2017年 9月 の投稿一覧

理念があっても、何かの拍子にそれが外れる

真本音レベルの理念を掘り起こすことができた木村さんは

明らかに雰囲気と行動が変わりました。

 

しかし本当のサポートはここからです。

(→前回記事)

 

私は平井さんにお願いして、

木村さんの「これまでのパターン」、つまりは

「これまでの行動のクセ」が出たらすぐにご連絡を

いただくようにしておきました。

 

木村さんの理念が出されてからちょうど

3週間経った時でした。

 

「たけうちさん、木村のクセが出ました」

と、平井さんからこ連絡が。

 

お電話でしたが、私はすぐに状況を

お聴きしました。

 

平井チームの中には、

かなり有望な20代の若手社員さん(男性)がいました。

村瀬さん(仮名)と言います。

 

平井さんの見るところによれば、

村瀬さんはかなりのポテンシャルを持ってはいるのですが、

それを先輩社員である木村さんが

活かし切れていない、ということでした。

 

いやむしろ、

そのポテンシャルが発揮されるのを

木村さんが阻害しているように見受けられる

ともおっしゃっていました。

 

木村さんが真本音の理念を見つけ、

自分をオープンにし、雰囲気が変わったことで

最も影響を受けたのがこの村瀬さんでした。

 

彼はまるで水を得た魚のように、

様々な意見(提案)を木村さんにするように

なったそうです。

それを木村さんは誠実に受け止めていたそうです。

 

ところが。

 

あるとても大事なお客様がいらっしゃいました。

そのお役様から、あるクレームが入りました。

その対応について協議している時に、

村瀬さんが、かなり斬新な提案をされたそうです。

 

それを聴いた平井さんは内心、

「ほぉ!」

と感心されたそうです。

 

しかし、その提案を

「木村が潰しにかかりました」

と平井さん。

 

「提案を潰しにかかっただけではなく、

木村は、村瀬そのものも潰しにかかりました。」

 

その詳細を聴くと、

木村さんは、自分の経験を盾にしながら、

村瀬さんを完全否定したそうです。

 

「お前は確かに能力はある。

発想も斬新だ。

しかし、まだ甘い!」

ということを繰り返し村瀬さんに伝えたようです。

 

村瀬さんの言うことを

木村さんの「経験法則」によって

すべて論破したそうです。

 

それによって村瀬さんが

くじけてしまったわけではありません。

「村瀬は今、どのようにして木村を説得できるかを

考えています。

それはそれで彼の逞しいところです。

しかし結局のところ、この展開は、

戦いと争いでしかありません。

そんなことをしている場合ではないのですが。

ですから、ここは私が出て行こうと思っているのですが、

その前にたけうちさんに一度状況をお伝えし、

その上でどうしようかを決めようと思いました。」

 

私は平井さんにお礼を申し上げました。

 

ここでご連絡をいただいたのは

とても大きかったからです。

 

私はすぐに木村さんにお会いすることにしました。

 

私がすることはただ一つ。

彼を説得したり、彼の行動を変えさせることでは

ありません。

 

彼の真本音度合いを高めることです。

 

そして真本音度合いを高めた状態で、

今回の自分自身の行動を振り返り、

真本音では本当はどうしたいと思っているのか?

を明確にすることです。

 

木村さんの「これまでの心と行動のクセ」を

一言で表現すれば、それは二つあります。

 

一つは、

「私は常に、一番でなければらない」

です。

 

もう一つは、

「結局は、私が一番物事をよくわかっている」

です。

 

しかしこの二つの根底にあるのは

「自己保身」

なのです。

 

つまりは、上司である平井さんから認められたいがために

この二つを常に心の前面に出し続けていました。

それは、本来の彼の望む生き方ではなく、

平井さんに喜んでいただくための「演ずる自分」でした。

 

そういった生き方をしてきたのが、

「これまでの木村さんの心と行動のクセ」

だったのです。

 

それが一気に現れました。

 

これは、チャンスです。

 

つづく

 

理念が明確になっても、それだけでは足らないのです

生きる、ということに対して、

人が幸せを感じるか、感じないか?

それを左右する最もシンプルな「境目」は、

 

「自分の望む生き方(在り方)ができているかどうか?」

 

です。

 

それは、あるべき論ではありません。

つまり、私はこうあるべき、こう生きるべき、

ということではありません。

 

自分は本当は、どんな生き方(在り方)をしたいか?

そこに素直であること。

「今、この瞬間」に素直であること。

 

まずは、それに尽きます。

 

どれだけ実績を上げても、

どれだけ経験を積んでも、

自分が本来望む生き方(在り方)ができていない人は

間違いなく疲弊していきます。

 

するとその人は、

「疲弊することで実績を上げられるのだ」

と勘違いします。

 

「実績とは、疲弊しなければ上がらないものだ」

と勘違いするのです。

 

それは苦しみの人生です。

 

そういった苦しみの人生ではなく、

人はある意味、もっと「楽な人生」を

生きることができます。

 

「楽な人生」にするために最も基本的な必要条件が

「自分が望む生き方(在り方)」を実践することなのです。

 

しかも、その生き方(在り方)が

真本音で望むものであるならば、

それは、周りとの「調和」を高めます。

 

自分の望む生き方(在り方)ができればできるほど、

周りにもより良い影響を与えます。

 

ですから、

自分の幸せ=周りの幸せ

となります。

 

ですから、

現実が開かれます。

 

真本音で望む生き方(在り方)のことを私は、

『人生理念』

と呼んでいます。

 

ビジネスでも、それ以外のコーチングでも、

組織(チーム)コーチングにおいても、

あらゆるサポートにおいて、私はまずは必ず、

その人の『人生理念』を掘り起こすことを第一歩としています。

 

それをするのとしないのとでは、

その後の物事の進展の仕方の次元が変わるからです。

 

サポートそのものも非常に楽になります。

 

木村さんは、

“生まれたばかりの無邪気”

という人生理念を掘り起こすことができました。

 

その理念を日々、大事にすることで、

明らかに雰囲気と行動に変化が起こり始めました。

 

それを上司である平井さんは

非常に喜ばれました。

(→前回記事)

 

しかし本当のサポートはここからです。

 

私達の「心と行動」には、

これまでの経験で培ったパターンがあります。

 

それは、「心と行動のクセ」と

言ってもよいでしょう。

 

「クセ」とは、

私達人間の持つ大いなる力の一つです。

 

もし「クセ」というものがなければ、

私達は、生きることが非常に困難になります。

例えば、

「クセ」があるからこそ、

私達は、お箸を使うことができるようになります。

自転車に乗ることもできるようになります。

パソコンを使うことも、新たな能力を身につけることも

できるようになります。

すべては「クセ付け」と言ってもよいでしょう。

 

私達が自分の経験を通じて能力向上を図る時に

最も必要となる力が「クセ」ということです。

 

ですので「クセ」は

それだけ強いのです。

 

「心と行動のクセ」は

自分にとってメリットが高いからこそ、

身についたものです。

 

一度身についた「クセ」は

そんなに簡単には壊れません。

 

もし壊そうとするのであれば、

何度も何度も、その「クセ」が出るのを自ら

止めなれければなりません。

 

「クセ」を止めて、その上で「新たなパターン」で行動する、

ということを意図的に行なう必要があります。

 

お箸の持ち方が間違っていた場合に、

正しい持ち方に直すためには、

何度も何度も意図的に、お箸の持ち方を変えなければならない、

というのと同じです。

 

しかし何度も意図的に行なううちに、

いつの間にか自然に意図せずに

正しい持ち方ができるようになります。

 

大切なのは、何度も何度もそれをし続けること。

継続することです。

 

それはある意味、

「新たなクセをつける」

ということになりますが、

その「新たなクセ」が

「真本音で望むクセ」であることが大切です。

 

「真本音で望むクセ」がつけば、

その人自身が幸せを感じ、

しかも、周りにも好影響と調和をもたらすからです。

 

結局、私が行なっているサポートは

ここに尽きるかな、と思う時があります。

 

真本音で望んでいないクセを持っている人が

真本音で望んでいるクセに変えていく。

それをサポートするのが

私のコーチング、と言えるのかなと。

 

それ以上のことは

私はしていないのかも知れません。

なぜなら、

真本音で望むクセがつけば、

あとはもうその人の自力で、

望む現実をその人自身が創り出していくからです。

 

そういった意味で、

私が木村さんに対して注意して見ていたのは、

木村さんの「これまでのクセ」が

どのような形で「再発」するか?

ということでした。

 

人生理念を明確にすることで、

木村さんの雰囲気も行動も変化を始めました。

しかしまだ、彼の「これまでのクセ」は

残っているはずです。

 

それがどのように現れ、

どのように影響するのか?

それを見つめ、

彼が本当に真本音から望むクセをつけるための

有効なサポートをすること。

それが私の次の役割でした。

 

そして案の定、

彼のクセは、現れたのです。

 

つづく

 

人の本当の成長は、まずは空気感の変化から

“生まれたばかりの無邪気”

 

この言葉が木村さんから発せられた時、

私の体の芯が痺れるように震えました。

(→前回記事)

 

その人の真本音から出された言葉。

これは、本当に人の心に響きます。

 

私はコーチというお仕事をさせていただいていますので、

このような、ある種の「感動」には敏感です。

しかしそれは敏感なだけであって、

このような心の深いところでの感動は、

誰もが感じることでなのです。

つまり、

木村さんの口からその言葉を聴けば、

私でなくても、誰もがその感動を味わいます。

それを敏感に認識するかどうは別として。

 

仮にまったく認識していなくてもよいのです。

認識していなくとも、その人の心には確かに

「感動」は起こるのです。

そこが大事。

 

そういった「感動」をもたらしてくれる人に対して、

人は、何となく「この人と一緒にいるといいなぁ」とか

何となく「この人と一緒にいたいなぁ」とか

何となく「この人と一緒に仕事をしたいなぁ」

というように感じるのです。

 

こういった無意識レベルにおける「印象」こそが

人間関係においてとても大事です。

もちろん、仕事においてもです。

 

真本音度合いが高まるということは、

その人の口から

真本音からの言葉がたくさん発言される、

ということです。

 

その言葉が、人に響きます。

ですから、真本音度合いの高い状態でチームを組むのと

低い状態でチームを組むのとでは、

同じメンバーだとしてもまったく違った成果を生み出すのです。

 

私は、

世の中全体の真本音度合いが高まればいいなぁと

思います。

同じ人であっても、

真本音度合いが高いか低いかによって

そこで生み出される現実がまったく変わるからです。

 

調和の現実か、

不調和の現実か、

です。

 

不調和を起こすから、その人はダメだ。

不調和を起こすから、その人を辞めさせて

別の誰かに変えなければならない。

・・・ということではないのです。

 

すべては、

真本音度合いが高いか、低いか。

ここでこそ、道が決まってくるのです。

 

“生まれたばかりの無邪気”

 

この言葉の意味は、

木村さん本人にすら、よくわかりません。

しかし、

最初はそれでOKです。

むしろ、

意味をわかったつもりになるよりも、

徐々に、その真の意味を

日常においてつかんでいくことこそが重要です。

 

木村さんがその言葉を大切にしながら

日常に入っていってからすぐに反応がありました。

平井さんが

私に連絡をくださったのです。

 

「たけうちさん、木村が変わりましたよ。」

 

平井さんは本当に嬉しそうに

そうおっしゃいました。

 

「どう変わったのですか?」

 

「明らかに雰囲気が変わりましたよ。

先日、コーチングを終えた直後の木村を見て

私はびっくりしましたよ。

なんか憑き物が落ちたような感じで。」

 

「あっははは、

平井さんが真本音を見つけられた時も

そうだったんですよ。」

 

「えぇ、そうなんですか。」

 

「ご本人には、まったく自覚はないんですけどね。」

 

そうなんです。

まず、真本音度合いが高まると、

その人の雰囲気(空気感)が変わります。

しかしそれは、当の本人はまったく気づいていません。

 

人が本質的成長をしている時は、

あまりに自然な変化のため

本人が最も気づかないものです。

むしろ、

「私はここが変わった!」と

本人が自覚しているときは、自己満足のケースが多いです。

もちろん、そうでない時もありますが。

 

「それから、どうですか?

木村さんの行動ベースで変わったところはありませんか?」

 

「いやぁ、なんかとてもオープンになってね、

私にどんどん話しかけてくるようになったんですよ。

それは、仕事に関する提案もあるのですが、

まったく関係のない雑談もあります。

あんなヤツじゃなかったんですけどねぇ。」

 

「どうですか、

バンドをしている時の彼に近づいている感じはあります?」

 

「あぁ、ありますあります。

確かに、本来の彼に近づいていますよ。」

 

しかしここで満足してはなりません。

ここまでは、非常に良い傾向です。

でも、

本当に「自分を壊す」とは、

ここからが勝負なのです。

 

つづく

 

覚悟を持たなければ本来の自分は取り戻せない

木村さんには仕事に対する信念が

ありました。

「仕事とは、自分を演ずることである」と。

 

しかしそれは自己防衛のための信念であったと

彼本人が認めました。

(→前回記事)

 

彼は自分の中の最も見たくなかった自分、

醜いと思っていた自分をあるがままに

見つめることができました。

 

私は心の中で拍手を送っていました。

 

しかし私はここで彼への厳しい問いを

終えるわけにはいきませんでした。

なぜなら、

彼の真本音が、次の問いを望んでいたからです。

 

それは非常に重要な問いでした。

 

「木村さん、

自分を変えたいですか?」

 

「・・・はい。」

 

「そのためには、これまでの自分を

自ら壊さなければなりません。

これまでの自分を壊しますか?」

 

ここで木村さんは止まりました。

 

しばらく、無言でした。

 

そして、呟きました。

 

「・・・怖いです」と。

 

自然な反応です。

 

これまでの自分を壊す、とは、

本人にとってみれば、自分のすべてを壊すのと

同じこと。

あとは何も残らないのではないか、とか

自分が自分でなくなってしまうのではないか、

という恐怖感が襲います。

 

私は無言のまま、彼の次の発言を

待ちました。

こういった時は、何の言葉かけも意味を成しません。

ここは、

自分で決めなければならないところです。

 

例えばもしここで木村さんが、

「これまでの自分を壊すことはできません」

「その勇気は出ません」

と言われれば、私は無理強いはしません。

 

人には、できることとできないことがあるのです。

耐えられることと、耐えられないことが

あるのです。

 

ここまで真本音コミュニケーションを続けてきた上での

その答えであれば、

「今は本当に無理」

ということになります。

 

であれば、もっとソフトな別の方策を考える必要があります。

しかしこの時、木村さんは次のように答えました。

 

「怖いけど、・・・壊します。

今壊さないと、一生後悔しそうです。」

 

これは紛れもなく木村さんの真本音の言葉。

 

私はまたもや心の中で

彼に拍手を送りました。

 

「たけうちさん、どうすれば壊すことができますか?」

 

「壊すというのは、今ここでそれをしても

何の意味もありません。

日常の日々の中で壊していくのです。

自らの意志で壊していくのです。

毎日毎日、少しずつ。」

 

私がそう伝えると、彼は目を閉じました。

そして、

 

「わかりました。壊します。」

 

と力強く答えました。

 

ここまで宣言されたら、もう8割方大丈夫です。

彼の覚悟を感じた上で、私はお伝えしました。

 

「壊す、と言っても、実はこれまでの

パターンを壊すだけのことです。

もっと言えば、これまでの心と行動のクセを

直すだけのことなんです。

今の木村さんの覚悟があれば、必ずできるでしょう。」

 

木村さんの目が爛々と輝いてきました。

 

「やり方をお伝えする前に

木村さんに明確にしてほしいことがあります。

演じる木村さんではなく、本来の木村さんとは

どのような木村さんですか?

