2024年 10月 の投稿一覧

もっと人のせいにしろ

沈もうと
している。

沈む必要など
ないのに。

なぜ
そんなにも
自分のせいに
する?

あなただけの
原因では
ないはずだ。

もちろん、

全ては
自分事。

自分が
引き起こしている、

という見方、
捉え方は
大切だ。

当事者意識、
大切だ。

それは
自律への
基本。

が、
それができる人で
あればあるほど、

もっと
客観的に、

離れたところ
から、

物事の
本質的な原因を
見つめるべきだ。

本当に
自分だけが
悪いのか?

本当は、
○○さんにこそ
原因が
あるのでは?

○○さんの
あの考え方が、

行動が、

あの振る舞いが、

あのやり方が、

元凶となって
いるのでは
ないか?

このように
客観的に
観たり、

仮説を
立てたり、

それを
検証したり、

するのは
責任回避
ではない。

むしろ、
誰よりも
あるがままに
物事を
捉えるからこそ、

責任を
果たせる。

だから、
当事者意識を
しっかり
持っている人ほど、

私はよく
アドバイスする。

もっとしっかり
人のせいに
しなさい、と。

全ての原因を
自分のせいにして、
それで終わり、
というようには
決してしないように、
と。

「私が原因」
・・・それだけでは、
物事は
何も進展しないんだよ。

つづく

突破口への問い

たった一つ
しかない
突破口のような

重要ポイントを
くぐり抜ける
ために、

たった一つ
の問いを
明確にする。

問い、とは
答え、と
セットで
存在するので、

問いが
わかれば
自動的に
答えも
手に入る。

今、
目の前にある
たった一つの
問いとは、

・・・

あえて
最も逆風だと
思う方向に
進むとしたら、

そこには
何がある?

そして、
あなたには
何が必要?

・・・

たった一つ
と言いながら、
二つになったが、笑

硬いことは
言わず、
この問いは
重要だ。

今の私達に
とって。

つづく

待っている人がいる

仲間が
ほしいだろ?

本当の
仲間が。

そう願うなら
まずは
自分がしっかり
生きることだ。

自分の
本当の願いと
今を
結びつける
ことだ。

願いが
はっきり
わからなくとも
いい。

わからなく
ても
今ここの一歩は
何となく
わかるはずだ。

まずは、
余分なことは
やめよう。

じっと
落ち着いて
今ここに
存在し、

100%の気持ちで
やろう!
と思うことのみ
やろう。

それ以外は
やらない。

何も
出てこないなら
何も
やらない。

それくらいの
気持ちで
今を生きる。

すると
今ここ
における
感性が
開き始める。

この世界を
感じ取る
感性が
開き始める。

すると、
気持ち悪い
ことが
増える。

そうしたら、
気持ち悪い
ことは
もう決して
やらない。

自分が
心のみでなく
全身で、

全身の
細胞が

悦ぶような
ことのみを
選択するように
しよう。

これを
続ければ、
その先に必ず、

出会い

がくる。

仲間との
出会いだ。

共に
同じものを
目指し、

共に
成長する

仲間達。

思っている
以上に
たくさんいるよ。

でもまずは
一人目
からだ。

あなたを
待っている
人がいる。

だから
ちゃんと
今日を
生きよう。

つづく

日々の調和は

これまで
自分の世界だと
信じていた
ものが、

急に
ひん曲がって
歪んで
消えようとしている。

なんだ
これは?

私がいたのは
単なる
蜃気楼の中
だったのか?

そう
わかった時の
ショックたるや・・・。

当然で
あるが、

何を信じれば
良いものか?
まったく
わからなくなった。

足元の
地面が
急になくなってしまった
感覚。

立つことも
座ることも
できない、
極度に不安な
浮遊感。

慌てて
地面を探した。

安定の
場所を。

しかし
そんなものは
始めから
なかったのだ。

単なる
思い込みのみで
自分で自分の
地面を設定していた。

さぁこの
事実を
受け入れることが
できるかどうか?

もう、ここに
かかっている。

空中に
浮遊しながらも

頼りになるのは
自分の意志
のみだ。

さぁ、
どう生きる?

ここから。

どう進む?

・・・・・・

世界の終焉
というのは
あるんだ。

物理的な
意味ではなく、

内面的な
意味でね。

本当はすでに
崩壊が
始まっているのに、

それを
あたかも
何も起きていない
かのように
誤魔化し続ける
人は
残念ながら多い。

でも、
違うだろ?

これまで
信じていたものは
とっくの昔に
崩壊を
始めていて、

日々、
崩れ続けている。

まだしばらく
大丈夫だ、
などと
根拠のない思い込みに
すがっていては
ならない。

もっと
しっかり
生きるんだ。

今日、
自分が
何をすれば良いか?

