自分の意思すら知らない

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実在の私が

躊躇をしている

ようだ。

 

だから

顕在(現象)の私が

お尻を叩く。

 

「書け」

と。

 

「わかったよ」

と返事が返ってくる。

 

返事と言っても

私が私に向かって

呟くだけだが。

 

小学一年の時、

友達に

「竹内くんは

いつも独り言を

喋っているね」

と言われたのが

妙に記憶に残っている。

 

ずっと誰かと

喋っていたようだ。

 

私に自覚は

なかった。

 

今思えば、

私は当時から

実在の私自身と

会話をしていたのかも

しれない。

 

時々、

布団に顔をギュッと

押し当てて

目を瞑っていると、

 

目を瞑っているのに、

目の前が急に

明るくなり、

 

何かが見えた。

 

それは何か

書物のようで、

日本語ではない

何か知らない文字が

たくさん書かれていた。

 

絵もあったかも

しれない。

 

布団にギュッと

顔を押し付けると

そうなるので、

 

私は時々

自分の楽しみとして

それをやり続けていた。

 

きっとあれも

実在の私からの

何らかのメッセージ

だったのだろうと

今、ふと思った。

 

実在の自分が

現象の自分を

形創っている。

 

現象の自分とは

実在の自分の

反映でしかない。

 

反映でしかないが、

この世の現実で

生きているのは

現象の自分なので、

 

現象の自分は

現象の自分として

意思を持つ。

 

すると、

実在の自分と

現象の自分が

同じ自分なのに

分離されていく。

 

本当は

この二つの自分が

一致すればするほど

人は

幸せになる。

 

たった

それだけのこと。

 

分離を

一致されていく。

 

いわゆる

「自己統合」

というやつだ。

 

本当は

たったそれだけの

ことなのだ。

 

実在の自分の

意思を

私は

『真本音』

と呼んでいる。

 

霊感でも

何でもない。

 

今ここに

ちゃんと実在している、

 

つまりは

根を張っている、

 

本当の

自分の意思だ。

 

人は

本当の自分の意思

すら知らずに

生きている。

 

自分のことは

自分がわかれよ。

 

言いたいのだが、

私も含めて

まだまだだ。

 

まだまだ

なんだ、

この世の中は。

 

つづく

 

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