それを一言で表現できますか?」

 

この問いは、真本音度合いが高まっているからこそ

有効です。

高まっていない状態で問うても、

本当の答えは決して見つかりません。

 

木村さんからは

即座に答えが返ってきました。

 

「“素直に生きる自分”です。」

 

良い答えです。

しかし、まだまだ中途半端な感覚がしました。

 

「いい感じですが、もっともっと

本当の木村さんの想いを自由に表現できませんか?

もっと木村さんらしい言葉があるはずです。」

 

木村さんはジーッと目を閉じました。

 

そして、パッと目を見開きました。

 

「すごく変な表現が浮かんだんですが、

よいのでしょうか?」

 

「大丈夫ですよ。何ですか?」

 

「“生まれたばかりの無邪気”という言葉が

浮かびました。」

 

これを聴いた瞬間に、私は体の芯が

ゾワゾワっと痺れる感覚がしました。

 

その感覚はとてつもなく強く、

しばらく抜けることはありませんでした。

 

恐らく相当に心の深いところから掘り出された

木村さんの「願い」なのでしょう。

 

今度は、私の目に涙が溜まっているのが

自分でわかりました。

 

「それはどんな意味なのでしょうね?」

と私が問うと、

 

「自分で言いながら、自分でもよく

わかりません。

でもその言葉を思うと、心がすごく

洗われます。

スーッと楽になります。

なんかとても自由です。」

 

「じゃあ木村さん、

まずはその言葉をいつも思い浮かべていて

ください。

それはできますか?」

 

「はい、できるも何も、こんな気持ちのいい言葉なら

24時間想い続けますよ。」

 

「では、これまでの自分の壊し方は

あえてここではご説明しません。

いつもその言葉を思い浮かべながら日常生活を

送ってみてください。

そこで自分が何を感じ、どう変化するのかを

観察してみてください。

まずはそこから始めましょう。」

 

つづく

 

弱いからこそ、表面上は強くなる

私は木村さんに私の感じていることを

はっきりと伝えました。

あなたが、チームのボトルネックになっていると。

あなたが、チームの成長を阻害していると。

(→前回記事)

 

それに対して、木村さんは次のように答えました。

「・・・薄々、それはわかっていました。

私は意図的にそれをやっていたのかも

しれません。」

と。

 

木村さんが自らの真本音を開放し始めたからこそ

出てきた言葉です。

 

「たけうちさんにはっきり言われて、気づきました。

私は、自分が実はチームの阻害要因だと

わかっていました。

むしろ、それをわざとやっていました。

薄々わかっていましたが、今、はっきり

そう思いました。」

 

彼は本当にガックリと肩を落としました。

知りたくなかった事実を知ってしまった、

そんな状態だったのでしょう。

 

私はそんな彼を

さらに追い詰めるような質問をしていました。

 

「なぜそんなことをしていたのですか?」

 

恐らくここが、

木村さんが最も見たくなかったポイントです。

このポイントを見ないようにするために、

彼はあらゆる「努力」をしてきたはずです。

 

このポイントを見てしまうことで、

自分が崩れてしまうと本能的に

思っていたからでしょう。

 

確かに、真本音度合いの低い状態でここを見れば、

彼は崩れ落ちるでしょう。

自分自身を「完全否定」する状態に入るでしょう。

 

しかし真本音度合いが高まることで、

人は「本来の自分」を理屈ではなく感覚として

実感します。

それにより、「大地」を得たような安心感を得ます。

本来の自分はここにある、と

感覚でわかるのです。

 

だからこそ、これまで見たくなかった自分を

見る勇気が出ます。

最も見たくなかった自分を見たとしても、

本来の自分はここにあるのだという安心感が

あるからです。

 

私はよく、真本音度合いを数値(%)で表します。

 

恐らく、これまでの木村さんの真本音度合いは

10%もなかったでしょう。

しかし、この時の木村さんは違いました。

真本音コミュニケーションをすることで、

70%くらいに高まっていたでしょう。

つまり、

彼の思考と言動の70%は、真本音から出される

という状態です。

 

多くの場合、真本音度合いが50%を超えれば、

心はかなり安心感と安定感を得ることができます。

 

しばらく木村さんはじーっとしていました。

自分の心をしっかりと見つめようとされていたのでしょう。

 

やがて、ポツリと呟きました。

「私は、・・・・怖かったです。」

 

「何が怖かったのですか?」

 

「失敗が怖かったです。

全力を出して、それでも失敗することが

怖かったです。

だから全力を出すことをずっと拒んできました。」

 

「だから自分を演じていたのですか?」

 

「はい、そうです。

本当の自分を出して、それでも失敗をしてしまうと

私はもう立ち直れない。

でも、演じる自分であれば、たとえ失敗しても

ダメージは受けない。

本当は私はこんなもんじゃないんだ、と

言い訳ができるからです。」

 

彼は目を瞑り、声を押し殺しながら、

泣き始めました。

「私は、こんな自分じゃなかったはずだ・・・」

と呟きました。

 

自分が望まない生き方を彼はしていた。

それを一番わかっていたのは、

彼自身でした。

 

そんな自分を彼は許せなかった。

だから、ずっとそんな自分にフタをしていた。

 

「仕事とは、演じることだ」と彼が頑なに言われていたのは、

フタを外さないために必要な自己防衛でした。

 

自己防衛のために強い信念を持つ。

・・・これを一般的な言語で表すと、

「頑固」となります。

 

本当の意味で信念が強いのと、頑固とでは

本質的にはまったく異なるのです。

 

頑固な人は、

自分を壊したくないが故に

頑固になるのです。

自己防衛。

自己愛。

それが本質です。

 

しかしその頑固さを

外からの圧力によって壊すことは困難です。

あくまでも、自らが内側から壊す意志を持たなければ

それは壊れません。

そのためには、

真本音度合いを高めるしかない、

というのが、現時点での私の答えです。

 

木村さんは、自己防衛をしていた自分自身を

ちゃんと自ら見つめ、しかも

それを口に出して私に伝えました。

ここまで出来ればもう大丈夫です。

 

フタをしていたその中身を見ることを

人は極度に怖がります。

しかし実際にそのフタを開けてしまい、

その中にいた自分と向き合うことができれば、

その瞬間にその人は楽になります。

 

それまでの自分を超えて行けます。

 

木村さんは、それを果たしました。

私は心の中で彼に拍手を送っていました。

 

しかし私はこの後、

さらに彼にきつい質問をしたのです。

 

つづく

 

否定しなければ、次に進めない時がある

木村さんはフリーズしました。

(→前回記事)

 

恐らく、「自己犠牲」という言葉が

効いたのだと思います。

 

恐らく、その一言は、木村さんの真本音が

最も嫌う一言です。

それをダイレクトにぶち込まれたのです。

 

念のために申しておきます。

 

私はいつもこのようなダイレクトな言葉を投げ続けるような

コーチングをしているわけではありません。

前回記事でも書きましたが、

私はただ、相手の真本音に委ねているだけ、

乗っかっているだけです。

 

その結果、このようなダイレクトなやりとりが

行われました。

つまりそれは、

木村さんの真本音が望んでいるやりとりである

ということです。

 

しばらく木村さんは無言でしたが、

ようやく口を開きました。

少し口調が震えていました。

 

「私に、仕事の仕方を変えろと言われるのですか?」

 

この瞬間、私は

木村さんの真本音が「自分を一気に壊してほしい」

という非常に強い願いを抱いていることを

直観しました。

 

平井さんの時もそうでした。

この会社にいる人達は、潔い人が多いのかな、

と一瞬思いました。

が、次の瞬間、

私は木村さんのその願いにそのまま応えるかのような

やりとりを始めたのです。

 

真本音コミュニケーションの始まりです。

 

木村さんの真本音と、

私の真本音のコラボレーション。

それが、真本音コミュニケーションです。

 

この状態に入ると、

私はある意味、いつも観察者になります。

 

変な言い方ですが、

勝手に私は相手の真本音の望み通りに

動きます。

勝手に口が動き、勝手に言葉を喋るイメージです。

 

しかしそれは何かに取り憑かれてるのではなく

一つ一つのやりとりが確信に満ちています。

 

今はこの一言しかない、

と確信できる一言が私の口から出されます。

 

それを私は、客観的に眺めています。

 

我ながら凄いことを言うなぁ、とか

うわぁ、こんなキツいこと言っちゃって大丈夫かなぁ、とか

いろんなことを思いますが、

それらに関わらず、私は勝手にコーチングを進めます。

 

こんな風に書くと、

まるで超能力のように思う方もいらっしゃるかも

しれません。

それは、たけうちさんだからできることでしょ、と

思う人もいるかもしれません。

 

しかしそうではありません。

 

これが、私達すべての人間が持っている、

本来のコミュニケーションの力です。

 

真本音コミュニケーションという名前をつけているので、

それは特別なコミュニケーションの印象になってしまいますが、

決してそうではなく、

人と人が本当の意味で向き合えば、

誰と誰が行なっても、この状態に自然に入れます。

 

そして、共にこういった状態に入れる人に対して

人は「あぁこの人と一緒に進んでいきたい」と

本能レベルで思えるのです。

 

これが、真のラポールだと私は思います。

 

話をもとに戻します。

 

木村さんと私は真本音コミュニケーションに

入りました。

私は、木村さんを壊しにかかりました。

 

木村さんと壊す、と言っても

木村さんのすべてを壊すわけではありません。

「これまでの木村さんのパターン」を壊すのです。

 

「木村さんの真本音が望んでいないパターン」を

壊すのです。

 

「私に、仕事の仕方を変えろと言われるのですか?」

 

「いいえ、まったくそんなことは思っていません。

ただ、木村さんには、本当に木村さんが望む

仕事の仕方をしてもらいたいと思っています。」

 

「今の私は、本当に望む仕事の仕方をしていないと?」

 

「してますか?」

 

「・・・していません。」

 

ここで、彼は下をうつむき、とても悔しそうなお顔を

されました。

 

「悔しいです。

私は私の仕事の仕方にプライドを持ってやって

きました。

だから、本当に望む仕事の仕方ができている、と

ここで答えられるはずなのに、どうしてもそれができない。

私は、・・・。」

 

木村さんは、私の目をまっすぐに見ました。

 

「私は、今の私に納得していません。」

 

・・・これは完全に木村さんの真本音でした。

この一言を聴いて、危うく私は涙をこぼしそうに

なりました。

 

自然に、私の口から言葉が出ました。

 

「木村さん、

木村さんは、ある意味、平井さんにとって

最高の部下かもしれません。

平井さんのことを一番、理解しているのは

木村さんでしょう。

でもね、木村さん、

あなたが、平井チームのボトルネックなんですよ。」

 

この言葉を、彼はまっすぐに受け止めました。

真本音コミュニケーションだからこそ

できることです。

 

「あなたがボトルネックだということは、

誰かに言われたことではありません。

平井さんももちろん、そのようなことは一言も

言われていません。

でもね、私は確信するのです。

あなたが、平井チームの成長を阻害しています。

間違いありません。

あなたが本来のあなたの仕事の仕方を発揮することで、

平井チームは間違いなく脱皮します。

あなたがそれを止めているのです。」

 

すると、木村さんは驚くべきことを

言われました。

 

「・・・薄々、それはわかっていました。

私は意図的にそれをやっていたのかも

しれません。」

 

こういう時、私は、

人って、本当にすごいなぁ、と思うのです。

 

つづく

 

混乱は自然にやってくる

最初に木村さんと1対1で面談した日から

約2週間後に、私達は再びお会いしました。

(→前回記事)

 

「最近の木村さんのご様子を教えていただけますか?」

と私が問うと、

「なんか、調子悪いんですよ」

とのお返事。

 

「理由はわからないのですが、

妙に怒りっぽいですし、モヤモヤするんですよ。

夜も寝つきが悪いですし。」

 

これは予想されたお返事でした。

実は、よくあることなのです。

 

私は前回のコーチングにおいて、

彼にかなりダイレクトなご質問を投げました。

それは、実は

彼の真本音に刺激を入れるための質問でした。

 

真本音に刺激が入ると、

自分の真本音を抑えながら生きている人は

心の調子を崩します。

しかしそれは決して悪いことではなく、

真本音度合いの高まりを告げる好転反応

のようなものなのです。

 

彼にはすでに好転反応が始まっていたのです。

 

しかしこの時点では、そういったことは

彼には伝えません。

 

「木村さんの中に、何か疑問は

湧いてきていませんか?」

 

「疑問?」

 

「はい。答えを知りたいこと、とか

ありませんか?」

 

「う〜ん、・・・。」

 

しばらく彼は黙っていましたが、ふと顔を上げ、

言われました。

 

「まったく関係ないことかもしれませんが、

最近、新しい趣味を始めまして。」

 

「へぇ、どんな趣味ですか?」

 

「料理です。」

 

「料理?」

 

「はい、これまでまったく興味なかったんですが、

ふと、自分で工夫した料理を作りたくなって、

この前の週末に、ネットで調べながらも我流で

カレーを作ったんですよ。

予想以上に、妻が喜んでくれまして、嬉しかったですね。」

 

私の問いに対して、まったく関係のない答え。

 

しかし、これもよくあることなのです。

クライアントさんが活性化している証拠です。

 

この木村さんの答えは、ここまでの流れと関係ないように

思えますが、これは彼の真本音度合いの高まりを告げる

一つの現象です。

 

彼は、「本来の自己表現」をしたがっているのです。

それを、「料理」という手段で始めました。

 

「木村さんは、どんな料理を作れたら最高ですか?」

 

「う〜ん、そうですねぇ。

やはり妻が喜んでくれると最高に嬉しいかな。

先日は久しぶりに恋人気分に戻ったような食事が

できましたし。」

 

「奥さんとは、木村さんにとってどんな存在ですか?」

 

「えっ? いやそんな風に問われると照れますが、

私にとってはなくてはならない存在です。

結構、妻とは考え方とか異なる部分が多いですが、

肝心なところでは一緒に喜べると言いますか。

そうそう、一緒に喜び合いたい人ですね。

照れますね。笑」

 

私はこの答えを聴いたとき、

あぁこの人は本当に人を大事にしたい人なんだ、

と思いました。

 

「木村さん、ひょっとして職場仲間の人達に対しても、

同じような想いを持っていらっしゃいます?」

 

「えっ、・・・あぁ、まぁ、そうですね。

妻に対してほどではないですが、一緒に喜び合えたら

嬉しいですね。」

 

「そのために、いつもどんなことを大切に

されてるんですか?」

 

「やはり、彼らの求めることに応えることかな。

自分がこうしたい、ということよりも、

彼らの期待に応えたい、というのが強いですね。」

 

どうやら木村さんが職場では「自分を演じる」理由は

ここにあるようです。

 

「例えば今、皆さんの期待に100応えられていると

しますね。

本当は木村さんはどれだけ応えたいですか?

