抑えてはならない怒りがある

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祈りとしての

怒り。

 

そんなものが

ある。

 

私が

「真本音の怒り」

表現しているものだ。

 

真本音自体には

感情はない。

 

真本音とは

自分自身と

自分の周りの現実の

すべてを

あるがままにただ

観察し、向き合い

続けている存在だ。

 

しかし、

真本音は

反応本音と

結びつく。

 

本来、反応本音とは

現実世界において

調和しながら生きるために

真本音が生み出したものだ。

 

真本音と反応本音は

仲間。

 

会社で言えば、

真本音が「創業者」と

するならば、

反応本音は

「創業者に共感して

集まってきた仲間達」

だ。

 

そんな真本音は

反応本音を

活用する。

 

反応本音と共に

歩む。

 

その中で、

今は「怒り」という反応本音と

共に進もう、

真本音が決めた時に

 

「真本音の怒り」

 

は発生する。

 

それは

真本音と反応本音の

コラボの一つの

カタチだ。

 

もし、

自分の中に

言いようのない

激しい怒りがあれば、

 

その中心を

見つめてみてほしい。

 

その中心に

光はあるだろうか。

 

その中心に

輝きはあるだろうか。

 

もしそれを

感じることができるなら、

 

その光(輝き)は

自分自身の祈りだ。

 

祈りに基づいた

怒り。

 

それが

真本音の怒りだ。

 

これが生まれた時は

決して

その怒りを

抑えてはならない。

 

怒りを

開放する方向に

進めば、

 

そこから

真の調和が

始まるんだ。

 

つづく

 

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