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直観を大事に
しよう。
と私はよく
言うのだが、
どうしてもそこに
自信の持てない人は
多いようだ。
直観か思考か?
となったら、
いつもの思考による答えを
選択してしまう。
以前も書いたが、
思考が悪いわけでは
ない。
むしろ、
思考をしっかりする人ほど
直観は生まれやすい。
しかし、
思考をしっかりする人ほど
直観のその根拠のなさと
奇抜さに
どうしてもついて
いけなくなってしまうのだ。
自分自身の発想
なのに。
・・・・・・
そこでお勧めなのが、
できることから
直観で動いてみる
ということだ。
大層なことで
なくていい。
例えば、
今日のお昼は
何を食べようか?
とか、
これから乗る電車は
何両目にしようか?
とか。
そのくらいの身近な
ところで、
まずは直観の通りに
動いてみよう。
そして
思考して出した選択と
直観による選択の
行動した時の違いを
体験するのだ。
体験してもし
ちょっとでも面白かったら、
もう少し冒険的なことで
直観に素直になってみる。
そうやって
直観で動く頻度を
徐々に上げていくとよい。
ただし。
思考をするのを
やめてください、
ということではないので
ご注意を。
何度も書くが、
しっかり思考する人ほど
直観は生まれやすい。
だから、
しっかり思考すれば
いい。
でも、
決めるときは
直観で決める。
そんなメリハリを
つければいい。
・・・・・・
これを続けると、
直観の出やすい時と
出にくい時の
違いがわかるように
なるだろう。
どんな時に
出やすく、
どんな時に
出にくいか?
その原因が
徐々にわかってくる
はずだ。
原因がわかれば
対策が打てる。
できるだけいつも
直観が生まれやすい
状態であるために
何をすればよいか?
その対策を
習慣化する。
これがお勧めだ。
・・・・・・
自分という人間の
神秘さ。
自分という人間の
深さ。
そして
自分という人間の
面白さ。
それらの片鱗は
直観と共に生きる
ことによって
現れる。
これは人生の面白さ
にも直結する。
同じ人生、
同じ時間、
同じ環境、
にいるのなら、
少しでもそれらを
楽しんでみたいと
思わないかい?
つづく
前を見て歩く
ということは、
前しか見ないで
歩く
ということでは
ない。
横も後ろも
斜めも、
すべてを見るから
こそ、
「前」がわかる。
すべての中から
選択する。
これが
自分を生きる
ということだ。
選択には
意志が必要
だ。
意志の根元
には
願いがあり
祈りがある。
自分自身の
それを
どれだけ尊重した
選択をするか?
それを私達は
人生を歩きながら
学んでいる。
進化の道
とは、
願いや祈りの
選択の道だ。
それを外した
選択を
し続ければ、
必ずどこかで
壁が来る。
明確な壁に
当たらなかったとしても、
必ず私達は
不安定になる。
一見、成功している
ように見えても、
その道を
進めば進むほど、
なぜだか日々、
イライラが募ったり、
悲しみや寂しさが
増したり、
絶望感に襲われる
頻度が増えたり、
結局は孤独では
ないか、と
呟いたり、
そんな傾向が
現れたとしたら、
こういうのが
人生であるし、
こういうのを
乗り越えるのが
私のテーマだ、
とは
思わないで
ほしい。
人生とは
苦しみへの道
ではない。
もし
様々な苦しみが
増すのであれば、
それは
あなたのその
道が違うのだ。
願いと祈りの
道ではない
のだ。
ただし
こう書くと、
「じゃあこの環境を
変えなければ
ならないのか」
とか
「仕事を変えよう」
とか
思われがちだが、
そういうことでは
ない。
「道」とは
「環境」とか
「何をするか」
ということ
ではない。
「生き方」のこと
を言っている。
今日の生き方、
今の生き方
のことを言っている。
今日という一日、
自分の
願いや祈りに
基づいた行動が
どれだけできたか?
自分の行動・振る舞いの
選択の一つ一つ
を言っている。
環境が変わっても
人は変わらない。
生き方そのものを
変えなければ。
今この瞬間の
生き方を
変えるだけで、
苦しみの道は
願いと祈りの道に
一瞬で
変わる。
本当に
一瞬で、ね。
つづく
私達は自由です。
・・・なんて断言をすると
皆さんの心の中には
どんな気持ちが
発生しますか?
自由であるわけ
ないだろうが。
とか、
心の自由になれても
現実は自由には
なれないよ。
とか、
自由であろうとすることは
大事だけど、
実際にはそれは無理だ。
とか。
否定的な心の声が
出てくるケースが
多いのではないかな?
もちろん私の心にも
否定的な声は
発生します。
人がどれだけ
不自由か。
みんながどれだけ
不自由の中で
もがいているか。
そういったことを
いやというほど
見てきましたしね。
でも、
私達は自由です。
と一言つぶやいた時に、
心の中のほんのわずかでも
一つの部分が、
そりゃそうだよ、
当たり前だよ。
と、応えていませんか?
