2025年 5月 の投稿一覧

人は祈りか?

ずっと
祈り続けている
自分がいる。

心の中心、
魂の中心
で。

それは、
宗教とか
信仰という
枠の中の
ものではなく、

もっと
広くて
深いもの。

言葉には
到底
できない。

表現
できないのだ。

が、
確かにずっと
祈り続けて
いる。

一日24時間、
一瞬も
絶えず、
ずっと
ずっと。

もし私が
死んだとしても、

この祈りは
ずっと
残り続けるのでは
ないか、
とも
思える。

ということは、
もともと
先に
祈りがあり、

それが
一つの形として
私が生まれたのか?
とも思う。

もちろんそれは
私だけの
話ではなく、

みんな誰もが
そうではないか?
と。

ある時に
そう仮説を
立てた。

そして
それを確かめ
始めた。

きっとこれが
私が
この仕事を
続ける
本当の動機だ。

確かめ
始めてから
もうすぐ30年に
なる。

まだ、
結論は
出してはいない。

が、
誰とどう
向き合っても、
やはり
その人の中心には
その人の祈りが
あるんだな、
という実感は
続く。
毎日。

それでも
ひょっとして
そうではない人も
いるのではないか?

思い、

あえて
そう思いながら、

あえて
疑いながら、

私は人と
向き合い続ける。

経験則で
言えば、

人の中心は
祈りだ。

・・・となる。

祈りが
形となって
生まれたものが
人、だ。

・・・となる。

経験則
ではね。

でも、
あえてまだ
仮説のままで
行きたい。

もっと深く
もっと強く
私は
それを確かめたい。

もうあと
20年強、
それをし続ける
つもりだ。

つづく

閉塞から脱却するには

トンネルが
観えて来たら
しめたもんだ。

何がどう
閉ざされている
のか?

観えて来れば。

それは一見
八方塞がりに
見えて、
しかし
それがトンネルで
あれば必ず
出口があるから。

トンネルの
奥へ奥へ
流れて行けば
いい。

出口のない
トンネルは
なく、

出口まで
遠いことも
あるが、

流されて
行けば
必ず
辿り着けるから。

大変なのは、

トンネルの
実感を
得るまでだ。

何がどう
塞がれている
のか?

どこに
モヤモヤ
しているのか?

何が問題で
何が本当の
閉塞の源なのか?

それらが
あまりに
わからない、

もしくは、
わかったつもり
になっていて、
実際は
ズレている
というケースは、

辛い。

流れることも
できず、
希望も見えず、

もがいても
もがいても
手応えがない。

私の場合、
そのような
状況の
クライアントさんからの
ご依頼が多いので、

最初は
大変だ。

私の役割は、
第三者だからこそ
わかることを

いち早く
見つけること。

それが、
「トンネル」だ。

「出口」は
すぐには
わからない。

しかし、
「トンネル」は
比較的
見つけやすい。

トンネルを
見つけ出す
嗅覚。

それを
養い続けることが
大事だし、

それは
私だけでなく
クライアントさん、
特に社長さんに
養っていただくのも
私の
すべき役割だ。

「出口」
ではなく
「トンネル」だと
わかると、

一般的には
みんな、
引く。

トンネルなぞには
入りたくない
からだ。

しかし
まずは
トンネルに入らねば、
出口には
辿り着けない。

この真理、
というか
自然の摂理
というか

こここそが
肝だと
思うんだな。

出口は、
トンネルの
向こうにだけ
ある。

つづく

予想を超えて

こんなに
硬くて
大丈夫だろうか?

という
私の心配を
よそに、

ぐんぐん
伸びる。

どこまで
伸びるのだろう?

無尽蔵さを
思い知らされる
くらいに。

私はまだまだ
人を観る目が
甘いな、
と思う。

伸びる人は
私の予想を
遥かに超えて
伸びていく。

伸びない人は
頑なに
伸びないの
だけど。

伸びない人は
「私は今の私を
変える気はない。
絶対に
変えてなるものか!」
という
信念が凄い。

本人が
そう決めて
いたら、もう
他者は
何もできない。

ところが、
逆に、

「私は私を
変えたいのです。
根本から
変えたいのです!」

という人は、
完全に私の
予想を
超える。

こういう人は
今、また
急激に
増えている。

この二極化が
激しい。

世の中の
流れが
そうさせるのか?

実在は
より安定し、
現象は
より混乱する。

この、
ギャップのある
流れが
このような
進み行きを
後押ししているのか?

まぁそれは
ともかくとして、

ぐんぐん
伸びる人には、

その伴走も
大変だ。

私はギアを
一つ上げる
ことにする。

より繊細な
サポートが
必要だ。

私の悦びの
瞬間の一つ。

つづく

舐めんなよ

小さな
小鳥のように
見えるだろ?

可愛らしい
だろ?

その通り
さ。

でも、
舐めんなよ。

しっかり
あるがままを
見つめて
みろよ。

わかるかい?

すごい
エネルギー
だろ?

このエネルギー
を、
誰も知らない。

だからみんな
あの人を
舐めている。

だが、
あれは凄いよ。

人に深く
インパクトを
与える。

可愛らしく
素直そうに
見えて、

実は
ぶっとい芯を
持っている。

みんな
表面しか
見てないんだ。

誰もあの人を
評価していない。

だからこそ、
だ。

あの人の
すごさを感じられる
我々の出番だ。

あの人を
起点に
この組織は
変わるよ。

面白い
くらいにね。

もちろん、
あのすごさは
あの人自身も
自覚できていない。

だからこそ
面白いんだ。

さぁ、
何しようか?

初めの
一歩だ。

結構、
強い刺激でも
あの人は
大丈夫だよ。

いくか?

やるか?

