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- 距離
きっとそれは
何もなかった
のだろう。
ある、と
思い込んで
いたのだろう。
ないものを
ある、と
思い込む始まりは
その後、
物事がどう
展開しようが
辛いものとなる。
自分が
実はそれに関して
何の意志(意思)も
持っていなかった
という事実を
どこかで
受け止めなければ
ならなくなる。
いや、そこで
もし受け止めることが
できたなら、
それだけで
やり直しは効く。
しかし多くの場合、
せっかく
始めたのだから、
と
惰性で続ける。
もしくは、
自分に意志(意思)が
まったくなかった
という事実そのものを
受け止められない
ままでいる。
やはりそれは
ちと、辛い。
意志(意思)が
ないことは
いけないこと
ではない。
大事なのは、
この件について
自分には
意志(意思)がないのだ
と
ちゃんと自覚すること。
そして
そういうことは
一刻も早く
手放す
ことだ。
手放す、とは
捨てることでは
なく、
自分から
距離を置く
ことだ。
あらゆる物事に
距離感
はとても大切で、
自分の意志(意思)の
ないことは、
自分から遠くに
置けばいい。
そしてもし
意志(意思)が
生まれれば、
その時点で
近づけばいい。
遠くに置くべきもの
を
遠くに置いていないと、
本来
近くにあるべきもの
が、
寄って来れなくなる。
人生は
調和、だ。
調和とは
距離、だ。
何とどう距離を
置くか?
何を近づけ
何を遠ざけるか?
その視点で
すべての物事に対して
距離の調整を
しよう。
すると、
止まっていたものが
流れ出すよ。
つづく
私達はいわゆる
3次元
という世界に
いるのだが、
この世界の
最大の特徴は
「時間」
と
「距離」
だ。
「時間」は
過去から未来へと
一方向に
一定のスピードで
流れ続けており、
その流れ自体を我々が
コントロールすることは
できない。
という摂理のもとで
成されているのが
この世界だ。
もう一つの
「距離」について
言えば、
「距離」とは
「分離」の
象徴だ。
距離という概念が
あること自体が
分離を表わしている。
この世界では
ありとあらゆるものが
分離している。
例えば、
私とあなた
は違う存在だ。
もちろん、
私と
目の前のパソコン
も違う存在だ。
違う存在だからこそ、
距離がある。
私とあなたは
常に異なる場所に
いるし、
目の前にある
私のパソコンは、
私から30cmくらい
離れている。
3次元の世界を
生きていく、
というのは、
この
「時間」と「距離」
と
どう関わっていくか?
ということでもある。
なぜこんなことを
書いているかと
言うと、
「時間のコントロール」
と
「距離のコントロール」
こそが、
自分自身のコントロール
の根幹に来る
からだ。
この3次元世界においては。
言葉を変えれば、
時間のコントロール
と
距離のコントロールが
できずして、
自己コントロールは
できないし、
自分の望む人生には
ならない。
自分の望む現実を
創り上げている人と
それができない人の
本質的な違いが
ここにある。
望む現実を
創っている人は
時間をとても
大事にしているし、
距離(感)も
大事にしている。
そして、
「真本音で生きる」
とは、
この「時間と距離」との
関わりを
真本音で決めていく、
ということでも
ある。
ちょっと極端に
言えば。
あなたは
時間をコントロール
できているだろうか?
距離(感)を
コントロールできている
だろうか?
どうすれば
それができるように
なるだろうか?
今後は、
そんなテーマでも
時々、このブログを
書いてみたい。
つづく
今日、
私の元クライアントさんである
4人の方々と
約3年ぶりにお会いし、
食事をしました。
この3年間、
メール等のやり取りも
ほとんどせず、
音信不通に近かった
のですが、
お会いした瞬間に
実感しました。
あぁ、私は
「実在」のレベルでは、
この人達とずっと
一緒にいたな、と。
しかも私は
この人達に随分と
支えられてきたな、
と。
駅で待合せしたのですが、
人混みの中で
再会したその瞬間から
私達はまるで
昨日も会っていたかのような
会話を始めました。
そこには
3年のブランクが
まったくない。
ゼロ。
皆さん全員、
「実在」を感じ取れる
人達ばかりです。
私達は常に
一緒にいて、
で、
本当に必要な瞬間のみ、
現実のレベルで
お会いすればいい。
誰もそのような
言葉は発しませんが、
そんな共通認識が
その場に
漂っていました。
・・・・・・
現実レベルでの
距離が離れるからと
いって、
実在レベルの距離が
離れるわけでは
ありません。
いえむしろ、
現実の距離を
離すことで、
実在の距離が
縮まった
というケースは
とても多いのです。
私達には
「適切な距離感」
というものがあり、
その距離感を
大切にすることで、
・実在と
・現象(現実)の
両方の距離を
決めていく、
ということを
私達の真本音は
望んでいます。
私はいつも、
個人においても
企業においても
私のサポートの
「終わり」を
とても大事に
しています。
サポートを続けていると、
「現実の距離を
一気に離した方が
いいな」
と思う瞬間が
必ずどこかで来ます。
その瞬間を
私は逃しません。
多くの場合は、
クライアントさん
(個人であっても
企業であっても)
の真本音度合いが
高まり、
真本音の想いと
行動と結果が
一致し、
常にその状態が
続くようになる
一歩手前くらいで
この瞬間が来ます。
すると私は
すかさず、
「私のサポートは
ここまでとしたいと
思います」
とお伝えします。
でもこういった時は
ほぼ必ずと言って
よいほど、
「私もそう思います」
とクライアントさんは
ニッコリと
了承されます。
いっつも
こんな感じ。
で、あとは
「では、もし何か
必要があれば
私を呼んでください。
ホームドクター
みたいなものですね」
となります。
今日、再会した
4人の皆さんとも
そんな感じで
3年ぶりにお会い
したのです。
・・・・・・
私は、
個人のコーチングも
よくお受けします。
「パーソナルコーチング」
というものですが、
その場合、
期間を限定しません。
コーチングを行ない、
「あっ、もうこれで
コーチング必要ないな」
と、
クライアントさんが
思えた時点で
終了です。
ですので、
たった1回のセッションで
コーチング終了
というケースが
実はとても
多いです。
で、コーチング料金は
実施した分を
後でいただくという、
そんな形です。
それが最も
簡単で
私も気が楽です。
しかもコーチングは
定期的に行なう、と
決めてもいません。
1回のセッションを
行なったら、
その終わりに、
「コーチングはこのまま
続けたいですか?」
とお訊きし、
「次回は、いつくらいが
良さそうですか?」
と真本音で決めて
いただきます。
すると、
そのクライアントさんの
真本音の望むペースでの
サポートとなります。
こんな感じですので、
月に何度も
コーチングセッションする
人もいれば、
数年に一度の人も
います。
それが自然な形だな
と私は
思っています。
・・・・・・
「実在」を
感じ取る力が
つけばつくほど、
現実レベルでの
距離をどうするか?
