現実に
揺らされる心が
ある。
揺らしておけば
いい。
揺れるものを
揺れないように
努力するほど、
疲れることは
ない。
揺れるなら
揺らす。
揺れたいように
揺らす。
それが自由
というやつだ。
ただ、
その揺れるのを
ちゃんと
観察しよう。
目を瞑って
揺らされるのでもなく、
目を背けて
揺らされるのでもなく。
しっかり
目を開いていよう。
心の外にあるものが
現実ならば、
心の内側で
起きていることも
現実だ。
両方の現実に
しっかりと
眼差しを向ける。
それさえ
やり続ければ、
揺れる心は
そのままに
観察者としての
自分は
決して揺るがない。
すべてを観察する
という
覚悟。
これさえ失わなければ、
私達はちゃんと
地に足をつけたまま
でいられる。
そして、
観察をし続けることで
自然に
浮かび上がる意志(意思)
がある。
その意志(意思)には
淀みがない。
それが
真本音だ。
私はいつも
真本音が浮かび上がる
まで、
じっと待つ。
それまでは
動かない。
ただ、
観察をするだけで。
私は
待つ人だな
と思う。
しかし、
いざ真本音が浮上すれば、
私は
ロケットのように
一直線に進む。
そのメリハリが
人生の醍醐味の一つ
だと
思っている。
つづく