ダイレクトにさ。

つづく

その岩か

岩が
あるかい。

しかし
そいつは
大したこと
ないよ。

ヨッと
よじ登れば
すぐに
越えられる。

ただ、
初めての岩
なので
慣れてない
だけさ。

注意すべきは、
最初に
手をかける
場所。

そこだけ
じっくり
見極めて
始めることだ。

そこだけだね。

あとは
むしろ
楽しめばいい。

初めの一歩
だけ、
慎重に
よく観察して

迷いのない
一歩をね。

つづく

祝福の時

祝福。

もうすぐ
祝福の
時が来る。

皆の
大きく開いた
笑顔が
浮かぶ。

気を抜けば、
ウキウキと
私はもう
笑顔になりそうだ。

慌てては
ならない。

動いても
ならない。

ここは自分を
抑え、

じっと
していよう。

・・・・・・

足元に
滝がある。

あえて私は
ここから
飛び降りて
おこう。

人知れず。

あの
滝壺の奥深くに
何か
あるはずだ。

今後、
どうしても
必要となるものか、

もしくは
逆に、

今後は
破壊せねばならない
ものか。

その正体は
わからない。

が、
祝福のさらに
先で、

それは
多大なる影響を
及ぼす。

今のうちに
正体を
観ておこう。

・・・・・・

それ、は
私に
語りかけてくる。

私は彼らの
敵では
ありません。

かといって、
味方とも
言えません。

彼らが
私を
どう扱うか?

それにより
私の存在は
大きく
変貌します。

ある意味、
彼らの鏡が
私です。

・・・・・・

私は問う。

君が
彼らの敵にせよ
味方にせよ、

それ以外に
せよ、

君が本来の
役割を
全うするために
必要なことは
なんだ?

彼らが
どうこうではなく、

君自身の
存在としての
意味を
果たすために、

それのみの
視点で
答えてほしい。

・・・・・・

彼は
答えたよ。

私には
確信が
ありません。

この状態の
まま、
彼らの前に
出ることに
意味があるのかも
しれません。

しかし、
たった一つで
良いので、
私は
確信がほしい。

それさえ
あれば、

私は
揺るがずに
彼らと
向き合える。

鏡として。

・・・・・・

なるほど。

よく
わかったよ。

君の確信は
私が
与えよう。

どうやら
それが私の
役割のようだ。

というか、
これだけだよ、
私が
ここですることは。

彼らのために
すべきことは。

・・・・・・

確信。

それは
簡単なことだ。

君は
揺れていい。

いや、
正確に言えば、

揺れること。
それこそが
君だ。

君という
存在だ。

揺れなきゃ
いけない。

制御しては
ならない。

自分で自分を
制御できない
状態を、
むしろ
保ちなさい。

それが、

ということだよ。

どうかな?

確信
できたかな?

・・・・・・

はい、
おかげで
すっきりしました。

私は
私という存在を
確信できました。

これで
準備完了です。

いつでも
大丈夫。

ありがとう。

・・・・・・

それは
良かった。

さぁ、
祝福の時が
来たようだ。

このまま
一緒に
この滝壺から、

彼らの
祝福の時を
眺め、
楽しもう。

彼らと一緒に
味わおう。

つづく

強さの予兆

芽が
輝いている。

この芽は
まだ
小さいが、

強そうだ。

行けそう
だな。

・・・・・・

大地の質が
特に良い
わけではない。

もともとの種が
飛び抜けて
良いわけでも
なさそうだ。

ただ、
この芽は
逞しい。

逞しい
意志を
持っている。

・・・・・・

この
ひたむきさ。

真面目さ。

ひたむきな
人は
不器用だし、

すぐに
必要以上に
深刻になりやすいが、

不真面目で
浅いレベルでの
軽さよりは
余程マシだ。

・・・・・・

深刻さの
壁を正面から
乗り越えたり、

壊したり
しなければ、

真の軽さ


生じない。

真の軽さ
とは
安定感という
土壌の上で
成り立っている
もの。

ひたむきな
人は、
この安定感を
手に入れやすい。

中途半端で
ないからだ。

・・・・・・

この芽、
ぜひ
育てたいな、

思う。

が、
それをするのは
私ではない。

本人だ。

この人には、
「芽が出ましたね」

一言も
言わないで
おこう。

すべて
自力で見つけ、
自力で進んで
行くだろうから。

私は
見守るだけだ。

本当の
ピンチが
来たら、
その時だけ
ちょっとだけ
後押しをする。

それくらいの
関わりが
ちょうど良い。

・・・・・・

この人の
芽は、

恐らく周りに
伝播する。

この芽は
きっと
この組織を
救う。

だからこそ、
私は
何もしない。

見守るだけ。

この組織は
きっと
とてつもなく
強くなるだろう。

つづく

絶望したなぁ

耕し続けて
きたものが、

ようやくに
して

芽を
出し始めた。

初めての
人と
出会えば、

それは
よくわかる。

変わったな。

本当に
そう
実感する。

・・・・・・

以前は、
耕す大地そのもの

なかった。

言ってみれば、

ドロドロの
沼のような
状態。

そこに
立つことすら
できない。

こんな状況で
どうやって
耕すんだ?

さすがに
絶望的になった。

それでも
やれるところ
から
始めた。

小さく
小さく
だったが。

・・・・・・

だから
大きなことは
当然、
できなかった。

ほんの、

手で
掬い取れる
くらいの

小さな
小さな
土を、

まずは
健康にする
こと。

それを
地道にやって、

それだけでも
長い年月が
かかり、

ようやく
畳一畳分
くらいの
土地ができて、

そこに
最初の種を
植えてみた。

ところが
ようやく創り出した
大地と
種が
合わず、

種は
芽も出さずに
死んだ。

その時の
私は
膝が崩れるように
ヘナヘナと
しゃがみ込み、

もう本当に
今度こそダメだ

泣いた。

・・・・・・

あの
絶望感に
比べれば、

今の
なんと希望に
満ちたことか。

よく
ここまで
来れた、と

たまには
自分を
褒めようか、
と。

やっぱり、

私達には
できることしか
できない。

できないことは
できない。

できないことは
諦めて、

できる最大を
やり続けよう。

そうすれば、
なんとかなる
ものさ。

つづく

今日も合間に書いている

今日は、
チームコーチング
5つと、
個別コーチング
二つ。

最近は
こうやって合間に
ブログ書くのが
ちょっと楽しい。

さっきまで
新幹線と
特急電車に
乗っていた。

ご存知の
通り、

電車は
私の活力の
もと。

私にとって
電車での移動は
「移動」
ではなく、
「至福の時間」。

もちろん、
お客様との
時間も
「至福の時間」。

至福で始まり
至福で終わる
一日。

・・・・・・

実は
今日のこの
会社、

ここしばらく
ずっと
揺れていた。

壊すべきを
根本から
壊す、
というのを

とことん
やってきた
ためだ。

特に、
根幹となる
トップを含めた
幹部さん達が

大揺れに
揺れた。

今日はまだ
その
真っ盛り
なのだが、

なんか
今のところ、
みんな、

とてつもなく
良い感じだ。

越えた
かな?