自分自身が
よくわかっている。

決めている。

決めている
ことを
その通りに
実行すること。

怖くとも。

内面的世界の
崩壊は、
物理的世界の
崩壊よりも
数十倍も
速いし、激しい。

しっかり
立ち向かおう。

今は
そういう
時代だ。

・・・・・・

世界は
自分が創る。

自分の世界の
創始者は
自分自身だ。

本当は
いかようにも
自由に
創世できる。

しかし
そうわかるまでは
時間がかかる。

まずは
今日できることを
今日やろう。

それをすれば、
明日のことは
明日、ちゃんと
わかる。

日々の
自律。

日々の
調和。

自分しだいだ。

つづく

信じるしかあるまい

広く広く
無限に
広がっているような
大地の
真ん中にいる。

どこにも
指針はない。

自分で全て
決めねば
ならない。

この不安。

不安を
消す必要は
ない。

むしろ
不安こそ
宝だ。

不安が
あるからこそ
一歩一歩が
着実になる。

勢いで
進んでは
ならない世界だ。

一歩
進んでは
しっかり
その影響を
確かめ、確かめ。

実行と
検証。

これが
これまで以上に
必要だ。

未知の世界。

未知の領域。

ここは
これまで
体験したことのない
世界。

そこに今、
私達はいる。

実行するなら
自分が
納得する
最大の選択を。

堂々と。

ここで
謙虚さは
要らない。

胸を張って
堂々と。

そして
一歩進めば、

その度に
現実を
よく観察しよう。

この一歩が
どう、
反映されるか?

どう
跳ね返って
くるか?

どう
響き渡って
いくか?

それらを
事実のみを
よくよく
見つめよう。

そして
止まることなく
次の一歩を。

私達に
できるのは
これしかない。

正しい答えは
過去の経験からは
いっさい
導かれない。

頼れるのは
自分の
判断、決断のみ。

自分の一歩を
信じよう。

信じるとは
意志だ。

つづく

気がつけば先頭に

ずっと後ろから
それが
まっすぐに
飛び続けるのを
追いかけてきた。

そいつの
背中を
見つめながら。

ただ
ついていくのが
精一杯だった。

置いていかれ
ないように。

それだけを
いつも
心に抱いていた。

本当に
必死だった。

が、

ふと
気がつくと
自分の前には
何もなくなっていた。

いつの間にか
そいつは
自分の後方に
いた。

追い越して
しまったのだ。
知らず知らずに。

今度は
そいつが
必死に
ついてくる様子だ。

これは一体
どうしたこと
だろう?

これから
自分は
どうすれば
良いのか?

どこを
目指せば
良いのか?

先頭。

それは
自由。

しかし
誰も
導いてくれない。

どこに
向かうか?

どこを
目指すか?

自由だからこそ
訳が
わからない。

確信が消え、
迷いのみが
心を覆うが、

いやしかし、
違うぞ。

ここからだ。

本当の
確信に
従って進むのは。

これまで
先導してくれて
いた、
そいつに

心からの
感謝を。

しかしここからは
自分で行く。

自律だ。

怖い。

が、
行く。

・・・こんな人が
今、
増えている。

もう、
これまでと
同じバターンで
生きていては
いけないよ。

つづく

変わってもいいんだ

一つの場所で
じっと
していたかと
思うと、

瞬時に
移動する。

凄まじい
速さなので
目には
留まらない。

気がつけば
そこに
残像のみが
残っている。

実体は
ない。

どこに行った?

どこに消えた?

