願い

真の怒り

 

怒り

という感情が

出る時、

 

その怒りに

呑まれてしまうことから

逃げよう逃げよう

するよりも、

 

その怒りと

じっと

向き合うといい。

 

怒り、だけに

それは

とても騒がしいかも

しれない。

 

暴れている

かもしれない。

 

それは

そのままでいい。

 

ただ、

 

じっと

見つめる。

 

すると、

いつか

わかるはずだ。

 

それが本当に

ただ騒がしいだけの

怒りか、

 

それとも本当は

とても静かに燃える

怒りなのか。

 

実は

本当に強いのは

後者だ。

 

静かに燃え続ける

怒りは

基本的には

消えることがない

からだ。

 

静かに燃え続ける

怒りには

芯がある。

 

真がある。

 

つまり、

ちゃんとした理由が

あり、

 

その「理由」は

自分自身の「願い」に

関わっているものだ。

 

だからその怒りに

向き合うことで

私達は

 

自分が何に

怒っているか?

 

を知るのと

同時に、

 

自分は何を

願っているか?

 

知ることができる。

 

しかもその「願い」は

変わらずに

燃え続けているもの。

 

真本音の

願いだ。

 

真本音の願い

という芯のもとで

静かに燃え続ける

怒り。

 

それを私は

「真本音の怒り」

と呼んでいる。

 

それは

とてつもなく

エネルギーが高く、

 

とてつもなく

強い怒り。

 

しかしそれは

自分自身への

「合図」であり、

 

自分自身を

「導く」ために

ある。

 

だから、

真本音の怒りが

生まれたら、

 

私はその怒りに

身を任すことに

している。

 

あえて

意図的に

呑まれてみる

のだ。

 

それにより

「現実」

に突破口を見出す

 

一点を

 

創り出すことが

できるかも

しれない。

 

つづく

 

揺るがぬ願いがある

 

人には皆、

揺るがぬ願い

がある。

 

それは

いかなる人生に

なろうとも、

 

いかなる現実が

来ようとも、

 

自分がいかなる状態に

なろうとも、

 

決して

変わることはない。

 

その願いに

意識を向けるだけで、

私達は

言いようのない

精神の安定を得る。

 

願いとは

叶えるものだが、

それは

叶えるとか、叶えないとか、

そういったものさえ

超越している。

 

その願いを持つこと

そのものが

その人の存在の意義

と意味

とさえ言える。

 

そういったものを

私達は心の中心に

持っている。

 

人にとっての幸せは

千差万別だ。

 

その人には

その人なりの幸せが

あるだろう。

 

ただ、一つ言えるのは、

 

自分自身のその

揺るがぬ願いに

一歩ずつでも向かう

毎日なのかどうか?

 

・・・によって

その人が感じる日々の

幸せの深さが

まったく違ってくる。

 

どれだけ

欲しいものを得たとしても、

自分が自分の願いに

向かっていなければ、

その人は

内側から常に

濃いストレスが発生し続ける。

 

何を得ても

真の満足を得られることは

ない。

 

極端な言い回しかも

しれないが、

しかしここは

断言できるところだ。

 

様々なことが起こる

今の社会において、

今の地球において、

唯一、

自分の指針となり

自分の原点となり

自分の帰る場所となるのは

 

その

揺るがぬ願い

ではないか。

 

つづく

 

本来のビジネスへ

 

ある若い経営者の

コーチングを

している。

 

彼は本当に

ビジネスの力が

あり、

次々に成果を

上げている。

 

ビジネスが

好きなんだ。

 

事業を始めたり、

事業を変革したり、

事業を通じた影響力を

一気に高めたり。

 

側から観ていると

自由自在だ。

 

そんな彼が

「これまでの自分の

延長線上にはない

ビジネス展開をしたい」

言い出した。

 

そこから一気に

コーチングの次元が

変わった。

 

しかし実は私は、

彼からコーチングの依頼を

受けたその時から、

彼が、こうなることが

ありありと

わかっていた。

 

だってその時は、

本来の彼じゃなかった

から。

 

ビジネスの力が

あるだけで。

 

その力だけで

ビジネスをしていた

だけで。

 

そこにはまだ

本来の「願い」と

繋がったものは

なかった。

 

でもいずれ

つながる時が

来るだろう、と。

 

それだけ彼の

まるで赤ん坊のような

「素直さ」を

強く感じ取っていたから。

 

で、

次元の変わったコーチングで、

私は彼に

問うてみた。

 

あなたは一体

何者ですか?

 

何のための

人生ですか?

 

何のための

ビジネスですか?

 

と。

結構ダイレクトな

質問だね。

 

すると

即座に返ってきた。

 

「子供たちの

ためです」

と。

 

「今の子供たち、

そして未来の子供たちの

ために、

ちゃんとした社会を

受け継いでいきたいんです。

だから

子供たちがワクワク

するような社会にしたい」

 

とニッコリ。

 

その笑顔がまるで

本当に

子供のよう。

 

あ〜こりゃいかん。

 

彼に惚れ込んで

しまう。

 

と思った。

 

彼の本来の

ビジネス人生が

始まる。

 

・・・こんな若い経営者が

今、増えている。

 

楽しい時代に

なりそうだ。

 

つづく

 

確認してみてほしい

 

「願い」

を口に出して

みてほしい。

 

できれば、

「人生の願い」

がいい。

 

私の人生は

これを実現するために

ある。

 

・・・くらいのものが

いい。

 

わからなければ、

わかる範囲での

自分自身の最も長期的な

願いがいい。

 

もちろんそれは

抽象的でもいい。

具体的でもいい。

 

大切なのは

「これは私の願いだ」

と思える願いで

あることだ。

 

・・・・・・

 

「願い」を口に出す

ときは、

大きな声は

出さなくいい。

 

小さな声でよいから

実際に口に出し、

それを自分の耳で

聴いてほしい。

 

それをした時に、

どれだけそれが

自然に聴こえるか?

 

どれだけそれを

自然に口ずさむことが

できるか?

 

を確認して

ほしい。

 

その願いと自分は

溶け合っているだろうか?

 

その願いと自分は

「一つ」だろうか?

 

その願いは本当に

自分のものだろうか?

 

そんなところを

確認してみてほしい。

 

そしてもし

少しでも

違和感があれば、

 

その「願い」を一度、

手放してほしいんだ。

 

その「願い」を、

なかったことに

してほしいんだ。

 

その状態でしばらく、

日々を過ごしてみて

ほしいんだ。

 

・・・・・・

 

なぜこんなことを

するかって?

 

そりゃもちろん、

あなたが

次のステージに

進むためだよ。

 

つづく

 

願いを叶えたければ

 

人には

願いがある。

 

その願いが

強ければ強いほど、

 

それを

遮るものも

強くなる。

 

遮るものを

取り除くためには、

 

遮るものを

あるがままに

見つめなければ

ならない。

 

それができて

初めて、

 

願いに向かう

自分

 

としての

覚悟ができる。

 

願いに

向かってもいいよ

 

・・・と

自分に対して

OKが出る。

 

願いとは、

それだけを

見れば、

気持ちの良い

ものだ。

 

願いを語ったり、

理念を語ったり、

 

それらは

気持ちの良い

行為だ。

 

しかし、

本当にその願いや

理念に向かうには

 

尋常ではない

覚悟が

必要だ。

 

生きる覚悟。

 

それは、

自分自身と

向き合う覚悟でも

ある。

 

気持ちの良い

部分のみを見つめ、

気持ちの良い

部分のみを認める

のでは、

 

何も

進まない。

 

それが

人生というものだ。

 

しかし

だからと言って

悲観する

ことはない。

 

そういった

プロセスも含め

すべて

私達は

 

一つ一つ

一歩一歩

 

何をすれば良いか?

知っている。

 

自分自身の

真本音が

すべてを

知っている。

 

だから

その通りに

行けばいい。

 

覚悟とは

結果だ。

 

真本音で

進むことにより

自然に育まれる

 

結果だ。

 

つづく

 

静かに、大切に

 

込み上げて

来るものを、

 

静かに

今は

受け取ろう。

 

そのエネルギーの

高さに

呑まれることなく、

 

静かに

それを

受け取ろう。

 

それは

今ここで

発散するための

力ではない。

 

あなたの中心に

これから

ずっと

抱き続けるものだ。

 

それは今はまだ、

言葉にはならない

ものかもしれない。

 

しかし

あなたがそれを

大切にする限り、

 

それは

育まれ続ける。

 

その結果として、

最も必然的なタイミングに

明確な意志(意思)として

あなたの

顕在している心に

 

急浮上

するだろう。

 

そしてそれは

すぐに

言葉というカタチとなり、

 

あなたの

周りの人達、

 

周りの世界に、

 

瞬時にして

伝播するだろう。

 

その時まで

大事に

そこに抱き続けよう。

 

それが

真の「願い」

というやつさ。

 

つづく

 

賑やかで静かな公園

 

今日は午前中で

仕事が終わったので、

午後から

6歳の息子と

お出かけをした。

 

息子も私と同じく

電車が好きで、

しかも公園も好きなので、

時々、二人で

ぶらりと適当に

電車に乗りながら、

新たな公園探しを

している。

 

今日も

初めて行く公園で

とても良いところを

見つけた。

 

たくさんの遊具があり、

自然もあり、

電車も見えた。

 

何よりも、

多くの親子が集まり、

皆、とても楽しそう。

 

今日は晴れて

適度な気温で、

空気も心地よく、

 

私は、

公園の風景の

一つとなった。

 

遊具で遊ぶ息子を

遠巻きに眺めながら、

私はその世界全体を

味わった。

 

トツ、トツ、トツ、・・・

とした

時間の刻み。

 

時間は

着実に

一秒一秒

流れて行く。

 

それと共に、

世の中そのものも

少しずつ

進み続けているな、

静かに実感。

 

私が勝手に

「真本音の時代」と

呼んでいる

時代に入れたのは、

約6年前だ。

 

この6年間、

本当に様々なことが

あり、

随分と悩みながら

ここまできたが、

 

大きな6年だったな

 

自然に思えた。

 

実在のレベルで

言えば、

この6年間で

雲泥の差

と言っても良いくらいの

変化があった。

 

それが今、

徐々にではあるが

ようやく

現象化を始めている。

 

真本音で生きる

人達の想いが、

そのまま素直に

現象化(現実化)する

度合いは、

 

ここにきてまた

急上昇している。

 

たまにはこうやって

のんびりするのも

いいな、と思いながら、

 

私はこの

6年間を

静かに噛み締めた。

 

そして

次の6年に

想いを馳せる。

 

すると、

ふと、

 

そこにいる大勢の

子ども達の「願い」が

一つの塊となった

気がした。

 

それは

言葉にはならない

ものだったが、

 

まるで

清々しい秋風の

ように

 

私の心の中を

吹き抜けた。

 

この子達が

願いを叶えられる

世の中に

する。

その土壌を

ちゃんと創る。

 

そのために

力を尽くそう。

 

改めて

穏やかに

誓ったよ。

 

つづく

 

願いとは、未来を良くするためのもの?

 

私達はどうしても、

 

・目の前にある「現実」

 

 

・自分の中にある「願い」

 

 

分離して

捉えてしまいがちだ。

 

「願い」は願い。

「現実」は現実。

 

「願い」と「現実」には

当然

ギャップがあるわけで、

 

そのギャップが

いやだ、

と感じるし、

ギャップがあるからこそ、

 

まぁ所詮、

「願い」なんて叶うわけ

ないし、

どこかでついつい

思ってしまう。

 

ギャップを埋めることが

生きがいだ!

