての心を

愛せるようになります。

 

それが本当の

自己承認です。

 

次元が高まったとしても、

低い次元の心が

消えるわけではありません。

 

高い次元から低い次元まで、

あらゆる意識が存在するのが、

私達人間です。

 

私はそこに

人間の神秘と尊厳を

感じます。

 

高くても低くても

すべての自分を愛せる。

それこそが、

高い次元の意識です。

 

そしてそういった意識は

心配しなくても

すべての人の中に

すでに存在しています。

ただそれが

眠ったままの人が多い

というだけのこと。

 

何度も同じことを

書いてしまいますが、

そういった眠ったままの次元の自分を

呼び覚ます一番の近道が、

自らの真本音に素直に生きる、

ということなのです。

 

つづく

 

勢いに任せた前向きさから脱することこそ重要

葛藤を伴った前向きさ。

 

それは非常に不安定なものです。

(→前回記事)

 

常に前向きであろうと頑張り過ぎる人ほど、

私は注意をします。

その前向きさに合わせて物事を進めれば、

多くの場合、どこかで無理と不調和が生じるからです。

 

これを、

反応本音レベルの前向きさ、

と言います。

 

それに対して、

真本音レベルの前向きさ、

というものがあるのですが、しかし実はこれは

あまり的確な表現ではありません。

 

なぜなら真本音に素直に生きている人は、

自分が前向きかどうか、

なんてことは眼中にないからです。

 

前向きだろうが、後ろ向きだろうが、

今自分のすることは、今する。

ただそれだけのことだからです。

 

その姿を周りの人達が見ると、

「あの人はなんであんなにいつも前向きなんだ?」

という印象になるだけのことです。

 

真本音で生きるとは、

本人にとってはとてつもなく自然な状態です。

 

私のコーチングは、まずはクライアントさんが

そのような状態になる(・・・というよりも「戻る」)ことを

大切にしています。

 

単に勢いに任せて目標設定やコミットメントをして

勢いに任せて突き進む、ということを

私は、極力止めます。

 

勢い任せの前進ではなく、

本当に真本音に根ざした前進であれば、

そのクライアントさんの天然の魅力や個性や力が

発現し始めます。

 

木村さんの天然の力は

『創造力』

です。

(→前々回記事)

 

そしてその創造力とは、

『調和力』

を伴ったものです。

(→前回記事)

 

調和力という言葉は聞き慣れないと思います。

これも私の造語になるのでしょうか。

いつ間にか企業現場で自然に使うように

なっていました。

 

調和力を持った人は凄いです。

 

その人は特に何もしなくても、

その人がその場にいると明らかに

そこにいる人達の調和度合い(調和性)が高まるのです。

 

単純に言えば、例えば、

その人がいなければ言い争いになりそうな議題でも

穏やかにコミュニケーションが進んでいきます。

それだけでなく、

一人一人が個別で考えても決して出てこないような

斬新で本質的なアイデアが、

その場で生み出されるようになります。

 

調和力を持った人が、

そこにいるかいないか?

その違いだけ、でです。

 

ですので、私は組織コーチングをする場合、

その組織の中で調和力を持ち合わせている人を

いつも探します。

そしてその人の調和力を引き出すコーチングを

します。

そしてその人を、要(かなめ)として活用しながら

組織活性化を推進します。

 

その方が何倍も効果が違ってくるからです。

 

つまり調和力とは、

その人の存在そのものが発揮する

独特の力です。

 

木村さんにはそれがあったのです。

 

しかも木村さんの場合は、

その調和力という土台の上で、

新たな道を創り出していく逞しさ(創造力)も

ありました。

 

彼はもともと自信家の個性を前面に出していましたが、

実はその「自信家ぶり」自体は決して悪いことではないのです。

彼のその自信の根元にあったのは、

自分は新たな道を切り開いていける、という確信から

来るものだったのです。

 

しかし反応本音のみで生きていた彼は、

自己保身のために、その自信家ぶりを発揮して

いました。

それにより周りからの信頼を減らしていたのですから、

非常に勿体ない個性の使い方をしていたわけです。

 

要するに、

真本音で生きれば、自分の個性は

良い発揮の仕方をするわけです。

しかし真本音度合いを下げることで、

自分の個性を、自分を下げる方向に使ってしまう。

・・・そういった場面をこれまで私は

本当に数え切れないくらいに見てきました。

 

つくづく「勿体ない」の一言なんですよね。

 

木村さんの上司である平井さんは

こういった彼の特性を何となく掴んでいました。

だから、

「木村が真本音度合いを高めれば

必ず凄いことになる」という確信を持ち、

私に木村さんのコーチングを依頼されました。

 

そして、彼の天然の力が発揮され始めたのを見て、

すかさず、木村さんに「環境」を与えたのです。

それが、新規事業プロジェクトのリーダーという

立場です。

 

平井さんのマネジメントは「見事!」と

言うほかありません。

 

さて、話をもとに戻しますが、

新規事業プロジェクトのリーダーという役割を

平井さんから指示された時の木村さんは、

なぜ自分が?と疑問に思い、それを断ろうとしました。

 

そのタイミングで私のコーチングがありました。

 

私は木村さんに、なぜ平井さんが

木村さんをリーダーにしようとしたか?の理由を

詳細に説明しました。

 

調和力と創造力のお話も当然しました。

 

木村さんは、非常に恐縮されました。

「私のことを買いかぶり過ぎだと思うんです。

平井も、たけうちさんも」

と彼は言いました。

 

真本音度合いを高めることで

妙に謙虚になる人は、結構います。

恐らく、

これまでの自分の「芯のなさ」を知ってしまった故だと

思います。

 

ですから、謙虚になること自体は悪いことでは

ありません。

しかしだからと言って、

行動まで謙虚になる必要はありません。

 

本質的な謙虚になった人ほど、

大胆な行動をとっていただくことが

成果に結びつきます。

 

その環境を与えられる、という「現実」を

私は待っていました。

 

謙虚になった木村さんが、

目の前の「現実」に対して大胆に向かっていく。

 

これが、私のコーチングサポートの

次のステップでした。

 

つづく

 

前向き、と言うけれど、本当は後ろ向きの反動でしょ?