これはどうも
越えた
ようだ。

・・・・・・

今、
あの人が
私に
一声かけて
くれた。

スーッと
爽やかな
風を
感じた。

新たな風が
この会社には
吹き始めて
いる。

組織だって
脱皮する。

生まれ変わる
ことも
あるんだ。

・・・・・・

一日、終わり
帰途。

今日も
良い一日
だった。

突発的な
展開もあり、
結局、今日は

チームコーチング
7つと
個別コーチングを
4つ行なった。

夢中になって
あっという間の
一日。

今日お会いできた
皆さんの
最後の清々しい
「お疲れ様でした!」
の声と、
あのお顔。

その残像を
味わいながら、

新幹線も
味わっている。

つづく

今日も研修で

実は、今日も
研修だった。

とは言え、

講師をしたのは
私のビジネスパートナー
だ。

私は後ろから
その場を
楽しんでいた。

真剣に学ぶ
社員さん達。

オープンな
社長さんが
自由に講師と
掛け合いを始めたり
して、

共に創り出す
場だった。

最後の方で
場の次元が
グッと
高まるのが
わかった。

あぁ皆さんの
準備が
整ったな、

思った。

・・・・・・

準備が整う。

・・・これは
大切な感覚だ。

準備が整う。

・・・これが
なければ
始められない。

破壊と
創造。

本質的な
成長を
進めるためには、

破壊せずに
創造することは
ますます
難しい世の中に
なった。

一つ
壊して、
初めて
一つ
進める。

一つも
壊さなければ、
一つも
始まらない。

どころか、
後退
衰退
のみ加速する。

それを
本能的感覚的に
素直に
捉えられている
企業は、

破壊を
始めようと
する。

が、
怖くて
できない。

やり方も
わからない。

そんな時、
我々の
出番となる。

・・・・・・

今の私に
とっては、

それを
仲間と共に
お手伝いできる
というのが
幸せだ。

歳をとった
から
私は第一線を
離れる、

なんて
話ではない。

私はまだ
あと20年は
現役を続けるし、

進化を
続けるつもりだ。

老害には
ならんように
して。

ただ単純に
私一人では
もう
間に合わない、

という
世の中の
情勢だ。

必然的に
若い仲間達が
増えた。

人数は
少ないが
精鋭ばかりだ。

これからも
増やしていく。

いや、
増えていく。

・・・・・・

経営者の
恐怖。

組織を
変えようと
する時の。

その多くは、
ご本人が
顕在意識で
感じているよりも

数十倍も
深い。

しかしそれでも
やろうと
する。

そういうのを
見ると

人は
尊いな、


思う。

その尊さに
純粋に
お応えしたい。

ずっと
そうやって
きたが、

それを
仲間と共に
できるのが、

本当に
ありがたい。

つづく

久しぶりの研修

ここ10年、

できるだけ
「研修」
という形をとらずに
企業様のサポートを
しよう、


意図してきたので、
年々、
「研修」回数は
減り続けており、

今ではもう
年に数えるほど
となった。

でも今日は
久しぶりに
丸一日の研修を
行なった。

で、
改めて思った
のだけど、

あぁ私って
講師という役割も
好きなんだ、

ということ。

場に自分を
完全に委ね、

一体化し、

あとは
自然に自分の口から
発せられる言葉を

そのまま
素直に
お届けする。

そして
受講者の皆さんとの
会話や
空気感のやりとりを
通じて、

その場でしか
生まれない
言葉を
紡いでいく。

以前は
これを毎日行なって
いた。

それによって
学んだことは
果てしなく
多かったな、

改めて
思ったんだ。

・・・・・・

基本、

集団に
向き合うのと
個人に
向き合うのは

全く
同じだ。

ただ、
集団の場合は
色んなものが
混在する感覚
がやはり
多い。

しかし
そここそが
醍醐味だ。

今は、
チームコーチング
という形態が
多いのだが、

それとも
やはり
違う。

彼らは
「学ぶ」ための
時間として
ここにいるからだ。

「教える」
という行為も
やっぱり
尊いのだな。

教え、
教えられる、
ことでしか
生まれない言葉も
ある。

・・・・・・

実は
研修の休憩中に
この文章を
書いている。

さて、
ここから
山場だ。

どうなるかな?

つづく

足枷が痛い

足枷が
あったとしても、

それが何だと
言うのだ。

むしろ
ある程度の
足枷がある方が、

安定するのでは
ないか。

イケイケどんどんに
ならないから。

足枷のない
現実などない、

くらいの
生き方の方が

この世の中では
ちょうど良い
のではないか。

・・・・・・

というのは
ある意味、

真理だとも
言える。

が、
本当のことを
言えば、

足枷が
あるとかないとか、

どっちも
良いでは
ないか?

そんな視点
自体が
不必要なのでは
ないか?

・・・・・・

とも思い
ながら
進んだ時期も
あったが、

知らぬ間に、
その姿勢は

足枷を
無視する

という在り方に
変換されて
いた。

で、
当然だが、

無視すれば
するほど、

結局は
それに囚われ、

かつ
執着する
自分に
なっていた。

難しいな、
人間は。

・・・・・・

足枷とは
大概の場合、

自分きっかけ


形創られる。

どれだけ
理不尽さを
感じていても、

多くの場合、
その
理不尽そうに
見える現実は

自分自身が
起点と
なっている。

それに
気づきなさい!


言いたいところ
だが、

それに
気づけないのも
人間の
特徴だ。

そう簡単に、
自分で自分の
ことは
わからない。

・・・・・・

何が
足枷か?

という
視点で生きれば、

すべてが
足枷のように
見えてくる。

真実は
どうか?