100である今で満足ですか?」

 

「いやいや、全然満足ではないですよ。

500くらいは応えられる自分でありたいですね。」

 

「そのためには、どうすればよいと思われますか?」

 

「いやぁ、それがわからないのですよ。」

 

「そこは、私がアドバイスさせていただいても

よろしいですか?」

 

「はい、もちろんお願いします。」

 

「木村さんは、なぜ最初の料理をカレーに

されたんですか?」

 

「えっ? 私が好きだからですよ。」

 

「で、奥様にも喜んでいただいたんですよね?」

 

「はい。」

 

「それですよ。」

 

「どういうことですか?」

 

「周りの人達と一緒に喜び合えるのに大切なのは、

自分の喜び=周りの喜び

を見つけた時です。

周りのためだけに何とかしよう、としていても

それは難しいです。

自己犠牲していても、周りの人達は本当には

喜びませんよね。」

 

「それはそうですね。

誰かが犠牲になっていては、逆に誰も喜べませんよね。」

 

「でも、木村さんは、

自己犠牲しながら、仕事をしているのではありませんか?」

 

ここで木村さんはフリーズしました。

 

ここで皆さんに、きちんとお伝えしなければなりません。

ここまでの流れで大切なのは、

私が意図的に流れを読んでこのようなやりとりをしている

わけではない、ということなのです。

 

私には何の意図もありませんでした。

 

私が行なっていたのは、

ただただ、木村さんの真本音に意識を向け続け、

自然に発想される問いやメッセージを

素直に口に出す、ということだけです。

 

つまりは、相手に完全に委ねている状態です。

 

すると、相手の真本音が活性化します。

そして相手の真本音がすべてを導いてくれます。

 

木村さんの真本音は、

自分を開放したがっていました。

その真本音の意志に私はただ乗っかっただけです。

 

私には何の意図もなく、

しかし目の前の木村さんはフリーズし、

言葉を失っていました。

 

一度、フリーズすればもう大丈夫です。

 

ここから、木村さんの真本音が

ニョキニョキ出始めます。

 

つづく

 

自分を変えようとしない人がいたらどうする?

ここからは平井さん関連のエピソードを

またご紹介します。

(→前回記事)

 

平井さんの部下に

木村さん(仮名)という男性社員さんがいます。

 

30代の社員さんなのですが、

彼は非常に真面目です。

 

平井さんからの指示を常に忠実に

実行に移します。

 

平井さんのことをある意味最も理解している人

と言ってもよいでしょう。

 

しかし平井さんからすれば

彼のことが、悩みの種の一つだったのです。

 

なぜか?

 

「彼は、私の指示を100%実行してくれて

それはとてもありがたいし頼もしいのですが、

101%以上のことが決して出てこないのです。」

 

これはある意味、贅沢な悩みかもしれません。

しかし、

平井さんがこう言われるのも私はわかるのです。

 

なぜなら、

木村さんの本質は「ハチャメチャさ」だからです。

 

本当はもっともっとハチャメチャに

既存の枠を壊すくらいのことを「しでかす」ような

人なのに、その要素が仕事ではまったく

出てきません。

 

木村さんは趣味でロックバンドをやっており、

かなり激しいパフォーマンスを見せるのですが、

それが仕事ではまったく見られないのです。

 

「私は、あのロックを歌っている時の彼が

彼の本質だと思うんです」

と平井さん。

 

私もそう思いました。

 

「たけうちさん、

彼のコーチングをお願いできませんか?」

と平井さんに依頼されて、私は木村さんのコーチングを

することになりました。

 

こういった場合、

私は単刀直入に本人にお訊きします。

 

「ロックバンドをやっている時の木村さんが

本当の木村さんだと思うのですが、

それを仕事では出してないようですね。

何か理由があるのですか?」と。

 

明確な答えが返ってきました。

 

「ロックは自分を開放する場です。

仕事は、役割に応じて自分をいかに演じるか?が

大事だと私は思っています」と。

 

これはよくある話です。

 

自分の「人生」と「仕事」が

分離しているのです。

 

仕事は仕事。

プロとして、本来の自分を抑えて

与えられた業務に徹すること。

それこそが大事。

・・・であると。

 

これは一見もっともなように思えますが、

実は、私はこういった考えを持った人で

その人本来のパフォーマンスを発揮し切れている人を

見たことがありません。

 

「宝の持ち腐れ」という言葉を

いつも思い出します。

 

木村さんは典型的なそのタイプでした。

 

しかし彼には彼なりの

仕事に対する考えがあります。

それを否定したとしても、意味はないでしょう。

人は自分の考えを真っ向から否定されると、

その瞬間から「拒絶モード」に入ります。

 

人が人を変えることは

基本的には、できません。

 

本人が「自分を変えよう」と

本気で思わなければ、その人は変わりません。

 

外からの圧力で変えることはできない。

内からの圧力を喚起すること。

それが、他者ができる最大のサポートです。

 

私はいつものごとく、

木村さんの真本音を探し出すことに

すべてのエネルギーを注ぎました。

 

木村さんの真本音は、

今の自分をどう思っているのだろうか?

 

それを知りたかったのです。

 

私は彼に問いました。

「木村さん、

ロックバンドをしている時のご自分を

仕事で発揮することはできませんか?」

・・・かなり単刀直入なご質問です。

 

「それは無理ですね」

とすぐさま答えが返ってきました。

 

「それをしたら、私は与えられた業務を

全うできなくなります。

プロではなくなります」と。

 

「それを平井さんが望んでいるとしても?」

 

「はい。

平井からはよくそのお話を聴くのですが、

その通りにすると絶対に平井に迷惑が

かかります。

私が本性を出したら、会社が迷惑です。

それは私自身が一番よくわかっていますから、

私は自分を出しません。

その代わり、与えられたミッションは

必ず果たします。」

 

かなり、強固な信念です。

 

しかし私はそれを聴いた瞬間に

彼の「モロさ」を感じ取りました。

 

あぁこれは、彼の真本音の望む仕事の仕方

ではないな、と直観したのです。

 

であれば、話は早い。

 

彼の真本音度合いを高めるだけで、

彼は自然に変わるでしょう。

 

つづく

 

人が人にパワーを与えるその瞬間

「たけうちさん、ちょっと気になる社員が

いるんですが・・・。」

 

ある日のコーチングで、平井さんがふと私に

言われました。

 

「どうされたんですか?」

 

「鈴村(仮名)のことなんです。

よくわからないのですが、何となく気になります。」

 

「どう気になるのです?」

 

「う〜ん、よくわかりません。

そうですねぇ。

なんか、エネルギーが枯渇しているというか・・・。

表面上は元気なんですが、

なんか不自然さを感じます。」

 

鈴村さんとは、当時27歳の若手男性社員です。

いつも積極的で前向きな印象の方でした。

 

「わかりました。今、彼は社内にいますか?」

 

「はい、いるはずです。」

 

「ちょっと彼の顔を覗いてきますね。」

 

私は事務所に入り、遠くから鈴村さんのお顔を拝見しました。

表面上は彼は普通に仕事をされていました。

が、確かに私も不自然さを感じました。

恐らく、心が弱っています。

何かあったのでしょう。

 

「平井さん、確かに彼には何かありますね。

どうされますか?」

 

「ちょっと今、ここに呼んでもいいですか?

彼の話を聴いてみたいです。」

 

平井さんは事務所に入り、鈴村さんを

呼びました。

 

突然の呼び出しでしたので、彼はちょっと

緊張した面持ちで会議室に入ってきました。

 

「こんにちは。

すみませんね。突然お呼び出ししまして。」

と私が言うと、彼は少し微笑みながら、

「いえ、大丈夫です」と言われました。

 

彼のその声を聴いた瞬間、

私は、彼の心が相当に弱っているのを感じました。

 

平井さんは鈴村さんに静かに問いました。

 

「どうした、何かあったか?」

 

その瞬間、鈴村さんの肩の力が

ガクッと抜けるのがわかりました。

 

しばらく彼は無言でしたが、ポツリと

「なんでわかるんですか?」

と呟きました。

 

この時期はゴールデンウィークの直後。

 

話を聴くと、鈴村さんはゴールデンウィークに

ご実家に帰られたそうです。

そこでお父さんと大ゲンカをし、

勘当をされてしまったようです。

 

もともとお父さんとの関係はあまりよくなかったらしく、

しかしここまで酷い親子ゲンカはこれまでになく、

彼はお父さんから

「お前のような子供が産まれない方が良かった」

とはっきり言われたそうです。

 

「まぁいつものことですから、私は全然気にしてませんが、

そう言われてからまだ日が経ってないので、

まだ私は少し引きずっているのかもしれません」

と鈴村さん。

 

口ではそう言うものの、

今回のことが本当に心の底からこたえているのが

わかりました。

 

私がびっくりしたのは、

その話を聴いた平井さんの目に

涙が溜まっていたことです。

 

「お前みたいないいヤツに、なんてことを・・・。」

と平井さんは言われました。

 

「いやいや、大したことないですから」

と、なぜか鈴村さんが平井さんを慰めることに。

 

しかし明らかにこれで鈴村さんの心が

元気になったのがわかりました。

 

ここで重要なのは、

平井さんは、鈴村さんの心を元気にしようと、

そのためにこういった言葉を投げよう、という意図を

まったく持っていなかったということです。

 

平井さんはただ単純に

「人間発電所として鈴村さんと向き合おう」

(→前回記事)

としただけです。

その結果、自然に出た一言が

「お前みたいないいヤツに、〜〜」

だったのです。

 

ただただ相手に向き合い、意図せずに語る言葉。

 

真本音度合いの高い人がそれをすると、

その言葉はスッと相手の心に沁み込みます。

 

何の意図もないその一言によって

鈴村さんの心にはパワーが蘇りました。

 

「いやぁ、平井さんにはかないませんよ。

大丈夫です。業務に差し支えるようなことはしません」

と言いながら、鈴村さんは事務所に帰って行きました。

 

平井さんは特に、

何の解決もしていません。

 

ただ気になる社員さんを呼び、

向き合い、

思ったことを口にした、

それだけです。

 

それだけで、社員さんの心にパワーが

宿りました。

 

まさに「人間発電所」の本領発揮でした。

 

この仕事をしていて、私はよく思います。

 

私達は、人のために「何かをしてあげよう」と

思い過ぎではないか、と。

 

何かをして「あげよう」。

 

その時点ですでに、それは傲慢ではないか、と。

 

でもその一方で、

他者だからこそできる関わり方があります。

他者だからこそできる向き合い方があります。

 

それをただただ真本音に素直にするだけで、

人と人はエネルギーを高め合うことが

できるのではないでしょうか。

 

それこそが人の本来の力。

 

「人間発電所」とは平井さんの言葉ですが、

私はすべての人が「人間発電所」になれるといいなぁと

この時は思いましたね。

 

つづく

 

たった一つの言葉で人は変わってゆく

『人間発電所』

 

・・・これが平井さんの当時の人生理念です。

(→前回記事)

 

「私はどんな時も、みんなにエネルギーを与えられる

自分でいたい。

私のところに来れば、エネルギーが充電され、

元気一杯、自分の魅力と能力を最大に発揮できる状態になる。

そんな自分でいたい。

みんなを主役にできる自分でいたい。」

 

これが彼の揺るがぬ想いでした。

 

これは仕事のみならず、プライベートでも変わりません。

そんな自分でいられれば、

彼自身が幸せを感じるのです。

 

この理念を言語化してから、

平井さんの言動や習慣は大きく変わりました。

 

まず彼は、毎日1時間早く起きるようになったそうです。

その1時間で、自分の心を整えるのだそうです。

 

彼はヨガを習ったり、瞑想法の勉強をしました。

私もセルフコーチング法をお伝えしました。

いろいろ試しながら、彼なりの心の調整法を

編み出したようです。

 

朝だけでなく、夜寝る前にも

心を整える時間を創るようになったそうです。

それにより、睡眠が随分と深くなったこと、

目覚めがとてもよくなったこと、

一日の始まりが快適になったこと、

何よりも

「人間発電所としてのパワーが宿っているなと

思える状態になると、それだけでウキウキして、

さらにパワーが高まるんです」と。

 

面白いことに、

「人間発電所」になってからの方が

彼は静かになりました。

 

それまではどちらかと言えば、

彼は大声を出しながら皆を鼓舞する場面が

多かったです。

しかしそれはカラ元気に近く、

「そんな無理なことをしなくても、

自然に振る舞うだけで、パワーを与えられる

ことを知りました。」

 

それとともに、

彼からは余分な言動が消えていきました。

 

会議でも、以前は彼がずっと喋っていました。

しかし今は、彼はまるでコーチのように

問いを皆に投げて、あとは聴き役になります。

そして、ここぞという時のみ、

重要な一言を言います。

それはたった一言であるが故に、

逆に皆の心に深く響くようです。

 

しかも彼の発する言葉の多くは

「人間発電所」としてのものでしたので、

それにより皆が元気になりました。

 

そのような会議やミーティングを繰り返すことで

社員さん達の彼への印象が大きく

変わっていったのです。

 

彼は偉いなぁ、と私が思ったのは、

「人間発電所」という人生理念を大事にすることを

皆の前で宣言したことです。

 

「これまでの私は残念ながら、

皆のエネルギーを奪うことをたくさんしてきたように

思います。

しかしこれからは、パワーを与えられる自分に

なります。

もしそうでない言動を私がしていたら、

遠慮なく私にフィードバックしてください。」

 

そうは言っても最初は社員さん達は

なかなかフィードバックする勇気は

出ませんでした。

 

ですので、そこは私が少しサポートしました。

私が社員さん達の前でわざと、平井さんに

「今の態度はエネルギー奪ってますよ」と

フィードバックするようにしました。

 

その度に平井さんは、

「あっそうか。すんません」と言いながら

頭を掻きました。

そこに深刻さはなく、

素直に受け取る彼の姿を見て、

しだいに社員さん達も彼に意見を言うように

なりました。

 

そんな中での、生田さんの

「私はあなたのことが嫌いでした」発言も

出たのです。

 

平井さんは自分を別人に変えよう

としたわけではありません。

自分を変える、というよりも、

本来の自分に戻そうとしたのです。

 

本当は自分はこんな生き方をしたい

人間なんだ。

 

本当は自分はこんな自分であると

幸せな人間なんだ。

 

自分が素直に望む自分像。

それが本来の自分です。

そのためのキーワードが

人生理念なのです。

 

言葉というのはやはり

力があります。

言語化することで、常に意識化することが

できます。

 

その言葉が、反応本音レベルのものであれば

あまり意味はありませんが、

その言葉が、真本音から出されたものであれば、

それは深く自分自身に沁み込みます。

 

そういったキーワードは

誰もが必ず持っています。

 

真本音で望む生き方。

それが人生理念。

 

その言葉をその人が口にする時、

私は、とても心地良い「風」を感じます。

 

平井さんが、「人間発電所」と呟くと、

それだけで心地良い風が吹くのです。

 

そういったキーワードを

誰もが持っています。

 

それを見つけ出すことが、

真本音度合いを高める第一歩となるのです。

 

つづく

 

すべての現実は自分の生き方が引き寄せている

今日という一日を

最高の一日として過ごせましたか?

 

と問われたとき、何の迷いもなく

「はい、最高の一日でした」

と答えられる人はどれだけいるでしょうか?

 

人生をもう一度やり直せられるとしても、

今日という一日の過ごし方は、まったく変わらないだろうな、

と思える人はどれだけいるでしょうか?

 

真本音で生きる度合いが高まれば、

「最高の一日でした」と答えられる一日が

激増します。

 

真本音度合いが100%になれば

毎日がそうなります。

 

つまり、「後悔」というものがまったくなくなります。

 

そんなことがあり得るのでしょうか?

