親子

子は親を見つめている

 

昔、ヒマラヤをトレッキング

した時、

5000m近い高地に住む

人達の中に、

子供達の姿を何人も

見かけた。

 

生まれたばかりで

母親にずっと

背負われている子も

いたし、

 

2歳くらいの

ヨチヨチ歩きの子も

いた。

 

4歳や5歳になる子は

すでに、

大人の我々が運ぶことも

できないような

重い荷物を運ぶ仕事を

していた。

 

皆、当たり前のように

そこで生きていた。

 

人は

どこで生まれるか?

によって

人生を大きく左右される。

 

物心つく前から

いる場所が

その人にとっての

「当たり前」となる。

 

人間は、

というよりも生物は、

環境に順応して

進化する。

 

心と環境のコラボ

が人生だ。

 

・・・・・・

 

子どもにとって

影響のある環境とは、

 

生まれた土地も

そうだが、

 

やはり両親の存在は

大きい。

 

両親がどのような人か、

どんな生き方や

考え方をしているか?

ダイレクトに影響する。

 

もちろん

その影響を超えて行く

のが人生、

という見方もあるし、

 

私もその通りだと

思うが、

 

やはり「最初の影響」は

大きい。

 

これからの社会が

進化するかどうか?

 

は、

「親のあり方によって

決まる」

と言っても

言い過ぎではない。

 

実は私は

親子関係のサポートも

よくさせていただく。

 

特に多いのが、

会社の社長や幹部さん達の

ご家族に

お会いさせていただく

パターンだ。

 

家庭訪問をさせて

いただくこともある。

 

そして社長のお子さんを

コーチングさせて

いただく。

 

親子共々の

コーチングも多い。

 

でも、

やることはいつもと

同じだ。

 

親も子も

一人ひとりの

真本音度合いを高める

サポートだ。

 

ご家庭での調和は

会社の調和に

直結する。

 

ご家庭が上手く

いっていない社長さんは、

やはり

経営にも不調和が

起こりやすい。

 

家庭も仕事も

人生だ。

 

・・・・・・

 

子ども達は

じっと親を

見つめている。

 

私達が想像している

以上の洞察をもって。

 

特に最近の

若い子達はそうだ。

 

その視線は

我々の世代には

なかったものだな、と

よく思う。

 

少なくとも私は、

親が自分の人生に

そして仕事に

誇りを持っていてほしいな、

と思う。

 

自分なりの誇りを

語れる親であって

ほしい。

 

いつも前向きで

いる必要はないし、

いつも明るくいなければ

ならないわけでもない。

 

格好いい部分だけを

見せるのは

むしろ私は反対だ。

 

「生き様」そのものを

見せた方がよいが、

 

それはその親の

「等身大」で

あってほしい。

 

「自然な生き方」で

あってほしい。

 

今は残念ながら

本当の「等身大」で

生きている人も、

「自然」に生きている人も

割合としては

かなり少ない。

 

今は残念ながら、

親が子どもを支える

というよりも、

(本質的には)

子どもが親を支えている

という親子が多い。

 

お互いに支え合えば

よいのだが、

親が子に

依存しているのだ。

 

よく

「子どもは親を選べない」

と言われるが、

私はそうは

思っていない。

 

子どもは親を選んで

生まれてくる。

 

最初から、

親と「コラボ」しようと

して

ここに来るのだ。

 

だから「等身大」の自分として、

ちゃんと子どもと向き合い、

コラボしよう。

 

上手くやろうと

するのではなく、

あるがままに

コラボしよう。

 

つづく

 

子どもだって自律する

 

『子が育ちますように』

 

という祈りは、

すべての人の

本能の中心に

脈々と

流れ続けるものだ。

 

私は思う。

 

子は

親のその祈りを

受け、

自らを成長・進化

させようとする。

 

この祈りと想いが

すべての

原動力になっているように

私には

思えてならない。

 

もちろんこの祈りは、

実際の親子

だけに当てはまる

ものではない。

 

例えば、

私のクライアント企業様の

ある社長から感じる

社員さん達への想いは

これとまったく

同質のものだ。

 

・・・・・・

 

私は、5歳の息子と

できるだけ

向き合うようにしている。

 

彼と共に時間を過ごし、

彼との会話を続けていると、

時々、

彼の真本音からの

メッセージが届く。

 

その多くは、

 

「今は私を

自由にさせないでください。

ここでしっかり

私に何が大切かを

何をしてはならないかを

教え込んでください」

 

というものだ。

 

このメッセージを

受け取った時、

私はできるだけ

その通りに

応えることにしている。

 

これはダメ。

 

こうしなさい。

 

やめなさい。

 

こんな言葉が

多く飛び交う。

 

今の息子のテーマは、

 

「一つを決めて

一つをする」

 

である。

 

彼は本当に

発想力と行動力が

豊かで、

しかも様々なことに

興味関心が向く。

 

一つのことを

始めても、

すぐに別のことに

目移りしてしまう。

 

一つを

やりっぱなしで、

次のことに

向かってしまう。

 

そんな時に、

「きちんと今、決めたことを

最後までやりなさい」

と叱る。

 

「心を

落ち着かせなさい」

 

「人を大切にして

自分が今、

どう動けばよいかを

相手の気持ちになって

決めなさい」

 

という言葉も

毎日のように

かけている。

 

恐らく、

こういった話を聴けば、

「それは5歳の子に

すべき教育ではない」

という反対意見が

出るかもしれない。

 

5歳であれば

「もっと伸び伸びと

させてあげた方がいい」

と。

 

しかし私の息子は

徹底的に

伸び伸びと自由だ。

 

なぜなら彼は

真本音度合い100%で

生きているから。

 

彼はすでに

人生のあらゆることに

向き合い、

自らの意思と意図で

動いている。

 

つまりは

私の言葉で言えば、

自律している。

 

もちろん幼いが故に

できないことは

大人よりも圧倒的に

多い。

 

知らないことも

多い。

 

しかし、

そういった未経験が

故の行動範囲と、

自律できているかどうか、

はまったくの別次元の

話だ。

 

彼はもちろん

子どもだからこそ、

親に依存している。

 

親がいなければ

生活もできない。

 

しかし、

実は、依存と自律は

対義語ではない。

 

彼は

自らの意思と意図で

依存している。

 

つまり、

自律した心で

依存している。

 

そんな彼だからこそ、

きちんと

教えるべきことを

教えなければならない。

 

・・・・・・

 

なんて

偉そうなことを書いたが、

その彼への教育を

しているのは

ほとんどが私の妻

である。

 

妻と息子との

コミュニケーションを

見ながら、

私は多くを学んだ。

 

「子が育ちますように」

 

という祈りを

実行するとは

こういったことか、

と。

 

そして私はそれを

様々な企業様での

人の育成と

組織活性化の

参考としている。

 

親の子に対する

育成の仕方こそに、

すべての育成の

原点がある。

 

と、今の私は

思うようになった。

 

・・・・・・

 

まずは

真本音度合いを

高めること。

 

その上で、

しっかりと

指導すること。

 

これこそが

本質であると

今の私は思っている。

 

そして

これができるコーチを

増やしたいと

思っている。

 

つづく