よりも、
そんな見方を
している
自分自身を

そのまま
見つめよう。

あぁ今の私は
全てが足枷だ、
という
気持ちに
なっているな。

そうなんだな。

で、
終わりだ。

それ以上でも
それ以下でも
ない。

対策も
要らない。

・・・・・・

足枷と共に
進みたいなら、

そうすれば
いい。

私は結構、
足枷と友達で
いたいタチなので、

いつも
ジャラジャラと
様々な足枷を
引きずっている。

むしろ
いろんな種類が
あるので、

今回は
こんな種類の
足枷が来たか、


楽しんでいる。

足枷を
外そう、という
気分になれば、

そうする。

そう。

外そうと
本当に思えば、
その瞬間に
外れるのが
足枷。

それに
例外はない。

・・・・・・

現実は、
思う通りに
運ばない?

まぁ
そうだろうね。

足枷で
足が痛い?

足が重い?

まぁ
そうだろうね。

痛いのも
重いのも
しょうがない。

足枷が
あってもなくても

私のすることは
最速で
進むことだ。

そこは
変わらない。

変えないように
している。

つづく

素敵な再会

ここのところ、
「再会する」
という機会が
増えている。

数年ぶりに
お会いする
人達。

その多くは
元クライアントさん
だが、

皆さん本当に
より素敵に
成長されており、

再会の度に
泣きそうになる。

そしてその
「再会」には
やはり意味があり、

皆、
ある一つの

「境界」


越えようと
している。

そのタイミング
での
再会。

これは、
私にとってみれば、
最高の再会
かもしれない。

数年前とは
また
違ったサポートが
必要となる
のだが、

それがまた
何とも
楽しいこと!

人の進化は
無限だな!

改めて思うこと
しきり。

・・・・・・

特に印象的
なのは、

以前は
夢を持たなった
人が、

突然に
夢を持ってしまう
こと。

「持ってしまう」
という表現も
変だが。

持とうと思って
持つわけではない
のだ。

自然に
夢が
浮上してきて
しまうのだ。

ビジョン
とか
人生の目的
とか
言い換えても
いい。

とにかく
「このために私は
私のすべてを
注ごう!」
と 
思える未来への
矢印。

これが
出てくると
人生は当然だが、
大きく
変わり始める。

変わり始めた
ところでの
再会の人も
いれば、

その予兆を
感じたタイミングでの
再会もある。

いずれにしても
私としては
幸せこの上ない。

・・・・・・

もう、
未来は
観えた方が
いいね。

未来が
見えない世の中
だからこそ、

自分の未来は
観えた方が
いい。

その方が、
余分なことを
せずに
一気に進める。

そこには
当然、
覚悟が必要
だが、

そういった
覚悟があるから
こその
再会だ。

人と人は
時折、
交わり、

時折、
離れ離れに
なり、

という
「交差」の連続。

これも
人生の醍醐味
だね。

つづく

突きつけられた問い

何か、
日本刀のような
ものを、

眉間に
突きつけられて
いる。

私は1mmも
身動きが
とれない。

冷や汗が
出る。

その状態で
問いが来た。

・・・

新たな中心を
何にする?

・・・

やはりか。

かなり
痛いところを
突かれている。

私は
早急に
私自身を
変えていくことに
なるだろう。

つづく

分け入っても分け入っても

大きな葉
だな。

一枚が
こんなにも
大きいのだから、

いったい
この樹は
どれくらい
巨大なのだろう?

葉は鬱蒼と
繁り、

幹は
見えない。

幹を見たいな
と思い、
奥へ奥へと
分け入るが、

いつまで経っても
幹は
見えないままだった。

・・・・・・

夕べ、感じた
あの
眼差しは
何だったのだろう?

誰かが
どこかから
私を
見つめている。
じっと。

その視線が
ずっと
気になり
落ち着かなかった。

見守る視線
というよりも
どちらかと言えば、

私を試す
ような。

もっと言えば、
私の粗探しを
しているような。

・・・・・・

夜明けと
共に、
ここに来た。

ここを
目指してやって
来たのだ。

私は
知りたかったのだ。

その
本質を。

幹を。

幹さえわかれば、
自分の
動き方は
大概、わかるだろう。

ところが
その幹は
依然、見えぬまま。

・・・・・・

私をじっと
見つめる目
の正体は、

何となく
もう
わかっていた。

そいつ
こそが、
幹、だ。

私が幹に
辿り着けない
ということは、

そいつは
まだ
私を
認めていない。

だからきっと
今は、
どれだけ
足掻いても、

幹は姿を
見せて
くれないだろう。

きっと、
私の
足掻き方が
良くないのだ。

不純物が
入っているのだ。

・・・・・・

そうなれば
もう、

私がやることは
ただ一つだ。

足掻き続ける
こと。

今の
足掻き方が
まずかったとしても、

私には
私のできることしか
できない。

もちろん
いろんな足掻き方を
試してみるが、

もう、
上手くやろう
などという気持ちは
捨てた。

ただ、
常に全力で
やろうと思う。

私も
身が持たなく
なれば、
それで終わりだ。

であれば、
きっと私は
それだけの存在
だった、
ということだけの
ことさ。

・・・・・・

足掻き始めて
から、

もうすぐ
30年。

とりあえずは、
30年は
生き続けた。

いつ
倒れるか
わからない。

幹は
いまだに
見えないのだ。

ただ、
わかるように
なってきたのは、

幹は
迷い始めている。

私に
姿を見せるか
どうか?