前向きに考えることの

できる人もいるが、

残念ながら

稀だ。

 

だから人によっては

「願い」を持つこと

自体が

意味がない、

ともなる。

 

そこまでいかなくとも、

 

「願い」は願い。

「現実」は現実。

 

所詮それらは

別々のものだ、

 

となりやすい。

 

そして

「願い」とは分離された

「現実」に向かう。

 

「現実」のための

「現実」に向かう。

 

それはそれで

大事なんだけどね。

 

・・・・・・

 

コーチングの醍醐味

の一つは、

 

「願いと現実をつなぐ」

 

ところにあると

私は思っている。

 

しかもこれは

「ギャップを埋める」

という

意味ではない。

 

将来、「願い」を実現しよう、

という意味ではない。

(もちろん、それはそれで

大事だが。)

 

今、ここで、

 

そう、

今、この瞬間に

 

「願いと現実をつなぐ」

 

のだ。

 

もっと言えば、

 

「願いと現実を

つなぎ続ける」

 

のだし、

ちょっと言葉を換えれば、

 

「今この瞬間の現実に

願いを込める」

 

ともなる。

 

「願い」とは

「願い」であること自体が

素晴らしいし、

意味がある。

 

もちろんその「願い」を

叶えることができれば

尚、素晴らしいが、

 

叶っても叶わなくても

人は

「願い」を持っていること

自体で

エネルギーが湧く

生き物であり、

 

「願い」を持っていること

自体で

幸せになるし

満たされる生き物だ。

 

ただしそこには

一つ重要な条件があって、

 

「願い」であれば

何でもいい、

というわけではない。

 

一言で言えば、

 

「真本音の願い」

 

であることが重要だ。

 

しかも

「真本音の願い」

とは、

私達が新たに創り出す

ものではない。

 

もともと

私達の心の中心に、

(魂に、と言ってもいい)

最初から

あり続けるものだ。

 

それを見つけ、

それを常に自覚し、

 

今この瞬間に

 

大切にし続けること。

 

常に「願い」を

思い出し続けながら、

「現実」に向かうこと。

 

これができると、

その人は

本来の魅力を

パァーーーッと

発揮するようになるし、

 

先天的な能力も

開花し始めるし、

 

先ほども書いた通り

常に

「満たされた状態」

になれる。

 

この状態にまで

サポートするのが

コーチングの

「第一段階」

だ。

 

だから私は

この仕事が大好きだし、

 

でも本当は

コーチングなんぞなくても

みんなが自然に

その状態になれる

社会にしたいな、

 

願うのである。

 

つづく

 

自分をコントロールできないとき

 

自分をコントロールできない

とき、

その原因は2種類ある。

 

一つは、

自分自身のエネルギーが

枯渇している場合。

 

もう一つは、

その逆で

エネルギーが高まり過ぎて

制御できていない場合。

 

・・・だ。

 

今、

後者の状態にある人が

増えている。

 

しかし面白いことに

本人は

前者だと思い込んで

いたりする。

 

もちろん

前者と後者では

対応の仕方はまったく

異なる。

 

前者だと思い込めば、

上手な対応ができず、

余計に

コントロールが利かなくなる。

 

・・・・・・

 

エネルギーが一気に

高まる原因は

 

真本音度合いが高まる

 

ところにある。

 

ところがあまりに

一気に高まり過ぎて

自分の制御力を超えてしまう。

 

実は私のクライアントさんに

多いケースだ。

 

その場合、

まずは最もシンプルな

対応の仕方をしてもらう。

 

それは何かと言うと、

 

「エネルギーの源を

自覚すること」

 

だ。

 

自分の体の中全体に

意識を向け、

自分の中の

「とてつもなく明るい部分」

まずは見つけてもらう。

 

例えば、

胸の中心がとても

明るい気がする、

わかった場合、

恐らくそこが

「エネルギーの源」だ。

 

場所がわかれば、

今度はそこに意識を

向ける。

 

場合によっては、

その明るいエネルギーの

中に

自分自身が入り込んで

しまってもいい。

 

エネルギーの源の中を

探検するような感じだ。

 

あまりに明る過ぎて

怖い、

と思われるかもしれないが、

 

いやいや、それ

あなた自身だから。

 

自分自身の内側から

発しているエネルギーだから

大丈夫。

 

思い切って

その中を探検してみよう。

 

エネルギーの光の中に

入っていくイメージで

その光の中心に

向かっていこう。

 

ここが中心かな、

と思える場所に着いたら、

さらにその

中心に入って行こう。

 

中心の中心の

またその中心に

ずっと入り込んで行く感じ。

 

すると

「もうここが本当の

中心だ」

と思える場所に

たどり着くだろう。

 

そこまで来たら

あとはその場で

じっとしていよう。

 

じっとしながら

そこに存在している

「自分自身の声」

を聴こう。

 

場合によっては

「このエネルギーは

私自身のどんな願いから

生まれている?」

問うてみてもいい。

 

そこでじっとしていると

自然にわかるはずだ。

 

あぁそうか、

このエネルギーの源は

〜〜という私の願い

だ、と。

 

人は

真本音度合いが高まる

ことで、

真本音レベルの願いが

浮上し始める。

 

それがある一定以上に

浮上すれば、

そこから強烈な

エネルギーが発せられる

ようになる。

 

エネルギーの源には

必ず、

「願い」があるのだ。

 

その「願い」を

自覚することで、

エネルギーの意味が

わかる。

 

と同時に、

「これは私のエネルギーだ」

合点がいく。

 

合点がいくことで

私達は、

「普通」になるのだ。

 

つまり、

「このエネルギーがあるのは

当たり前のことだ」

と思えるようになる。

 

するとその瞬間から

コントロールが利く

ようになる。

 

なぜならそのエネルギーを

どのように活用すればよいか?

自分自身が最初から

一番よくわかっているからだ。

 

・・・・・・

 

多くの場合、

人は

自分自身をしっかりと

理解することで

 

自分をコントロール

できるようになる。

 

自分を制御できない人は

理解が足りていない

だけだ、

 

と言っても

言い過ぎではない。

 

「自分」

とは、

恐ろしいものではない。

 

「自分」

とはどんな存在なのか?

 

を楽しくいつも

探検しよう。

 

つづく

 

意図通りにいかねーなぁ

 

本当にやろうと

思っているのに

できないこと。

 

本当は

やろうとしていないのに

どんどん進んで

しまうこと。

 

本当は

どっちでもいいのに

決断を迫られること。

 

本当は

こっちがいい!と

思っているのに

その逆の展開ばかり

起こること。

 

・・・人生は

自分の意図通りに

進まないことばかりだ。

 

それを

意図に即して進むように

するにはどうすれば良いか?

 

ということを

皆、

考え過ぎではないか。

 

これは私の意見だが、

 

ここは

諦めた方がよい。

 

・・・・・・

 

面白いことに

ここを諦めると、

 

次々に想定外の調和が

起きてくる。

 

まったく意図通りに

物事が進まないのに、

 

自分の想定以上の

結果が出たりする。

 

自分の想像もしていなかった

素敵な展開が

起きたり。

 

そして気がつくと、

当初自分が

願っていたことは

いつの間にか

実現されている。

 

もちろんそれは

真本音の願いに

限ってのことだが。

 

・・・・・・

 

私達は

「上手くいかない」

思い過ぎだ。

 

かと言って

「なんだかんだと

上手くいっている」

無理に自分を納得させる

必要もない。

 

・上手くいく

・上手くいかない

 

という次元に

いなければいい。

 

上手くいっても

いかなくても、

それらを楽しもうと

すればいい。

 

と私は思う。

 

実は、

 

こういう面で言えば、

私の日々は、

上手くいかない

ことばかりだ。

 

ほぼ、

自分の意図や

思惑通りに

進まない。

 

とは言え、

頭の中では

「こうなるといいな」

という思惑は

いつも生まれる。

 

でも、

その通りにいった

ためしがない。

 

「ほらやっぱり

思惑通りには

いかないよな」

 

と、

事実を目の前にしながら

私はいつも

内心、苦笑いしている。

 

が、それも含めて

すべてを

楽しむことにしている。

 

委ねることに

している。

 

・・・・・・

 

ただし。

 

かといって

思惑や意図を考えることを

やめる

こともしない。

 

私は仕事の準備は

とてもしっかりとする。

 

コーチングも研修も

イメージングを

しっかりする。

 

その努力は決して

怠ってはならないし、

それをしない人が

「上手くいかない」と

嘆いていても、

 

そりゃそうだろ、

と思う。

 

意図通りに

いかないことが

わかっていても、

しっかりと自分の意図を

顕在化するのだ。

 

それをすると、

意図通りいかないこと

自体を

楽しめるようになる。

 

そして、

自分の意図を超えた

素敵な展開を

目の当たりに

できる。

 

そしていつも

純粋に思えるのだ。

 

人生ってのは

すげーなぁ。

 

人間ってのは

すげーなぁ。

 

ってね。

 

つづく

 

これをしなければ先に進めない

 

どれだけ力を

尽くしても、

届かないものは

ある。

 

どれだけ自分を

生きようとしても

見えないものは

ある。

 

自分の中で

「こうありたい」と

抱く理想を

 

その通りに

実践、実現できる

ようには

この世はできていない。

 

何の試行錯誤や

努力もなしに、

「成功」し続けるようには

この世はできていない。

 

この世を

そのようにしたのは、

別に神様でも何でもない。

 

私達自身だ。

 

私達の真本音だ。

 

追えば追うほど

わからなくなる。

 

求めれば求めるほど

遠のいてしまう。

 

その葛藤や

迷いや苛立ちや

自暴自棄。

 

それらを

私達は

一つ一つ丁寧に

「超えていく」

ことを

実は最も望んでいる。

 

なぜなら

それは「進化」への

最短の道だから。

 

しかし、

 

だから人生は

辛い。

 

・・・と言うつもりは

ない。

 

実は、

 

思い通りに

ならないところに

道を創っていくことは

 

さほど

難しいことではない。

 

答えはちゃんと

私達の中に

あるのだし。

 

私の表現で言えば、

自らの真本音に

素直に生きればいい。

 

そうすれば、

必要な試行錯誤を

必要なだけして、

 

必要なプロセスを

経て、

 

ちゃんと

願いや祈りは

叶っていく。

 

真本音で生きれば、

真本音の願いと

祈りは

 

淡々と

叶っていく。

 

真本音で生きなければ、

真本音の願いは

いつまで経っても

わからないし、

 

当然、

真本音ではない

願いを目指しても

それは

叶わない。

 

自分が本当に

目指しているものは

何か?

 

それをするために

今、

何をすれば良いか?

