勇気と無謀は
もちろん
違うが、
時には、
無謀を覚悟する
くらいの
勇気が必要な
こともある。
もちろん、
無謀はいけない。
もちろん、
無謀は
最短の道どころか
結局は、
大きく回り道になったり
大きくダメージを
負うだけで、
それは決して
私達の真本音が望んでいる
ことではない。
無謀はいけない。
・・・しかしそれを重々に
わかった上で、
それでもあえて
無謀な勇気を
出さねばならない
ことがある。
・・・・・・
変な言い方だが、
「無謀」から
常に逃げよう逃げよう
としている人ほど
結果的に
無謀になる。
現実から
逃げれば逃げるほど
私達は結局は
追い詰められることに
なるからだ。
そして最後は
無謀な決断を
下す。
それは
「自暴自棄」
と言うやつだ。
そうならない
ためには、
現実と向き合わねば
ならない。
無謀な現実とも
向き合わねば
ならない。
そして時には
それに対して
立ち向かわねば
ならないことがある。
・・・・・・
そんな時ほど
私達は
自らの原点に戻る
べきだ。
何のために
自分は
生きるのか?
なぜ
ここにいるのか?
どこに
行くのか?
自分は
何者か?
・・・当然、
答えはわからないこと
だらけだ。
しかしそれでも
その原点に
戻らねばならない。
答えはわからずとも
その「問い」に
戻らねばならない。
答えはわからずとも
それにより
私達の意識は
「原点」に向く。
その
「原点に向いた状態」
で、
「現実」に
向かうのだ。
「無謀な現実」と
向き合うのだ。
それが私達にできる
最大のことだ。
・・・・・・
人間には
できることと
できないこと
がある。
できないことは
できないのだから
諦めるしかない。
だから、
何を諦めるか?
を
決めることも重要だ。
何を諦めるか?
をちゃんと決めれば、
何ができる
最大のことか?
がわかる。
そしてそれを
やり続けるしか
ない。
そしてその判断が
的確にできるのは、
「自分の原点に
意識が向いている時」
だけだ。
・・・・・・
セルフコーチングを
私がなぜ
推奨するか?
それは、
そういった
「いざ」
という時に効果を
発揮するからだ。
「いざ」
という時に、
自分を失わないで
すむ。
どれだけ心が
混乱しようとも、
混沌の中で
溺れようとも、
それでも
「本来の自分」に
戻れる。
たとえ一瞬でも。
そして
自分にとって、
自分の現実にとって、
自分の人生にとって、
ひいては
周りの人達の人生に
とって、
その時できる
最大最善の一歩を
出そうとする
その意志を
思い出せるから。
そのためにも
鍛えるんだ。
普段から。
自分を。
それが
自分自身と向き合い
続ける
ということだ。
つづく