今は真剣に
悩んでいる。

幹よ、
それでいい。

迷った上で
好きにしろ。

私の純度は
確かに
高まっているよ。

これからも
高めていくよ。

つづく

生まれた時の記憶

いつだって
そうだ。

後ろから
攻撃を
受けるんだ。

後頭部への
ダイレクトな
攻撃。

ホントに
危ない。

下手すれば
命を
落とすよ。

しかし
それをよく
わかっていて、

あえて
防御は
しない。

防御への
エネルギーすら
残さない。

それだけ、
目の前の現実に
向けるパワーは
無尽蔵に
必要なんだ。

防御なんて
している暇は
ないんだ。

・・・・・・

防御をする、
というのは
人としての
本能だ。

大切な
ものだ。

が、
自分自身に
対してのみ、

私はそれを
許さない。

理由は
さっきと
同じ。

防御なんかに
エネルギーも
意識も
まわすゆとりは
ない。

そんな人生を
選んだんだ。

・・・・・・

防御のない
人生。

だから
こんなに
辛かったのか。

だから
常に
こんなにも
苦しみ続けた
のか。

かと言って
自分のことを
強い、
などとは
一度も思ったことは
ない。

いつ
倒れるかわからない
という恐れを
常に抱きながら、

そんな自分を
強さの面では
信じ切れず、

しかし
だからこそ
ここまで
やってこれたのだと
思う。

自分の弱さを
知る者は
強い。

今でも私は
そう
信じている。

・・・・・・

この前、
生まれた瞬間の
記憶が
蘇ったよ。

私は
最初から
緊張しまくって
いた。

遥か遠い
未来。

遠い
人生。

ここから
大変な人生が
始まるんだ、

最初から
武者震いだ。

まず、
第一の目標が
ある。

必ず実現
すべきもの。

そこまで
58年
かかるだろう。

まずは、
58年
突っ切ること。

防御
なし、で。

・・・と、
そんな自分の
決意を
思い出したよ。

あと
一年。

あと
一年で、
人生の第一の
目標は
達成だ。

どうやら
それは
行けそうだ。

そして
一年後からは、
第2の目標に
向かう。

あと一年。

大事な
節目だ。

つづく

これまでの道からのメッセージ

これまでの
私の道が、

私自身に何かを
語りかけて
くるようだ。

じっと
耳をすまして
みる。

まず最初に
感覚が
きた。

腰がドーンと
重い感覚。

だがそれが
しだいに
上昇する。

胸から肩へ、
そして
頭へ。

頭を越えて
さらに
上空へ。

その時点で
メッセージのような
言語がきた。

「一気に
行くんだよ。
段々、
ではないんだ。
一発必中を
目指している。
一気に
垂直に
突き抜ける。
リスクは
高いが、
そのために
綿密な準備を
してきた。
まだ、
準備しか
していないが、
これ以上ない
綿密さで、
それをして
きたんだ。
整えて
きたんだよ。」

なるほど。

そういった
意味では、
まだまだ
「準備」は
続く。

しかしもう
佳境だ。

そうなると
私の人生は
まるで
賭けのような
ものだな。

危なっかしい
が、
それしか道が
ないのだ。

賭けには
必ず
勝つよ。

そのために
やってきた
のだから。

つづく

諦めよ

地面が
なくなれば、

落下するしか
ない。

落下するしか
ないのなら、

落下すれば
いい。

そこに
抗っても
無駄だろう。

バタバタ
しても
疲れるだけだ。

どうせ
落下するなら、
できるだけ
気持ちよく
落下したいものだ。

・・・・・・

何を
諦めて、

何を
諦めては
ならないか?

この区別を
つけることこそ、

真剣さ

の基本だ。

ありとあらゆる
ことに対して

「諦めたくない!」


バタバタするのは、
ただの
執着だ。

執着は
不調和しか
生み出さない。

私のサポートの
基本の一つは、
ここだ。

諦めるべき
ことを
しっかり特定し、

それを

完全に
諦める。

そのための
サポート。

完全に
諦めることが
できれば、

逆に
エネルギーが
湧いてくる。

そして
諦めては
ならないものに
立ち向かっていく。

諦めるべきを
諦めたからこそ
湧いてくる
エネルギーがある。

これは、
マネジメントの
基本でもある。

・・・・・・

まずは
自己マネジメントが
できる自分に
なること。

それができれば、
組織のマネジメントも
できるようになる。

逆に言えば、

自己マネジメント
できない人が
組織マネジメントを
すれば、
組織はおかしく
なる。

自己マネジメントを
する気持ちの
ない人には、
組織マネジメントを
させては
ダメだ。

これは
極端な話ではない。

道理だ。

・・・・・・

何を
諦めるべきか?

は、
人によって
違ってくる。

だからこそ
組織が
必要だ。

ちゃんと
諦めるべきを
諦めている人同士が
組めば、

そこには必ず
シナジーが
生まれる。

「諦める」

「手放す」

表現し直しても
よいが、

ここから
特に必要なのは、

「手放す」
レベルでは
ちょっと足りない。

完全に
「諦める」
くらいの覚悟が
必要だ。

・・・・・・

あえて
「諦め力」
とでも
名付けたいくらいだ。

ここからは
皆、
「諦め力」

身につける必要が
ある。

「諦め力」の
ある人は、
自動的に
「立ち向かう力」も
ついてくる。

諦めるべきを
諦め、
立ち向かうべきに
本当に
立ち向かう。

これこそ、
自律・自立だな。

つづく

目標は必要か

ほんのわずか
ながらも
光が差す。

本当にそれが
わずかで
あっても、

光であれば
もう、
大丈夫だ。

あとはもう
その光を
目指せばいい。

それこそが
あなたの
目標となる。

・・・・・・

光を
感じられない
目標であるならば、

そんな目標は
持たない方が
よい。

もちろん、

目標とは
ないより
あった方が
いい。

「私は目標を
持つことが
好きではありません」

という人が
いるが、
それは
本当に自分に合った
目標に
巡り逢えていない
だけのことだ。

私達は
誰もが
真本音レベルで
目標を
持っている。

最初から。

いつまでに
何を
果たすか?


決めている。

その目標は
実は
わかるだけでもう
幸せを感じる
ものだ。

目標そのものが
パワーを与えて
くれる。

自分の中に
光が
差し込むんだ。

・・・・・・

じゃあ、
組織で与えられる
目標は
ダメですね。

・・・と
言われそうだ。

そんなことは
ない。

たとえ
他者から
与えられた目標
でも、

それは
自分の目の前の
現実。

その現実を
引き受けることで、

それを
自分の真の目標
へと
昇華することは
可能だ。

組織内では、
私は
そこをこそ
サポートさせて
いただいている。

・・・・・・

いつまでに
何を
果たすか?