もしそういった部分を
感じることができたら、
そこがあなたの
真本音です。
・・・・・・
私達の真本音は
自由です。
自由であるが故に
きちんと
目の前の現実を
大切にします。
自由であるが故に
現実を尊重しながら
「現実的な一歩」
を進もうとします。
現実を尊重する
ということは
「今を尊重する」
ということです。
今を、
現実を、
尊重することは
自分を縛ることでは
ありません。
いろんな選択肢があり、
どの選択をすることも
できる、
という自分がいて、
その上で、
現実を尊重した選択を
する。
これが、
真本音で生きる
ということです。
ですから
私達の真本音は、
悪い意味での
無茶はしません。
悪い意味での無茶
とは、
本人が
「絶対無理だ」
とわかっていて進むこと
です。
真本音の道は
「絶対無理だ」と思いながら
進む道ではありません。
「ここを行くのは
当たり前」
「ここを行くのが
最も幸せ」
「ここを行くのが
私の人生」
であると、当然のように
思える道が
真本音の道です。
その道を
当然のように
進んでいると、
時々ですが、
周りからは、
「あの人、
無茶するよなぁ」
と見られたりします。笑
しかし本人は極めて
当たり前の選択を
しながら、
当たり前に進んでいる
だけなのです。
当たり前の道を
当たり前のように
進めることをまた、
自由、
と言います。
・・・・・・
どのような現実の
中にあっても、
私は自由ですよ。
と当たり前のように
言える人が増えると
いいなぁと
私は思います。
そういった人が
増えて行くと、
組織は調和しますし、
世の中も
調和していきます。
本当の「自由」と
「調和」は
同義語です。
一人一人が
「自由」になることが
社会の「調和」に
直結します。
そのために私は
今日も明日も
コーチとして
がんばります。
つづく
目の前に
Aという道と
Bという道が
あったとします。
今、その
分岐点にいます。
どちらの道を
進むか?
を迷っています。
Aの道を見れば、
特に障害は
なさそうです。
道は結構
まっすぐに伸び、
先の先まで
見渡すことができます。
Bの道を見れば、
こちらには
ゴツゴツとした
たくさんの岩などが
見えます。
あんな障害物を
越えていかなければ
ならないのか、と
少しゲンナリします。
しかも障害物の
その先は
見えません。
その道が
どこまで続いているのか?
まっすぐ続いているのか?
さえも
わかりません。
さて、
どちらの道を
行きましょうか?
・・・・・・
難易度は
どう見ても、
Aの方が低そうです。
Bにはたくさんの
障害物がありますし。
充実度は、
わかりません。
Aは平凡そうですが、
AにはAなりの
充実感を得られそうです。
Bは冒険が
できるかもしれません。
でも、
いつも不安いっぱい
かもしれません。
でも、
「あえて困難な道を
行きなさい」
という話もあるもんなぁ・・・。
「苦労は買ってまでも
しなさい」
とも言われるし・・・。
でもひょっとすると、
ここから見える障害物を
越えさえすれば、
その先はとても
楽な道になっているかも・・・。
反対にAは、
ここから見ると楽そうだけど、
進めば案外、
ここからは見えない障害が
あるかも・・・。
どっちが
楽しいだろう?
どっちが
自分らしいだろう?
どちらにもそれなりに
楽しさはありそうだし、
自分らしさは・・・、
よくわからない。
う〜む、
どうしよう。
考えれば考えるほど
わからなくなってくる。
・・・・・・
こんな場合、
私だったらどうするか、
を書きますね。
私の場合、
極めて単純です。
わからない内は、
動かない、
のです。
そうは言っても
早く決めなければ
ならない時も
あるでしょう、
・・・とよく言われます。
しかし、
わからない内は
頑として
動きません。
わからない、
とは
「今、決めてはならない」
という
真本音からの
合図です。
今、決めてはならない
のに
今、決めてしまうと
後で必ず
混乱や混沌が起こります。
そして、
結局は物事の進みが
遅くなります。
「風が吹く」
まで
私は待つのです。
・・・・・・
風は
必ず吹きます。
どちらかの方向に
「追い風」が
吹くのです。
そうしたら、
「追い風」になる方向の
道を進みます。
それだけの
ことです。
そこに自分の解釈は
まったく
入れません。
ただし、
そのためには
「風を感じられる自分」
でいることが
大事です。
「風を感じられる自分」
とはつまり、
「真本音度合いの高い自分」
ということです。
常に毎日を、
「自分が本当に
大切にしたいものを
大切にした生き方を
し続けいる」
ことです。
そしてその上で、
ちゃんと自分の迷いと
向き合い続けること。
具体的には、
常に自分に
「問い」を投げ続ける
ことです。
この場合の問いとは、
「Aに行くか、Bに行くか?」
です。
これを常に自分に
問い続けます。
しかし
頭で答えを出そうとは
しません。
理屈で考えながら
答えを出すのは
ただの「解釈」です。
解釈による答えには
必ず「迷い」がつきます。
答えに「迷い」がついている内は
「答え」ではありません。
ですから「答え」が出るまで
ただただ、問いを自分に
投げ続けるのです。
そして「答え」は
「風」が教えてくれます。
これが
セルフコーチング
です。
・真本音度合いを高めた状態で
・自分に必要な問いを投げ続ける
シンプルに言えば
これがセルフコーチングの
真髄です。
これをすれば
常に最善の選択を
し続けることが
できます。
自分と向き合い、
現実と向き合う
人は、
風を感じられるのです。
つづく