遥か彼方
遠くへ、
それは去って
行った。

なのに
そのことに気づかず、
残像を
本物だと
思い込み、

その残像を
大切にし続ける。

だから
途中で
訳がわからなく
なる。

自分が
わからなくなる。

私達人間が
よく
陥ることの
一つ。

「意志」
の話だ。

「志」
の話でもある。

意志も
志も
一つの場所には
留まらない。

本物の意志や
志は
必ず
進化・深化する。

それが激しい
場合は、
一気に遠くまで
行ってしまう。

そうしたら
自分は
変われば
いいんだ。

表面的には
変わった、
ということに
なるけれど、

本質は
変わっていない。

むしろ、
ずっと同じ場所に
居続けることこそ
本質を変えてしまう
最大の行為だ。

私達は
変わっていく。

意志も志も
変わっていく。

それでいい。

それがいい。

本質さえ
大切にしている
のなら。

もっと
自由で
いいんだよ。

つづく

背中から抜けた

コーチングや
面談をしていて、

目の前の
クライアントさんから
突然、

何か、が

フッと
抜けることが
ある。

よく見ていると、
実際に
何か透明なものが
クライアントさんの
背中辺りから
抜け出していくのだ。

そして
一瞬にして
クライアントさんの
表情から
険しさが消える。

全身に
まとわりついて
いた
重い空気が、

消えて
しまう。

部屋全体の
空気も
完全に入れ替わった
感じだ。

可視化できる
くらいの
ものだから、

相当に重い
何か、だろう。

きっと
クライアントさんの
人生で
ずっと
まとわりついて
いたもの。

本当は
余分なもので、
本当は
必要のないもの。
なのにずっと
持ち続けていたもの。

私達人間には
多かれ少なかれ
こういうものが
必ず、ある。

もっとスッキリ
できるといい。

スッキリする
だけで、
これまで
出せなかった答えが
簡単に
浮上する。

皆、
答えは
持っている。

しかし
その浮上を
阻害するものが
ある。

まずはそれを
取り去ること。

これこそ、
大袈裟でなく
人類全体の
最重要テーマ
な気がするよ。

つづく

詩の面白さ

最近、
というか、
ここ数年のことであるが、

「詩」
に興味を持っている。

自分が書く
というよりも、
読む、ことに。

詩人と呼ばれる
人達は
非常にたくさん
いらっしゃるので、
私はその一部しか
存じ上げていないが、

私が出会った
詩人の詩を読むと、

詩というのは
奥が深いなぁ、と
思う。

普通に話せば
何十、何百という
言葉を重ねるところを、

たった一言

で、
表そうとする。

一つ一つの
言葉の選び方が
尋常ではない。

とはいえ、
全ての詩人が
そういうわけでは
ない。

詩には、
書いている人の
真本音度合いが
そのまま
反映される。

そして
面白いことに、

ある一定以上に高い
真本音度合いの人の
書く詩は、

それを読むと
一つ一つ
一行一行の
文字の向こうから

実在が
浮かび上がって
くるのだ。

私の場合は
イメージや映像として
それが
浮かび上がる
ので、

そこに
書かれている
言葉と、
そこから浮かび上がる
実在のイメージを

その両方を

同時に
味わっている。

これがまた
実に楽しい。

だから、
詩に書かれている
言葉の意味が
全くわからなくとも、

実在のイメージは
浮かび上がるので、

それは実に
シンプルなものが
多く、

あーなるほど
そういうことか!

スッキリもする。

恐らくその
詩人の方達は、

実在を
感じながら
それを彼らなりの
言葉に
表しているのだろう。

小説とか
散文とかでは
こうはいかない。

詩の特徴
だと思う。

言葉というのは
実に
面白いものだね。

つづく

砂粒の一つ

海岸に
立って、

膝まで
海に浸かりながら、

大海原を
眺めながら、

決めたことが
あるんだ。

永遠の中の
今。

今ここに
私がいることは

もし私が
死んでしまえば、

誰も知らない
ことになる。

私の記憶を
持つ人は
いるかもしれないが、

その人達も
人生を終えれば、
いつかは
私の記憶を持つ
人は誰も
いなくなる。

すると、
私がこの世に
存在したことを
知る人は
いつかは
いなくなる。

じゃあ、
長い目で見たときに
私という人間は
存在したことに
なるのか?

存在したか
どうかも
わからない存在。

小さな
存在。

そう考えた
時に、
きっと以前の私なら
そこに
虚しさを感じた
だろう。

もしくは、
私がいなくなっても
何か
残るものを
私は残したい、

決めただろう。

が、
今は違う。

存在したか
どうかも
わからない
小さな存在。

もし私が
その一つと
なれるなら、

私はそこに
それ自体に
無常の悦びを
感じる。

理由は
わからない。

理屈では
なく。

この海岸の
砂粒の一つの
ような。

いてもいなくても
一見、同じように
見える存在。

私はそんな
砂粒で
ありたい。

砂粒の一つとして
自分にできる
最大のことを
したい。

何かが残れば
それでいいし、
残らなくても
それでいい。

ただ、
ここに存在している
ということを、
私は知っている。

私はそんな
私という存在を
ただ、見届けたい。

やること
やろう。

大海原に
向かって、
ただ
そう決めたんだ。

つづく

日帰り出張の日

私の場合、
日帰りで遠くに
出張に行くことが
多い。

まだ
日が昇る前に
家を出て、
終電で帰ってくる、
というような。

そんな日の
朝は
実に清々しい。

これから
だんだん寒くなるが、
キンと冷えた
あの空気感が
何とも言えず、

心身ともに
洗われるようだ。

私はあえて
新幹線の
出発時間の
かなり前に
駅に着くように
している。

電車を待つ
その時間も
好きだし、

他のホームの
電車を眺めて
過ごすのも
好きだ。

要するに
電車好きだが、
それらも含めた
「空間」や
その「場」を

私は
楽しんでいる。

新幹線が
東京駅を出る
頃に、
ちょうど陽が
昇り始めることも
ある。

外の世界も
車内も
濃いオレンジに
染まる。

今日お会いする
クライアントさん達
のことに
想いを馳せながら、

今日はどんな
一日になるだろうか?

