誕生

また誕生するよ

 

新たな何かが

誕生する、

というのは

実に

激しい現象だ。

 

そこには

表面的には決して

わからないが

確かに存在する

エネルギーの激しい

ぶつかり合いと

融合が

ある。

 

私達が

ビッグバン

というように

象徴して表現している

ものがあるように、

 

それは

あくまでも3次元的表現

なのだが、

 

得体の知れぬ

畏れを

私達は誰もが

知っている。

 

人類は

当たり前のように

子どもを

産み続けてきたが、

 

その一つ一つが

ビッグバンに

相当するほどの

エネルギーの

ぶつかり合いと

融合に

満ちている。

 

私達はそうした

神秘の中で

生きている。

 

人間という存在

そのものも

神秘だ。

 

私達が持つ

心。

 

これは一体

なんだ?

 

私なぞはよく

思う。

 

心があるのが

当たり前のように

私達は

生きているのだが。

 

心は

なぜ、歪むのか?

 

なぜ、

揺れ動き、

そこに

幸せとか、不幸せとか

そういった

解釈や感覚までが

あり、

 

一喜一憂

右往左往

試行錯誤

ばかりをするのか?

 

それが

人間である。

人生である。

当然のように

私達は捉えるのだが。

 

一人の人と

向かい合っている

時に、

私はあまりの

神秘さに

 

人間という存在の

広さと深さと

混沌さに

 

呆然とする。

 

いったい私は

何と対峙している

のだろうか、

と。

 

目の前の

これ

は何なのだろうか、

と。

 

激しいエネルギーの

ぶつかり合いと

融合によって

ここ

に存在している

これ。

 

これは

何?

 

これは

あなた?

 

それとも

私?

 

・・・と

頭がクラクラ

してくる。

 

「自分」という

存在が

不思議ではないかい?

 

「自分」や「人」を

見つめ、

クラクラしないかい?

 

私はするなぁ。

 

いつも。

 

今、

私の中では

またもや、

ぶつかり合いと

融合が

起きているよ。

 

つづく

 

新たな誕生

 

あなたの中に

新たな自分が

生まれるとしたら、

 

それは

どんな自分

だろうか?

 

どんな自分を

望むだろうか?

 

これまでの自分

にこだわる必要は

ない。

 

これまでの延長線上から

完全に逸脱しても

いい。

 

自由に

なればいい。

 

たとえどのような自分が

生まれたとしても、

 

あなたの中では

それは

共存できる。

 

これまでの自分と

共に生きることは

できるのだ。

 

だから安心して

その「誕生」を

迎えればいい。

 

生まれ出ようと

しているものを

拒まずに、

 

不安がらずに、

 

不審がらずに、

 

ありのままに

見つめ、

 

悦び、

 

抱けばいい。

 

あなたは

新たなあなた自身の

親でもある。

 

あなたという

子供を

迎えよう。

 

あなたはもっと

幸せになっても

いいんだ。

 

つづく

 

祝福の日だな

 

人生の始まり

というのは

やはり

大変なものだ。

 

いつの間にか

私達は

自分の人生が

あるのが当たり前だと

思い込むように

なってしまうが、

 

人生とは

あること自体に

ありがたみが

あるのだな、と

 

つくづく

思った。

 

・・・・・・

 

5歳の息子が

突然言った。

 

「家のベランダに

鳩がたくさんいるよ」

 

見ると

本当にそうだ。

 

何だろう?と

鳩達に意識を

向けると

 

すぐにわかった。

 

そうか。

祝福に来て

くれたのか。

 

「ありがとう」

伝えると、

 

鳩達は一斉に

飛び去った。

 

その数、

30〜40羽くらいか。

 

ちょっとびっくり。

 

でも

嬉しかったね。

 

今日、

新たな人生が

誕生したんだ。

 

つづく

 

誕生したければ誕生しよう

 

誕生。

 

という言葉が

好きだ。

 

この仕事を

していると、

多くの

「誕生」

を拝見できた。

 

ある意味、

生まれ変わる

と言ってもいい。

 

それは単なる

「変化」とか

「変革」の域を

超えて、

 

本当に

ゼロからもう一度

スタートする

ようなものだ。

 

そのような人を

拝見すると、

やはり一番ビッタリの

言葉は、

 

「誕生」

 

となる。

 

誕生するためには、

これまでの自分

「すべて」

手放さなければ

ならない。

 

そんなことが

できるのか?

 

と思われるかも

しれないが、

 

本当は

そういったことが

できてしまうのが、

私達人間の

本当の意味での

凄みだと

私は思う。

 

かく言う私自身も

「誕生」

の経験がある。

 

・・・・・・

 

面白いことに、

「誕生」

してから、

 

つまり

一度すべてを

ゼロリセットしてから、

 

その上で、

 

過去の自分の

個性を

改めて活用しよう

という

動きに入る人もいる。

 

一度ゼロリセット

してから、

過去の自分を

取り出すのと、

 

過去の自分を

持ったままで

進むのとは、

 

まったくもって

本質的に異なるものだ

ということは

何となくでも

ご理解いただけるだろう。

 

過去の自分を

活かす

と言っても、

 

ゼロリセットを

することで、

その「活かし方」が

全然違ったものになる

からだ。

 

さらに面白い

ことに、

 

一度ゼロリセットをし、

「誕生」した人で、

 

過去の最も

嫌いだった自分の個性

 

最も大切に扱うように

なる人は

多い。

 

だから私は

「私は私のことが

大嫌い!」

と言う人に出会うと、

ついつい

「この人は面白い成長を

されそうだ」

と思ってしまう。

 

自分を嫌いな

ことは、

良くないことだが、

別に

大したことではない。

 

好きか嫌いか、

なんて、

本当は

大したことではない。

 

本当のことを

言えば、

それによって

人生が決まることも

ない。

 

こんなことを書くと

意外に思う人が

いるかも

知れないが、

 

私達の真本音は

「好き」

「嫌い」

も両方、

楽しんでいる。

 

好き嫌いは

あっていい。

 

それこそ人生の

醍醐味の

一つだ。

 

・・・・・・

 

私達は

「人間」

をやってる。

 

「人間」は

人間が考えるよりも

ずっと

奥深い。

 

私は

私が思っているよりも

ずっと奥深いし、

 

あなたは

あなたが思っているよりも

ずっと奥深い。

 

どうせ

人生を生きる

のであれば、

 

そんな自らの

奥深さを

感じ取れる

人生にすればいい。

 

と私は思う。

 

それには

すべてに対して、

 

「あるがまま」

 

にいること。

 

好きなものは

好き。

 

嫌いなものは

嫌い。

 

自分を変えたければ

「生まれ変わりたい」

「新たに誕生したい」

思えばいい。

 

「あるがまま」に

すべてを

受け止めれば、

 

すべては

「真本音の願い」

の方向に

進んでいく。

 

もっと

シンプルに

行けばいいんだ。

 

つづく