 

その単純な

答えは、

真本音に素直に

生きることで

 

実は

本当に簡単に

淡々と

観えてくる

ようにできている。

 

しかし

その状態に行くまでが

大変で、

 

その過程で

私達は

大概、

自暴自棄になる。

 

何をやっても

上手く行かない。

 

全然

想い通りに

ならない。

 

・・・であれば、

自分自身が

真本音では

ないのだ。

 

自分の「生き方」に

何か

圧倒的な

「間違い」

があるのだ。

 

もちろんその

「間違い」とは、

世間一般から見た

「間違い」ということではなく、

 

自分の中で

「間違い」と決めている

間違いだ。

 

「その生き方は

違うよ」

 

「そっちでは

ないよ」

 

ということを

自らにメッセージしている

ということだ。

 

そして

その「間違い」の

多くは、

皆、ほぼ共通している。

 

次の問いを

自分に投げて

みよう。

 

「私は今、

目の前にある

すべての現実に

真摯に

向き合っているだろうか?」

 

「私は今、

目の前にある

すべての現実を

真摯に

見つめているだろうか?」

 

「私は今、

目の前にある

すべての現実に

真摯に

魂を込めて向かって

いるだろうか?」

 

上手くいくこと。

いかないこと。

 

好きなこと。

嫌いなこと。

 

やりたいこと。

やりたくないこと。

 

そのすべての

「現実」に

ちゃんと向かい合って

いるかどうか?

 

まずこれが

できないうちは、

 

真本音は

遠のいてしまう。

 

という単純な

理由がある。

 

それができていない自分を

私達は「間違っている」と

認識する。

真本音では。

 

だから、

 

まず、

それをしなさい。

 

できるかどうか

ではなく、

「しよう」と

しなさい。

 

自分の道で悩む

のは、

その次の段階だな。

 

つづく

 

願いか? 惰性か?

 

あなたは今、

丘の上に立っている。

 

かなり

高い丘だ。

 

見晴らしがいい。

 

そこから見渡せば、

自然も都市も

様々なものが

目に飛び込んでくる。

 

・・・そんなイメージを

してみてほしい。

 

すると、

 

あなたは

どんな丘に立っている

だろうか?

 

季節は?

 

時刻は?

 

天気は?

 

空気は?

 

音は?

 

そして、あなたは

何を見渡して

いるだろうか?

 

それを見ながら、

何を感じているだろうか?

 

あなたの中には

どんな心の声が浮かび、

 

そして

どんな願いが

その奥に

潜んでいるだろうか?

 

・・・・・・

 

私達には

願いがある。

 

願いがあるから

ここに

存在している。

 

人生を生きる

とは、

その願いを見つけ、

その願いに向かうこと、

だ。

 

それにより

願いはさらに

進化する。

 

願いの進化こそが

自分の進化だ。

 

人の進化だ。

 

迷ったら、

願いに戻れば

いい。

 

願いがまだよく

わからなかったとしても、

 

願いに戻ろう

 

という意志を

持つだけでいい。

 

いや、

違うな。

 

迷わなくても

毎日それを

するといい。

 

よくよく考えたら

私は毎日、

 

いや、

 

毎時、毎分、毎秒、

それを

し続けているかも

しれない。

 

だから

人生が満たされるものに

なったのだな、

今、気づいたな。

 

・・・・・・

 

あなたは

何だ?

 

あなたは

願いだ。

 

あなたの

願いは何だ?

 

それが

あなただ。

 

私達は皆、

願いなんだ。

 

願いが

現実化したものが

人間だ。

 

その本質を

忘れては

ならない、

何があっても。

 

時代は

変わった。

 

願いなしでも

ごまかしながらでも

何となく生きていける

時代はもう

終わった。

 

願いにフタをすることで

発生する空虚感。

 

それをモロに

感じる時代になった。

 

惰性で生きていける

時代は

終わったんだ。

 

だから我々は

これからは

これまで以上に

迷うだろう。

 

答えのない迷路に

入り込むことも

頻繁にあるだろう。

 

人生においても

社会的に見ても。

 

だからこそ

願いに戻ろう。

 

願いに戻って

「今」

に向かおう。

 

これがやはり

基本であり、

 

その基本が

あまりにも重要になるのが

これからの毎日だ。

 

一日、一日、・・・

 

時間は着実に

過ぎていく。

 

願いとして

生きるか、

惰性で

生きるか、

 

すべては

自分自身に

かかっている。

 

つづく

 

その躊躇を取るといい

 

道は目の前に

まっすぐ

伸びているのに、

 

先の方が

明る過ぎて

まるで見えない。

 

見えないのだが、

そこには

明る過ぎるほど

明るい未来が

待っている

のはわかる。

 

でも、

見えない。

 

見えないことによる

不安は

もちろんあるけれど、

 

見えないことが

また

面白く

刺激的だ。

 

見えても

見えなくても

この道を

進んで行くことに

変わりはない。

 

最大速で

進んで行くのだろう。

 

でも

見えない。笑

 

見えないけど

面白そう。

 

・・・こんな感じ。

 

真本音の道を

最大速で進むことを

覚悟した人なら

誰もが実感する

この感覚。

 

ひょっとすると

これこそが

人生の最高の醍醐味

の一つ

なのかもしれない。

 

この感覚までは

まだわからないけど、

この感覚に

もうすぐ達するだろうな、

という人が

 

今、

急増中。

 

いいことだなぁ。

 

そんな時代が

来たんだなぁ。

 

としみじみ。

 

・・・・・・

 

「最大速」

と言うと

大変なことにように

思われるが、

 

実は「最大速」こそが

「経済速度」

だ。

人にとっては。

 

最も楽に進めるし

最も燃費がいい。

 

なぜなら

内側から常に

エネルギーが

湧き続ける状態と

なるからだ。

 

外からエネルギーを

もらう必要が

なくなる。

 

でも面白いことに

内側からエネルギー

溢れるのに、

外からも

大量のエネルギーを

いただけるように

なる。

 

たくさんの人達から

心地良いエネルギーが

押し寄せてくる

のだ。

 

だから、

内からも外からも

満たされる。

 

満たされるから

幸せだし、

エネルギーは

高まっても高まっても

限界はなく、

無限に

幸せ度合いは

上昇する。

 

しかも

もうとっくの昔に

満たされているから、

そのエネルギーを

さらに

他者にプレゼントすることも

できる。

 

それをすることで、

さらに他者から

エネルギーが

返ってくる。

 

そんな人生。

 

とても良いと

思わない?

 

・・・・・・

 

さぁ、

始めようではないか。

 

そんな

人生を。

 

これまで

躊躇して始められなかった

人も、

 

そろそろ

良いのではないか。

 

世の中は

ずっと何も変わらずに

いるように

思うかもしれない。

 

しかし

見えないところで

世の中は

変転した。

 

この変転は

ここからも続く。

 

私の言うところの

「実在レベル」で

ということになるが。

 

実在レベルで

変転すれば、

それは時間差を経て

必ず現象化(現実化)

されてくる。

 

今はその

時間差も

みるみる減っている。

 

だからもう

始めようでは

ないか。

 

自分の

本当の願いに

向かって

 

堂々と

生きてみよう。

 

最初から大きな

歩みをしなくても

いい。

 

ほんの些細な

一歩でもいい。

 

でもその一歩は

自分の中の

大いなる願いに

基づくもので

あるといい。

 

時は来た。

 

・・・なんて言うと

ちょっと格好良過ぎ

かもしれないが、

 

でも本当に

時は来たのでは

ないか。

 

その躊躇を

取るといい。

 

さぁ、始めよう

ではないか。

 

つづく

 

これは大きなチャンスだな

 

時の流れに

もし

断絶というものが

あるならば、

 

次の大きな断絶は

もうすぐ

訪れるだろう。

 

いや、別に

恐ろしいことでは

ない。

 

これまでも

何度もあったことだ。

 

もちろん私達の多くは

それに

気づかずに来た。

 

次に来る断絶も

ほとんどの人が

気づかないだろう。

 

日常が変わる

わけではない。

 

世の中が大きく

変わるわけでは

ない。

 

しかし、

断絶、とは

一度、すべてが

リセットされ、

 

次の一瞬で

すべてが甦るような

ものだ。

 

気づかずにいれば

何も起きていないのと

同じであるが、

 

もし感性が豊かな

人であれば、

 

ここが

 

かなりのチャンスである

ことがわかるだろう。

 

・・・・・・

 

私達人間は皆、

思い込み

の集積で生きている。

 

思い込みが

次の現実を

創る。

 

もちろんそれを

なくすことは

必要のないことだし、

 

第一、無理だろう。

 

しかし、

それが

真本音の望む思い込みか

どうか?

私達の人生にとっては

とても重要だ。

 

どうせ思い込むなら、

自分が本当に

望む方向の

思い込みで

生きてみたいのでは

ないかな。

 

自分の本来の道を

阻害する思い込み

後押しをしてくれる

思い込み。

 

どちらを選ぶかと

言えば、

大概の人は後者だと

思う。

 

「断絶」は

自分の中の

自分の道を阻害する

思い込みを

手放すチャンスだ。

 

・・・・・・

 

とは言え、

ここではその

「手放し方」を書こうと

しているのではない。

 

なぜなら

顕在意識のレベルで

それをする方法は

ないからだ。

 

しかしその「手放し」は、

潜在意識のレベルでは

恐らく

多くの人が行なうだろう。

 

ただしそのためには

条件がある。

 

それは

私の表現を使えば、

 

真本音に素直に

生きていること

 

だ。

 

言い換えれば、

 

自分の本当の願いを

大事に日々、

生きていること

 

だ。

 

これまでコツコツと、

たとえ成果が

出なかったとしても、

ここを大事にして来た人は

今回の「断絶」によって

 

大きな力を

得ることになるだろう。

 

何やら

予言めいた言い方に

なっているが、

 

これは予言ではなく、

空気感だ。

 

「断絶」の空気感が

そこかしこに

漂っている。

 

すでにその影響を

受けている人も

多い。

 

皆、変化を始めている。

 

こういったことを聴けば、

あぁなるほど!

思う人も多いのでは

ないかな。

 

・・・・・・

 

人生は自分探究の

旅でもある。

 

その探究を

真摯にコツコツと

やり続けて来た人は

やはり最後は

強い。

 

ただし

「やり続ける」というのは

考え続ける、という

ことではない。

 

試行錯誤をし続ける、

つまりは

行動をし続ける

ということだ。

 

本当の自分の願いを

自分でしっかりと

見つめ、

それを行動に

起こし続ける。

 

その単純なことを

コツコツと

日々、

 

・・・そう、「日々」だ、

 

やり続ける人は

やはり強い。

 

チャンスを

ものにできる。

 

「断絶」を

チャンスとすることが

できるんだ。

 

つづく

 

やはりコーチが必要だ

 

自分自身のことを

深く憤っている人が

増えている。

 

そのストレスたるや

半端ない。

 

それはある意味、

真本音レベルの

憤りだ。

 

「なぜ私は、

私の望んでいる通りに

動かないのだ」

 

「なぜ私は、

本当はやればできるのに

やろうとしないのだ」

 

「なぜ私は、

本当の想いに目を向けず、

どうでもいいことばかりに

意識を向けるのだ」

 

「なぜ私は、

本当に向き合うべき人から

逃げ続け、

自己満足だけで人と

関わるのだ」

 

「なぜ私は

根拠のない不安ばかりに

意識を向け、

進まない理由に

し続けるのだ」

 

・・・

 

あえて言葉にすれば

そういったことに

なる。

 

一言で言えば、

 

「本来の道に

進もうとしない自分」

 

を、心の底から

憤っている。

 

そのストレスは、

「ストレス」の臨界を

越え、

「エンティティ」という

実体となっている。

 

それは「生き霊」とも

言える念の塊

だ。

 

そういった人と

向き合うと、

エンティティ達が

ワッとこちらに

襲いかかってくる。

 

あまりにひどい場合は、

それは「殺意」の

ようにも感じられる。

 

