表面に惑わされず

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言葉の一つ一つは

とても冷たく、

 

人を否定すること

ばかり言い、

 

人の心など

関係ないよ、

という意味での

厳しさをいつも

前面に出している

のに、

 

なんか、

この人のこと

好きだなぁ、

 

と思える

人が

たまにいる。

 

マウンティング、

と言うのかな、

そんな圧も

感じるのだが、

 

その一方で、

とても居心地良さ

感じてしまうのだ。

 

別に私が

マゾなわけでは

ない。

(よく言われるが。)

 

その居心地良さ

とは、

あったかさ

表現することも

できる。

 

そういう人は、

こちらが目を

見つめると、

 

見つめ返して

くる。

 

睨み返す

のではない。

 

子どものような

目で

見つめ返して

くるのだ。

 

その瞬間、

つながった感

私の全身に

伝わってくる。

 

もちろん

その人が私と

同じように

感じているかどうか

は、わからない。

 

多分、

感じてないだろう。

 

しかし、

このつながり感は

ハンパない。

 

そうするともう

私の方は

その人に何を

言われようが、

 

あぁいいなぁ、

 

ずっとこの人と

こうやって

向き合ってたいなぁ、

 

思えてしまう。

(マゾではない。)

 

表面上の会話

では、

マウンティング

されたり、

 

きついことを

言われたとしても、

 

その言葉達を

じっと

見つめていると、

 

その中心に、

とてつもない

ヒントが

潜んでいたりする。

 

すると

そのヒントが

その人の開花や、

 

その人の所属する

組織の脱皮に

つながったり

する。

 

私が

好きになってしまう

そういった人は

恐らく、

 

真剣

なのだろう。

 

ただ、

その真剣さが、

ちょっと

(もしくは、だいぶ)

ひん曲がって

表出しているだけで、

 

本当は

その真剣さは、

とても明るく、

軽やかで

あたたかい。

 

私はその

本質の方を

感じ取れるように

なったので、

 

この仕事を

していて

よかったなぁ

しみじみ思う。

 

そして

その本質の方を

いつも見つめ、

 

そこに焦点を

合わせ、

 

その人を

サポートし続ける

ことで、

いつしかその人の

表面上のひん曲がりは、

修正されていく。

 

私自身は

修正しよう

などとは、実は

これっぽっちも

思っていない。

 

いや、

もしそう意図すれば

その途端に

何かが切れる。

 

私は

その人の本質を

感じ、

本質と

向き合い、

 

その瞬間感じたことを

そのまま

そこで

行なう。

 

そして

その人から

いただいたヒントを

宝物として、

 

次の

指針とする。

 

それだけだ。

 

人間はある意味、

多かれ

少なかれ

みんな

ひん曲がっている。

 

その

曲がった部分に

焦点を当てる

のではなく、

 

その奥の

中心に

焦点を当ててみよう。

 

すると

観える景色が、

印象が、

 

真逆になるかも

しれないよ。

 

つづく

 

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