私達の心の中には、「作用・反作用の法則」が

成り立っています。

 

例えば、

自信満々な自分が心の中に存在している場合、

そのもう一歩奥には、自信のない自分が

必ずいます。

 

自分の自信のなさや不安を搔き消すために、

あえて自信のある自分を創り出している、

という人が非常に多くいます。

 

一般的に言われる「過信」状態ですが、

過信しやすいのは、自信のなさの現れとも

言えるのです。

 

これが反応本音の特徴です。

 

反応本音とは多くの場合、

相反する心がセットで存在し、

その相反する心同士が常に「引っ張り合っている」

という状態になっています。

 

例えば、

前向きな心の裏側には、ほぼ必ず

後ろ向きな心が隠れています。

人の意見に迎合しようとする心の裏側には、ほぼ必ず

その人に対する不満感が隠れています。

 

それらの相反する心は引っ張り合っているので、

疲れます。

 

引っ張り合いとは、綱引きです。

 

運動会で行われる綱引きを

もし一日中行なっているとしたら、

相当な体力を消耗します。

しかし、

心の中では常にそれをしている人が

多いのです。

 

ですから私は、

ただやみくもに「前向きに生きよう」

と言われる人を注意深く観察します。

そういった人ほど、

後ろ向きな心にフタをして見ないようにし、

しかし本人の知らないところで

前向きな心と後ろ向きな心が綱引きをしている

可能性が高いからです。

 

このような綱引きのことを一般的には

「葛藤」

と言います。

 

葛藤の多さによって

心の疲労度合いが決まります。

 

葛藤の多い人は

常に心が疲れ、

その疲れている状態がその人にとっての

「普通の状態」

となります。

 

疲れているのが「当たり前」の状態と

なってしまうのです。

 

私達が、反応本音のみで生きていると、

以上のような、葛藤と疲労を非常に起こしやすくなります。

 

木村さんの場合、

常に彼は、「自分の方が凄いんだ」ということを

皆にアピールするパターンを無意識に行なっていました。

そのため、自分以上の素晴らしい意見を持った人に対して、

自分の経験を傘に着て、それらを潰しにかかっていました。

 

その一方で、

そんなことをして自分はなんて愚かな人間なんだ

という罪悪感も常にその裏側で発生させていたのです。

 

人の意見を自分が潰せば潰すほど、

自分を責める自分が増殖する。

 

そういったことを続けるうちに、

彼の心はどんどん疲弊していきました。

 

人は、心が疲弊すると「深刻」になります。

ドヨ〜ンとした重い空気感を発するようになります。

それがまた、周りの人達に

「この人は居心地が悪い」

という印象を与えます。

 

その印象によって、彼に対して反発心を持つ人が

増えてしまう。

そんな悪循環が起きていました。

 

しかし木村さんが人生理念を見つけ、

真本音に素直に生きるようになり、

それらのパターンは瞬く間に減少しました。

 

もちろん木村さんには上記以外にも

反応本音のパターンがいくつかありましたから、

完全に真本音で生きる、という状態には程遠かったのですが、

それでも、一つ、また一つ、とパターンを改善することで

木村さんは彼の放つ空気感を大きく変えたのです。

(→前回記事)

 

私はこれまで多くの企業で、

「あの人はもう変わらない」

という諦めの声を、非常にたくさん聴いてきました。

 

人間、諦めると、何もしなくなります。

みんなが諦めてしまった人でも

「もしその人が変わったら、組織は素晴らしく良くなるだろう」

と思える人がいたら、私はその人に真っ先に

向き合うようにしました。

 

その人が変わらないのには、

その人なりの理由があります。

その人なりの強い信念があるのです。

それを尊重しながらも、その人と向き合い続け、

その人の真本音度合いを高めることで、

「えっ? なんであの人、こんなに変わったの?」

とびっくりされることが数え切れないほどありました。

 

人が変わることに対して

人は敏感です。

 

「あの人は嫌い」と一度思ってしまった人は

一生嫌いなままだ、と思われがちですが、

私が企業現場で実感したことは、

それとはまったく逆の現実でした。

 

変な言い方ですが、

「出来の悪い人ほど、もしその人が本当に変われば、

皆は賞賛したり、感動する」

という結果の方を、私は多く見てきました。

 

以前のブログにも書きましたが、

「進化」とは、人の本能です。

「進化」そのものを、人は望んでいます。

表面上だけの進化ではなく、本当の進化を目の当たりにすれば、

人は自然に感動するものである、

というのは、私の実感です。

 

ですから、

木村さんが変わり始めた時も、

その影響は極めて大きかったのです。

 

何度も言いますが、

表面上の変化だけではダメです。

例えば、行動が変わった、というレベルではダメです。

しかし、

空気感とか、その人の在り方そのものからの変化を感じることで

人は、感動を覚えるのです。

 

木村さんと一緒に仕事をしていた人達の声を集めると、

木村さんが変わったところで最も大きかったのは、

「一緒にいると、楽しく発想できるようになったんです」

ということでした。

 

これを私は、

『調和力』

と呼んでいます。

 

 

つづく