自分への憤りの

度が過ぎて、

自分自身への殺意に

すらなっているのだ。

 

しかもそのことを

本人(の顕在意識)は

知らない。

 

自覚して

いないのだ。

 

苦しみも

限界を越えると

麻痺するからだ。

 

・・・・・・

 

世の中全体の

真本音度合いは

間違いなく

高まっている。

 

特にこの1〜2年の

上昇率は

これまでになかった

ものだ。

 

だからが故

なのだろう。

 

人々の真本音が

浮上しやすくなった。

 

真本音が浮上する

ということは、

これまで決して

気づかなかった

自分の本当の願いに

気づきやすくなった

ということ。

 

これまでは

願いに向かわなくとも

自分で自分を

ごまかし続ける

ことができた。

 

しかし今はもう、

たとえ無意識で

あろうとも、

何となく皆、

わかっているのだ。

 

自分の本当の

願いを。

 

自分の人生の

願いを。

 

だからこそ、

そこに向かおうとしない

自分自身をもまた

よくわかっている。

 

だからこその

憤りの大きさ

だ。

 

・・・・・・

 

時代は

変わった。

 

私が

「真本音の時代」

と呼んでいる時代には

6年前には

入っていたのだが、

 

ようやく世の中は

その自覚を

し始めている。

 

自分の本当の

願いに向かい

生きる、

のは

人として当たり前の

ことだ。

 

自然な

ことだ。

 

しかしその

当たり前のことを

私達はしてこなかった。

 

その当たり前が

できないのが人生だ、

くらいに

思い込んで生きてきた。

 

その癖と

本当の願いとの

せめぎ合いが

今、だ。

 

ごまかしてきた

ことが

ごまかせなくなる。

 

その傾向は

今後ますます

強まっていくだろう。

 

だから

自分の癖に

執着している場合

ではない。

 

早く、

自分自身に

素直になってほしい。

 

しかしそれは

とても怖い

ことなのだろう。

 

だからこそ

そのサポートをする

人が必要だ。

 

「コーチ」が

必要な時代だ。

 

真本音で生きる

ことを

ちゃんとサポート

できる

「コーチ」が必要だが、

 

今はその数が

あまりにも

少ない。

 

でもその素養を

持った人は

確かに

たくさんいる。

 

特に

若い人達には

多い。

 

もう私も

51歳だ。

 

私が最前線でやり続ける

べきではない。

 

早く私は

多くの若い人達に、

本物の「コーチ」の力を

伝授したい。

 

「伝授」と言うと

おこがましいが、

 

でもあえて

言う。

 

ちゃんと

伝授したい。

 

丁寧に

伝授したい。

 

つづく

 

あなたは本当は揺れてはいない

 

地球という

星の上で、

人と人

国と国が

争っている。

 

しかし

どれだけ争おう

とも、

 

地球そのものは

常に

そこに

存在している。

 

宇宙から観れば、

地球はいつも

変わりなく

ゆったりと回り、

 

いつも同じ軌道を

描き、

宇宙に存在

し続けている。

 

その表面で

何が起ころうと

変わることがない。

 

私達の真本音も

同じような

ものだ。

 

表面上で

どのような葛藤が

起ころうと、

 

どのような

反応が起ころうと、

 

いつも変わらずに

そこに

あり続けている。

 

・・・・・・

 

そして実は、

まったく

変わっていないように

見えても、

 

実在のレベルでは

 

地球は

徐々にではあるが

「進化」を

し続けている。

 

本当に

徐々にでは

あるが。

 

「進化」とは

エネルギーの質が

変わるということだ。

 

波長が

変わるということだ。

 

いつも

変わらずに

揺るがずに

そこにあるが、

 

しかし

波長は変わり

エネルギーとしての

強さも安定度も

さらに

高まっていく。

 

もしくは

それを常に

望んでいる。

 

これも私達の

真本音の

特徴だ。

 

・・・・・・

 

そしてそれが

人間の本質

というものだ。

 

自分自身の

本質

というものだ。

 

その本質を

常に思い出しながら

 

今日

という一日を

過ごすかどうか?

 

によって

人生は

根本的に変わる。

 

本質を

忘れていれば、

 

表面上の

些細な揺れにも

意識を

奪われる。

 

その「揺れ」が

自分自身である

いつの間にか

思い込んでしまう。

 

本当は

地球にいるのに、

そのことを

忘れてしまう。

 

本質を

思い出すからこそ、

私達は

自身の本来の

願いを

思い出すことも

できる。

 

その状態に

なるための

サポートを私は

「コーチング」と

呼んでいる。

 

自身の本質を

思い出せば、

その人の人生は

本質の人生と

なる。

 

そうなることで

「今の会社を

辞めよう」

とか

「今の仕事を

変えよう」

という

短絡的な結果には

ならない。

 

どの環境、

どの仕事においても

自分自身の

本質を

発揮することは

できるからだ。

 

むしろ、

「ここにいては

私は私らしくある

ことはできない」

という発想に

縛られるということは、

 

本質を

思い出していない

証拠だ。

 

「どこにいても

いいじゃないか」

 

と本当に

わかることで

私達は

自由になれる。

 

その状態で

環境を選ぶのであれば、

それは

健全な選び方だ。

 

自由な状態で

環境を選ぶのか?

 

不自由な状態で

環境を選ぶのか?

 

この違いは

あまりに大きい。

 

もちろん

人生に調和を

起こすのは

前者である。

 

そのためには、

自分自身の

地球を、

 

真本音を、

 

思い出すことだ。

 

つづく

 

自分の中心にあるものは・・・

 

もし

自分という人間の

すべての中心が

たった一つの

「祈り」だとしたら、

 

あなたの中心にある

「祈り」とは

何だと思いますか?

 

祈りとは、

言葉で表現すれば

 

「〜〜しますように」

 

ということになります。

 

この「〜〜」の部分に

あなたの場合は

何が入ると思いますか?

 

これ。

 

結構、究極の問いだな、

と思うときが

あります。

 

たくさんの人と

向き合っていますと、

ある時ある瞬間に

その人の「祈り」を

ダイレクトに

感じることがあるのです。

 

しかしそれはもちろん

上記のような言葉として

表現できているわけでは

ありません。

 

それはまるで

エネルギーの塊のような

もので、

 

それがダイレクトに

こちらに向かって

きます。

 

そして、

私自身の祈りに

ダイレクトに突進し、

混ざり合い

融合し合い、

一つになったかと思いきや、

 

すぐに新たな

波のような

渦のような

竜巻のような

すごいエネルギーが

湧き起こり、

それが上昇し

それが私の全身を

包み込み、

私はその渦に巻き込まれながらも

それがとてつもなく

心地よく、

 

その心地よさの中で、

その人への「問い」が

浮かび、

その問いをその人に

投げることで、

その人は突然に

一気に脱皮をする

という、

 

・・・実はこんなことが

よく起こります。

 

祈りと祈りの

共鳴、響鳴。

 

祈りが祈りを

コーチングする。

 

祈りと祈りが

共に何かを創り合う。

 

そんな感覚です。

 

私はよく

「願い」という言葉を

使いますが、

すべての人の「願い」の

中心には

「祈り」があるのではないか、

そんな時はいつも

思うのです。

 

・・・・・・

 

あなたの祈りは

何だと思いますか?

 

それが

中心にある祈りなのかどうか、

は別として、

 

あなたが心の中で

呟くことで、

あなた自身の心が

豊かになる感覚の、

 

そして、

静かにエネルギーが

高まっていく感覚の

祈りの言葉を

見つけることは

かなりオススメです。

 

その祈りを

毎日、いつでもどこでも

呟き続けることで、

私達は

「本来の自分に戻る」

感覚を得ることができます。

 

その感覚で

一つ一つの自分の行動を

していけば、

真本音度合いは

かなり高まるでしょう。

 

日本人は

無宗教な国だと

よく言われますが、

宗教を信じるとか

信じないとか、

そういったこととはまったく

別の次元で、

 

自分の中にある

祈りを

自分自身で大切にすることは

とても

健康的なことであると

私は思います。

 

つづく

 

 

<ご案内>

自分の中心を自ら見つめることが

できる自分になりませんか?

 

自分と向き合う力を

高めましょう。

 

ご興味ありましたら、

以下の無料動画をどうぞ。

↓↓↓

『人生を真剣に生きたいあなたへ』

 

心から応援します

 

あなたの中心にある

その、まるで

祈りのような願いは

 

この1ヶ月で、

とてつもなく

大きく、そして

深くなりましたね。

 

今のこの

一日一日は

とてもとても重要で、

 

今のこの

一日一日を

どう過ごすかによって

この後の

数十年の人生が

決まってしまう

くらいの

インパクトがあります。

 

恐らくあなたは

それを

無意識によく

おわかりなのですね。

 

あなたが

とても

「今この瞬間」を

大切にされていることが

わかります。

 

ですから、

あなたに意識を

向けるだけで、

 

それだけでもう私は

癒される感覚を

得るのです。

 

でも本当は

これこそが

私達人間の

本来の力なのですね。

 

世の中全員の人が

あなたのような

生き方ができれば、

どれだけ素晴らしいだろうと

私は思います。

 

あなたはある意味

とても

無垢です。

 

でもその一方で

人間の暗い部分、

汚い部分も

たくさんご存知です。

 

あなた自身の中にも

そういった部分は

たくさんあるでしょう。

 

でも

そんな自分もすべて

あなたは

その無垢な眼差しで

見つめています。

 

すべてを

許す眼差し。

 

だからこそ

人は癒されるのだと

思います。

 

あなたには

悩みがあります。

 

悩むことに対しては

あなたには

躊躇がありません。

 

落ちるときは

徹底的に

落ちますね。

 

で、

一番底まで落ちたら、

元気いっぱいに

また浮上してきます。

 

悩むことからも

落ちることからも

あなたは

決して逃げようと

しません。

 

生きるということに、

 

人間である

ということに、

 

とても真摯ですね。

 

あなたの

その願いは

何でしょう?

 

その

眩いばかりの

光のもとは

何でしょう?

