学生時代、私は
山登りに明け暮れて
いました。
山登りといっても
縦走をするだけです。
とはいえ、夏山の場合、
いったん山に入ると3週間も
縦走を続けますので、
荷物は一人50kgを
超えていました。
今はもうないと思いますが、
キスリングという
横長の黄色いザックを
背負っていました。
今から考えると
人間工学とか全く関係のない
非常に体に悪そうな
ザックでした。
あの頃の体のダメージが
今の私の体に残っていないのが
奇跡のように感じられます。
初めてその体験をした
大学一年の時、
私のいたパーティー(登山チーム)は
台風に直撃されました。
凄まじい暴風雨。
重いザックを担いでいても
踏ん張らないと
飛ばされそうです。
その中を延々と
歩かなければなりませんでした。
その時の私には
精神的な余裕は
ゼロだったでしょう。
とにかく、
一歩を踏み出すこと
だけで精一杯。
生きるとか死ぬとか
そういうことではなく、
とにかく
今ここで次の一歩を
踏み出すだけの存在。
そんな自分に
なっていました。
そんな時、私は、
とてつもない
「静寂」
を感じたのです。
それは
忘れることができない
体験です。
今から思えば、
それは
魂の静寂でした。
ひょっとすると私は
その時の体験を
もう一度繰り返したくて、
山登りを続けたのかも
しれません。
私は大学の部活を
終えてからも、
社会人になってからも
一人で山登りを
続けました。
ある冬。
一人で冬山に
向かいました。
北アルプスです。
車で入れるギリギリまで
入り、
そこからは歩いて
登るつもりでした。
ところが、
車を止めて
外に出ようとしたところ、
突然の大雪に
見舞われました。
あっという間に
雪は降り積もり、
車は雪に埋もれ、
外に出ることもできなく
なりました。
私は車の中で
2日間、
閉じ込められることに
なりました。
ガソリンは余裕がなく、
暖房をつけることが
できなくなりました。
しかし、
冬山の装備がありましたので
それで凍死を
免れました。
その時にも
魂の静寂がやってきました。
その時私は初めて、
未来の自分と
対話をしました。
今となっては
当たり前のことなのですが、
私達は実在を
感じ取れるようになれば、
未来の自分と
対話もできるようになります。
セルフコーチングの
一つの形です。
その初めての体験が
その時でした。
当時の私は20代前半で
そこから20年後くらいの
自分と対話をしました。
もちろん20代前半の頃は
今の私のお仕事を
するようになるとは思いもよらず、
その後の人生展開も
まったく展望もなく、
真っ白な状態でした。
その時の
未来の自分からのメッセージは
「君には道がある。
やりたいことがある。
いつかそれを見つけることが
できるだろう。
そのためにも、
今わかる、やろう!と思えることを
徹底的にやりなさい。
そうすれば、
私のところに来れるだろう」
というものでした。
その後、私は
サラリーマンを辞めて
海外の放浪の旅に1年半ほど
出ることになるのですが、
その時のメッセージが
かなり影響を及ぼしたと
思います。
未来の自分と対話をした
その時は、
車の外は大吹雪。
しかし、
私の中には
言いようのない静寂がありました。
外は激しく、
内は静寂。
その後の人生で、私は
こういった経験を無数に
繰り返してきました。
外が激しくなればなるほど、
内の静寂度合いは
より深まる感じがしました。
今・・・。
暴風雨に見舞われている
人が増えています。
厳しい現実に
さらされている人達。
しかし私は
思うのです。
そんな時だからこそ、
得られる静寂が
あるはずだと。
自分の中のその静寂に
気づけるといいな、
と。
今の私のコーチングは
ひょっとすると
そのためのサポート
なのかもしれません。
つづく