ずっと反対し続けた

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いつもあまりに

当たり前のように

やっていること

 

だからこそ

 

気づかない

ことがある。

 

今日、私は

一つ気づいたこと

がある。

 

人生、

半世紀以上過ぎて

初めて気づいた。

 

私は

自分の心の中で

いつも

ディベートを

し続けてきた。

 

ということを。

 

人生にとって

大事なこととか

そうじゃないこととか

関係なく、

私の中には

必ず

反対者が生まれる。

 

自分の意見に

異を唱える自分だ。

 

その自分は

自分のしようとする

判断に、

ずっと評論家的な

突っ込みを

入れ続ける。

 

ある重要テーマに

ついては

下手をすると

一日中、

もしくは何日も、

やり続けているかも

しれない。

 

これ、

めっちゃ疲れる。

 

時にはその

反対者は

自分をボロクソに

責め落とす。

 

しかし

それでもその

反対意見に

私はさらに

反論を続け、

 

ある一定以上に

それが続くと、

 

自分の中に

言いようの知れぬ

納得感と

完了感が

生まれる。

 

すると私は

水を得た魚のように

その判断を

行動に移す。

 

・・・ということを

私は人生で

ずっとやり続けていた

ようだ。

 

恐らく、

幼少の頃から。

 

でもこれ、

納得は得られるが、

本当に疲れる。

 

下手をすると

自分の中の

ディベートにエネルギーを

取られ、

 

肝心の

目の前の現実が

疎かになることも

多かった。

 

私の人生の失敗の

多くは、

ここに原因があった

ようにも思う。

 

だから私は

いつしか、

 

もっと楽に

ディベートはできないか?

 

もっと楽に

自問自答は

できないか?

 

もっと早く

納得の答えは

見つけられないか?

 

ということも

知らず知らずのうちに

探究し続けたのだと

思う。

 

恐らく、

その過程の中で

発見したのが、

「真本音」

という存在であり、

 

「セルフコーチング」

の各種手法だ。

 

最近私は、

セルフコーチングの

ことを

 

『直観型自問自答』

 

と呼んでいる。

 

自分の直観を

(確信の答えを)

いかに早く

掘り起こすか?

 

いかに楽に

掘り起こすか?

 

こそが

セルフコーチングの

肝だと思うからだ。

 

この手法は、

自己内ディベートで

苦労し尽くした

私だからこそ

生み出せたものかも

知れないな、と

 

今日、ふと

気づいたんだ。

 

であればやっぱり

もっと本格的に

世の中にご紹介した方が

良いのかな、とね。

 

つづく

 

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