 

あなたは今まだ、

自分自身の放つ

その光の強さに

戸惑っています。

 

まだまだ

自己コントロール力が

不足しています。

 

光が強ければ

強いほど、

コントロールが

効かなくなるという

矛盾のような状態に

今はありますね。

 

でも、

それもまた

人間。

 

それもまた

人生。

 

コントロールの

効かない自分と

向き合い続けることでしか

見つからないものも

あります。

 

それを今のあなたは

毎日、真剣に

為し続けています。

 

私はあなたを

本当に尊敬し、

本当に心から

応援します。

 

あなたと出会えたこと

そのものが、

私の誇りです。

 

つづく

 

今をかみしめよう

 

私達の人生には、

「今しかできないこと」

があります。

 

過去の自分では

できなかったこと。

 

と同時に、

未来の自分にも

できないこと。

 

つまりは、

今の未熟さがあってこそ

できること。

 

そういったものが

必ずあります。

 

今を大切にする、とは

今しかできないことを

やり切る

ということでもあります。

 

私達は

目指す自分の姿と

今の自分の姿と

見比べて、

「あぁ、まだまだだなぁ」

と落胆します。

 

そういった落胆が

成長意欲を掻き立てて

くれることも

確かにありますが、

 

今の自分は、

今のこの瞬間にしか

存在しないのです。

 

今の自分。

 

この自分。

 

ここにいる自分。

 

・・・だからこそできる

一つの行動。

 

それを一つ一つ

丁寧に

人生に刻みつけて

いきましょう。

 

・・・・・・

 

大変、ありがたい

ことですが、

私よりも若い方達が

 

「たけうちさんみたいな

力を持ちたい」

 

と言いながら、

私から学ぼうと

されています。

 

本当に

ありがたいことです。

 

彼らは、

自分と私(たけうち)の

能力を見比べて

「自分はまだまだ・・・」

と少し落ち込みます。

 

そしてとても真剣に

私に向かってきます。

 

そんな彼らの

真剣さと真摯さと、

彼らの放つエネルギーが

本当に心地よく、

 

あぁ、俺もう、

死んでもいいかな。

 

と思えるくらいに

幸せになります。

(死にはしませんが。)

 

でも、

彼らは、今の私(たけうち)と

自分自身を比べる

のですが、

そりゃ、能力劣っていて

当たり前ですよね。

だって、私は

22、3年もずっとこの仕事

続けてるんですから。

 

今の彼らの年齢の頃の

私は

はっきり言って

今の彼らの足元にも

及びません。

 

ですから私は

純粋に彼らを

尊敬しています。

 

尊敬できる人達に

教えることができる、

という

この悦び。

 

この悦びを

どう表現すれば

よいでしょうか。

 

・・・・・・

 

人一人の人生は

短いです。

 

ですから、

人の意志や願いや祈りは

人から人へと

伝承されていきます。

 

それをすることこそが

私達人間の

根本的欲求の一つ

だと思います。

 

一人の願いが

他の人の願いと共に

絡み合い、融合されながらも

永遠に続いて行く。

 

願いや意志は

目には見えませんが、

ずっと「ここ」に

残ります。

 

そういった自分の

願いに基づいて、

今ここを

大切にしましょう。

 

自分の願いに基づき、

今ここにいる、

今にしかいない

自分が、

今しかできないことを

するのです。

 

それが

人生です。

 

人生の

醍醐味です。

 

今を

かみしめましょう。

 

今は

今にしかありません。

 

今を

かみしめることが

できる人は、

永遠を

かみしめることが

できるのです。

 

つづく

 

チームにも魂が宿ります

 

私は年間契約で

継続的に企業様に

サポートに入るケースが

多いのですが、

 

毎月、その企業様に

通い続け、

皆様の真本音度合いが

高まる中で、

 

ある時ある瞬間に、

 

その会社独自の

「真本音の願い」

が誕生するのを

必ず

感じ取ります。

 

この瞬間。

 

これは

言葉では言い表せない

くらいの

嬉しさに

私は満たされます。

 

その会社の

真本音の願い。

 

これは、

個人個人の

真本音の願いとは

また少し

違った次元のものです。

 

例えば

100人の社員さんが

いたとして、

その100人の願いが

すべて集積・集約されて

その会社の願いが

醸成される

わけではないのです。

 

それは、

 

ポンっと

 

まったく新しい

命として

生まれるもの

なのです。

 

・・・・・・

 

よく、

自分の人生の願いと

会社の願いの

共通部分を

見つけ出したり、

増やしたりしながら

働くことが大切です、

 

と言われます。

 

確かに

その通り。

 

その通りなのですが、

私はここで

いつもちょっとだけ

違和感を覚えます。

 

共通部分を

見出すということは、

逆に言えば、

ズレた部分もある、

ということです。

 

もちろん、

自分=会社で

ない限り、

ズレた部分はあります。

 

それは当然ですが、

でもやはり、

私は

違和感を覚えます。

 

自分=会社に

なりなさい、

というお話では

ありません。

 

自分は自分。

 

会社は会社。

 

それは

その通り。

 

でも、

ちょっと違うのです。

 

・・・・・・

 

その会社に

真本音の願いが

生まれると

大きく変わることが

一つあります。

 

それは、

私自身が、

「その会社の真本音」

と語り合えるように

なるのです。

まるで個人の真本音と

語り合うように。

 

会社は

法人と言いますね。

 

それは一人の

人として見立てた

言い回しなのですが、

 

まさしく

会社の真本音の願いが

生まれるということは、

一人の人間が

誕生するのと

同じようなものです。

実在レベルでは。

 

で、私は、

実在レベルで、

その会社の真本音と

語り合いながら

サポートを進めます。

 

多くの場合、

そこからサポートの展開が

大きく変わります。

 

現実の展開が

大きく変わるのです。

 

私から観れば、

そこにいる社員さん達と

その会社は、

 

「一つ」

 

だと、どうしても

思えてしまうように

なるのです。

 

先程も書きました通り、

個人と会社は

別物ですし、

皆さんはもちろん

そう思っています。

 

そこは何も

変わらないのですが、

でも、

どうしても、

皆さんが

 

「一つ」

 

に観えてしまうのです。

 

もちろん

「一つ」だからと言って、

皆さんが

会社人間になってしまう

わけではありません。

 

考え方が

統一されるわけでも

ありません。

 

愛社精神が

一気に高まるわけでも

ありません。

 

仕事に対する

考え方も

変わらないでしょう。

 

それでも

「一つ」

なんです。

 

そして、

「一つ」である皆さんに

私が向かい合うと、

 

今、

誰にどんなサポートを

すれば良いか?

 

という次の一手の

ヒントが

とても掴みやすく

なるのです。

 

その会社が

大きく変わり始めるのは

そこからです。

 

・・・・・・

 

会社も組織もチームも

本来は

「生き物」です。

 

しかし、最初は

魂がそこには

存在していません。

 

ですからそれまでは

単なる

「個人の集合体」

です。

 

でも、

ある時から魂が宿ることで、

それは

「生き物」として

誕生します。

 

そうなることで、

そこにいる人達は

「一つ」

となっていくのでしょう。

 

そして

「一つ」になることで、

ますます

一人一人の個性は

際立ち、

異なる個性同士が

相乗効果を発揮

し始めるのでしょう。

 

この状態に

なるところまでが

まずは私の

サポートの第1幕。

 

そして、

第2幕からが

本当の意味での

躍進ステージに

入っていくのです。

 

つづく

 

未来とつながった

 

こんなに

縛られた世の中

なのに、

 

自分は実は

完全に自由であると

 

それが

真実であると

 

皆、

そうであると

 

理屈ではなく

「感覚」として

気づけたその瞬間に

 

真本音の願いは

初めて

自分自身の中心から

 

浮上し始めます。

 

それにより、

これまで

「自分の夢だ」

と思っていたことが、

 

根底から

覆ることも

ありますし、

 

さらにその夢の

先が

見晴らせるように

なることも

ありますし、

 

その夢が

全体の中の

単なる一部分で

あったことが

わかることも

あります。

 

私は今日、

 

本当に嬉しい

ことですが、

 

自分のビジョンが

一気に

目の前に迫り、

それがもう

必ず実現するもので

あると、

 

リアルに

感じ取れる瞬間が

ありました。

 

いや、

リアルに

感じ取れる

というよりも、

 

リアルでした。

 

あぁやはり、

真本音の願いは

 

一見

それがどれだけ

無謀だと思えても

 

実現するんだなぁ、

 

と、

腑に落ちました。

 

やはり私は

このまま

私の人生に

委ね続けようと

思います。

 

つづく

 

あなたは、あなたが知るあなたではない

 

あなたの

胸の中心に

大事に抱き続けている

願いとは

何でしょうか?

 

あなたは

その願いに

いつも意識を

向けていますか?

 

毎日、

ほんの少しずつでも

その願いに

近づいていますか?

 

自分を

自由にする。

とは、

願いに素直になる

ということです。

 

今の自分を

自分で評価し続け、

今の自分を

基準に

未来を決めるよりも、

単純に

自分の願いに素直な

今日を生きてみる。

 

ということを

一日一日

続けることで、

私達は

本来の自分自身を

開くことができます。

 

・・・・・・

 

あなたは

自分が好きですか?

 

自分が嫌いですか?

 

自分のどこが

嫌いで、

自分のどこが

好きですか?

 

・・・なんてことを

一度、

考えるのを

やめませんか?

 

多くの人が

「自己評価」を

し過ぎです。

 

もちろん

自己評価は大事

ですが、

それを

「今の自分の解釈」

によってしても

実はほとんど

意味がありません。

 

よく、

自分の短所を直す

よりも

長所を伸ばした方が

いい、

と言われますが、

 

ちょっと極端な

ことを言えば、

 

そんなことは

どうでもいいじゃない、

私は時々

言いたくなります。

 

そんなことよりも、

自分の

真本音の願いに

素直に

今日を生きることだけ

してみれば

いいじゃない、

と。

 

ちょっと乱暴な

言い方ですけどね。

 

でも、

願いに生きれば、

自分という人間は

ある時ある瞬間に

とてつもなく大きく

変貌することが

あるのです。

 

明らかに

それまでの自分の

延長線上にはない

まったく新たな自分が

一気に花開くのです。

 

自己評価を

解釈によってし続け、

それを指針にしていては、

その開花は

一生起きません。

 

人間とは

もっともっと

奥の深いものです。

 

私達自身の

解釈の尺度を

超えた存在なのです。

 

自分と向き合う

とは、

自己評価することでは

ありません。

 

自分を

解釈することでは

ありません。

 

あるがままの自分を

ただ見つめること。

観察することが

基本です。

 

あるがままに

見つめれば、

必ず、

あまりに強烈な

あなた自身の願いに

気づくはずです。

 

あなたは

「願いが服を着て

歩いている」

存在なのです。

 

すべての人が

そうなのです。

 

解釈の人生から

願いの人生へ。

 

そろそろ

人生のシフトチェンジを

してみませんか?

 

つづく

 

本当の人生の始まりの時

あなたの

「人生の始まりの地点」

は、どこだと

思いますか?

 

それは、

あなたにとっての

「本当の人生」の始まり

の地点です。

 

今振り返って、

「ここから私の

本当の人生が

始まったんだな」

と思える瞬間です。

 

そこでは

どのような出来事、

どのような体験が

ありましたか?

