「コーチ」として
人と向き合う時、
私のあらゆる
メッセージは、
その人の
真本音に向けられた
ものとなる。
コーチとは
鏡である。
と私は思っているが、
その鏡とは、
真本音の鏡
だ。
目の前の人の
反応本音が
どれだけ強烈でも、
基本的に
私はそれをすべて
存在承認しながらも
付き合わない。
基本的には、
だが。
そして「鏡」として、
本当に必要な
一言だけを、
ポツリ、ポツリ、と
池に石を
一つずつ投げ込む
ように
語る。
一つの石を
投げたら、
その波紋を
確認する。
しっかりと
波紋が心全体に
行き渡ったのを
確認できると、
次の言葉を
投げる。
時には
立て続けに喋ることも
あるが、
それはまったく
意図しているものでは
なく、
その人の真本音が
そのように
少し強めの波紋を
望んでいる時だ。
私は
その人の真本音の
意思を受け、
それをそのまま
要望のままに
返す。
その人の真本音を
そこに
映し出すのだ。
つまりその人は
私という存在を
介して、
自分自身の真本音
と向き合うことに
なる。
これが
コーチングだ。
残念ながら
今の社会においては、
じっくりと
自分自身の真本音と
向き合う時間を
取れている人は
少ない。
本当は
セルフコーチングで
できれば良いが、
それには訓練が
必要だ。
だから私は
コーチングを通じて、
その人が
セルフコーチング
できるように
サポートする。
最初は、
私自身が鏡となるが、
だんだんと
コーチングの場は、
セルフコーチングの
サポートの場
へと変貌していく。
そして
私という存在が
必要なくなっていく。
そして私は
離れていくのだ。
スーッと。
その離れ際も
大切だ。
いかに絶妙な
タイミングで
その人から
離れるか?
具体的には
いつ
コーチングセッションによる
サポートを終了させるか?
を
私はとてつもなく
大切にしている。
そしてその瞬間が
来ることが、
私の最大の
喜びだ。
つづく