がいかに重要か、
もわかるようになります。
そしてその
距離感を大切に
することで、
私達はあらゆる人と
調和します。
人だけでなく、
「世界」と調和します。
すると、
物事が非常に
スムーズに進むように
なります。
距離感の
わかる人になる。
これも私のサポートの
重要な目的の
一つです。
つづく
<ご案内>
実在レベルの距離感と
現実レベルの距離感の
両方をつかみ、
両方を
的確な距離感に
修正する。
これも
セルフコーチング力を
高めることで
実現できます。
あらゆるものと
調和する生き方と
行き方を
しませんか?
ご興味ある方は
以下をどうぞ。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
私達の人生において
大きな転換のきっかけと
なるものに
「出会い」
がありますが、
その一方で、
「別れ」
というものがもたらす
影響も大きいですね。
出会いは概して
嬉しいものですが、
別れは概して
寂しいものですし
大きな悲しみを
伴うこともあります。
そのため結果的に、
「本当は今、
別れなければならないのに、
別れられない」
という現実を
創り出してしまっている
人が多いのが、
今の世の中の一つの傾向です。
実は、
どれだけ素敵な出会いを
重ねてきても、
きちんと別れるべき人と
別れないことで、
真本音度合いを著しく
落としてしまい
人生の不調和が始まって
しまった、
という人を私は
とても多く観てきました。
「別れ」とは
とても大事なものです。
そして
いつ、誰と別れるか?
を
私達は自らの真本音で
決めています。
もちろん
AさんとBさんが別れる場合、
Aさんの真本音が決めている
別れのタイミングと、
Bさんの真本音が決めている
別れのタイミングは
完全に一致します。
そしてその通りに
別れることができた場合、
二人の人生は
新たなステージに進み、
次の出会いと展開が
二人ともに起こり、
二人ともが
さらに真本音度合いの高い
人生を送ることができます。
別れるべき時に
しっかりと
別れましょう。
もし相手が
反応本音のレベルで
「別れたくない」
と言ったとしても、
その「情」に流されずに
しっかりとそれを
断ち切りましょう。
・・・このように書くと
寂しいでしょうか。
悲しいでしょうか。
冷たい人間だと
思われるでしょうか。
「別れる」という言葉と
ほぼ同義語として、
「手放す」
という言葉もあります。
手放すのも
本当に大事なことです。
本当に必要なタイミングで
別れを自ら切り出せる人、
そして
手放すことのできる人は
愛の深い人だなぁ、
と私は思います。
では、
「別れる」とか「手放す」
という行為の
本質とは
何だと思いますか?
それは私は
「距離を離す」
ということだと
捉えています。
「距離」
とか
「距離感」。
実は私達の真本音は
これをとても
大事にしています。
同じAさんとBさんでも
二人の距離や距離感が
真本音で望むものと
ずれていたら、
そこには不調和が
起きてしまうのです。
逆に言えば、
「調和」とは
「距離(感)で決まる」
と言っても
言い過ぎではないでしょう。
特に私達が今いる
この「3次元」という世界は
すべてが分離している
世界です。
分離しているが故に
一つ一つの物事
(その中に当然、「人」が
含まれます)
との距離(感)が
あらゆるものの展開に
影響を与えます。
その距離(感)とは、
心の中の距離(感)と
実際の距離(感)の
両方があり、
その両方を
真本音の望むものと一致させる
ことが「調和」のためには
必須です。
ちょっと
わかりづらいですか?
もう少し詳しく
お話しした方が
良さそうですね。
事例を交えて。
ただ、そのためには
ちょっと文章が長くなりますので、
続きは明日に。
まずは今回は皆さんに
二つの問いを
残しておきます。
単純に
直観でお答えいただくと
よいですね。
以下の問いを
自分自身に向けて
投げてみてください。
「私の人生において、
私はあらゆるものと
適正な距離感を持つことが
できているだろうか?」
そして、
「私が今、もっと
距離を離すべきものとは
何だろうか?」
つづく