何があっても攀じ登る

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なぜ、

私はここに

いるのだろう?

 

私はどこに

行こうと

しているのだろう?

 

・・・決して

本当に納得の答えは

出そうにない、

そんな問いがある。

 

でも、

自分の心の

中心の方に、

 

奥の方に、

 

どんな時もずっと

在り続けている

その

答えの見つからない

問いは

 

常に自分を

じっと静かに

見つめている。

 

その問いと

どんな時も真摯に

向き合い続けるのは

 

疲れることだろうか?

 

一度、

とことんそれを

やってみては

どうだろうか。

 

いや、

 

きっと

答えは見つからない

だろう。

 

にも関わらず、

真剣に真剣に

やってみては

どうだろう。

 

・・・・・・

 

人生は、

答えがわからない

ことだらけである。

 

もちろん、

適当な答えを

選ぼうと思えば、

どれだけでも

選べる。

 

しかしそこに

納得感はない。

 

しかも、

そういった中途半端な

答えを

大事にすればするほど、

 

私達の心の中には

強烈なストレスが

発生する。

 

ならいっそのこと

答えがわからない

ことは最初から

無視すればいい。

 

ないことに

してしまえばいい。

 

とも思いがちだが、

実はそれこそが

最大のストレスを

生む。

 

答えが

わからないことにこそ

真剣に向き合うのが

「人生」というヤツだ。

 

開き直るしかない。

 

・・・・・・

 

もし目の前に

垂直の壁が

あったら、

 

どうする?

 

登る?

 

それを登らないと

答えが見つからない

としたら。

 

登る?

 

垂直なので、

いつ落ちるか

わからない。

 

いや実際、

何度も

落ちるだろう。

 

それでも

登り続ける?

 

壁を回避することも

選択肢としては

可能だ。

 

だから

皆、回避する。

 

それが

当たり前のように。

 

でも、

周りの誰もが

回避したとしても、

 

どうしても

私は登らねば

ならない、と

 

根拠のない使命感

のようなもののみで、

 

いや、

使命感すらないかも

しれない、

 

意味不明の

想いのみで、

 

いや、

想いすら

ないかもしれない。

 

まぁとにかく、

よくわからないままに

 

必死に壁に

取り付く人が

たま〜にいる。

 

私は

そんな人を

応援したい。

 

そんな人を

応援するために

私はここにいる、

 

というのは

私の現時点での

答えの一つだ。

 

当然、

私も壁を攀じ登る。

 

壁を攀じ登る人しか

壁を攀じ登る人の

サポートはできない。

 

だから攀じ登る

というのもあるが、

 

しかしそれ以上に

私自身が

「人生」というものを

 

もっともっと

探究したいんだ。

 

つづく

 

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