 

はい、あり得ます。

しかもそれは、全然特別なことではありません。

 

むしろその状態が「普通」の状態です。

・・・と私はお答えします。

 

これは、独りよがりでも何でもありません。

自己満足でも無理をしてそう思い込んでいるのでも

ありません。

ただただ単純に、自然に、そう思えるのです。

 

あぁ今日も、最高の一日だったなぁ、と、

一日の終わりに普通にいつものように思えるのです。

 

もちろん、日々、想定外のことは起こります。

 

自分の思惑通りに進むことなんて

ほとんどありません。

 

頭が真っ白になるような試練にも遭います。

 

傷つくことだってあります。

 

でもたとえ、どのような現実が起き、

どのような波に呑まれても、

自分のとった一つ一つの決断や行動が

最高だったな、と思える。

今日という一日は、人生を生き切ったなと

思える。

今日という一日を、存分に満喫できたなと

思える。

・・・そういった状態になれます。

 

そういった状態になれば、

必ず道は開かれます。

 

そういった状態になれば、

必ず、周りとは「完全調和」します。

 

真本音で生きるとは、

わがままに生きることではありません。

 

自分の真本音と他の人の真本音は

つながっています。

 

自分の真本音度合いが高まるということは、

周りの人とのつながり度合いが高まるということです。

つまりは、

真本音に素直に行動すれば、それは

自分=周りのための行動と

自然になります。

 

ですので、そこに争いや諍いや混乱や混沌は

ありません。

 

何をどれだけ頑張っても

どうしても現実が好転しない、

何をどれだけ頑張っても

自分は満たされない、

ということであれば、それは真本音度合いが低い

ということです。

 

自分の真本音を無視している

ということです。

 

前回の記事でも書かせていただきましたが、

自分の真本音を無視することは、

自分自身への信頼度を著しく減退させます。

(→前回記事)

 

自分のことを信頼できなくなった人は

他人を信頼することも、

他人から信頼されることも

なくなります。

それにより、

人生のあらゆる場面で障害が起こります。

 

すべて、自分の生き方の問題です。

 

これに尽きるのです。

 

今この瞬間の自分の生き方

の積み重ね。

 

これによって、どのような人生か?が

決まります。

 

仕事でもプライベートでも

どんな時でも、

自分は、

本当は、

どんな生き方をしたいか?

 

今この瞬間に

どんな生き方をしたいか?

 

この問いに対する揺るがぬ答えを

見つけることが、まずは重要です。

 

揺るがぬ答え、つまりは

真本音の答えです。

 

これを私は

『人生理念』

と呼んでいます。

 

人生理念を言語化し、

常に意識しながら今この瞬間の自分の言動を

決める。

 

それが真本音度合いを高める

最も基本的な方法です。

 

つづく

 

自分を本当に信頼していますか?

平井さんが、依存から自律へと変化できたのは

なぜでしょうか?

(→前回記事)

 

平井さんが、深刻から真剣へと変化できたのは

なぜでしょうか?

 

そのきっかけは、

自分自身との「本能的信頼関係を結べた」からです。

(→本能的信頼関係についてはこちら)

 

要するに、本当の意味で自分自身を

信頼することができるようになったからです。

 

ではなぜ彼は、自分を信頼できるようになったのか?

その答えは極めてシンプルです。

 

「真本音で生きるようになった」からです。

 

真本音とは、揺るがぬ自分です。

どのような状況、どのような環境においても

変わることのない自分です。

 

その自分は、人生に対する揺るがぬ願いを

持っています。

 

何のために自分は生きるのか?

この世の中において、どんな役割を自分は果たすのか?

どのような強みを、どう活かしていくのか?

 

それらを「願い」として明確に抱いています。

 

真本音で生きるとは、

その「揺るがぬ願い」に向かって生きる

ということです。

 

今、この瞬間に自分は何をするか?

今、この瞬間に自分は何を言うか?

 

今、この瞬間に自分は何をしないか?

今、この瞬間に自分は何を言わないか?

 

日常における、自分の一歩一歩を

真本音に素直に出し続ける。

その度合いが増せば増すほど、

自分自身が喜びます。

 

そして、自分の揺るがぬ願いに素直な自分を

自分が信頼するのです。

 

逆に言えば、

自分の真本音をないがしろにした言動を

繰り返すことで、

私達は自分への信頼を失くしていきます。

 

自分への信頼を失くしてしまうと、

自分の「決断」を信じられなくなります。

自分の決断が信じられなければ、

常に「迷う」という状態になります。

 

迷いながら進めば、

当然ですが、物事は進展しません。

 

例え同じ選択をしたとしても、

本当に決断をしてその道を進めば、

どのような障害があっても乗り越えられます。

しかし、

迷いながらその道を進めば、

ほんの少しの障害に出会うだけで、

すぐに止まってしまいます。

 

人生に正しいかどうか、という答えはありません。

大事なのは、

自分が決めた道を進めるかどうか?

しかし、

自分が決めること自体ができなければ、

人生は一向に進みません。

望む未来は決して

実現しません。

 

自らの真本音に素直に生きるかどうか?

 

それで、すべてが決まります。

・・・と言っても過言ではないと私は実感しています。

 

「おはようございます」

と、挨拶一つをするにしても、

それを真本音でするかどうか?です。

 

真本音ですれば、

その人らしい、その瞬間における最善の

挨拶ができます。

 

それができるかどうか、で

その後の展開が大きく変わります。

 

今この瞬間における些細な言動の一つによって

人生の展開は大きく変わります。

 

それをわかっているからこそ、

真剣な人は、今この瞬間を大切にします。

 

今この瞬間に真本音で生きる、

という度合いが高まることを私は、

「真本音度合いが高まる」

と表現しています。

 

真本音度合いが高まれば、

自分を信頼する度合いも高まります。

 

決断力も増します。

直観力も増します。

他者との信頼度も増します。

生産性も、必要な能力も、ほしい成果を手に入れる可能性も

増していきます。

 

では、どのようにすれば

真本音度合いは高まるのでしょうか?

 

それを、平井さんの例をもとに

ご紹介していきます。

 

つづく

 

ゆとりがあるのは真剣な証拠

今回も「自律」について、さらに深掘りします。

(→前回記事)

 

「私は私なりに一生懸命やっています。」

 

企業サポートをしていますと、こういった言葉を

よく聞きます。

 

しかし残念ながら、この言葉も

依存している人の典型的なセリフです。

 

自律している人は決してこのようなセリフは

言いません。

 

「一生懸命」によく似た言葉で

「真剣」

という言葉があります。

 

この二つはよく似ていますが、

本質が異なることは、何となくニュアンスとして

わかりますね。

 

もちろん、どちらも大切なことです。

 

自律している人は真剣です。

しかし、依存している人は真剣ではありません。

 

その違いは何でしょうか?

 

私はよく以下のような喩え話を用います。

 

「一生懸命」とは、

竹刀で必死に練習しているイメージです。

 

竹刀をブンブンと振り回して、

自分の能力向上のために努力しています。

 

もしくは、竹刀と竹刀を使った試合のようなもの。

 

勝つために、一生懸命に試合に取り組みます。

 

一生懸命に練習する人とそうでない人。

一生懸命に試合する人とそうでない人。

 

その二人がいたら、もちろん

一生懸命な方が、能力も実力も上がっていきます。

試合に勝てる頻度も高まります。

 

ですので、「一生懸命」は大事なことです。

 

しかし自律した人から言わせれば、

「一生懸命なんて、当たり前でしょ」となります。

わざわざそんなことはアピールすることではない、と。

 

「真剣」とは、

文字通り、真剣(本物の刀)で立ち合いをしているイメージです。

 

つまりそれは、命のやりとりです。

 

真剣と真剣で立ち合う時、

そこではほんのわずかな隙も見せられません。

 

竹刀の場合であれば、

エイヤッで、思い切って竹刀を振り下ろせば

よいかもしれません。

一か八か、でもよいかもしれません。

その結果、試合に負けたとしても、

それはそれで悔しいですが、次があります。

 

真剣の立ち合いとは、次がありません。

 

負ける、イコール、命を落とす、ということです。

 

ですから、エイヤッというような、

ただの勢い任せの一太刀を出すわけには

いきません。

 

真剣の立ち合いに出る前には、

当然のごとく、最高の自分に仕上げなければなりません。

そうでなければ、命を落とす可能性が高まるからです。

 

立ち合いでは、自分の集中力のすべてを使って

相手に集中します。

相手の呼吸、相手の思考、相手の空気感、

相手のわずかな動き、・・・。

すべてに意識を向け、

本当に必要な動きのみを自分はします。

 

不必要な動きは、命取りです。

 

自分自身の呼吸を整え、

自分のすべてのエネルギーをその場に集中させ、

自分が本当に必要だと思う動きのみをとります。

 

そのため、力は抜きます。

本当にいざという瞬間に、すべてのパワーを

込めるために、

心も体も自然体で、力を抜いています。

 

そして、「ここぞ!」という瞬間を待ちます。

 

ここぞ!という瞬間に、ここぞ!という一太刀を

振り下ろします。

 

それが「真剣」です。

 

つまり、ある意味、結果がすべてです。

負ける=死ぬ、だからです。

 

そこには、言い訳も努力もありません。

勝つか負けるか。

それだけです。

 

私達の日常では、もちろんこのような命のやり取りは

稀です。

 

毎日、真剣による立ち合いをしているようでは、

神経が擦り減ってしまい、それこそ寿命が縮まります。

 

しかし、先ほども書きました通り、

真剣な人とは、普段は力を抜いています。

 

本当に「ここぞ」という時に力を発揮します。

 

なぜならそれは結果を出すためです。

 

「私は私なりに一生懸命やってます」

という言葉が、いかに真剣な人から見れば

「変な言葉」として映るのか、

その理由がここにあります。

 

人生に言い訳は必要ありません。

人生に弁解は必要ありません。

 

言い訳や弁解が出た時点で

依存です。

 

私達人間には、真本音があります。

 

真本音には、人生の願いが詰まっています。

 

自分はどんな人生を創り上げたいか?

自分は人生において、何を成し遂げたいか?

そのために自分のどのような個性を活かして、

どのような役割を担いながら、それを果たしたいか?

 

それは私達の真本音が決めています。

 

自分が決めた「願い」を

自分が実現する。

 

そこに真剣な人は、

今、自分が何をすればよいか?

今、自分は何をしてはならないか?

に対して、とても真剣です。

 

そして、今自分のすることのみを

真剣に行ないます。

 

今、自分のすべきことをしない、のは

とても気持ち悪くてしょうがありません。

 

今、自分がしてはならないことをする、のも

とても気持ち悪くてしょうがありません。

 

だから、気持ちの良いことをし続けます。

 

すべき時にします。

しない時には完全に力を抜きます。

 

なので、いつもどことなく

「ゆとり」があります。

 

肩の力を抜き、自然体です。

 

それは自分を完全にコントロールできている

状態です。

 

ですから、真剣な人とは自律した人なのです。

 

自律とは真剣なのです。

 

コーチという視点で、私が平井さんを見ていて

最も変化したと思うのは、

平井さんが、「余分な行動をまったくしなくなった」

ということです。

 

それは日常の些細な振る舞いにも現れました。

 

例えば、

余分な一言を彼はまったく言わなくなりました。

 

以前の彼は、相手を茶化すような冗談を

よく言っていました。

恐らくそれは、場の雰囲気を和ませるための

彼なりのコミュニケーション手段でした。

 

しかしその彼の冗談が、

信頼をなくす要因の一つになっていました。

もちろん、彼本人はそれを知りません。

 

それが、自然になくなりました。

 

私はよく、「真剣性」という言葉を使います。

彼の真剣性が高まることにより、

彼は、余分な一言がなくなりました。

 

余分な行動がなくなりました。

 

余分な仕事をしなくなりました。

 

余分な時間の使い方がなくなりました。

 

結果として、彼には時間ができました。

いつもどの社員よりも忙しそうだった彼が、

今は、誰よりも「ゆとり」があるように見えます。

 

ゆとりのある目線で、彼はすべてを観察します。

 

そして、ほんのわずかでも心に引っかかることを

発見すれば、最善のタイミングと方法で、

それに対応します。

 

そんな彼の立ち振る舞いを見ていますと、

あぁこれが真剣性が高まるということなのだな、

とわかります。

 

真剣性が高まるということは

自律性が高まるということです。

 

自律とは、真剣です。

 

そして真剣な人、自律した人は

一緒にいて、心が和みます。

 

こちらも幸せな気持ちになれますね。

 

自分の人生に対して真剣かどうか?

 

すべてはこれに尽きると、

私は思います。

 

つづく

 

目的がわからなくても目的に向かう

「自律」について、さらに話を深めます。

(→前回記事)

 

何のために何をするか?

そして、

何のために何をしてはならないか?

 

自律した人は、

常にゼロからそれを発想します。

 

それまでの過程はもちろん大事ですが、

それまでの過程と、創り上げてきた現実に

執着はしません。

 

「これまではこういったやり方で成功してきたから、

これからもこのやり方で行こう。」

・・・というのは、依存です。

それまでのやり方への依存であり、

過去への依存です。

 

常に原点(ゼロ)に戻ること。

常に「何のために」(目的)に戻ること。

それができるので、自律した人は強いのです。

 

しかしこのような説明をすると、

よく、次のようなご質問をいただきます。

 

「原点とか目的とか言われても、

私にはそれがわからないのです。」

 

実は、コーチング初期の頃の平井さんからも

いつもそのようなことを言われました。

 

平井さんは、

「私には、目的がわかりません。

自分が何のためにこの仕事をしているのか?

それがわからなくなります。

もちろん表面上の目的はありますし、頭では

理解できます。

でも、その目的を頭に置いたとしても

力も湧いてこないし、発想も出ません。

多分それは、私の本当の目的ではないからです」

と言われていました。

 

そして、

「たけうちさん、目的を見つけるためには

どうすればよいですか?」

と。

 

実は、

「目的を見つけるためにはどうすればよいですか?」

という質問は、

依存している人の典型的な質問です。

 

自律している人は決して、

そのような質問はしません。

 

それは、

すでに目的がわかっているから

ではありません。

 

目的がわかっていなくても、

自律している人は、そんな質問はしません。

 

自律している人は、

目的とは自分で見つけるものである、

自分で見つけようとしなければ決して見つけられないものである、

ということを、何となくでもわかっているからです。

 

そして、今はまったく目に見えない目的を

自ら見つけよう、とします。

 

そこが大事なのです。

 

なぜなら、

自ら目的を見つけようと真剣になることで、

私達の「真本音」が発動するからです。

 

真本音とは、

「私達の人生の目的に向かおうとし続ける

揺るがぬ心」

と表現することもできます。

 

その真本音が発動します。

それにより、

「目的はわからなくとも、目的に向かう」

という状態に入っていきます。

 

本当は、

私達の目的は、最初から私達の中にあります。

ただそれが、

顕在化していないだけです。

 

私達の頭が

認識していないだけのことです。

本当は目的は

心の中にガッシリと存在しています。

 

何のために私は生きればよいのか?

何のために私はこの仕事をすればよいのか?

何のために私はこの役割を果たせばよいのか?

何のために・・・

 

自分自身が今、ここにいる理由(目的)を

私達は本当は誰よりもよくわかっています。

ただ、

顕在化していないだけ。

 

ですから、目的は他人に教えてもらうものでは

ありません。

自ら見つけようとするものです。

 

それをすることで、

私達の真本音は発動し、

真本音に素直に行動することで、その先に

自分自身の目的が見えてきます。

 

説明すると、以上のようなことになりますが、

自律している人は、理屈ではなく感性として

以上のことがよくわかっています。

 

ですので私のコーチングは、

その人の真本音が活性化するための刺激のみ

を入れるようにしています。

それ以外のことはできるだけご本人が自力で

進めるようにしています。

 

平井さんのコーチングはその典型でした。

 

私が行なったのは、

平井さんの真本音を活性化させることだけ。

 

自らの真本音を自らキャッチできるようになった

平井さんは、自らの真本音に素直に

すべての道を開いていきました。

 

それが自律状態です。

 

真本音で生きるとは、自律すること。

 

そして自律した人が、

周りとの調和を起こしていきます。

 

つづく

 

私とあなたは、本当に調和していますか?