これから起こる
現実の数々に
ワクワクする。

そして一日が
終わり、
終電近くの
新幹線で
帰ってくるのだが、

その時は
その時で、
今日の一日を
噛み締めながら、

言いようのない
幸福感に
包まれる。

電車で始まり、
電車で終わる
という
一日が、
どうにも好きで
たまらない。

一日がまるで
一つの作品の
ように、
感じられるんだ。

つづく

場を味わう

結構、私は
雑踏
というのが
好きで、

ガヤガヤ
している空間で、
一人、仕事をすることが
多い。

カフェとか。

もちろん
場所にもよるが、

人々の気配や
ある種の
騒がしさがあると、

逆によく
集中できる。

かといって
もちろん
静かな場所も
好きで、

山とか自然とか、
誰もいない、

人の気配が
何もない、

自分しか
いない、

という場で
静かに落ち着いて
仕事をすることも
ある。

いずれに
しても、

「場」を楽しむ

ということを
私は
常に一日中
行なっている
かもしれない。

場を楽しみ
ながら生きるのは
人生を
数倍に
充実したものに
してくれる。

自分の
内側に意識を
向けて、
いろんな想像を
することも
好きだが、

その場全体に
意識を向け、

つまりは
自分の外側に
意識を広げ、

場と、
場の中の自分と、
両方を
感じながら
ここにいる、
というのが
何とも言えない
独特の味わいが
ある。

電車が好きなのは
こういうところにも
理由があるかも。

電車という
あの独特の
空間、場。

私はその
空間そのものと
一つになり、
そこにいる。

しかもその場は
移動している。

この
「移動」がまた
楽しい。

歩いていても
良いのだが、

「移動」は
独特の発想
を喚起してくれる。

同じ場所に
いない、場。

同じ場なのに、
同じ場所に
いない。

この状態こそ、
私達人間が
本質的に
望んでいる一つの
カタチではないか。

私達は
安定も望むが、
もっと深いところで
進化も
望んでいる。

私達は
同じ場所に
いたくない存在だ。

しかし
同じ場所にいて
安定していたい
気持ちもある。

その両方を
兼ね備えた
象徴的な場が
電車か。

まぁ、電車以外の
乗り物も
同様かもしれない。

が、私は
知らない人達、
無数の人達の
雑踏があり、

しかもそこに
自由に
乗り降りができ、

人が変われば
空気も変わり、

しかし空間は
同じ。

でも場所は
変わり続ける、
という

やはりあの
独特の感じが
好きなんだな。

自分は
どんな「場」が
好きか?

どんな「場」に
身を置くことで
最も活性化
できるか?

そんなことを
真剣に
考えてみよう。

そして
できるだけ
自分のいたい「場」に
いる。

そんな時間を
増やそう。

それだけで
毎日が
ちょっと変わって
くる。

私達は
「場」と共に
生きている。

つづく

宿命と運命

背中に何か
とてつもなく
重いものが

しがみついて
いる。

ドーン
という重さ。

腰が
砕けそうに
なる。

これは
特定の誰かの
重みではないな。

こんなに
重いんだ。

会社、
・・・いや違うな、
ある意味、
世の中全体
とも言える、
重さ。

何かへの
執着か、

寄生か、

依存か。

頑なに
在り続ける
何物か。

自分たちを
止めるもの。

私達は常に
それらと
闘っているが、

きっと一気に
それらを
払い落とした
のだろう。

勇気を
持って。

だから
それらが
来た。

とても
良いことだが、
私は
辛い。

なぜ
俺のところに
くる?


ずっと
この体質を
恨めしく思って
生きてきたが、

今はもう

そういうものだ、

諦めている。

諦める、
というか

宿命と
いうか。

変わることが
ない、

わかるので、

できること
といえば、
受け止めること
だけだ。

これが
私だ、と。

でもおかげで
世の中の
進化の度合いは
わかる。

スピードも
深さも
手に取るように。

そして
それによって
私の今日、
為すこと、

明日、
為すこと、

わかる。

わかれば
それを
やるだけさ。

宿命を
受け止めて、

運命を
切り拓く。

つづく

最上の言葉を

一つの言葉、


私としては
本当に大事に
したい。

同じ意味
同じ内容の
言葉であったと
しても、

今ここで

この人には

どんな表現で
どんな言い回しと
どんな語句を
選ぶか?

そこに
細心の注意を
払うように
している。

もちろん
思考レベルで
瞬時にそれができる
はずもなく、

ほとんどが
直観であるが、

直観的に
浮かぶその言葉
が、

違和感がゼロ
かどうか?

100%感覚的に
素直に出る言葉か
どうかを、

本当に大切に
している。

0.001%でも
違和感を覚えたら、
もうその言葉は
使わない。

伝えない。


決めている。

以前の私は、
言葉なんてものは
単なる記号だ、
くらいに思っていた
時期もあった。

自分の本当の
想いは
言葉などでは
完璧に表せるはずが
ない、と。

今はまったく
違う。

私達は
言葉で
生きている。
この
3次元世界では。

もちろん
完璧な言葉

ないかもしれない。

しかし
だからこそ
言葉は
価値がある。

言葉はカタチ。

今ここで
差し出し得る
最上の言葉は
何か?

