せっかく意味があるのに

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私はここで

何をする?

 

・・・この問いと

常に向き合い続ける

人は

 

誠実だ。

 

自分自身の存在意義

とは

自分で見つけるものだ。

 

見つけようと

するものだ。

 

それを放棄する

その瞬間から、

私達の中には

「虚無」が

発生する。

 

しかし本当は

「虚無」などというものは

ない。

 

「虚無」という

概念と感覚を

私達は勝手に

創り出しているだけだ。

 

にも関わらず、

私達は心の中に

多かれ少なかれ

「虚無」を持ちながら

生きている。

 

そしてそれを

極度に恐れる。

 

蓋をするから

余計に怖くなる。

 

蓋を開けられなく

なり、

「虚無」から目を

背け続け、

誤魔化しながら

生きるようになる。

 

誤魔化しの人生の

多くは、

ここから始まる。

 

私の仕事とは

人々の中の「虚無」と

向き合い続ける仕事

だとも言える。

 

当然、私の中にも

「虚無」は生まれる。

 

しかし私は

あっ、生まれたな

敏感に自覚できるから

幸いだ。

 

自覚できたら

すぐに向き合う。

 

向き合えば

その「虚無」が

どこでどのように生まれたか

がわかる。

 

わかれば

対応できる。

 

やはり多くの場合は

自分自身に

問題がある。

 

私はここで

何をする?

 

から逃げてしまって

いる時が多い。

 

私だけでなく

みんなも日々、

「虚無」を創り出す。

 

だから思う。

 

もっとこの問いと

真摯に向き合うこと。

 

答えがわからなくとも

真摯に向き合うこと。

 

それこそが

人生と真摯に向き合う

基本ではないか、と。

 

私達は

何らかの環境の中に

生きている。

 

今、いる環境とは

必ず縁が

ある。

 

縁とは意味である。

 

意味があって

必ずここにいる。

 

中途半端な意味を

無理に見出す

必要はない。

 

しかし、

 

私はここで

何をする?

 

という問い自体を

本当に

大切にし続けたい。

 

ひょっとすると

それだけで

人生は変わるかも

しれない。

 

つづく

 

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