『自律調和』という言葉を

私はよく使います。

 

この言葉は、私が尊敬するある社長が

生み出した言葉です。

 

「たけうちさんがやっていることって、

こういうことですよね」

と彼に言われた時、

あぁなるほど!と思いました。

 

この言葉の凄いところは二つあります。

 

一つは、

「自立」ではなく「自律」というところです。

 

「自立」と「自律」の違いは、

様々な解釈の仕方があると思いますが、

私の解釈で言えば、

自立の先にあるのが自律です。

 

人は、自ら立つことができて、初めて

自らを律することができます。

 

自ら立つことをせず、依存状態のままで

自らを律しても、それは自律もどきです。

社長に依存していた時代の平井さんがまさに

この状態でした。

(→前回記事)

 

そして、自分を律する、とは、

自分を縛り付けることではありません。

 

自分自身をコントロールすることです。

 

つまりそれは、「自由自在に自分を操ること」です。

 

要するに、本質的な「自由」です。

 

自律している人とは、自由な人なのです。

 

これが私の解釈です。

 

『自律調和』という言葉の凄いところの二つ目は、

 

「調和自律」ではなく「自律調和」である

というところです。

 

よく、「仲間がいるから私はがんばれる」

という言葉を聞きます。

 

私はそれを聞くと、「依存だな」と思います。

 

仲間がいるからがんばれる、

じゃあ、いなかったら?

いなかったら、がんばるのをやめるの?

と。

 

もちろん、仲間は大事です。

調和できる環境や、職場や、人間関係は

とても重要です。

 

しかし、「みんながいるから私はがんばれる」

というのは、調和もどきです。

 

依存の集合体です。

 

依存とは、寄りかかること。

もしくは、ぶら下がること。

 

寄りかかる対象がなければ、

ぶら下がる対象がなければ、立つことができない状態

を言います。

 

お互いがお互いに寄りかかり、

お互いがいなければ立っていられない状態で

一つの調和を作っていても、

それは調和とは言いません。

 

そこに、「自由」はありません。

 

本来の調和とは、

一人一人がまずは自分で立ち、

自分で自分を自由にコントロールし、

そういうことのできる人達が、

お互いに寄りかかるのではなく、

自ら立った状態で、手をつなぐこと

です。

 

手を放そうと思えばいつでも放せます。

 

つなごうと思えば、いつでもつなげます。

 

どちらもできる状態。

 

今は、手を放すことが大切か?

それとも、手をつなぐことが大切か?

 

いつでもどちらの選択もできる状態。

 

そうなれると、

くっついていても、離れていても、

どのような状態でも

その人とその人は「調和」しています。

 

調和とは、「距離感」です。

 

その人とどれくらいの距離感で関わることが

今は最も相乗効果を発揮することに

なるだろうか?

 

それをお互いに見極め、

最適な距離感で関わり合うことが

真の調和をもたらします。

 

それができるのは、

自律した人同士のみです。

 

ですので、『自律調和』なのです。

 

自律→調和 なのです。

 

この順番しかあり得ない。

逆はあり得ないんだ、ということに

いつからか私は気づくことができました。

 

そこに気づいてから、

人や組織への関わり方が

非常に楽になりました。

 

何をすれば良いか?が

明確に掴みやすくなりました。

 

そしてさらに次のことも言えます。

 

自律した人は、

次の自律した人を生む、

と。

 

平井さんの例はまさしくそうです。

 

もともとは社長に依存していた平井さん。

その平井さんが自律することで、

自律した社員さんが一気に増えました。

 

組織全体が、

依存状態から自律調和状態へと

脱皮し始めました。

 

一人の自律は、

組織のパワーになるのです。

 

つづく

 

深刻になっても何も生まない

私の本当に望む人生とは何だろうか?

 

この問いにすぐに答えられる人は

稀です。

 

時々、すぐに答える人と出会いますが、

その答えは、大概、浅いです。

 

そんなに簡単に答えられる問いではないですね。

 

でも、

この問いに真摯に向き合うことは

本当に重要なことだと、

私はこの仕事を通じて、深く実感しています。

 

私の本当に望む人生とは何だろうか?

 

答えがわからなくとも、

その答えを真摯に見つけようとする。

 

そういった人には、独特の空気感が

現れます。

 

その空気感をシンプルに表現すると、

「明るい」

「軽い」

「あたたかい」

となります。

 

逆に言えば、

その問いと真摯に向き合ってない人の空気感は、

「暗い」

「重い」

「冷たい」

となります。

 

人は、自分の人生と真摯に向き合う時に

本来の魅力を発揮します。

 

私の本当に望む人生とは何だろうか?

 

その答えを見つけようとしている人は、

「真剣」です。

そして真剣な人は、

明るく、軽く、あたたかく

なります。

 

それは行動ベースの話ではなく、

空気感の話です。

 

自分の人生と向き合わない人は、

「深刻」になります。

深刻な人はすぐに、

暗く、重く、冷たく

なります。

 

あなたは、

真剣な人でしょうか?

それとも

深刻な人でしょうか?

 

平井さんは、

深刻な人から、真剣な人へと

変化したのです。

それにより、

彼の醸し出す空気感が変わりました。

 

ただそれだけのことです。

(→前回記事)

 

では、「真剣」とはどういうことでしょうか?

 

これに対しては私は

明確な答えを持っています。

 

真剣とは、

「自分の真本音に素直に生きること」

です。

 

ということは、

「自分の真本音を無視して生きること」

により、人は深刻になっていきます。

 

真剣な人生は、

明るく、軽く、あたたかく

なっていきます。

 

深刻な人生は、

暗く、重く、冷たく

なっていきます。

 

自分が今この瞬間に創り上げている人生がそのまま

その人の空気感となって現れます。

 

ただそれだけのことです。

 

そして人は、

真剣に生きる自分を

喜びます。

 

深刻に生きる自分を

蔑みます。

 

自分を蔑み続けている人が

自分自身を本当の意味で信頼することは

不可能です。

 

そういった人は、

自分の中に「見たくない自分」が生まれると、

間違いなく、その自分にフタをします。

 

見たくない自分。

例えば、

怒りまくる自分、

人を憎む自分、

すぐに揺れる弱い自分、・・・。

 

そういった自分にフタをして、

見たい自分だけを見るようになります。

 

見たい自分。

例えば、

前向きな自分、

エネルギッシュで強い自分、

人を愛する自分、・・・。

 

見たい自分は居心地がいい。

見たくない自分は居心地が悪い。

だから、居心地の良い自分だけを承認します。

 

そして、

「私は何があっても前に向かうんだ」

と言います。

「私は、どんな時もプラス指向だ」

と言います。

そして明るい表情を作り、

元気を作り、

たくましさを作り、

進みます。

 

そして、

それができている自分に

自信を持ちます。

自分はすごいなぁと、

自信を持ちます。

 

しかしその自信とは裏腹に、

心の奥底ではどんどん不安が増します。

深刻さが増します。

 

自信のある自分だからこそ、

立っていられる。

でもこの自信がなくなってしまったら、

自分はどうなるのだろう?

・・・そんな深刻さが日々、増していきます。

 

何としてでも、

自信のある自分でなければならない。

この自信を失ってはならない。

そんな恐怖感が、心の奥底に

溜まり続けます。

 

その恐怖感を消すために、

さらに前向きな自分を作ります。

 

・・・そんな人が多過ぎる!

 

そんな人が世の中を牽引している。

 

その現実が、私はとても悲しいです。

 

自分の良き部分のみに光を当て、

自分の見たくない部分にはフタをする。

それを前向きとは、言えません。

 

本当の前向きとは、

自分のすべてを受け止めること。

自分のすべてを見つめること。

その上で、それでも前に向かおうとすること。

それが真の前向きだと私は思います。

 

そしてそういった人は例外なく、みんな

明るく、

軽く、

あたたかく、

なります。

 

もっともっと自分の心と

向き合えばいいのに。

 

もっともっと、あるがままの自分を

見つめればいいのに。

 

そうすれば、

もっと楽に進めるのに。

 

そうすれば、

もっと望む現実を創り出せるのに。

 

・・・私はそう思うのです。

 

人は本来、

真剣です。

 

真剣に生きることが

楽しいのです。

 

真剣に生きる楽しさを

思い出すだけのことだと

私は思うのです。

 

それが私のサポートのすべてです。

 

真剣になることの楽しさを

思い出せば、

人は皆、(・・・そうです、全員です)

びっくりするような行動を起こし、

現実を創り上げていきます。

 

そんな時私はいつも

人ってやっぱり凄いんだなぁ、

と感嘆します。

 

つづく

 

自信がないからできない? 傲慢だねぇ

「ラポール」という言葉があります。

 

臨床心理学で使われる用語なのですが、

コーチングの世界では「信頼関係」と訳されます。

 

もともとは、「心と心がつながる」とか「心が通い合う」

という意味だそうです。

 

私は、いつもこれをあえて

「本能的信頼関係」

と表現しています。

 

人が人を信頼する多くの場合は、

何らかの理由があります。

 

例えば、

仕事ができるから信頼できる、とか、

約束を守る人だから信頼できる、とか、

器が大きいから信頼できる、とか、

物事を必ずやり遂げるから信頼できる、とか。

 

しかし「本能的信頼関係」とは、

そういった理由や根拠はありません。

 

何となく、この人いいな。

何となく、この人好きだな。

何となく、この人と一緒にいたいな。

何となく、この人と通い合いたいな。

何となく、この人と心を開いて話したいな。

 

そのように、明確な理由がないのに、

初対面で会ったその瞬間からそう思える時が

あります。

 

それを「本能的信頼関係」と呼んでいるのですが、

その原因のほとんどは、その人の放つ

「空気感」

です。

 

生田さんが、平井さんのことを

まるで別人に生まれ変わったようだ、と感じた

最大の要因も、

平井さんの発する空気感の変化でした。

(→前回記事)

 

もともと、「人間不信」とも言える冷たい空気感を

持っていた平井さんが、

「人間愛」とも言えるようなあたたかい雰囲気を

醸し出すようになりました。

 

そうなれた最大の原因は、

平井さんが自分自身を許すことができた

からです。

 

言葉を変えると、

平井さんが、自分自身とのラポールを構築できた

からなんです。

 

自分自身とのラポール。

 

私は極端に言えば、人生の8割は

これで決まると思っています。

 

自分のことを自分が信頼できるか?

 

です。

 

ですがこの信頼とは、あくまでも

本能的信頼であって、

私はこんな能力があるから自分を信頼できる、とか

私はこんな経験を積んできたから自分を信頼できる、とか

私はこんな個性だから自分を信頼できる、とか

そういった理由付きの信頼ではありません。

 

ただただ、心の底から

自分を信頼できるかどうか?

です。

 

残念ながら、そういった意味で

自分のことを本当に信頼できている人は

非常に稀です。

 

これはいわゆる「自信」とは

関係がありません。

 

むしろ私の経験から言えば、

自信のある人ほど、

自分自身への本能的信頼感が少ない

という傾向があります。

 

自分自身への本能的信頼感がないが故に

それを満たしたいが故に物事に頑張り

経験を積み、

「自信」を得てきている人が多いのです。

 

しかしどれだけ自信を得ても、

自分自身への本能的信頼は増えません。

本能的信頼が枯渇しているから

自信の持てる自分でい続けよう、とします。

 

そんな人が多いのです。

 

自分への本能的信頼を得ている人の多くは、

自信があるとかないとか、

そんなことは関係ない、という感じです。

 

そういう人は、よく自信のなさからくる不安を

感じ取ります。

ですから、自分は弱いなぁ、という自己イメージを

持っている人が多いです。

 

しかし、自信とはまったく別の次元で、

「確信」が湧いてきます。

 

その確信に基づいて、行動をします。

 

つまり、

自信と確信は、まったくの別物です。

 

確信に基づいて生きている人ほど、

自信のあるなしは、

関係なくなります。

弱い自分だろうが、強い自分だろうが、

関係なくなります。

どちらにしても、自分の行動や選択は

変わらないからです。

 

平井さんは言われます。

 

「以前よりも今の方が私は

自信がないと思います。

正確に言えば、自信のない自分を

あるがままに感じることができるようになりました。

あぁ、自信がないんだなぁ、私は、と。

しょうがないなぁ、私は、弱いなぁ、私は、

と思いながら、でも行動を変えることはしません。笑」

 

私は、これこそが

人の本当の強さ

だと思います。

 

自信があるからできる。

 

というのは、本当の強さではないと

私は思っています。

 

自信があるからできる。

自信がないからできない。

 

その次元で自分の選択をし続ける状態を

私は「傲慢」と呼んでいます。

「独りよがり」と呼んでいます。

「わがまま」と呼んでいます。

 

その次元から抜け出ることは、

すべての人が可能です。

 

その次元から抜け出て、

自分の確信によってのみ生きることで

私達は「自由」になれます。

そして、

本当に望む人生を創り出すことができます。

 

では、どうすればそんなことが

できるのでしょうか?

 

どうすれば、自分自身と

本能的信頼関係を結ぶことができるのでしょうか?

 

その答えは極めてシンプルです。

 

つづく

 

人間関係を壊すもの

平井さんの変化について、

さらに深掘りをしていきます。

(→前回記事)

 

「実は、私はあなたのことが嫌いでした」と

平井さんに告白した生田さんという部下がいます。

 

私は生田さんにお訊きしました。

 

「平井さんが最も変化されたのは

どこですか?」

 

生田さんは、じーっと考えた後で、

こう言われました。

 

「上手く言えませんが、

以前は、私は平井から全否定をされていたような

気がするんです。」

 

「全否定?」

 

「はい、そうです。

自分のすべてを否定されていたような。」

 

「どんな時に、そんな風に感じられたんですか?」

 

「多分、彼は全否定をしている気はなかったと

思います。

でも私は、彼のちょっとした一言一言に、

あぁこの人は私にいてほしくないんだ、

私のすべてが嫌いなんだ、という印象を受けました。」

 

「何か具体的なやりとりの場面を思い出せます?」

 

「う〜ん、一つ一つは本当に小さなことなんですよね。

でもその積み重ねで、私は平井のそばにいることが

本当に怖くなりました。

まぁ、いい大人ですし、仕事ですから、

そんなことは言っておれないのですが。

でも、会社に来て、平井の顔を見るのは

本当に嫌でしたね。」

 

実はこのようなケースは生田さんだけでなく、

とても多いです。

 

思い出せないくらいに小さな一つ一つの

積み重ねで、心を深く傷つけてしまうケースです。

 

「今はどうなのですか?」

 

「今はまったく変わりましたね。

大袈裟ではなく、私は平井という人間が、

一度、死んで生まれ変わったか、

体だけ同じで、中身がまったく別人と

入れ替わったか。

そんな感じがしています。

部下で年下の私が言うのもおこがましいですが、

平井を見ていると、人は変われるんだ、と

希望を持てます。」

 

生田さんの言われていることは

私にもよくわかります。

 

私は第三者ですから良いのですが、

もしこの人の部下になったら、

かなりキツイだろうなぁ、というのが

出会った頃の平井さんへの印象でした。

 

時折、彼からふっと漂ってくる空気感が、

とてつもなく冷たかったからです。

 

それを言葉で表現するのは難しいのですが、

あえて言えば、

「人間嫌い」

「人間不信」

の塊のような空気感です。

 

それが今はまったくない。

どころか、常に平井さんから感じるのは

「すべてを受け止めるあたたかさ」

です。

 

人間不信の冷たい空気感を持った人が、

ほんの些細なことでも人を叱ったり注意をすれば、

それをされた人は、

自分が全否定された、という印象を得ます。

 

それに対して、まったく同じ言葉で

注意を受けたとしても、

もし、あたたかい空気感を持った人からの

言葉であれば、

人はそこに愛を感じます。

 

管理職研修などで、

部下を上手く叱るにはどうすればよいでしょうか?