 

その瞬間のことを

ありありと

思い出してみて

ください。

 

そして

もう一度、

イメージの中で

その瞬間を

体験し直してみて

ください。

 

あなたはその時、

何かを手放した

はずです。

 

そして、

その時に

何か大切なものを

見つけたはずです。

 

その時その瞬間の

あなたには

その自覚はなかった

でしょう。

 

でも、

今、改めてありありと

その瞬間を思い出す

ことで、

それが何か?を

自覚することが

できるはずです。

 

あなたはその時、

何かを手放し、

何かを見つけた。

 

その、

見つけたものは

多くの場合、

とてつもなく強い

「願い」

だったはずです。

 

それが、

「真本音の願い」

です。

 

・・・・・・・

 

私は18歳の時、

初めて縦走登山を

始めました。

 

大学の部活動です。

 

一人50kg以上の

ザックを背負い、

3週間近くも山に入り、

山を縦走します。

 

「夏合宿」と

呼んでいました。

 

私の初の夏合宿は

北アルプスという

場所でした。

 

1日目は、

14時間登りづくめで

体力のすべてを

使い果たしました。

 

2日目は、

3000m近い稜線の上で

台風のような

暴風雨に遭いました。

 

テントが50mくらい

吹き飛ばされ、

みんなで必死にテントに

しがみつき、

雨にびしょ濡れになりながらも

自分達の生活の場を

守り続けました。

 

そして3日目。

常念岳という、

日本百名山の一つを

越えました。

 

その山はとても

急峻でした。

 

実はこの時まで

入山以来、一度も

晴れていなく、

ずっと真っ白なガスの中の

苦しみの登山

だったのですが、

 

常念岳の山頂まで

あと少しというところで

突然、ガス(雲)が晴れ、

青空が見え、

そして、

北アルプスの山々が

目に飛び込んで

きたのです。

 

突然、目の前に

現れた

槍・穂高岳連邦。

 

そのあまりの迫力と

素晴らしさに

私は50kgを背負ったまま

茫然自失と

立ち尽くしました。

 

その瞬間です。

 

私の場合はその時、

はっきりと

自覚しました。

 

今、この瞬間に

私の本当の人生が

始まったのだな、

と。

 

その時、私が

手放したものは、

「私は、誰よりも

劣っていなければ

ならない」

という、

とてつもなく強い

自分への

「リミッター」

でした。

 

そして、私が

得たものは、

「私にはこの人生で

果たすべき何かがある」

という確信と、

「その何かを

35歳までに見つけなければ

ならない」

という使命感にも似た

願いでした。

 

ですから私は

それ以降、

「人生を上手く進める」

ことをやめました。

 

多少ダメージを受けても

よいから、

いろんなものに

ぶつかりながら、

濃密な人生を生きると

決めたんです。

 

35歳までに

人生の目的を

見つけるために。

 

そしておかげさまで

その通りに

なりました。

 

35歳なりたての時、

私は、

「真本音」

と出会うことになります。

 

と同時に、

自分がすべきことを

はっきりと

自覚できました。

 

・・・・・・

 

さて。

 

以上は私の話

です。

 

あなたは

いかがですか?

 

つづく

 

後悔とは、チャンスである

人はなぜ

後悔するのでしょうか?

 

後悔にも

様々なものがあります。

 

次元の低い後悔も

あれば、

次元の高い後悔も

あります。

 

次元が低いからダメ

という話では

ありません。

 

高くても低くても

後悔ときちんと

向き合いながら進むことは、

間違いなく私達に

進化をもたらします。

 

ただ・・・。

 

一つ、しっかりと

お伝えしなければ

ならないことがあります。

 

それは、

後悔には

「真本音の後悔」

もある、という

ことです。

 

・・・・・・

 

「真本音の後悔」

とは、

正確に表現すれば、

「真本音が

もたらしている後悔」

と言えば

よいでしょうか。

 

どういうことかと

言いますと、

一言で言えば、

 

「後悔のその奥に

願いあり」

 

ということです。

 

つまり、

真本音レベルの非常に

強い願いがあり、

その願いに気づくための

後悔の経験であった、

と。

 

その後悔が

あったからこそ、

自らの真本音の願いに

気づくことが

できた、

と。

 

願いに気づくための

重要な経験としての

後悔。

 

ということです。

 

しかも、

そういったもので

あればあるほど、

後悔の念は

深く、強く

なります。

 

ある意味、

立ち直れなくなるくらいの

魂が慟哭するかのような

後悔。

 

それが、

真本音のもたらす

後悔です。

 

ところが、

そういった強い後悔からは

どうしても私達は

逃げたくなります。

 

その後悔と

向き合うことは

非常に辛いことです。

 

そこでその後悔から

逃げ続ける一生を

続ける人も多いです。

 

でもそれは、

自らの真本音の願い

に気づくチャンスを

逸していることになります。

 

何のために

自分の人生が

あるのか?

 

自分は

何に向かって

生きていけばよいのか?

 

その大事な大事な

答え、

人としての

幸せをもたらしてくれる

答えに

気づくチャンスを

逸していることになります。

 

・・・・・・

 

では。

 

後悔との向き合い方。

後悔についての

セルフコーチング法の続き

をいきましょう。

(→【後悔する自分を責めてはならない】)

 

後悔の出来事の中でも

自分が特に

どのポイントにおいて

深く後悔しているか?

を特定するところまで

きました。

 

それが特定できたら、

次にまた

とても大事な質問を

「後悔の念」に対して

投げます。

 

それは、

 

「君は私に

何を伝えたいの?」

 

もしくは、

 

「君は私に

何をわかってもらいたいの?」

 

という問いです。

 

これも、

自分自身の「後悔の念」を

理解しようとする

質問です。

 

理解しようとすることで

自分自身との

信頼関係を深めていきます。

 

この問いに対しての

答えとは、

多くの場合

反応本音レベルのもの

です。

 

例えば、

 

「もう俺は嫌なんだよ。

逃げたいんだよ!」

 

とか、

 

「俺がこんなに苦しんで

いることを

知ってもらいたいんだよ!」

 

とか、

 

「俺はもう、

あいつとは一緒に

やっていけないんだよ!」

 

とか。

 

そしてここから先は、

まるでカウンセラーになった

気持ちで、

自分の後悔の念と

向かい合ってください。

 

「それは

どういうことなの?」

 

「もう少し

詳しく教えてくれる?」

 

「どんな理由から

そう思うの?」

 

「そう言いながらも、

本当は私に

何を伝えたいの?」

 

「本当に、一番

解消してもらいたい

苦しみは何?」

 

「私に直してもらいたい

ことはある?」

 

「私にしてもらいたい

ことはある?」

 

「君はどうすれば、

もっと楽になれる?」

 

「君は本当は

何を望んでいるのだろう?」

 

「君は何のために、

私の両肩に乗っかっている

と思う?」

 

「君の切実な

願いとは何だろう?」

 

・・・などなど。

 

すべてが

「理解しよう」

とするための質問

です。

 

大切なのは、

返ってくる答えに対して

いっさいの

評価・判断をしないこと。

 

つまりそれは

否定をしないことは

もちろんですが、

肯定もしないこと

です。

 

否定も

肯定も

なし。

 

「知ろう」と

するだけです。

 

「あなたのことを

もっとよく知りたいんだ」

という意志を

その後悔の念に

向けていきます。

 

「愛」

という言葉がありますが、

愛のファーストステップは

「理解しよう」

という意志です。

 

私は、「愛」というのは

「エネルギー」だと

思っていますが、

「理解しよう」という

意識を向けることで、

そのエネルギーは

発生し、相手に

伝わります。

 

これは、

他者との人間関係でも

まったく同じですね。

 

・・・・・・

 

「理解しよう」という

愛のエネルギーを

受けることで、

後悔の念はさらに

浄化されるでしょう。

 

ポイントは、

その「後悔の念」が

最も伝えようとしていること、

わかってもらいたいと

思っていることを

ピンポイントで

特定・理解することです。

 

そこが特定できれば、

後悔の念は

ほぼほぼ浄化されます。

 

両肩がかなり

軽くなるのを

感じるでしょう。

 

そうなったところで

初めて、

いよいよ

「真本音」の

登場です。

 

つづく

 

さぁ、本来の姿に戻しましょう

後悔の念とは

向き合えばそれで

OKです。

 

後悔することで

そのまま自分を責め続ける

方向に行く人がいますが、

その必要はありません。

 

自分を責め続けたり、

罪悪感の中に

ドップリと浸かっても

自分も周りも誰も

喜びません。

 

ただ、

後悔の念だけを

しっかりと

味わいます。

 

それにより

強い刺激が入ります。

 

特にそれが

真本音レベルの後悔であれば、

その刺激は

自分自身の人生の願いへと

直結します。

 

しっかりと後悔するからこそ、

そうか、だから自分はこれから

人生において

これを果たしていこう!

という強い想いと共に、

まるで祈りにも似た願いが

湧き起こります。

 

その願いは、

願うという行為そのものによって

自分の魂も心も

癒してくれます。

 

自分の魂も心も

開放される感覚を得ます。

 

それこそが

「真本音の願い」です。

 

真本音の願いに

行き着いた人は

本当に幸せです。

 

なぜなら、

自分が何のために

生まれてきたのか?

 

自分の人生の意味は

何か?

 

自分という人間の

存在意義は何か?

 

自分はこれから何を

すれば良いのか?

 

自分はどこに向かえば

良いのか?

 

自分は誰と共に

進めば良いのか?

 

・・・などなど、

あらゆる答えが

「観える」

ようになるからです。

 

これほど、

私達を根底から安定させてくれる

ものはありません。

 

そして自分の内側から

パワーを漲らせてくれる

ものはありません。

 

しかしそこに行き着くためには、

多くの場合、

自分の中にある最大の後悔と

向き合う必要があります。

 

自分の中の

最も辛いものと

向き合える人は、

すべてと

向き合えるのです。

 

すべてと向き合えて

初めて、

真本音の願いは

浮上するのです。

 

・・・・・・

 

さて、

真本音レベルの後悔と

あなたが

向き合えたとします。

(→前回記事)

 

その先のステップを

ご紹介します。

 

真本音レベルの後悔と

向き合うことにより、

あなたの中の真本音は

これまでとは

比べものにならないくらいに

燦然と輝き出すでしょう。

 

それはまるで

新たな命が

宿ったかのようです。

 

新しい人生が

今ここから

始まったかのようです。

 

これまで見えていた景色が

まったく違ったものとして

目に映るでしょう。

 

結果として、これまで

価値を置いてきたことに

急に興味を失うかも

しれません。

 

逆に、

これまでまったく

興味も関心もなかったことに

急に価値を見出すかも

しれません。

 

それらの「変化」には

素直に自分を

委ねてしまいましょう。

 

「自分は

生まれ変わったのだ」

 

「ここから新しい人生が

始まるのだ」

 

と受け止めれば

よいです。

 

そして、

これまで真本音がまだ

「大地」だった頃に、

すべての行動を「大地」に

確認しながら決めていたように、

ここからも

すべての行動を

「真本音」に確認しながら

決めていきましょう。

 

遊び心を持ちながら、

で結構です。

 

一つ一つの自分の

行動、振る舞いのすべてを

頭で考えるのではなく、

惰性で行なうのでもなく、

丁寧に真本音に

問いかけるのです。

 

「次、何をしよう?」

 

「今から、これをしようと

思うけど、どう?」

 

「これをするか、あれをするか、

どちらがいいだろう?」

 

これを続けることで、

自分のこれまでの

行動パターンが

短期間で壊れていきます。

 

それはもう

壊してしまってください。

 

これまでの行動パターンは

すべて、

「優柔不断に生きるため」

のものであったと

あえて

断定してください。

 

自分を変える、とは

このように

自分の「今、ここ」における

一挙手一投足を

変えていく、

ということなのです。

 

自分を変える、とは

何かを一気に大きく変える

わけではないのです。

 

「次の一歩」

「次の一歩」

を一つずつ丁寧に

変えていくだけなのです。

 

一つ一つを

すべて真本音の通りに

変えることで、

これまでのパターンが

自然に崩れ、

真本音の願いに向かう

自分自身に

だんだんと近づいていきます。

 

それは

自分にとっては

とても幸せなことです。

 

真本音の望む通りの

行動を取っている自分。

 

・・・これが

自然体になっている

ということです。

 

こういったことを続ければ、

いつしか、

真本音にわざわざ

確認せずとも、

普通に行動すれば

自然に真本音通りに動ける自分に

なっているでしょう。

 

「本来の自分」に

戻っているでしょう。

 

そうなって初めて、

私達の中からは

『真の本気』

が湧き出ます。

 

それこそが

あなたの本当の

姿です。

 

つづく

 

耐えられない後悔と向き合う時

昨日の続きです。

 

真本音優柔不断タイプの人が

自らを解放し、

本来の自分に戻るためのステップを

ここまで、ご紹介してきました。

 

「最も強い自分の心」を

自分の体の中に

入れ、

そしてそのことにより、

それはその人の

『真本音』

となりました。

 

つまり、

「真本音を取り戻す」

ことができたのです。

 

これが昨日までの

ステップです。

(→前回記事)

 

真本音を取り戻すことが

できましたので、

ここからは

「真本音との対話」

が始まります。

 

しかしちょっと

待ってください。

 

その前にどうしても

行なっていただきたいことが

あるのです。

 

・・・・・・

 

それは、

「後悔と向き合う」

ことです。

 

真本音を取り戻した

今だからこそ

できることです。

 

人は、人生において

本当にたくさんの

後悔を

繰り返します。

 

その多くは

反応本音レベルのもの

です。

 

反応本音レベルの後悔

とは、

それを乗り越えることで

自分の成長に

つながります。

 

つまりは、

乗り越えられるもの。

 

それが

反応本音レベルの後悔

です。

 

しかし

いかがでしょうか?

