齟齬

ここを切り拓けるのは

 

人間関係は

面倒かい?

 

ゴタゴタばかり

起こるかい?

 

進もうと思っても

いつも何らかの

邪魔が入るかい?

 

なら、

残念だけど、

 

もっと

一人一人と

より丁寧に

向き合った方がいい。

 

進もうと

思えば思うほど、

 

混乱が起きたり、

齟齬が起きたり、

するのは

当然じゃないか。

 

みんなそれぞれ

違う個性を

持ってるんだから。

 

何も問題が

起きないということは、

 

何もしていない

ということ。

 

真剣に前に進む

からこそ

問題は起こるんだ。

 

これは

しょうがない。

 

みんなの真本音度合いが

高ければ

もっと違う展開に

なるだろうが、

 

現時点では

そういうわけではない。

 

だから、

私達にできるのは、

 

一つ一つ

丁寧に向き合い、

 

一人一人

丁寧に向き合い、

 

そして、

瞬間瞬間を

丁寧に

真本音で決めて行く。

 

これの

連続だ。

 

ここを怠ると、

さらに問題は

深まり、

混乱は

拡大してしまうだろう。

 

この面倒臭さの

中で、

しっかりと

未知の道を

切り拓けるのは、

 

あなたの

真本音しか

ないんだよ。

 

だから

止まろうとするのでは

なく、

 

だからこそ

さらに進もうと

しよう。

 

真本音でね。

 

つづく

 

本当に言葉を大切にすると、言葉は少なくなる

言葉とは

カタチです。

 

一つの記号とも

言えます。

 

ですから、

「山」

という一言をつぶやいたとしても、

この一言から想像される山のイメージは

人それぞれです。

 

しかし、

「山」

という言葉を聴くことによって

「海」ではないことはわかりますし、

思考や発想の方向性を

合わせることもできます。

 

「今週末、一緒に

山にキャンプに行かないか?」

と言われて、

「じゃあどんな水着で行こうかな」

と考える人はほぼ

いないでしょう。

 

しかしやはり方向性は

定まるものの、

詳細なイメージは

きちんと共有しなければ

誤解を生むことにもなります。

 

「山に行こう」と言われて、

すぐ近くの裏山をイメージする人も

いれば、

富士山に行くイメージをする人も

いるでしょう。

 

私達は、

言葉という「記号」を活用しながら

お互いの想いやイメージを

一致させようとします。

それが私達の普段の

コミュニケーションです。

 

ところが。

 

以上はあくまでも

3次元という限定された部分に

限って言えることです。

 

高い次元の私達の意識は

すべて

つながっています。

 

いえ、というよりも

「一つ」です。

 

「一つ」である我々は

本当はもともと最初から

すべてを共有している

とも言えます。

 

もちろん

人生経験も違いますし、

実際に頭の中で展開される

イメージも、

人それぞれ異なるでしょう。

 

しかし、

そういった表層的ではない部分で、

私達はまったく同じことを感じ、

まったく同じ想いを

抱いています。

 

ですから、

高い次元の意識を

発動している人達同士が会えば、

コミュニケーションにおける

「説明としての言葉」

は、ほぼ必要なくなります。

 

「山に行こうよ」

と言われれば、

「あっそうだよね。

私もそうしようと思ってた」

となりますし、

どんな山に行きたいか?も

ほぼ説明なしで

お互いに理解・共有できて

います。

 

これが仕事上で起こると、

なかなかに凄いです。

 

まず、

とてつもなく打合せ時間は

短くなります。

 

齟齬も誤解もなくなります。

 

ほんの一言二言

言葉を交わすだけで、

お互いにすべてを納得し、

自分のすべきことが

明確になります。

 

そしてその通りに動けば、

きちんと成果が

出ます。

 

とてつもなく

仕事が楽になります。

 

ここまで来ると逆に、

私は「言葉」の有り難みを

より強く感じます。

 

たった一言の

言葉という記号があることで、

各々がここまで感じ取ってきたことの

確認と今後の方向性が

一瞬で明確に、シンプルに

なるからです。

 

言葉っていうのは

ありがたいなぁ、と

いつもつくづく思います。

 

ですから私は

言葉をとても大切にします。

 

余分な一言は

決して言いません。

 

思ってもいないことを

口にしたり、

迎合のためのやりとりは

絶対にしないことに

決めています。

 

そうすると、

言い合いや自己主張ばかりの

コミュニケーションになってしまう

イメージがあるかもしれませんが、

高い次元の自分で動けば、

すべては

淡々と調和します。

 

こちらの想いと相手の想いが

「一つ」なのですから

当たり前と言えば当たり前です。

 

例えば上司と部下の関係で言えば、

上司が部下を何かの件で叱らなければ、

と思った場合、

そのお叱りの言葉を口に出す前に、

部下が自分で自分の過ちに気づき、

自主的にそれを直そうとします。

 

なんだ、結局叱る必要なかったな、

ということが、私の場合は

毎日のように起きています。

 

決して大袈裟な表現では

ありません。

高い次元のコミュニケーションとは

そういうものです。

 

高い次元の自分で生きることは

決して特別なことではない、

というお話を

以前いたしました。

(→人間である以上、誰もにもともとあるもの)

 

高い次元の自分として生きるのは

もちろん、

苦しいことでもありません。

疲れることでもありません。

 

まったく逆。

 

だからこそ

私達の中には

エネルギーが満ちてきます。

 

そのエネルギーを使って

自分が本当に望む現実を

創り上げることができます。

 

どうせ同じ人生を

生きるのであれば、

常にエネルギー満タンの自分で

いたくありませんか?

 

つづく