というご質問を、私はよくいただきます。

 

しかしそれは、言葉の言い回しや

テクニックではないのです。

 

自分が、「人間」というものに対して、

どのような空気感を発しているか?

で、ほぼすべてが決まってしまうのです。

 

そしてその、あたたかい空気感は、

「心を大きく持とう」とか

「自分は人格者であろう」とか

「もっと器を大きくしよう」とか、

そういった心構えレベルで出せるようになるものでは

ありません。

 

空気感を決めるものは、

「自己承認」

できているかどうか、です。

 

自分のすべてを、

自分が許せているかどうか?

です。

 

そして、

人が自分のことを最も許せなくなる

最大の要因は、

 

「自分の真本音を自分がないがしろにする」

 

ということなのです。

 

つづく

 

あなたは怒るべき人だ

真本音度合いが上がってから、

めっきり怒ることが少なくなった平井さん。

(→前回記事)

 

私は平井さんに訊いてみました。

 

「平井さん、今の平井さんは以前に比べて

かなり気が長くなったように見えますが、

ご自分では変化は感じていますか?」

 

「あっ、やはりそうですか。

自分では特に意識していないのですが、

腹が立たなくなってきたのは事実です。

こんなに腹を立てない自分でよいのだろうか、と

少し不安になるくらいです。

本当はもっと社員に厳しくしないといけないのではないかと。

でも、腹が立たないからしょうがないですね。」

 

「それによる社員さんの変化は?」

 

「そりゃもう、以前に比べれば随分と私に

意見を言うようになりましたよ。

まぁこれは、たけうちさんにコーチングスキルを

教えていただいたのが一番大きいと思いますが、

私が簡単には怒らなくなったのも大きいかな。」

 

「それは良いことだと思いますか?

社員さん達の仕事の質はいかがですか?」

 

「いや、もちろん良いことだと思っていますよ。

昔に比べると、社員の本音はとてもよくわかるように

なりました。

それに、信頼関係も昔とは大違いじゃないかな。

今から振り返ると、昔は信頼関係もどきでしたね。

社員の主体性とか仕事の質は間違いなく

上がってますよ。」

 

「では、怒らない方がいいと?」

 

「いやでもね、たけうちさん。

そうは言っても、私はね、もの凄く腹の立つ瞬間は

今でもあるのですよ。

その時はもう逆に、私は私を抑えられなくなります。

ついつい、思ったことをそのまま相手に

伝えてしまうんですよ。

これはいいのかなぁ?」

 

「伝えた結果、どうなりますか?」

 

「多分ね、その伝え方は以前よりもダイレクトだと

思うんですよ。

だから、以前よりもきついんじゃないかなって。

でも、そんなきつい言い方をしているのに、

社員はちゃんと受け止めてくれます。

それどころか、どれだけ私が怒っていても

意見を言い返してくる社員もいるんです。

これはどういうことでしょうね?

社員が強くなったのかな?」

 

「平井さん、

それを“真本音の怒り”と言うんですよ。」

 

“真本音の怒り”。

 

それは、まったく淀みのない怒り。

 

相手のためだけを純粋に想い、

自然発生する怒り。

 

真本音度合いが高まった人には共通して見られる

一つの現象です。

 

真本音の怒りには、

根底に「あたたかさ」があります。

それは意図をした「あたたかさ」ではありません。

 

「あたたかさ」の土台の上で、

きつい言葉達が相手にダイレクトに向かっていきます。

 

それを受けると、相手の人は

大きく混乱します。ショックを受けます。

頭は真っ白になるケースが多いです。

しかし、決してその言葉達を拒絶することはありません。

 

いえ、一時的には思わず拒絶するかもしれませんが、

その言葉の一つ一つは、その人の胸に

しっかりと宿ります。

 

そして、ジワーッとその人の胸に

沁み込んでいきます。

 

要するにそれは、

愛のある怒り、なのです。

 

ですから私は常に、

真本音度合いの高まった人に対しては、

「自分の怒りを抑えないでください」

とお願いしています。

 

真本音の怒りは、必然的に必要に応じて

発生します。

その怒りを抑えることは、

マイナスにしかなりません。

真本音の怒りは開放してこそ、

すべての物事が進展します。

 

逆に。

真本音度合いがまだあまり高くない状態での怒り

があります。

それは、反応本音の怒りです。

 

反応本音の怒りは、単なる反応です。

そして、自分の思惑とか、自分のストレス解消とか

様々な淀みが含まれています。

一般的に言われる怒りとは、この反応本音の怒り

のことを言います。

 

この怒りを相手にぶつければ、

当然のごとく、相手も反応します。

怒りと怒りのぶつかり合いになります。

もしくは、相手の立場の方が弱い場合は、

相手が我慢し、こちらに迎合します。

 

真本音の怒りと、反応本音の怒りは、

表面上では同じように見えても、

本質はまったく異なるのです。

 

真本音度合いが高まれば、

反応本音の怒りは激減します。

その代わり、真本音の怒りのみが

自然発生するようになります。

 

そしてその真本音の怒りこそが、

人の成長を促したり、組織の活性化につながります。

 

私達は人間。

 

豊かな感情があります。

 

それらの感情を単なる反応として使うのか、

それとも

自分の揺るがぬ願いの一つの表現として

発揮するのか。

 

それにより、

人生は大きく変わってきますね。

 

つづく

 

なんですぐに怒るの?

私達人間の心のパワーというのは

二つのタイプに分けることができます。

 

一つは、外発的なパワー。

もう一つは、内発的なパワーです。

(→前回記事)

 

外発的なパワーとは、

外(外部環境など)からの影響によって、

発生するパワーです。

 

例えば、とても嬉しいことがあった、とか。

誰かから褒められた、とか。

好きな仕事に就くことができた、とか。

要するに、

私達の日常の中で、起こる様々な物事(現象)によって

その反応として生まれるパワーです。

 

それに対して、内発的パワーとは、

外部環境によってもたらされるものではなく、

自分の内側から常に湧き上がるもの。

少し極端な表現を使えば、

自分の外部環境(状況・現象など)が

どのような状態であったとしても、

変わらずに湧き続けるもの、とも言えます。

 

単純に言えば、

自らの真本音に素直に生きる度合いが高まれば、

この内発的パワーも自然に高まります。

 

しかし、真本音度合いが低くなれば、

内発的パワーは下がり、

結果として、外発的パワーのみに頼る生き方になります。

例えば、

何か良いことが起きないと元気が出ない、

好きな人と一緒にいないと元気が出ない、

好きなことをしていないと元気が出ない、

みんなから認めてもらわないとやる気が出ない、

給料が高くないとやる気が出ない、

人間関係が良くないとやる気が出ない、

・・・などなど。

自分以外の何かの影響によって振り回される人生

となります。

 

ということは、逆に言えば、

内発的パワーが高まれば、

自ら、外部環境(状況・現象など)に働きかけ、

自ら、外部環境を変えられる可能性も高まるわけです。

 

私はいつもコーチングをする場合、

内発的パワーの高い人かどうか?

という視点を大切にします。

 

そして私のコーチングは、

内発的パワーと高めることをすべての基本

としています。

 

ただし念のために申し上げておきますが、

内発的パワーの高い人、というのは、

表面的に元気とか、勢いがあるとか、声が大きいとか、

そういったこととは無関係です。

 

むしろ(あくまで基本的な)傾向としては、

内発的パワーが高まれば高まるほど、

人は「静か」になります。

「落ち着く」といった方がよいでしょうか。

「安定感」が出るのです。

「自然体」と言ってもよいです。

 

そういった人は、

あぁこの人は、いざという時に凄いパワーが出るな、

という印象を感覚として得ることができ、

それがその人への本質的な信頼感につながります。

 

「この人は、なんか信頼できるな」

という印象は、そういった空気感によって

決まります。

 

あくまでも人の個性によって変わりますが、

全体的な傾向としては、

普段からギャンギャンと叫んでいるようなタイプの人は

内発的パワーの低さを、

大声を張り上げながら誤魔化している、

とも言えます。

 

自分の不安定さを、

元気なふりをして、誤魔化しているのですね。

そういった場合、

本人が、誤魔化していること自体に気づいていません。

自分は常に元気だ、と思い込んでいます。

 

私はコーチングをする際、

そういった人ほど、注意をします。

根底は、とても不安定だからです。

 

しかしどのような人であったとしても、

真本音度合いを高めることで、

内発的パワーは高まります。

ギャンギャン言っていた人も、

「あれ?最近あの人、静かだね」と

言われるようになります。

 

話を平井さんに戻しますが、

平井さんは、まさにそういったタイプでした。

 

平井さんに対して、

「私はあなたのことが嫌いでした」と宣言された

生田さんに私は訊いてみました。

 

「平井さんの、どんな行動が最も嫌いでした?」

 

「何考えているかわからないくせに、

すぐに怒るんです。

多分、自分が社長に叱られるのが嫌で

怒っていたと思うんですけど、

とにかく彼に怒られる時間は最悪でした。」

 

「今はどうですか?」

 

「怒る、ということはほとんどなくなりました。

怒られる場合も、以前は怒鳴られるのに近い感じでしたが、

今は、トツトツと納得するまで語り合うような感じです。

まぁある意味、今の方が数倍怖いですが。笑」

 

なぜあの人はすぐに怒るのか?

 

単純です。

その人の内発的パワーが枯渇しているから。

 

・・・という見方をすることも、

一つの視点としては面白いかもしれませんね。

 

つづく

 

その提案は止めなきゃならない

今回も平井さんとのやりとりをご紹介しましょう。

(→前回記事)

 

「たけうちさん、

部下からの提案を聴いていると、時折、

私の提案を止めてください、

って言われているように聴こえることが

あるんですよ。

その部下は一生懸命、説明をしているのに。

どうしても、

止めてください、止めてください、

としか聴こえないのです。

そんな時は思わず、思いっきり反対してしまうんです。

本当は賛成してあげたい気持ちは山々なのに。

こんなんでいいんでしょうかね、私は?」

 

「ちなみに、それはどのような提案

だったのですか?」

 

「二つあるんですけどね、・・・」

と平井さんは二人の部下からの提案内容を

私に教えてくださいました。

まったく別の部署の、まったく別の提案。

 

しかし、その二つの提案には

共通するものがありました。

それが、・・・

 

「平井さん、恐らく私もその提案、

止めてますよ。」

 

「やっぱりですか?

なぜでしょうねぇ?

内容自体はいいと思うんですけど・・・。」

 

「平井さんは、部下の皆さんの真本音を

キャッチできるようになったんですよ。」

 

「えっ? 私がですか?」

 

そうなんです。

提案内容を聴いて私が感じたのは、

その提案に対して、その社員さんは

本気ではないな、ということでした。

つまり、真本音から出た提案ではない、ということ。

 

そういう時は、何らかの別の思惑があるか、

もしくは、本人にも気づかない

心の淀みがあるか。

 

いずれにしてもそういった提案を

受け入れても、物事は上手く運びません。

何らかの不調和が起こるからです。

 

それが二つの提案に共通するものでした。

 

平井さんは、そういったことを

キャッチできるようになっていたのです。

 

一般的にはこれを第六感と言うのかも知れませんが、

第六感とは、実は何も特別なものではなく、

私達は他の五感と同じように、

普段、いつも感じていることなのです。

 

しかしその感じていることに

自分が気がつかない。

 

人間が本来持ち合わせている能力を

私達は随分と使わずに、

勿体ないことをしているのです。

 

ところが、自分自身の真本音度合いが高まれば、

その本来の力も発揮しやすくなります。

平井さんがまさに、そうでした。

 

「平井さん、では逆にお尋ねしますが、

平井さんからご覧になって、

あぁ今、あの社員からは良い提案が出そうだな、

という人はいませんか?」

 

「あっ、いますいます!

3人ほどいますよ。」

 

「それは何か理由があって

そう思うのですか?」

 

「いや、特に理由はありません。

実際、その3人から自発的な提案を受けたことは

これまでに一度もありませんし。

でも、何となく、出てきそうな気がしますね。」

 

「じゃあ、その3人に声をかけてみてください。

で、指示を出してください。

何でもいいから、いついつまでに私に何か

提案をしなさい、って。」

 

平井さんは半信半疑で実際にそうしてみました。

すると、なんと、期限よりも前に3人ともから

提案が提出されたそうです。

しかもそれを見ると、・・・

 

「かなり未熟な提案には違いなかったのですが、

私と一緒にブラッシュアップすれば

とても良いものになると確信できるものでした。」

 

この展開があった時に、私は

あぁ本当に、平井さんは真本音度合いが上がったんだ、

としみじみ実感しました。

 

平井さんの直観力は以前と比べて、

並外れて向上していたのです。

 

このように、真本音度合いが高まると、

理解や理屈を超えた「感覚」や「直観」が働くようになります。

 

それは、心の中が常に淀みのないスッキリした状態

にあるという理由と、もう一つ、・・・

 

「平井さん、今の平井さんは心の奥底からずっとずっと

パワーが湧き続けていることがわかります?

ずっと心が満ち足りているでしょ?」

 

「あっ、そうですね。

言われてみれば、確かにそうです。

いつの間にか、今の状態が当たり前になっていますが、

車で言えば、以前はずっとガス欠状態で

頑張っていた気がしますね。

今はずっと満タンです。

外からガソリンを入れなくても、内側から

ガソリンがずっと湧き続けているようです。」

 

私はこれを

「内発的モチベーション」とか

「内発的パワー」と

呼んでいます。

 

つづく

 

循環が見えれば大したもの

誰もが自分のことを

あるがままに知ることは

怖いです。

 

同様に、組織の実態を

あるがままに知ることは

立場が上の人になればなるほど

怖いです。

 

しかしそれを見つめる勇気を

持たなければ、

人は望む人生を生きることは

できませんし、

組織も望む未来を築くことは

できません。

 

平井さんがなぜ、

本来の自分を取り戻すことができたか?