 

あなたには、

乗り越えられない後悔が

ありませんか?

 

その後悔からは

逃げたいばかり。

 

ですからずっと

心の片隅に

それを隠してきました。

 

記憶の彼方に

それを

取り残してきました。

 

そんな後悔は

ありませんか?

 

一言で言えば、

「耐えられない後悔」

です。

「思い出せない後悔」

です。

 

思い出せないような後悔について

「ありませんか?」と

問われても、

思い出せませんよね、きっと。

 

しかし、今、

それを思い出して

ほしいのです。

 

そしてその後悔と

向き合ってほしいのです。

 

それは

「真本音レベルの後悔」

です。

 

真本音レベルの後悔は

本当に、

キツイです。

 

なぜなら、

それは、

自分の心が耐えられる範疇を

逸脱しているからです。

 

しかし私達の真本音は

わざと自分に

そういった後悔の経験を

させることがあります。

 

なぜなら

それだけの経験をするからこそ

初めて見つかるものが

あるからです。

 

それは

「真本音の願い」

への道です。

 

真本音レベルの後悔を

するからこそ、

真本音の願いへの

道のヒントを

私達は得ることができるのです。

 

真本音とは

魂の意志である、

とも言えます。

 

魂そのもの

とも言えます。

 

真本音を取り戻す

ということは、

あなたの中に魂が

戻ってきたということ。

 

ですから、

心の視線ではなく、

魂の視線で

耐えられなかった後悔達と

向かい合ってください。

 

それができた時に

初めて、

あなたの真本音(魂)は

あなた自身に

「OK」

を出すはずです。

 

そうか、自分はもう

本気で進める自分に

なれたのだな。

 

自分はもう

真剣に生きる覚悟を

持てたのだな。

 

そのように

真本音が自ら

判断するのです。

 

その「判断」が、

自分を解放する

必須条件となります。

 

・・・・・・

 

あなたの中に

戻ってきた真本音の場所を

今一度、

特定してください。

 

ここに確かに

私の真本音は

存在するな、

という実感を

しっかりと得てください。

 

その上で、

その、自分自身の真本音に

問うてください。

 

「私の、真の後悔とは

何だろう?」

 

「君が私に与えた

後悔とは何だろう?」

 

そして、

あとは静かに

待ってください。

 

自然に思い出せること

があると思います。

 

ひょっとすると

心に強烈な抵抗が

走るかもしれません。

 

しかしその場合は、

自分の真本音(魂)にのみ

意識を向けてください。

 

泣きたくなれば

泣けばよいです。

 

わめきたくなれば、

毛布でもかぶって

ご家族などに迷惑をかけないように

わめいてください。

 

これをしっかりと

行なうことです。

 

ゆっくりと時間の取れる時に

じっくり行なってみて

ください。

 

今すぐにやらなければ

ならない、

とか

今日中に完了させねば

ならない、

とか

慌てる必要はありませんので、

「今やろう」

と思えた時に

ぜひ行なってください。

 

これが完了すれば、

真本音との対話は

随分とやりやすく

なるはずです。

 

つづく

チャンスは一度きりなのです

私達の心の中には

いくつもの願いが

浮かんでは消えていきます。

 

達成されることで

成就し消える願いもあれば、

達成せずとも

自然に消えてしまう願いも

あります。

 

願いを持つのが

私達人間の宿命。

 

願いに生きるのが

人間の本質です。

 

ただ、

その願いの中で

何があっても、

自分がどれだけ成長しても、

どのような経験を積んでも、

環境がどのように変わっても、

まったく揺るがずに

心の中心に在り続ける

願いがあります。

 

それは

心の中にある願い

と言うよりも

魂の中に抱いている願い

と言った方が

良いかも知れません。

 

そしてそれは

願いであるのと同時に

自分自身へのテーマであり

課題でもあります。

 

その願いでありテーマであり

課題であるものを

私達は人生を通じて

探求・探究しようとします。

 

それをあえて、

「真本音の願い」

と私は呼んでいます。

 

真本音優柔不断タイプの人は、

その真本音の願いが

ある意味、ですが、

強過ぎる人なのです。

 

その願いを自ら

認識してしまうと、

その時の自分の状況を顧みずに

一直線にそこに

向かってしまうのです。

 

それはある意味

危険なことでもあります。

 

自分が制御できなく

なるくらいに

その願いが強烈なのです。

 

ですから、その人は、

・自分自身の準備と

・環境の準備が

整うまで、決して

自分の願いを顕在化しないように

してきました。

 

願いが強烈な分、

慎重になっているのです、

真本音が。

 

そのようなタイプの人達に

今回、私が投げている

メッセージが

 

「もうスタートして大丈夫ですよ」

 

というものです。

 

これはある意味、

かなり強烈な

メッセージのはずです。

 

これをまともに受けた人は

自身の人生が

大きく変わってしまうかも

知れません。

 

・・・・・・

 

でも、私は

その覚悟を

持ってほしいと

願っています。

 

何事も、

タイミングが

大事です。

 

いえ、

少し極端に言えば、

タイミングこそが

大事で、

タイミングが

すべてです。

 

恐らく、

真本音優柔不断タイプの人達が

自身の願いを解放し、

自身の本気さを解放するのは

人生で一度きりの

チャンスしかありません。

 

それが、

今です。

 

今を逃したら、

恐らく二度とこのチャンスは

来ません。

 

それくらいに

重要なタイミングが

来ています。

 

ですからあえて

申し上げます。

 

「もう大丈夫です。

自分の本気さを

取り戻すチャンスです。

今しかありません」

と。

 

・・・・・・

 

真本音優柔不断タイプの人が

自分を解放する方法。

 

昨日の続きを

お伝えします。

(→前回記事)

 

「最も強い自分の心」が

自分自身の「大地」となり、

その「大地」と対話をしながら

自身の行動を決める。

 

・・・というところまで

来ました。

 

これを続けていただくと、

ある時ある瞬間に、

「大地」から

メッセージがあるはずです。

 

「もう、君の中に

入ってもいいよ」

というメッセージです。

 

それがあったら、

「大地」となっていた

「最も強い自分の心」を

自分の体の中に

入れましょう。

 

ここで大切なのは、

あくまでもこれは

「大地」の判断で、

というところです。

 

あなたが判断しては

なりません。

 

あくまで「大地」から自然に

「入ってもいいよ」という

メッセージが来るまでは

決して自分の中には

入れないでください。

 

「大地」の意志を尊重する

ことが重要ポイントです。

 

「大地」は

見極めているのです。

あなたの「準備」が

整うことを。

 

「準備」が整わないのに、

無理に「大地」を自分の中に

入れようとすると、

「大地」の反発を受けます。

 

するとまた最初から

やり直さなければなりません。

 

常に「大地」と対話をしながら

「大地」との信頼関係を

築いていくのです。

 

それは「自分自身」との

信頼関係であり、

「本来の自分」との

信頼関係です。

 

「大地」のペースに合わせ、

「大地」の言うことを

尊重してください。

 

そして「大地」が

「もう中に入ってもいいよ」

とメッセージしてくれたら、

体の中に入ってもらいます。

 

どこに入ってもらうかも

「大地」に決めてもらって

ください。

 

多くは、

中心軸上のどこかです。

 

お腹の辺りのケースもあるし、

鳩尾の辺りとか、

胸の中心とか、

喉の辺りとか、

稀に、頭のてっぺんとか、

背中全体とか、

中心軸全体、ということも

あります。

 

「大地」に任せて

ください。

 

体のいずれかに入ったら

そこに意識を向ければ、

それはもう「大地」ではなく、

別の形をしているはずです。

 

その形を特定できると

よいですね。

 

さて。

 

あなたの体の中に入った

「最も強い自分の心」。

 

ここからはもう、それを

あなたの

『真本音』

と表現してよいでしょう。

 

この時点で

あなたはあなたの真本音を

取り戻すことが

できたのです。

 

ここからはいよいよ、

真本音との対話

です。

 

つづく

 

その願いの奥に真の悦びはある?

「願い」について

書かせていただいています。

(→前回記事)

 

反応本音の願いとは、

達成することで完了する願い

です。

 

それに対して、

真本音の願いとは

永遠に願い続ける願い

です。

 

・・・という言い方もできます。

 

永遠に願い続ける、とは

ゴールがない

ということです。

 

ゴールがないということは

一見すると

満たされることがない、

という印象を持つかもしれません。

 

しかし

満たされないものを満たす

願いこそが

反応本音の願いです。

 

つまり、

満たされるまでは

満たされない

ということですね。

 

それに対して

真本音の願いにはゴールは

ありませんが、

ゴールがなくても

満たされている

のです。

 

なぜなら、

真本音の願いとは

その願いを持つこと自体で

満たされるからです。

 

そしてさらに、

その願いに向かって

一歩ずつ進むだけで

その一歩一歩で

満たされるからです。

 

満たされるからと言って

じゃあ終わりにしよう

とはなりません。

 

満たされても

満たされなくても

さらに進みたくなるのが

真本音の願いです。

 

そして、

最初から満たされているけれども

一歩ずつ進めば進むほど

さらに満たされ感は

増していきます。

 

100%だと思っていた

満たされ感が

進めば進むほど、さらに

高まります。

120%にも、200%にも

1000%にも

100万%にも。

 

実際に私のクライアントである

ある社長さんは、

真本音の願いに気づいてからの

ご自分の経営の満足度について

「100万%です」

と笑いながらお答えに

なりました。

 

100万%です、とは

言いながらも、

それでも、

まだまだ足りない表現かな、

と思ってしまいます。

要するに、

数字で表すことができないレベルの

満たされ感が

あるのです。

 

私はこれを

「魂の満足」

と表現します。

 

心の満足と

魂の満足は

まったく次元の異なる

ものです。

 

魂の満足は

それを得ることで

歩みが止まるものでは

ありません。

 

それを得ることで

ますます

前に進もうという意欲と

エネルギーが

湧いてきます。

内側から。

 

私はそれを

「内発的モチベーション」

とも呼んでいます。

 

それは

私達の魂からもたらされる

動機付けです。

 

さて。

 

魂に動機付けされた人は

どうなるかと言いますと、

まずは、

「出会い」が変わってきます。

 

真本音の願いは、

他の人の真本音の願いと

共鳴します。

 

いえ、

それは「共鳴」と言うよりも

「共振」

と言った方が正確でしょう。

 

共振し合った人同士が

必然的に出会い、

出会った瞬間から

それは「共感」を生みます。

 

出会ったばかりで

まだお互いのことを

ほとんど何も知らないのに、

なぜか

お互いのことが

理解し合える。

 

何の説明も解説も

必要とせずに、

ただ一緒にいるだけで

もう、

わかり合えている「感覚」

がある。

 

そのような出会いが

多発します。

 

自分が

真本音の願いで生きているか

どうか?

