あまりに苦しい縛りでも

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自分自身を

自分が

ギュウギュウに

縛りつけている。

 

固いロープで

幾重にも

縛りつけ、

 

まったく

動けないように

している。

 

そして

その状態で

 

「さぁ、動けるもんなら

動いてみろ」

 

とやる。

 

「そこから抜け出せる

もんなら

抜け出してみろ」

 

と。

 

猿ぐつわまで

されているから

声すら出せない。

 

ただただ、

呻くだけ。

 

ここから

どうやって

抜け出すと言うんだ?

絶望的になる。

 

そしてそれを傍らから

見つめる自分。

 

しかし、

その眼差しは

意外なことに

真摯だ。

 

まっすぐに

自分自身を

見つめ、

 

見守っている。

 

その目は

「あなたにはもう

できるはずだ」

語りかけている。

 

そして

「そこから抜け出して

ほしい」

祈っている。

 

祈りながら

自分を縛る

自分。

 

もしそんな自分を

ほんのわずかでも

感じ取ることが

できたら、

 

その自分を

精一杯

見つめよう。

 

その自分を

精一杯

意識しよう。

 

その自分と

何がなんでも

向き合い続けようと

するのだ。

 

上手く出来なくても

いい。

それでも

やり続ける。

 

すると、

 

ふと、

 

自分が入れ替わる

ことがあるんだ。

 

ふと気がつくと、

 

目の前に

縛りつけられている

自分の姿が

ある。

 

猿ぐつわをはめられ、

声すら出せずに

もがいている

自分がいる。

 

私は

誰だ?

 

私は、

縛られた自分を

見つめる自分だ。

 

とわかる。

 

入れ替わった

のだ。

 

入れ替われた

なら、

縛られている自分を

よく

観察しよう。

 

ただ、

あるがままに

観察しよう。

 

するとまた、

ふと

真実がわかる

はずだ。

 

この目の前の

自分は

本当は

縛られてなどいない

のだ、

と。

 

この、

傍らにいる自分が

この目の前の自分を

縛っているのではない。

 

目の前の自分が

自分で

自分を

縛っているのだ。

 

いや、

本当は、

 

ロープも猿ぐつわも

ない。

 

何もない。

 

ただあるのは

果てしなく続く

自由の空間だ。

 

もはや

自由になれている

自分自身だ。

 

そこで

気づくのだ。

 

人は

本当の自由を

手に入れた時、

 

その自由が

恐ろしくなるのだ

と。

 

それがあまりに

恐ろしいが故に

自分で自分を

縛るのだ、

と。

 

幻のロープと

幻の猿ぐつわで。

 

それがわかったら、

もとの

自分に戻って

みよう。

 

そう。

 

縛られている自分

に。

 

縛られていると

思い込んでいる

自分に。

 

そっからは

自力で行け。

 

幻影など

吹き飛ばせ。

 

つづく

 

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