 

それは、自分の心を

あるがままに勇気を奮って

見つめたからです。

つまりは、

自分と向き合ったからです。

 

そしてその結果彼は、

人とあるがままに向き合うことも

組織とあるがままに向き合うことも

できるようになりました。

(→前回記事)

 

ある時から平井さんはとても面白い表現を

されるようになりました。

「たけうちさん、

今、あの部署の循環が悪いように

思うんですけど」

とか、

「我社の全体的な循環は今は

とても良いですね」

とか。

 

「循環」という言葉を使うようになりました。

 

一見、わかりづらいですが、

でも、平井さんの言いたいことは実によく

わかります。

 

人間に「気の循環」や「血液の循環」があるように、

組織にも何かしら循環しているものがあります。

 

気持ちよく循環できている時は、

組織は非常に健康的ですが、

循環が滞ると、あちらこちらに問題や確執が

起こります。

 

組織をあるがままに見つめるようになった

平井さんは、

何か具体的な問題が起こる前段階の

わずかな「循環」の変化を

察知できるようになったのです。

 

なので、

「たけうちさん、◯◯部の循環、

今、どう思いますか?」

「そうですね。

ちょっと滞り気味ですね。」

「やっぱりですか。

誰が、滞りの原因でしょうか?」

「AさんとBさん辺りのような

気がしますが、どうですか?」

「なるほど、であればきっと

Bさんだな。」

・・・みたいなやりとりが

普通に行われるようになりました。

 

そして問題が起こる以前に

何らかの手を打つのです。

 

手を打つ、というのは大仰なことを

するわけではなく、

例えば、平井さんがBさんに声をかけてみたり、

面談をしたり、

私が単発のコーチングをしたりします。

 

もしくは、可能であれば、

Bさんの役割を少し変えたり、

グループを変えたりします。

 

できるだけ簡単な方法で、かつ

有効な方法を相談して決めます。

 

目的は、

「循環を良くすること」

です。

 

・循環さえ維持しておけば、

組織というのは、ある意味勝手に

成長していくものだ。

 

・成長させようとして無理に引っ張るよりも、

良い循環を保つことの方が、

結果的には効率が良い。

 

これが平井さんの発見でした。

 

あるがままに自分と向き合えば、

あるがままに人や組織と

向き合えるようになり、その結果、

これまで見なかったものが

見えるようになる、ということですね。

 

平井さんの場合はそれを

「循環」と表現しましたが、

表現の仕方、感じ取り方は

人それぞれでしょう。

 

大切なのは、

人や組織への感受性を

養うこと。

 

感受性が豊かになれば、

組織活動はもっともっと

楽しくなるでしょう。

 

つづく

 

私はあなたのことが嫌いでした

後に、平井チームのナンバー2的な立場になる

生田さん(仮名)という男性社員さんがいます。

彼は、当時まだ20代後半。

しかし、公開コーチングにおける平井さんのメッセージに、

いたく感動しました。

(→前回記事)

 

後に生田さんは私に教えてくださいました。

 

「実は私は、平井のことが嫌いだったんです。笑

何を考えてるかわからない不気味なところが

ありましたので。

それに、社長の顔色を第一に伺っているのが

わかってましたし。

でも、あの一言で見直しました。

偉そうな言い方ですけどね。」

 

そしてさらに言われました。

 

「いつかの飲み会だったと思いますが、

そのことを正直に私は平井に伝えたんです。

私はあなたが嫌いでした、って。笑

そうしたら、平井は何て言ったと思います?」

 

「何でしょう? ごめんなさい、とか?」

 

「いえ、平井は真顔で私の話を聴いた後で、

真顔で言うんですよ。

今の俺は好きか?って。

恋愛じゃないんだから・・・。笑」

 

でもその時に、

あぁこの人は本当に可愛らしい人なんだ、

この人と一緒に会社を良くしていきたいなぁ、と

生田さんは本当に思えたそうです。

 

さて、そんな可愛らしい平井さんですが、

公開コーチングを一度やって

味を占めました。笑

 

社員さん達に何をどうメッセージしようか、

と思うと硬くなってしまうのですが、

コーチング形式で私に向かって自由に喋っていると、

自分でも気づかなかった想いや発想が、

次々に出てくる、と。

しかもそれをリアルタイムで社員さん達に

見せられるので、とても伝わりやすい、と。

 

「でも、特に打合せもせずにやるので、

変なことを口にしないか不安になりませんか?」

と私が問うと、

「いやいや、それよりもあるがままの私を

見てもらう方がよほど良いです。

おかげで、リーダーシップをとるのが

とても楽になりました。」と。

 

ただこれは、かなり覚悟の要ることです。

常日頃から様々なことを真剣に考え続けている

彼だからこそできること。

オープンな彼だからこそできることです。

 

結局彼は、公開コーチングを毎月一回は定期的に

開催するようになりました。

時折、社員さん達に向かってメッセージを投げる

だけでなく、

その場で社員さん達とのキャッチボール、意見交換

なども入れるようになりました。

時には、社員さんの一人に前に出てもらい、

皆の前で議論することも。

 

この場から様々なプロジェクトチームが

自然に発生しました。

新規事業が立ち上がったり、新会社が立ち上がる

きっかけにもなりました。

 

手法が大事なわけではありません。

 

大事なのは、真本音の想いを伝えることです。

最も伝わりやすい方法で。

 

平井さん流リーダーシップとは、

・人と人をつなぐこと

・真本音の想いを伝えること

この2本柱が基本です。

 

「私は、社員を主役にするリーダーになりたい」

という指針を持った平井さんが自然に編み出した

自分流のリーダーのスタイルです。

 

つづく

 

あなたの心は自由ですか?

目を閉じてください。

 

今、自分が一本の道の途上にいるイメージを

してください。

 

イメージといっても、頭で無理に創り出すのではなく、

自然に浮かび上がってくるイメージを

待ってください。

 

道が見えますか?

 

道の先に目を向けてください。

 

これから自分が進んで行こうとしているその道は

まっすぐな一本道ですか?

 

それは伸びやかに未来に向かって、

淀みなく伸びていますか?

 

それは気持ちの良さそうな道ですか?

 

その道の先には、光がありますか?

 

もしそういった感覚がなければ、

あなたには何らかの修正が必要です。

 

今立っている道が違うかも知れません。

 

もしその道で良かったとしても、

その道の先に障害があるのでしたら、

今はまだ、その障害ときちんとあなたは

向き合っていないのかも知れません。

 

今実際に、どれだけの苦境にあろうとも、

あなたの中から自然に浮かんでくる道が

まっすぐに気持ちよく伸びているのであれば、

必ず現実においてもあなたの道は開かれます。

 

もしそうでないならば、

今、何らかの修正が必要です。

 

さらに問います。

 

そのあなたの道の先には、

大勢の人達の笑顔が待っていますか?

 

それとも、それはあなた一人だけの道ですか?

 

もし、あなた一人だけの道だとしたら、

今の現実においては、あなたは独りよがりな

選択をし続けている可能性があります。

 

これから自分の未来がどうなるのか?

 

それを最もよくわかっているのは、

本当は自分自身です。

 

なぜなら、

真本音で進む未来は必ず実現するからです。

 

実現しないのであれば、

それは真本音の道ではないのです。

 

もちろんそれは短期的な意味ではありません。

 

短期的に見れば、物事が上手くいかないことは

たくさんあります。

それらの経験が、真本音の未来を実現するための

財産にもなります。

 

ただ、心を鎮めて自然に浮かぶ道が

まっすぐではないとしたら、

その道は長期的に見ても、あなたの望む未来は

実現してくれません。

 

今、自分は真本音の道にいるのかどうか?

 

今、自分は真本音の通りに進んでいるのかどうか?

 

それを一番よくわかっているのは、

自分自身です。

 

だから、未来がどうなるのかは

自分が一番よくわかるのです。

 

しっかりと、

今あなたの中にある道を見極めた上で、

自分に降りかかる現実と対峙しましょう。

 

先日、あるクライアントさんがおっしゃっていました。

 

「自由とは、何でしょうね?」

 

その方は、続いてこう言われました。

 

「私は、どれだけ状況が自由であっても

心が自由でなければ、それは自由とは言えないのではないか、

と思うんです。」

 

どのような状況下にあっても

心が自由であること。

 

そんな人はきっと、

常に、心の中では、自分自身の真本音の

一本道に立っています。

 

いついかなる時にも、

心が自由な人こそが、

望む未来を創るのだと思います。

 

平井さんのメッセージを思い出します。

 

社長と平井さんの公開コーチングを初めて

社員さん達の前でさせていただいた時、

(→前回記事)

平井さんは社員さん達に向かって、

こう言われたのです。

 

「みんな、もっと心を自由にしようよ!

みんな、窮屈なんだよ。

以前の私も窮屈だった。

でも、今の私は心が自由だ。

そっちの方がよほど仕事は楽しい。

みんな、心が窮屈すぎて、私はつまらない。

私は心の自由な人達と仕事をしたい。

みんな、もっと心を自由にして、

仕事に取り組もうよ!」

 

これが効いた。

 

もちろん、すべての社員さんに効いたわけではありません。

でも、その時はまだわずか数名でしたが、

この平井さんの言葉が、ぐっと響いた人達がいました。

 

彼らはその後、平井さんの会社の幹部として

大活躍をされるようになります。

 

この日が、“平井チーム”の

スタートでした。

 

つづく

 

あなたへの尊敬は、自己保身のためでした

「実はね、たけうちさん。

私は社長がこんなに懐の大きい人だとは

思っていなかったんですよ。」

 

平井さんは笑いながらそう言われました。

 

「えっ、そうなんですか?

あんなに尊敬されていたのに。」

 

「いやいや、以前から私は確かに社長のことは

尊敬していましたが、

以前の私は社長に依存してましたから。

社長に歯向かうのが怖かったですし。

多分、社長にとって私は最高のイエスマンだったと

思いますよ。

極端な言い方かも知れませんが、

私は社長から認められる人間になるために、

社長を尊敬したのではないか、とさえ思うんです。

今となってはね。

要するに、それは本当の尊敬ではなくて、

尊敬のふりをしていたわけですね、自己保身のために。

でもね、今は本当に尊敬してるんです。」

 

「どんなところが懐が大きいと?」

 

「だって今の私は多分、社長にとっては最も

嫌な存在ではないかな、と思うんです。

平気で歯向かいますから。

社長、それは違うと思います、私はこう思います、

って社長の気持ちも考えずに言ってしまうんです。

でも、社長はどんな時もちゃんと最後まで私の話を

聴いてくれる。

その上で丁寧にキャッチボールをしてくれる。

私はね、自己保身を捨てて、自分の本心を大事にして、

自分なりの理念のもとに今は生きています。

そうなって初めて、社長って大きい人だったんだ、って

今は本当に思いますよ。

そんなことは社長に言ったことはありませんが。笑」

 

目の前で社長が苦笑いしていました。

 

「社長、いかがですか? 今の平井さんのお話に

ついては。」

 

「いやぁ、平井がね、こんなにも手強い相手だとは

思っていませんでしたよ。笑

私はたけうちさんにね、平井を自由にしてあげてください、

と依頼をしたんですが、本当に自由になったら、

こんなヤツだったんだ!とびっくりですよ。」

 

そう笑いながら、

しかし直後に社長は真面目なお顔になり、

 

「いや、実は今の平井の方がやりやすいですよ。

なぜなら、本当の話をしてくれるからです。

今、現場で何が起きているのか?

彼の話を聴けば、現場がわかります。

以前は、そんなことはありませんでした。」

 

私は社長に問いました。

 

「社長、社長が今、一番望んでいることは

何ですか?」

 

「私が望むこと?

そうですね。それは、平井が望むことを実現してほしい、

ということです。」

 

平井さんがちょっとびっくりした表情を

されました。

 

私はさらに問います。

 

「では、平井さんは何を望んでいますか?」

 

「私の望みは、社員全員の望みを実現すること、です。

それは綺麗な言葉に聴こえるかもしれませんが、

生半可なことではありません。

なぜなら、ウチの社員はまだ、自分の本当の望みを

全然わかっていないからです。

なぜわかっていないかと言いますと、

仕事の仕方が中途半端なんです。

まだ“プロ”ではないからです。

本当にお客様のために仕事をする、ということが

経験できていないからです。

我社には、社長の創られた美しい理念があります。

そして、お客様が喜んでくださる商品・サービスが

あります。

社員は皆、本当に人間的に素晴らしい人が

多いです。

一致団結もできます。

でも、それだけです。

理念もいい。商品もいい。社員もいい。

でも、ただそれだけなんです。

私は今の我社は、つまらない。

はっきり言って、つまらない。

みんなが、いい会社に入れて、いい仕事ができて

幸せだ、と思っている。

それ自体は素晴らしい。

でも、それだけで終わっている。

それがつまらない。

もっともっとみんな、凄いことができるはずです。

与えられた業務、与えられた役割を遂行するのは

当然ですが、

でも、自らその与えられたものを突破してほしい。

もっともっと人間として、

こうしたい!ああしたい!これがやりたくってしょうがない!

そんな声が上がるような組織に

私はしたいのです。」

 

平井さんのエネルギーがジンジン私に

伝わってきました。

 

「では、平井さん。

今のそのお気持ちを、改めて社員さん達にメッセージ

してください。」

 

平井さんは立ち上がりました。

そして社員さん達の方を向きました。

 

そうです。

以上のやりとりはすべて、全社員さん達の前で

行われた公開コーチングでのやり取りです。

(→前回記事)

 

それは何の事前打合せもありませんでした。

完全なアドリブです。

私はただ、社長にも平井さんにも

「そこに社員さん達がいるということは忘れてください。

いつもの通りのコーチングだと思ってください」

ということのみをお伝えしてありました。

 

で、本当にいつものコーチングの風景が

そこに展開されました。

 

私はそのいつもの風景こそを、社員さん達に

お見せしたかったのです。

 

この時、平井さんは社員さん達に、

実にシンプルなメッセージをお伝えになりました。

それは、平井さんの真本音メッセージでした。

 

つづく

 

実は、タイミングがすべてかも

物事には最善のペースがあります。

 

ゆっくり進む方が良い時と、

一気に加速した方が良い時と。

 

ゆっくり進む方が良い時は、

「待つ」ことが必要となります。

どれだけ気が焦っても、

そこで待てるかどうか。

 

逆に、一気に加速した方が良い時は

多少強引でも、多少人の気持ちを無視してでも

スパートすることが必要です。

 

例えば、仕事の場合、必ず期限があります。

期限が一週間後に迫っていた場合でも、

あえてゆっくりと待った方が良いこともあります。

(もちろん期限は守ります。)

 

期限に余裕があったとしても、

今はスパートすべき、ということもあります。

 

「今、どのくらいのペースで

物事を進めれば良いか?」

 

実は、真本音度合いが高まると、

このペース配分に対する直観力が

極めて高くなります。

 

真本音というのは、決して理想論のことでは

ありません。

 

理想的な「想い」は真本音で、

現実は現実として、それとは別に進みましょう、

ということは一切ありません。

 

自分自身の真本音を大切にするということは

実に「現実的」な判断を、

今この瞬間に最善のスピードで下し続けることが

可能になります。

 

なぜなら、私達の真本音は「現実」を

大切にしているからです。

 

「現実に生きる」ことを大切にしているからです。

 

そして、「現実」とは「今」です。

 

自分の揺るがない「想い」と

今ここにある「現実」を

完全に繋ごうとするのが、

私達の真本音の最も大切にすることの一つです。

 

ですので、

真本音度合いを高めることによって私達は

「今この瞬間における最善の決断」を

し続けることができます。

 

それが、「物事の最善のペース」を

自然に創るのです。

 

この辺りの感性が、平井さんは素晴らしかった。

 

「今、動くべき」と感じた時の彼の瞬発力は

抜群でした。

 

少し前に、「今でしょ」という言葉が流行りましたが、

平井さんこそ、「今でしょ」の人です。

 

ただし念のために申しますが、

「今ではないな」と直観した時には、

平井さんは逆に、テコでも動きません。

そのメリハリが、実に真本音的で清々しいのです。

 

社長と平井さんの真本音を

社員の皆さんにぶつけよう。

(→前回記事)

 

そう決めた平井さんは、すぐに全社員さんを

集めました。

次の日に。

 

通常はあり得ない話です。

 

平井さんの会社の社員さんは、当時約50名。

そのほとんどの方が、現場に出ています。

今日の明日で、全員が集まるということは

普通では無理です。

しかも社長も忙しい人なのです。

 

しかしここが真本音の直観の面白いところ。

 

「今でしょ」の平井さんが、

「明日やる」と決めて動いたら、

すぐに「明日の夕方であれば、全員参加が可能」

ということがわかりました。

 

後から考えると、

本当に、あのタイミングしかなかった。

 