真剣に言葉を
選ぶことこそ、
真剣に生きる
ことの
基本である。


思うように
なった。

そうなれて
からだ。

人生そのものが
調和するように
なったのは。

ところで、

私は
一流の文学を
読むのが好きだ。

なぜなら
一流の文学は
言葉に対して
本当に
真摯だからだ。

私はそういった
作家の描く
物語を、

一つ一つの
言葉を
掘るようにして
ゆっくりじっくり
向き合いながら
読むことが
好きだ。

そんな読み方なので、
たくさん読める
わけではない。

でも
本当に素晴らしい
文学は、
たった1行
読むだけで、
良い刺激になる。

言葉と対峙する
作家の生き様も
感じながら、

物語と向き合う
静かな時間を
ここ数年は
とても大切に
している。

言葉と共に
生きる。

それも
私達だ。

つづく

答えはあるのに

突然に、
いくつかの
流れ星が
降ってくる感覚が
ある。

こんなに
青空が
広がっているのに。

その流れ星たちは
何かを
運んできている。

しかしそれを
受け取ってくれる
人はいない。

私も今のところ、
受け取りようが
ない。

ただ、
そこに必死に
意識を向ける。

あぁそれは、
私達にとっては
宝物のような
ものだ。

私達の次元では
発見できないような
様々な
「答え」たちだ。

「答え」が
降ってきている。

流れ星が
プレゼントして
くれようとしている。

なのに誰も
それに気づかない。

受け取れない。

私も、
今の私では
無理だ。

今の世の中では
無理だ。

あぁ、
消えてしまった。

流れ星も
「答え」たちも。

ガックリ。

実は何度も
こんなことは
あった。

その度に
ガックリ。

その度に
早くもっと我々は
次元を高めねば、

心を新たにする。

私達に必要な
「答え」は
あるのだ。

それを受け取れる
私達に
ならねば。

早く。

そのために
今日も私は
一日をがんばる。

つづく

人もエンストする

たまに
エンストを起こして
しまったかのように、

自分の心身が
カクッカクッと
不安定に揺れ、

自分のコントロールが
効かなくなることは
ないかな?

それは確かに
エンストに近い
かもしれない。

どこか必要のない
無理をしている
合図だ。

私の場合
多いのは、

エンストによって
声が出なくなる
こと。

喉が急に
機能しなくなる。

その場合、大概は
私自身が
喋り過ぎの傾向が
出ている。

クライアントさんに
説明し過ぎ、

教え過ぎ、

問い過ぎ、

の合図だ。

最近は
そんな場合は、
喋っている途中でも、

素直に喋るのを
やめることに
している。

クライアントさんには
素直に
声が出なくなりました、

お伝えしながら。

大概のクライアントさんは
笑ってくださるので
助かる。

私がエンスト状態で
事を進めれば、
その場のすべてが
不調和を起こし始める。

せっかく一つ一つ
積み上げてきた
調和の波が
崩れてしまう。

何でもそうだが、
やり過ぎは
よくない。

私達は不安に
なると
やり過ぎてしまうが、

基本、
何もしない、

というスタンスを
私は大切に
している。

本当に必要な
ことのみを
する。

迷うなら
しない。

これが私の
スタンス。

これを続けている
限りは、
エンストはない。

調和のためには、
まずは、

何をするか?
よりも

何をしないか?

が重要だ。

つづく

自分自身の大掃除

とても鋭い
まるで
軸のようなものが、

そこに
もたらされた。

すると
そこに存在していた
あらゆるものは、

混乱を起こした。

混沌状態と
なり、
荒れに荒れた。

しかし
今から思えば、
それは
部屋を大掃除する
場合と
同じことだった。

大掃除を
すれば、
一旦は部屋は
大荒れ状態となる。

それを経て
後に
綺麗に整頓される。

根本的
本質的に
美しく自分を整える
ためには、

大荒れになる

という状態を
どうしても
一旦はくぐり抜ける
必要がある。

しかし大概、
大荒れになると
皆、
大掃除を始めたことを
後悔する。

そして途中で、
やっぱりやめた!