をチェックする最も

簡単な方法が、

そういった出会いが今、

増えているかどうか?

をみることです。

 

最近、出会い自体は多いけど、

本当に共振し合える人は

どうだろうか?

 

そんな視点で

観てみてください。

 

何かを説明しなければ

わかり合えない人が多ければ

それはその人が悪い

のではなく、

自分自身に問題があります。

 

満たされないものを

満たすための動きを

自分はしていないか?

 

と、自分に問うてみてください。

 

もちろん私達は人間ですから、

満たされないものを満たす

ための動きはすればよいです。

 

しかし同時に

それにより、私の魂は

本当に悦んでいるか?

 

とも問うてみてください。

 

以前のブログにも

書かせていただきましたが、

真本音と反応本音は

どちらが正しいか?ではなく、

「つながり合う」関係です。

つまり、

真本音という上司が

反応本音という部下を

「活かす」

という関係です。

 

満たされないものを満たそう

とするその願いの奥に、

魂の願いが宿っているか?

を問うてみてください。

 

その問いに対して

理屈で答える必要は

ありません。

 

自分自身に問うた時に、

スッキリと迷いなく

あぁ何となく今の私は

自分の魂の願いを大切に

できているな、

と思えれば、問題はありません。

 

思えなければ、

もう一度、心を静かにして

内省をしてください。

 

満たされるとか

満たされないとか、

そういったこととは関係なく、

私が願い続けていることは

何だろうか?

 

と、静かに自分に問い、

静かに自分と

向かい合ってみてください。

 

さて、

では真本音の願いを見つける

最も簡単な方法とは

何でしょうか?

 

その辺りのことを

次回以降に書かせて

いただきます。

 

つづく

 

その願いは、自由をもたらす?

てんでバラバラな記事を

書いているように

思われるかもしれませんが、

ここのところのこのブログの記事の

すべての根底に流れている

テーマがあります。

 

それは、

「自由」

です。

(→【あなたは自由に生きていますか?】)

 

自由とは何か?

 

自由を阻害するものは何か?

 

真に自由になるために

必要なものとは何か?

 

真に自由になるために

どうすればよいか?

 

これらの問いが

すべての根底にありつつも、

様々な視点から

書かせていただいています。

 

もう一度、この辺りで

それを思い出していただくと

よいかなと思いました。

 

今回も

そんな視点からの

お話です。

 

さて。

 

人間とは何でしょうか?

 

・・・と問われたと

します。

 

私は、

人間と向き合い続ける

お仕事をさせていただいて

いますので、

毎日のようにこの問いと

向かい合っています。

 

これまで、様々な視点から

様々な答えを

見出すことができましたが、

この問いに関しては、

「これがベストアンサーだ」

という結論は出さない方が

よいと思っています。

 

その方が

もっともっと人間探究を

楽しめます。

 

その前提のもとで、

その問いについての

ある視点からの一つの答え

(あくまで私が実感した答え)

を申し上げます。

それは、

人間とは、

 

『願いのカタチ』

 

である。

・・・ということです。

 

「願いが服を着て歩いている」

のが人間である、と。

 

ただしその願いには

いろいろな願いが

あります。

 

私の言葉で表現すれば、

真本音の願いもあれば、

反応本音の願いも

あります。

 

どのような願いだとしても、

私達人間は、

 

「願いの一点」

 

を決めています。

 

つまり、

今の自分は、

今日の自分は、

どの「願い」のために

生きるか?

ということを無意識に

決めています。

 

そしてそれを

自分の「中心」として、

すべての言動を

無意識に

自分で決めています。

 

願いの一点を決めずに

日々を生きている人は

私が実感する限りでは

一人もいません。

 

ですから、

次の問いが非常に

重要だと思うのです。

 

「私は今、

どのような願いの一点を

中心にして

生きているのだろうか?」

 

ここが、

反応本音の願いだとしたら、

その人の心の中には

残念ながら

ストレスが湧き続けます。

 

真本音の願いだとしたら、

その人は

中心からパワーが

湧き続けます。

 

そういった

単純明快な法則が

あります。

 

反応本音の願いとは、

「満たされないものを

満たそうとする願い」

です。

 

ですのでそれは、

「枯渇した中で湧く願い」

です。

 

枯渇した中で

湧きますから、

多くの場合それは結果として

周りの人から

「何かを奪う」

願いとなります。

 

そういった人と一緒にいると、

単純に、

パワーを奪われ続けます。

 

あの人と一緒にいると

疲れる。

 

あの人と一緒にいると

苦しい、辛い。

 

あの人と一緒に

いたくない。

 

そんな印象を持ってしまう人の

中心には

そういった「枯渇した中で湧く願い」

が設定されています。

 

そして、

周りからパワーを奪い続けて

いることを、

一番よくわかっているのは

その人自身です。

 

ですからその人は

無意識のレベルで

自分を責め続けます。

つまり、

罪悪感というやつです。

 

罪悪感とは、

自分で自分を

傷つける行為と同じです。

 

ですからずっと

ストレスが湧き続け、

その人自身も

パワーが減退します。

 

つまり、

パワーを奪っているのに、

自分からもパワーが

奪われ続ける、

という状態に入っています。

 

で、ますます枯渇し、

ますます人からパワーを

奪おうとします。

 

その悪循環。

 

それを引き起こしてしまうのが

反応本音の願いを

中心に置く生き方です。

 

それに対して

真本音の願いとは

それ自体が

自分自身にパワーを

与えます。

 

願いが叶っているかどうか?

ではなく、

その願いを持つこと自体で

パワーが宿るのです。

 

そしてそのパワーは

周りに伝播します。

 

真本音の願いを

中心に生きている人と

一緒にいると、

誰もが元気になります。

 

あの人ともっともっと

一緒にいたいな、と

本能的に思うようになります。

 

さて、

どちらが

自由な人生となるでしょうか?

 

言わずもがな

ですね。

 

では、

真本音の願いとは

どんなものか?

を、もう少し詳しく見て

いきましょうか。

 

つづく

 

問いと向き合わずして、人生の喜びはない

「自問自答」について

もう少しお話しします。

(→前回記事)

 

通常の「思考」によって導き出すよりも

「自問自答」によって得られる答えの方が

自分自身の真本音に

より近い答えが出やすいです。

 

それはなぜか?と言いますと、

私達の真本音の中には

たくさんの「問い」が詰まっているからです。

 

私達人間の本質とは、

「問いを持った存在」

であると、という言い方もできます。

 

「問い」とは

「願い」です。

 

「願い」とは

「問い」です。

 

一つの強烈な「願い」を持つということは

その願いに近づくための「問い」が

必須となります。

 

その「問い」を大切にし続けることが

「願い」への道を開きます。

 

真本音とは、

「揺るがぬ願い」の結晶体です。

ということは、

そこには様々な「問い」が

セットで存在しているのです。

 

そういう視点で言えば、

真本音で生きるとは、

「自らの問いに素直に生きる」

ということになりますし、

「自らの問いの答えを、

生きることを通じて得ようとする」

ということにもなります。

 

「問いへの探求」。

 

これが私達の根本欲求の一つですし、

それこそが

「進化への道」

でもある、ということです。

 

ですから私はコーチングをする時に

必ず、

「このクライアントさんは

真本音でどのような問いを抱きながら、

生きている人だろうか?」

という見方をします。

 

そして、その問いを

必死にキャッチしようとします。

 

真本音の問いに常に結びつくような

問いを投げるようにします。

 

すると、

そういった問いを投げること自体が

そのクライアントさんの真本音度合いを

著しく高めます。

 

その問いを受けることで、

真本音が喜ぶからです。

 

皆さんの中にも必ず

あるはずです。

 

自分自身がどうしても渇望して止まない、

根源的な問いがあるはずです。

 

あぁ私は、この問いの答えを見つけるために

生きているのではないか?

 

というものがあるはずです。

 

例えば、私の場合、

真本音の問いの一つは

 

『自由とは何か?』

 

というものです。

 

この問いを初めて意識したのは、

19歳の時です。

 

当時、私は登山に夢中になっており、

登山のパーティーのリーダーをした時に、

メンバーの心がバラバラになってしまった

という経験をしました。

 

その原因はリーダーである私自身に

あったのですが、

その時、私が感じたのは、

そこにいる誰もが「自由ではない」

ということでした。

 

全員が好きで登山をしているにも

関わらず、

そして、自らの意志でパーティーに

参加しているにも関わらず、

誰も、自由ではなかったのです。

私自身も含めて。

 

その現実の中で自然に湧いてきたのが

 

『自由とは何か?』

 

という問いでした。

 

あれからすでに30年経っていますが、

今もその問いは

私の探求テーマです。

 

この問いとずっと向き合い続けることで、

私の人生は形創られてきた

とも言えます。

 

そしてそういった問いに素直に

向き合ったからこそ、

紆余曲折の多い人生でしたが、

私は後悔なく、ここにいます。

 

この問いは、

私が人生を終えるまで、

絶えることはないでしょう。

 

問いに向き合うことそれ自体が

私の喜びであり、

内側から自然にパワーが湧いてくる

私のエネルギーの源です。

 

もちろん、

私の真本音の問いはそれだけでは

ありません。

 

人生を進むうちに、

たくさんの問いが明確になってきました。

 

不思議なことに、

真本音の問いは、

増えれば増えるほど、

喜びが大きくなります。

 

問いが増えるということは、

迷いが増えるというようなイメージが

ありますが、全く逆で、

問いが増えれば増えるほど、

私には、「確信」が増えました。

迷いがなくなりました。

 

問いが増えれば増えるほど、

人生が明確になり、

すべきことが明確になり、

ビジョンが明確になりました。

 

それが

「真本音の問い」

です。

 

ですから私が、多くの方々にメッセージしたいのは、

問いから逃げないでください、

ということです。

 

自分の中にある問いから

目を背けずに、

問いに対して真摯に向き合ってください、

ということです。

 

残念ながら、

初対面でお会いする人々の内、何割かは、

私がキャッチしたその人自身の真本音の問いを

そのままダイレクトに投げると、

その瞬間に、拒絶反応をされたり、

「そんな難しいことは、私にはわかりませんから」

と逃げ腰になってしまいます。

 

ですから、

その人の真本音の問いをこちらがキャッチできても

すぐにその問いをご本人にお伝えするわけには

行かないケースが多いです。

 

その場合は、

その人の真本音度合いを上げることによって

その人の「準備」を整え、

その上で初めて、その人自身の真本音の問いを

投げる、ということをします。

 

それでようやく、ご自身の問いと向き合うことに

なるのですが、

その時点が、その人の真本音の人生の

スタートとなります。

ようやくの、スタートです。

 

すぐに問いを投げられない人の割合は、

私の経験で言えば、

約8割です。

 

つまり8割の人が、

自分自身の人生の探求テーマと

向き合っていないということです。

 

真本音の道とは別の道を

進んでいるということです。

 

これが今の世の中の現状です。

 

これを何とかしたいと、

私は思っています。

 

これも私の探求テーマの

一つです。

 

つづく