あれを外していたら、

恐らく、その後の展開は大きく変わっていたでしょう。

 

平井さんの組織活性化が成功した

一番のキーポイントは何ですか?と

今問われたとしたら、私は

「あの時、あのタイミングで、社員さん全員に

社長と平井さんの真本音の想いをぶつけることが

できたからです」

と答えるでしょう。

 

本当にあの日しかなかった。

一日変われば、もうこの流れは起きなかったかも

しれない、とさえ私は思います。

 

しかしこういったことは

会社経営においては実は、

日常茶飯事だと思います。

 

こういった「今でしょ」のチャンスを

ひょっとすると多く逃しながら経営をしている

可能性が、どこの企業にもあります。

 

真本音度合いを高めるということは、

そういったチャンスに、実に敏感になれる、

ということでもあるのです。

 

次の日の夕方。

平井さんの会社の一番広い会議室に

全社員さん達が集まりました。

 

社員さん達の前に、

社長と平井さんと私の3人が並んで

椅子に座りました。

 

皆さんの前で、

私が社長と平井さんのコーチングを

するのです。

 

そうです。

お二人の真本音のぶつける、とは

お二人が社員さんに向かってメッセージをする

のではありません。

いつも行なってきたお二人へのコーチングを

社員さんの前でそのまま行なうのです。

 

つまりは、

公開型のコーチングです。

 

つづく

私達の心には二つの本音がある

このブログでよく書かせていただいている言葉

『真本音』

について、改めてご説明しましょう。

 

真本音とは、私の造語なのですが、私が頭をひねくり回して

作った言葉ではありません。

 

お客様と向き合う中で、自然と生まれた言葉です。

 

その真本音と同じように、ある研修中にふと生まれた言葉として、

『反応本音』

というのもあります。

この二つを合わせてご説明します。

 

まず単純に言って、

私達の心は、二つに分けることができます。それが、

・真本音

・反応本音

です。

 

真本音とは、本当の本当の本当の本音です。

自分の中で、何があっても揺るがないもの。

どのような環境にいても、どのような状況に見舞われても

揺るがないもの。

その多くは、「願い」という形で心の中心に存在しています。

 

それに対して、反応本音とは、

外部からの様々な働きかけによって発生する

私達の心です。

「本音」という言葉がついていますので、あくまでも

建前ではありません。

その時その時の、本当の気持ち。

でも、それは外部からの影響によって、

その反応として創られています。

そのため、外部環境や状況が変わることで変化する

可能性は高いです。

 

一般的に反応本音は心の表面に現れやすいので、

それが「自分の本音である」と認識されやすいです。

 

そして、反応本音の出方は、その人その人によって

パターン化されやすいので、いつも同じパターンを

繰り返していますと、そのパターンそのものを

「私である」

と思い込みます。

 

つまり、多くの人達は、

「反応本音のパターン」を、「自分自身である」

と思い込みます。

で、そのパターンを繰り返すことで人生を進めます。

 

しかし私達の心の中心には真本音があります。

しかしそれは、なかなか表には出てきません。

 

自分自身の真本音を見つけ、

真本音に素直に行動することで、

その人は、これまで自分が創り上げた反応本音のパターンを

超えて、

本来の自分として生きることができるようになります。

 

反応本音は、外部環境によって創り上げられてますので、

外部環境によって揺らされます。

しかし、真本音にはそれがありません。

 

その結果、真本音に素直に生きる人は、

自分の本当に望んでいるものを実現します。

 

反応本音のみに生きる人は残念ながら、

外部環境に揺らされながら生き続けることになります。

 

どちらが幸せな人生か?

は明白ですね。

 

ちなみに、

真本音と頑固、

真本音とわがまま、

真本音と独りよがり、

は本質的に異なります。

 

真本音で生きることは、独りよがりに生きることに

なりませんか?

とよく問われますが、全くの逆です。

 

私達は真本音で生きれば生きるほど、

周りとの調和性も高まるのです。

 

なぜそうなのか?については、

このブログで徐々に明らかにしていきますね。

 

さて。

真本音にはもう一つの特徴があります。

 

それは、

ある人が真本音の想いを述べたり、

真本音の生き方を見せることで、

他の人の真本音を喚起させることができる、

ということです。

 

つまりは、

真本音度合いの高い人のそばにいる人は、

真本音度合いが高まるのです。

 

ここで平井さんのお話に戻りますが、

平井さんの狙いは、そこでした。

 

平井さんは、社長の真本音を

社員の皆さんに示したいと思ったのです。

(→前回記事)

そのためにまずすぐにできる方法として、

社長の真本音の想いを

社員さんに向かって語ってもらおうと思われたのですね。

 

しかし私が平井さんにご提案したのは、

それだけでは勿体ない、ということでした。

 

一人の真本音をぶつけるよりも、

二人の真本音の相乗効果を起こしませんか?

というのが、私からのご提案でした。

 

つまりは、

社長と平井さんの真本音コミュニケーションを

社員さん達の前で見せる、

ということを私はご提案したのです。

 

なぜなら、

真本音と真本音の相乗効果は凄いのです。

 

本当に、凄い!の一語に尽きるのです。

 

一人の真本音の想いと

もう一人の真本音の想いが

統合し、融合されることで、

それは2倍どころか、20倍、200倍、いや

時には2000倍といっても過言ではないくらいの

エネルギーを発揮します。

 

それが、社長と平井さんであれば可能であると

私は思ったのです。

 

そしてそれは大当たりしました。

 

つづく

 

心の傷は治さなくていい

多くの人達と向き合い続けて

わかったことですが、

すべての人に「心の傷」はあります。

私自身も含めて。

 

そしてある時ある瞬間、何かのきっかけで

心の傷が疼く時があります。

もしそれが、深いところにある傷ならば、

その疼きによって、その人は

本来の自分とは別の行動を取ってしまいます。

 

それは、体の傷が痛むことで

まっすぐに歩けなくなる、変なポーズで歩くようになる

のと同じことです。

 

でもその変なポーズで歩くのが日常化してしまうと、

人はその人のことを

「そのようなポーズで歩く人なんだ」と

レッテルを貼ります。

本人はそのレッテルを「自分自身である」と

思い込みます。

つまりは、その「変なポーズ」こそが自分であると

思い込みながら生きるようになります。

 

本当は、普通に歩くのがその人の本来です。

 

そして、普通に歩いた時にこそ、

その人本来の個性が

醸し出されるようになります。

 

私はその個性のことを

『その人本来の味』

と、このブログでは表現しています。

 

本来の味を醸し出すことができている人は

魅力的です。

本来の味を醸し出すことができれば

誰もが魅力的になります。

 

その魅力を仕事に活かすことができれば、

その人の仕事は明らかに「次元」が変わります。

 

私達の中から、心の傷が消えることは

なかなかありません。

いえ、心の傷を消そうとすること自体が

必要のないことです。

 

心の傷はそのままで。

しかし、私達は普通に健康的にまっすぐに

歩くことができます。

 

そのためのサポートを、

私は「コーチング」と呼んでいます。

 

以上のようなお話を平井さんにさせていただいた時、

平井さんの目の色が変わりました。

 

「そうか!たけうちさん。

心の傷は治そうとしなくていいんですね。

私は社員達と向き合うことで、皆全員に心の傷があることを

知りました。

私はその心の傷を治すにはどうしたらよいのだろうか?

と、そればかりを考えていました。

それをしなくてもいいんですね。」

 

「はい。そこに意識を向けると、

心の傷治しの旅が始まってしまいます。

その旅は、永遠に続きます。

心の傷は無数にあるからです。

一つの傷を治しても、必ずその奥には、そのもととなる

傷が存在しています。

だからその旅は永遠に続きます。

それをしていても、その人の仕事の質は変わりません。

人生の質も一向に変わりません。」

 

「では、私にできることは何でしょうか?」

 

「それは平井さんご自身が一番身をもって

体験されているではありませんか。」

 

「真本音で進むことですか?」

 

「その通りです。

その人が、その人自身の真本音に素直に

次の一歩を進むこと。

そのサポートをし続けるだけのことです。」

 

「確かに、真本音度合いが高まると、

それだけで心は満ちますね。

だからそこに傷があろうとなかろうと、

関係なくなります。

むしろ、傷があることがその人の魅力につながる

かもしれません。」

 

「平井さんは、平井さんの傷があるからこそ

平井さんなりの魅力が出てますもんね。」

 

「そうですか。そう言われると嬉しいですねぇ。

そうか、傷がその人の財産になってくるわけだ。」

 

では、みんなの真本音度合いを高めるために

我社では何をすればよいのだろうか?

という議論に、その後入っていきました。

 

そこで平井さんが発想されたこと。

それは、

 

「私は社長の真本音を、

社員全員にぶつけてみたい」

 

ということでした。

それが社員の皆さんの真本音を

大きく刺激することになるだろう、と。

(→前回記事)

 

私はすかさず、平井さんにご提案しました。

 

「社長だけでなく、平井さんご自身の真本音も

皆さんにぶつけてみたらいかがですか?」

 

「えっ、そんなことしてしまって大丈夫ですかね?」

 

「何言ってるんですか。笑

今の平井さんだったら大丈夫どころか、

皆さんにとって、すごくいい刺激になると思いますよ。」

 

つづく

 

簡単簡単、ツボを押すだけ

組織には「ツボ」があります。

 

人間の体と同じく、

このツボを押せば健康になれる、

このツボを押せば活性化する、

という要所があります。

 

ただ、人間の体と違うのは、

その要所は、移動するということです。

 

具体的に言えば、

「今は誰にどのような刺激を入れることで、

全体の活性化につながるか?」

という、ツボとなる人が必ずいるということです。

 

しかもそのツボは、

人から人へと受け継がれていくもの。

 

そういった前提に立てば、

「今、ツボとなる人に対して、誰をどうつなげばよいか?」

が、組織活性化の最重要ポイントの一つになります。

 

前回の記事では「調和性」という考え方を

ご紹介しました。

(→前回記事)

 

その視点から言えば、

・今、ツボとなる人は誰か?

・その人と調和性の高い人は誰か?

・それらの人達をどのように結びつけるか?

というマネジメントをします。

 

それが「人と人をつなぐマネジメント」の基本です。

 

平井さんは、それをし続けました。

 

上記のように書きますと、

少し難しいことのように感じるかもしれませんが、

それは日常的に活用できることなんです。

 

例えば平井さんがいつも気にしていたのは、

今は誰と誰がランチを一緒に食べると良さそうか?

ということです。

 

ツボになる人がAさんだとして、

今はAさんと調和性の高い人はBさんだから、

AさんとBさんが一緒にランチすると良さそうだな。

そこでは、このようなテーマのお話をすると良さそうだな。

・・・というようなことを考え、

平井さんはAさんとBさんを一緒にランチに誘います。

 

誘わなくても、さりげなくそのような

シチュエーションを創ることもあります。

 

そしてさりげなく、そのようなテーマを

話題として出して、堅苦しくなく、

ランチを楽しみます。

 

例えば、ミーティングや会議も同様です。

 

今は誰と誰がどのようなテーマで

ミーティングを行なえばよいか?

そこでは、どのような席順で座ればよいか?

そして、どのような順番で

意見を求めればよいか?

などを発想し、そういった場を創ります。

 

ただし、発想した通りに絶対に物事を

進めなければならないということでは

ありません。

 

できるだけ綿密に発想しますが、

あとはその場のムードや流れに任せます。

 

「その方が面白い展開になりますから」

と平井さん。

 

こういったことを日常的に

繰り返していくだけでも、

組織の調和度合いや活性度合いは

根本的に変化します。

 

こういったことは平井さんは

最初からわかっていたわけではありません。

 

いつもじっと社員さん達を観察し、

(義務としての観察ではありません。

興味を持ち楽しみながら観察し続けていました。)

いつも順番に社員さん達と面談を続ける中で、

思いつき、自然にやり始めたことです。

 

しかしその効果があまりにも大きく、

いえ、大きいどころか

そういった些細なことから想定外の

面白い展開がたくさん生まれるのを目の当たりにし、

平井さんは

「何気ない日常における、一つ一つの“つなぎ”こそが、

組織活性化の要だ」

と気づかれたのです。

 

しかし平井流リーダーシップは

これだけでは終わりません。

 

普段、このような“つなぎ”をしておいた上で、

ある時、ある瞬間に、

ある大きな刺激を入れるのです。

 

つづく

 

想定外のマネジメント

「肚が据わる」という言葉があります。

 

肚が据わっている人は

精神的に非常に強い人である、という印象がありますが、

実は、そうではありません。

 

本当に肚が据わっている人は、

自分の弱さをすべて知っている人です。

自分の弱さをあるがままに見つめることができる人です。

 

自分の弱さにフタをして、イキがって勢いだけで進むのは、

「肚が据わる」とは真逆の状態です。

それは「ごまかし」です。

 

人は弱い。

 

自分は弱い。

 

そういった「事実」をあるがままに受け止められる人こそが

「肚が据わった」判断ができます。

 

「現実」とは、

想定外のことがいくつも起きます。

 

「想定外のことが起きること」

それが現実だと定義しても良いくらいです。

 

イキがって、「それは想定内のことだから」と言っているうちは

本質的には、現実逃避と変わりません。

 

想定外のことが起きた。

うわーっ、どうしよう?

混乱だ。混沌だ。自分を見失う!

というすべての現象をあるがままに受け取ることで、

私達は「肚が据わった」状態に入れます。

 

それは「覚悟を持った状態」であり、

人としての「自然体」です。

 

「自然体」に戻れば、

人は「最善の選択」ができます。

 

心配をしなくても、

「想定外のことがわざと起こるように出来上がっている」

のが「現実」なので、

それらをすべて楽しんで進みましょう。

 

さて、平井さんの話に戻ります。

(→前回記事)

 

私が平井さんに対して「すごいなぁ」と思えることの一つは、

「想定外のことを楽しむ」力です。

 

平井さんは言われます。

 

「私は、人が好きです。

なぜなら、人は、想定外だからです。

人は、予測できないからです。

あぁこの人のことはよくわかった、と思った瞬間に必ず、

その人は想定外のことをします。笑

それが、人の面白さではないでしょうか。

だから私は、人をコントロールすることをあきらめました。

想定外のことをするのが人である、というように

自分の中で定義づけることで、初めて

本当のマネジメントができるようになった気がします。」

 

そしてさらに続けられます。

 

「私にできることは、

人と人を結ぶことです。

今は、誰と誰を結べば、想定外に面白いことが起こるだろうか?

という観点から、マネジメントをしています。」

 

それが平井さん流のリーダーシップでもあるんですね。

 

しかし私こそ、平井さんに対して「想定外の面白さ」を

感じます。

あれだけ、自分を失くしていた人が、

今は自分を取り戻すどころか、人の可能性を

想定外に引き出しています。

 

「想定外の人生を楽しむ」平井さんの姿は

私の想定外でした。

 

私は平井さんから随分と

勇気をいただきました。

 

人生は、想定外だからこそ素晴らしい。

 

人は、想定外だからこそ素晴らしい。

 

想定外である人生を、

想定外である人を、

どのように活かすか?

それこそが、本来のマネジメントである、と。

 

マネジメントとは「管理」であると

一般的には言われていますが、

私は思います。

マネジメントとは、「自由」であると。

いかに人本来の「自由」を引き出すか?

それがマネジメントであると。

そしてそれが中途半端ではなく、

本当に成されることで、「調和」が起こると。

本当の自由は、調和を起こす。

その「調和」を起こすことこそが

マネジメントであると。

 

今の私の組織活性化サポートの核になる部分を

私は平井さんから随分と学ばせていただいたのです。

 

つづく