諦めたり、

もとに戻したり
する。

しかし
一度、大掃除を
始めようと
動き始めた人は、

もとに戻しても
気持ち悪くて
仕方がない。

大掃除前よりも
圧倒的に大きな
気持ち悪さと、
後悔に
苛まれる。

そんな時は、
最初に
もたらされた
鋭い軸のようなもの

思い出そう。

自分を
根本的本質的に
変えようと思った
きっかけとなった
もの。

その「軸」
こそが、
あなた自身の
魂だ。

魂をあえて
カタチとして
表すと、

それは
丸いものでは
ない。

自分の体内の
中心を貫く
軸のようなもの。

そしてそれは
天と繋がっている。

それが
魂のカタチ。

私達は自分の
魂の意志を
感じると、

今の自分を
根本的本質的に
変えたくなる。

自分を本気で
整えようと
したくなる。

今のこの
タイミングで
それを感じたなら、

今のこの
タイミング
だからこその
理由があるはずだ。

自分を整える
のに
疲れたら、

「軸」を
思い出そう。

「軸」を
魂を
ただ、感じる
だけでいい。

理屈も理由も
明確でなくて
いい。

感じるだけで
意志は
伝わる。
自分の本当の
意志が。

それをしっかり
受け取れば、
内側から
エネルギーは
自然に湧いてくる。

どうせなら
中途半端ではなく、
徹底的に
自分を整えよう。

つづく

自我は超えられるか

沸騰した
お湯の気泡
のように、

現れては
消え、

現れては
消えていく。

それが
私達の
「自我」。

自我とは
永続的なもの
ではない。

それどころか
今この瞬間
にしか存在しない
断絶的
なもの。
分離している
ものだ。

私達は
自分の自我が
ずっと
同じように続いている
と思っている。

しかしそれは
今この瞬間にしかない
一つ一つの自我を
連続的に
味わっているだけだ。

だから
私は変わらない

思い込む。

しかし本来、
自我は
一瞬一瞬すべて
分離しているので、

変わろう!
と決めれば、
今この瞬間から

一瞬にして

変われる。
それが私達だ。

私はこの仕事を
通じて、
そのような場面を
何度も
拝見できた。

本人が
本気で
変わろうと、する。

するともう、
その瞬間に
変わってしまう。
本質的なところから。

それは
驚くべき瞬間
だったが、
でも実はそれこそが
「普通」の私達だ。

「変わろう」と
するのは、
意志だ。

同じ自我が
続いてしまうのは、
惰性であり、
慣性に過ぎない。

意志は
惰性を超える。

本物の
意志であれば。

つまりは
真本音の意志
であれば。

反応本音とは
自我。

真本音とは
自我ではない、
もっと大本の
自分自身。

真本音の意志

惰性を超える。

つづく

大きな人になるために

海のように
器の広い人は、

まるで
子どものように
無邪気な人が
多い。

悪意が
ない。

いや、
もちろん人の
心だ。

いろんな心は
あるが、

悪意はあったと
しても、
その、自分の中の
悪意と

しっかりと
向き合うことが
できる。

向き合えば、
それに
呑み込まれる
ことはない。

もともと
本当は、
皆、

から
きている。

だから
海のような
器を
持っている。

しかし
海から分離する
ことで、
本来の自分を

その大きさを

忘れて
しまう。

私など
小さな人間だ、
という
自己イメージ、
つまり、思い込み
によって、

どんどん
人間が小さく
なっていく。

私とあの人は
違う。

あの人は
特別だ、と。

そんなことは
本当は
全くない。

本当は
皆、同じだ。

でも、そう言っても
なかなか
信じてもらえない。

それはそうとして、
しかし
やはり、大事なのは、

素直に生きる
ことだ。

子どものような
無邪気さが
いい。

変な思惑など
ない方がいい。

大人は
子どものように
生きてはならないと
真面目な人は
思い過ぎだ。

もっと自分を
解放してあげたら
どうだろう?

