怒り
という感情が
出る時、
その怒りに
呑まれてしまうことから
逃げよう逃げよう
と
するよりも、
その怒りと
じっと
向き合うといい。
怒り、だけに
それは
とても騒がしいかも
しれない。
暴れている
かもしれない。
それは
そのままでいい。
ただ、
じっと
見つめる。
すると、
いつか
わかるはずだ。
それが本当に
ただ騒がしいだけの
怒りか、
それとも本当は
とても静かに燃える
怒りなのか。
実は
本当に強いのは
後者だ。
静かに燃え続ける
怒りは
基本的には
消えることがない
からだ。
静かに燃え続ける
怒りには
芯がある。
真がある。
つまり、
ちゃんとした理由が
あり、
その「理由」は
自分自身の「願い」に
関わっているものだ。
だからその怒りに
向き合うことで
私達は
自分が何に
怒っているか?
を知るのと
同時に、
自分は何を
願っているか?
を
知ることができる。
しかもその「願い」は
変わらずに
燃え続けているもの。
真本音の
願いだ。
真本音の願い
という芯のもとで
静かに燃え続ける
怒り。
それを私は
「真本音の怒り」
と呼んでいる。
それは
とてつもなく
エネルギーが高く、
とてつもなく
強い怒り。
しかしそれは
自分自身への
「合図」であり、
自分自身を
「導く」ために
ある。
だから、
真本音の怒りが
生まれたら、
私はその怒りに
身を任すことに
している。
あえて
意図的に
呑まれてみる
のだ。
それにより
「現実」
に突破口を見出す
一点を
創り出すことが
できるかも
しれない。
つづく