ここからは
これまで以上に

「いつまでに」

つまりは
「期限」

大切にしよう。

期限に
間に合わなくなると、
人生でも
仕事でも
厄介な不調和が
多発するように
なる。

が、
私達は
自分にとって
不可能な期限設定は
絶対に
しない。

絶対に。

「いつまでに」
・・・ここに
こだわることで、
初めて
道を見出せる。

期限とは、
私達自身を
活性化し、

私達の発想を
根本的本質的に
変えてくれる。

そういった意味で、
期限のない
目標は、

意味がない。

・・・・・・

もともと
人生だって
期限が
あるじゃないか。

あなたには
あなたの
人生の
長さがある。

それに
間に合わせて

自分の目的を
果たす。

これが
私達のやること
だ。

真の目標は、
私達に
光を差し込んで
くれる。

最初はほんの
わずかな光
だったとしても、

私達は
それを目指して
進もう。

つづく

自分軸の見つけ方

軸は、
ゆっくり
できる。

本当の
軸は。

焦る必要は
ない。

もちろん、
本来の軸は
最初から
ある。

あなたが
生まれた
時から。

しかし
その顕在化が
難しい、
ということだ。

顕在化には
一歩一歩
という地道さが
必要だ。

・・・・・・

安易に
これが私の
軸だ!

決めては
ならない。

安易に
決めれば、
遠のく。

本来の自分
からも、
本来の道
からも。

これだけは、
とりあえずOK

行ってはならない。

じっくり
ゆっくり
着実に。

・・・・・・

その分、
試行錯誤は
しっかりした方が
いい。

自分の軸が
何か?

安易に言語化
するのではなく、

まずは、
軸そのものを
感じようとする。

体の中心を
貫いている
軸。

その感覚を
掴もうと
するところから。

感覚を
意識しながら
現実に
向かえば、

何となく
これが軸かな?

感じられる
瞬間がある
はずだ。

そうしたら
その瞬間を
増やしていく。

増やしながら
軸を
できるだけ明確に

感じよう

とする。

どんな
シチュエーションで
どんな
生き方をすれば
私は
軸を感じやすく
なるか?

ここをこそ、
試行錯誤すると
いい。

・・・・・・

軸を感じ取れる
瞬間が増えれば、

ある時から
ずっと
自分の軸を
意識していられる
ようになる。

そこからだ。

言語化は。

あなたの
軸を
最も的確に
表す言葉が
ある。

それは
一般論では
なく、

あなただけ


当てはまる
もの。

その言葉は
ある瞬間に
フッと
直観的に
浮かぶものだ。

それが
来るまでは
決して、
安易な言葉を
当てはめないこと。

あなたの
軸が何か?


あなたの
軸が
教えてくれる。

つづく

やろうかな

世の中の
理不尽を
感じながらも、

サラサラと
流れていく。

何んの
抵抗もなく。

なぜ私の
周りだけは、

こんなにも
サラサラと
流れるのか?

ここだけ
何の障害もない
静謐な川の
ように。

・・・・・・

どこもかしこも
理不尽だらけだ。

純粋な想いで
進もうとしている
のに、

必ず
妨害に遭う。

もっとそのままの
純粋さで
進ませて
あげたいのに、

足を
引っ張られる。

進もうとする
人ほど、

進む気のない
人達から
恨みを買い、
要らぬ攻撃に
遭う。

理不尽の
大元は、
大概の場合は

人の執着
か。

・・・・・・

夢を観た。

そんな理不尽の
集積のような
夢を。

多くの
進もうとする人を
何とか
助けたい!

思っているのに、

どうしようも
なく、
落胆する
夢だった。

目が覚めようと
すると、
それを強烈に
拒む私がいた。

この夢、
覚めたくない。

この理不尽を
このまま
終わらせたく
ない。

・・・と。

すると
夢の続きが
始まった。

そこで私は
講座を
していた。

理不尽に
遭った人達が
私の周りに
座っている。

私は
彼らのことを
心の底から
尊敬し、

格好いい人達
だなぁ、

感嘆していた。

もう本当に
この人達には
理不尽な目には
遭ってほしくない!
との気持ち
一心だった。

私は彼らに
私が30年間
培い続けた
セルフコーチング法を
レクチャーしている
のだった。

そこでの
私は
「純粋自分」
という言葉を
使っていた。

「純粋自分を
取り戻すんです。
もう躊躇せずに。
そうすれば
理不尽は
遠のいて行きます」


熱心に
語っていた。

そこで
目が覚めた。

あぁそうか、
私はやっぱり
こういうことを
したいのだな、

思った。

やろうかな?

新講座。

つづく

それは本当の壁か?