その方が
大きな人間に
なれるんだよ。

つづく

せめて肝心なところは

向き合えば、
何とかなる。

向き合わなければ、
何ともならない。

・・・私が30年近く
この仕事を
させていただく中で、
ずっと変わらずに
現場で
感じ続けていることだ。

伝えた
つもり。

わかっていると
思っていた。

これくらいは
察してほしい。

・・・言いたいことは
わかる。

でも、人は
基本的に
そのようには
できていない。

阿吽の呼吸
というのは、
信頼と絆がしっかりと
醸成された人同士
だからこそ
成り立つもの。

その段階までは
少なくとも

肝心なところでは

向き合おう。

ちゃんと
相手の目を見て、

相手に
意識を向けて、

素直な自分の
想いを、

本当に
伝えたいことを

丁寧に
伝えよう。

上手くなくて
いい。
誠実さが
重要。

伝えて、
キャッチボール
する。

お互いに
向かい合い。

その連続が
あるならば、

多少の問題や
齟齬や誤解は

時間がかかる
こともあるが、

ちゃんと
氷解する。

それをしない
から、
反応がさらなる
反応を
重ね続ける
関係となる。

向き合わずに
上手く
この人とやっていこう
なんて、
虫が良すぎる。

人間は
そのようには
できていない。

せめて、
肝心なところ
は、
しっかり
向き合おう。

つづく

結び直す

結ばれる。

一旦、
崩れたものが、

関係性が、

とてつもなく
長い年月を
経て、

再び、
結び直される。

この仕事を
していると、

そんな場面に
何組も
出会えた。

心の奥の
何かが
必ず痺れたように
なり、

涙が
止まらなくなる。

凄いな、
人という
存在は。

いつも
そう
感嘆する。

私も
人なのにね。

つづく

聖なる対話と言えばいいのか

壊すべき
ものを
壊している
その時、

そんな
時こそ、

静かにできる
対話がある。

壊れる、
もうそれは
避けられようが
ない、
という
開き直りが生み出す
独特の

覚悟

を持つからこそ
実現する
静かな対話が
ある。

ほんのわずかな
時間かも
しれないが、

その対話こそ
そこから先の
永遠を
決めるかも
しれない。

人は
脆いから、

そこまで
追い詰められなければ
絶対に
出ない発想が
ある。

初めてわかる
自分の
真の意志。

私は
このような意志を
持った
存在だったのだな、

「存在」という
視点から、

つまりは
それは
宇宙も含めた
「すべて」の中の
一存在としての
自分、
という視点から、

初めて
ぶれなく
客観的に
自分を見つめ、

受け入れ、
受け取る
準備ができ、

そして
成せる対話だ。

これまで
人生をかけて
ずっと
迷い続けてきた
ことの数々が

いったい
何だったのか

思うくらいに
簡単に答えが
わかり、

瞬時に
決断ができ、

「約束」が
できる、

そんな
対話。

こういう時、
人とは
壊すために
誕生したのでは
ないか、とさえ

私は
思うんだ。

かけがえの
ない、

人でしか
成し得ない

弾ける対話。

ビッグバンを
起こすような。

そんな
潔さは
あなたも
私も
全員が
持ち合わせている。

つづく

連絡してみようか

思いもよらぬ
あの人の顔を
思い出した。

もう
何年ぶり
だろう。

目の前に
まるで
巨人のように
その顔が
浮かぶ。

顔はただ
じっと
私を見つめて
いる。

何か
伝えたいことが
あるのか?


問うてみるが
特に
反応はない。

表情も
ない。

ただ、
何かしら
伝わってくるもの
がある。

それは
しんしんと
静かに降る
雪の

寒さとも
一種の暖かさとも
言えるような
あの感覚に
似ている。

私はただ
その感覚のみを
そのまま
味わっている。

そのうちに、
悲しみとも
喜びとも
言える
感情が伝わって
きた。

複雑だけど
シンプルな
気持ちたち。

久しぶりに
連絡してみるか、

思う。

軽くメールを
してみた。

すぐに
返ってきた。

ちょうど
連絡しようと
思ってたんです。
ちょっと
心の整理を
つけたくて。

いろいろ
ありまして。

きっと
このタイミング
なのだろう。

今度は
開花の予兆を
感じ始めた。

つづく

出会いのためにも

踊れ踊れ、
もっと
激しく。

もっと
自分らしく。

本当は
自由に
踊り続けたい
のだろ?

じっと
かしこまって
いるのは
つまらない
のだろ?

いいじゃないか。

格好悪くても。

自分なりの
踊りで
進んでしまえば。

あなたが
あなたにしか
できない
踊りをせねば、

誰も
あなたを
あなただと
気づいてくれないよ。

あなたとの
出会いを
待っている人は
多いのだから。

あなたが
あなたの
踊りをして、

あなたの
存在を
知らせて
あげよう。

あっ、
あの踊り方は
間違いなく
あの人だ!

と、
みんな
思い出すよ。

あなたの
ことを。

つづく

複雑な綻びだな

もっと綻びを
楽しめると
いいね。

現実の
綻びを。

この世界は
綻びだらけだ。

綻びを避けよう
としても

いや、
それを
すればするほど、

綻びに
ぶち当たる。

どうせ
綻びだらけなら、
それを楽しんで
しまおう。

その楽しみ方
の一つは

じっと観察する
ことだ。

これはなぜ、
こんなにも
綻びて
いるのだろう?

その根本の
部分まで
しっかり
観察する。

表面から
根本まで、
全部、知ろうと
する。

すると案外、
単純な理由
だったりする。

あぁこの
現実は、

この瞬間の
この場面から
綻び始めた
のだな、と。

人もそう。

ほとんど全ての
人が、
その人なりの
綻びを
持っている。

なんで
そうなるのか?

