じっと見ている。
様々なものが、
物事が
うごめいている。
それぞれが
それぞれなりに
まるで自分の意思の
ように。
しかしそれらは
実はすべて
動かされているのだ。
そこに本来の
意思はなく、
ただ、周りからの挙動に
委ねているだけ。
それらをただ
私は
じっと見つめている。
そこに意思は
ないのだから、
私はただそれらの
関係性のみに
焦点を当てている。
どこに発生する
何に対する反応が
次の反応を
引き起こしているのか。
それのみを
注視している。
気持ち悪いなぁ、
とは思うが、
これもまた
自然な流れなのか、
とも思う。
気持ち悪さを
感じると、
その直後に悲しみを
私は抱いてしまうのだが、
あえてそこには
行かぬよう、
気をつけている。
ただ、
そこにある事実だけを
直視するようにしている。
まだ、
意思はない。
そこに
意思は発生していない。
まだ私は
動けない。
いや、
動かない。
意思が発生するのを
ただ祈りつつ。
すべては
タイミングだ。
同じ行動でも、
タイミングがずれれば
すべてが無に帰すだろう。
共鳴する意思。
たった一つでも
それが起これば、
タイミングはすぐに
来るだろう。
それまでは
何も判断せず、
何も評価せず、
ただ、
そこにうごめいている
ものたちを
祈りつつ
眺め続けるだけだ。
つづく