壁がある、

見えていたのに、

実は
本当は何も
なかった。

自分が
勝手に創り出した
幻影、
幻想、
だった。

ということは
多いね。
私達の人生に
おいて。

しかも
何度も何度も
同じパターンの
幻影を
私達は創り出す。

まるで、
自分で自分を
妨害するように。

・・・・・・

本当の壁は、
実は
とても遠い。

まだまだ
先に
あるのに、

その
本当の壁の
気配を
察するとその時点で、

私達は
恐怖を感じ
始める。

これから
自分の歩む
その先に
実在として
待っている
本当の壁。

怖い。

すると
私達の足は
すくみ、

この道を
進む気力を
その時点でもう
失い始める。

そして
先に進まない
ために、

つまりは、
その壁に
近づかないために、

幻影の壁を
創り出す。

そしてそこで
進めない
進めない

言いながら、

それを口実に
して、
止まる。

止まる
ことで、
本当の壁には
近づかなくて
済む。

私達は
こうして
幻影の壁を
創り続ける。

同じような
パターンで。

・・・・・・

しかし
実は、

怖い怖い
本当の壁
よりも、

幻影の壁を
創り出すことの
方が、
私達は
何倍も消耗する
のだ。

しかも
それを繰り返す
自分が
嫌にもなってくる。

自分への
信頼が
なくなってくる。

その結果
として、

本当の壁よりも
もっとキツい
苦しみがくる。

実は、
本当の壁とは、
怖いものであるが、
それに
正面から向き合えば、

壁を
まだ越えていなかった
としても、

その時点から
私達は
エネルギーに
満たされ始める。

壁に向かう
という
その行為によって、
私達の内側の、
中心の、
エネルギーが
開放され始める
から。

残念ながら、
幻影の壁では
それは
起こらない。

幻影の壁が
もたらすものは、
単なる
疲労、疲弊、
衰退、衰弱
だ。

・・・・・・

怖さを
乗り越えよう。

もう、
幻影創りは
やめよう。

そんな時間は
もう、ない。

私達は
私達自身の
本当の壁に
向き合うべき
だ。

その壁が
先の方にある
ならば、

そこまで
自らの意志で

走って
行こう。

つづく

実はこんな感覚なんだ

一日中、
コーチングを
していると、

途中から、
訳がわからなく
なる。

自分の
顕在意識が
どこかに
飛んで行って
しまったように、

意識不明の
状態となる。

遠くの方で
私が
動いている。

表情も
体の動きも
出される言葉も、

私からは
遠い。

自動的に
勝手に
動いている
ようで、

あらかじめ
プログラムで
決められていた
動きを、

プログラム通りに
動かしている
だけのようで。

それを
遠くから
ボーッと
眺めている。

ただ、眺めて
いる。

・・・・・・

一日が終わり、
電車に
乗っていると、

その途中
くらいから
徐々に
我に返って
くる。

いわゆる
思考
というものが
できるように
なってくる。

そこで初めて
その日一日の
記憶が
浮上してくる。

あんなことが
あったな。

こんなことが
あったな。

あぁあの時
私が返した
あの一言で、
展開が
変わったな。

ということは
やはり
あの一言こそ、
あの人にとっては
命綱。

それにしても
なぜあの一言が
出たのだろう?

あの言葉は
どこから
来たのだろう?

・・・と、
分析に入る。

そしてその
一日を
もう一度、
顕在意識レベルで
体験し直す。

それをして
ようやく、
腑に落ちる。

その一日が
腑に落ちる
のだ。

・・・・・・

私は
その場に、

その時間に、

自分の身を
預けている
だけなのだ、
きっと。

その代わり、

完全に
預けている
のだ。

預け切って
いるのだ。

ここまで
くるのに、
30年近い
年月を
要した。

来る日も
来る日も
人と
向き合い続け、

ようやく、

預ける

ということが
わかって
きた。

そういった
意味で、

私は
傍観者だ。

全てを
ただ、
観察する
だけの。

・・・・・・

この仕事は
奥が
深い。

深過ぎる。

それはきっと
人間
という存在の
奥が深いから
だろう。

人と向き合う
とは
どういうことか?

人を
サポートする
とは
どういうことか?

昨日より
今日も
また
一歩深まった。

昨日と
同じ場所には
いない。

このまま
私はさらに
あと20年、

深め続ける
つもりだ。

つづく

固定観念を捨てた

これまで
積み上げてきた
ものを、

あなたは
壊すことが
できるかな?

これまで
培ってきた
自分自身の
プライドを、

あなたは
手放すことが
できるかな?

壊す。

手放す。

・・・これまでも
大切なこと
だったが、

ここからは
さらに
これまでの
数十倍も
大切になる。

・・・・・・

いつだって
ゼロに
戻れるよ。

という
清々しい
気持ち。

潔い
想い。

そういった
ものを
当たり前のように
持ち合わせている
人との
出会いは、

実に
清々しい。

ゼロに戻れる
覚悟。

もしそれを
世の中の大半の
人達が
持つことが
できれば、

この世の中は
きっと
一瞬で
変わるだろう。

・・・・・・

そんな覚悟、
とてもとても
持てないよ、
人間である
限り。

・・・と
思うだろ?

私もそう
思ってきた。

が、しかし
最近の潮流を
見つめていると、

ひょっとすると
そうでも
ないかな、と
思えるように
なった。

いやむしろ、
それは無理!
という
固定観念こそを
まず最初に
捨てるべき
なのだろう。

そう
実感したんだ。

ホントに
ここ数日で。

・・・という
わけで、
私は
捨てた。
その固定観念
を。

捨てたら
だいぶ
楽になったよ。

だから
ここからはまた
人や組織への
サポートの仕方も
変わるだろう。

どう
変わるか?

今から
楽しみだ。

つづく

最上の発想から遠のく原因

私達は、
垂直、真上に
普段はあまり
意識を向けない。

ところが、
肝心の発想や
直観は、

真上から
くることがある。

真上と
繋がっている
感覚。

これに
敏感であると
いい。

が、
これの難しい
のは、

やり過ぎると、
自分の
安定感が
減退する可能性が
あることだ。

上へ上へ
という意識は
私達の足元を
疎かにし、

かつ、

「ここ」に
立っている意識を
気薄にする。

・・・・・・

今、
を大切にしよう!

ずっと私が
言い続けている
理由は
ここにある。

どれだけ意識を
上に向けても、
ずっと
「ここ」に居続け
られる自分になる。

そのための
基本が、

今を生きる

ことだ。

今、ここに
1分1秒
ずっと
意識を置き続ける。

この世界を
しっかりと、

大地から

感じ続ける。

という
「存在する」
という意味での
当たり前の状態を
私達人間は
忘れやすい。

なぜなら
自分の
「解釈の世界」
「妄想の世界」
に入りやすいから。

そこに入っている
間は、
もう
「ここ」
にはいない。

目の前の現実の
あらゆるものが
目に入って
いない。

その状態に
一日の大半
入っている人が
特に最近は
増えた。

例えば、
スマホを見続ける
という行為は、
妄想に入っている
のと
ほぼ同じ状態と
なる。

「この映画を
楽しもう」
というように
意識的に映像を
楽しむことは
いい。

が、
ただ惰性のままに
何の意識もせず、
ただただ
スマホの画面を
見続ける。

この「惰性」こそが
まずい。

それにより
私達は
「ここ」
から離れる。

外れる。

すると、
「大地」を忘れる。

そして、
「上」と
繋がれなくなる。

そのため
肝心要の
自分にとっての
最上の発想が
手に入らなくなる。

望む人生が
離れていく。

ということに
なる。

・・・・・・

ちゃんと
丁寧に
生きよう。

「ここ」
を生きよう。

惰性で
生きるな。

現在の社会は
より
惰性で生きやすい
環境になって
しまった。

この事実に
本当に
気づける人だけが

自分の本当の
人生を
創っていける。

つづく

いつ以来だろう

自然に
触れてきた。

樹々と
対話をした。

緑々した
葉っぱの一つ一つ
が、
丁寧に
語りかけてきた。

そういえば
昔、山をやっている
時は、
いつもこうやって
語り合っていた。

私の場合、
人との語り合い
よりも前に
山々と
語り合っていた。

それが今の
セルフコーチングの
基礎となった。

セルフコーチング
とは
自己対話。

自己対話とは、
自分以外の
何かと
向き合い語り合う
ことで
深まっていく。

そういった
原理を
自然たちは
それこそ自然に
私に
教えてくれたの
だった。

・・・・・・

自然と
語り合えば
如実にわかる。

今のこの世の
状態が。

この世は
ますます
二極化している。

進む存在は
ますます
加速し、

進まない存在は
ますます
同じ場所に
固執する。

そのギャップが
過去最大
であり、

そのギャップに
よって
世の中は
軋んでいる。

実在のレベル
では、
その軋みへの
対応で

私は自分の
生命力の
ほぼほぼ全てを
使い果たした。

しかしなんとか
ようやく、
それが
今日、一つの
完了をみた。

おかげで
こうして
自然たちと
語り合えている。

・・・・・・

今日は
久しぶりの
休息だった。

いつ以来
だろう?