よく観察すれば、

その人なりの
綻びの
パターンが
観えてくる。

大概、
そのパターンも
根本は
単純だ。

そしてその
単純なことを
ひたすらに
繰り返し、

同じ綻びを
創り続けている。

そしてそれらが
複雑に
絡み合いながら、
その人の人生
が、
綻び続けて
いく。

一見すると、
複雑。

しかしその
複雑なものを
その
複雑なままに

あるが
ままに

観察し
続ける。

と、
思いのほか
単純な

まるで
法則のような

根本原因が
浮かび上がる。

解釈しては
ならない。

解釈しては
より
複雑化する。

複雑なものを
ただ
そのままに。

これが
コツだね。

つづく

その呼吸は

呼吸だ。

誕生の
ための

呼吸だな、
これは。

独特の
テンポ。

独特の
振動。

もうすでに
鼓動が
聴こえる
ようだ。

新たな何かを
生み出す。

それがたとえ
小さな発想
だとしても。

その人から
しか
生まれないもの
ならば、

それは非常に
尊く、
独特の呼吸に
よって
導かれる。

あっ、
今、発想を
やめないで
ください。

すぐには
答えは
出なくとも、

もうすぐ
とても大切な
何かが
気づきとして
浮上しますよ、
きっと。

そんなフィードバック
をして
あとは
静かに待つ。

ずっと
無言の場と
なるが、

それは
誕生の直前の
とても尊い場。

私の仕事の
悦びの
一つ。

つづく

問いは浮かぶもの

自分の中から
浮上する
何かがある、

という
感覚に
鋭敏になろう。

セルフコーチング
の基本だ。

最初に
浮上してくるのは
多くの場合、
問い
だ。

自分から自分への
メッセージというのは
実はそんなに
多くはない。

なぜなら、

メッセージを
ダイレクトに受け取る
というのは、
比較的
難易度が高い
からだ。

それよりも、
問いを
受け取る。

その方が
やや易しい。

ところが
ほとんどの人は、

自分の中から
問いが
浮かんでくる

とは
思っていない。

思っていない
から
気づかない。

問いが浮かぶ
感覚は
独特のものが
ある。

その感覚に
鋭敏になるのが
ファーストステップだ。

そのためにも、

今、私の中から
何か問いは
浮かんでくるかな?

という問いを
自分自身に
投げ続けよう。

一日中でも。

つづく

問いの本質

この
問いかけは
今、
この人に
必要だろうか?

という
問いを
私はいつも
自分に
投げ続けている。

問いは、
投げればいい

という
ものではない。

問いは
タイミングが
重要だ。

その人に
必要な
問いであれば
あるほど、

タイミングが
命だ。

問いは、
伝わってくる。

その人から
ダイレクトに。

向き合って
いれば。

決して
自分の意図や
解釈で
問いを作っては
ならない。

問いは、
人と人を繋ぐ
それこそ
命の架け橋だ。

それを
自分一人で
作り出すなど
傲慢にも程がある。

ちゃんと
向き合い、
ちゃんと

そこに
存在している

架け橋と
しての
問いを
受け取る。

受け取ったから
OKという
ことではない。

そこからこそ
重要。

それを
いつ、どこで、
その人に投げるか?

いつ、どこで、
その人と共有するか?

このタイミングも
自分一人で
決めるなど
おこがましいにも
程がある。

ちゃんと
向き合えば
わかる。

今、ここで
この問いを
投げるんだ、

迷いなく
普通に
確信を持って

わかるんだ。

つづく

体が伝えたいこと

体の痛みは
基本、

心の痛みの
3次元化だ。

だから
怪我にせよ
病気にせよ

どんな
理由でも

痛がっている
その体の
部分と

しっかり
向き合った方が
いい。

何の解釈も
せず、

ただ
じっと向き合う。

すると
何か伝わる
ものが
あるはずだ。

それは
感覚的なもの
であるが、

しかし
その感覚とまた
向き合えば、

言語化も
できるだろう。

言語化した
それは
多くの場合、

メッセージと
なる。

体から
自分への
メッセージ。

これを
しっかり
受け止めないと、

その体の
部分は
いつまでも
痛がったり苦しんだり
し続ける。

ましてや、
向き合わない
ままに
強引な治療を
して

表面的に
治してしまったら、

それは
表面的で
あって、
何の解決にも
ならず、

別の方法で、
さらに激しく
体は
同じメッセージを
送ってくる。

自分と
向き合う
とは、

自分の体と
向き合うこと
でもあるんだ。

つづく

地道だけど必要だ

世界が
いくつも
観えたりする。

いくつも
重なりあって。

同じ事象
でも。

そこに
100人いれば

そこには
100通りの
世界が
存在する。

いくつも
重なりあって。

調和とは、

まずはその
世界を
一つ一つ
丁寧に
理解しなければ、

なかなか
成し得ない
ものだ。

いや、
本当は
皆が真本音で
生きていれば、

そんなこと
せずとも

普通に調和
できるのだけど、

今の世は
なかなか
そうはいかない。

この人は
どんな世界を
見ているのか。

あの人は
どんな世界を
見ているのか。

その一つ一つ
を、
評価も判断も
解釈もせず、

ただ
そのままに
理解する。

それを
繰り返すことで
初めて、

その事象の
本質が
掴めるんだ。

私が
企業様のサポート

させていただいて
いるのは
そういうこと。

とても地道な
仕事だと
思うね。

つづく