わずか半日の
休息だが、
きっとこれは
とてつもなく
大きい。

もう少しだけ
休もう。

そしてまた
スタート
ダッシュだ。

つづく

問いが来た

遠くの方から
一つの
問いが、

スーッと
近づいて
くる。

私にとっては
よくあること。

それが
通り過ぎない
ように
細心の注意を
払い、

キャッチ
する。

今回も
上手くできた。

その、
光のような
問いを
しっかりとまずは
胸に抱き、

その上で
その光の中に
入った。

光と一つに
なることで
その問いは、
私そのものとなって
浮上する。

・・・

これから
何が
明ける?

私が、
明けさせる
のは
何であるべき?

・・・

「明けさせる」
という
かなり攻撃的な
表現だ。

が、
今はこの
攻撃性こそ
必要なのだろう。

もちろん
私には
答えがある。

あなたにも
あなたの
答えが
あるのでは?

つづく

3つの力のおかげで

後押しを
される
感覚。

応援されて
いるのかな。

この感覚を
初めて
得たのは、
32年前。

人生の
大きな決断を
し、
第一歩をまさに
踏み出そうと
した、
あの時。

明確に
覚えている。

この感覚が
ある限り、

私は勇気を
出せるだろう。

・・・・・・

逆に、
引っ張られる
感覚も
ある。

前方に。

前方の
遥か彼方の
未来から。

その未来には
当然、
私はもう
いない。

ずっと先の
想像もできない
未来の世界。

その世界
から、
その人々
から、
引っ張られる
感覚。

これが
ある時は、

かなり強引な
無茶も
やってこれた。

・・・・・・

それらの
感覚の
次に来るのは、

大地の
感覚だ。

自分の足に
根が生えた
ような、

大地から
あらゆるパワーを
いただく
ような、

ガッシリとした
安定感。

私は今、
ここにいる。

確かに
ここで
存在している。

事実を超えた
実感が
くる。

後ろから
前から
大地から。

三方からの
人智の及ばない
この感覚のおかげで、

私は
飛べるのだ。

つづく

根拠のない、大丈夫

大丈夫、
このまま行けば
いい。

・・・という
感覚が
奥の方から
湧き上がってくる。

理由も理屈も
ない。

根拠のない
メッセージ。

ここで、
なぜ大丈夫
なのだろう?

考えたり
セルフコーチングする
ことはない。

やっても
無駄だ、

知っているから。

・・・・・・

本来の直観
とは、
言葉になる以前の
状態のもの。

だからそれは
感覚
でしかない。

その感覚を
信じきる
というのは
難しいことかい?

まぁ、

難しい
だろうね。

多大な勇気が
必要だろう。

しかし、

何がどうあっても、
その感覚を
第一に尊重する。

・・・と、
私は決めた
のだ。

15年前から。

・・・・・・

私の人生は
あと21年。

・・・これも
根拠があっての
ことではない。

ただ、
そう思える
のだ。

非常に
リアルな夢、

死ぬ瞬間の
夢を観た
あの日から。

もし仮に、
21年経っても
生き続けることが
できたなら、

それはそれで
ラッキーという
ことで、
あとの人生は
余生として
楽しもう。

いずれに
しても、

あと21年と
決めているから、
私の日々の
行動、
今の行動は、

すべてその観点
を基本とする
ものとなった。

私の人生は
すべて、
21年後のその
一点に向けて
収斂していく。

ずっと
そうだ。

・・・・・・

人生の終わり
の一点から
見つめれば、

人生とは
いかに短い
ものであるか。

私一人で
できることなど
たかが
知れている。

どちらかと
言えば、
絶望してしまう。

あまりに
時間がない
ので。

・・・・・・

あと21年で
人生の目的
を果たすために、

私はあえて
最も難しいルートを
とることにする。

これまでの
私では
到底、
太刀打ちできない
ルート。

そこに
踏み込むことに
する。

すると
また、

大丈夫、
そこを行けば
いい。

と、根拠のない
直観が湧く。

これが出たら
もう、

問答無用で
進むしかない。

つづく

あたふたするに決まっている

あまりに
想定外の
出来事だったので、

まるで
頭上から
岩が落ちてきた
かのような
衝撃を受けた。

そして
心があたふた
した。

たまに、

竹内さんって
驚くこと
あります?


訊かれたり
するが、

あるに
決まってるだろ。
人間なんだから。

ビビって
あたふたして、

というのは
当たり前にあるよ、
それは。

嬉しいショック
なら良いが、
悲しいショックも
いくらでもある。

上手くいかない
ことなんて
いくらでも。

現象レベルでは
それが
当然。

その中で、

何が起きても
何が起きなくても

真本音で
向かい合って
進んでいく。

そこは
変わらない。

・・・・・・

あまりに
悲しいと、

一晩中でも
泣く。

心の動き
には
素直になっている。

特に感情は、
素直に
そのまま、
自分の内面から
浮上するに
任せる。

ただ、それを
人に
ぶつけるかどうか?

真本音で決める。

だから
一人の時などは、
じっと
自分の感情を
感じ続ける。

それは、
人間というもの
をそのまま
味わう行為でも
ある。

自分に対して
自分の感情は
隠さない。

ごまかさない。

そのまま、
あるがまま。

これが
最も健康。

・・・・・・

私達は
人間として
生きている。

この
未来の予測が
つかない
世界で。

そこに
意味がある。

だから私は
どれだけ
真本音度合いが
高まろうと、

いや、
だからこそ、

自分の気持ちを
反応本音たちを

大切にする。

あたふた
しながらも
真本音で
生き続ける。

つづく