コーチ

どっちの痛みだ?

 

心の痛みと

魂の痛みの

区別がつくようになると、

 

人のサポートは

非常にやりやすく

なる。

 

対応を

誤らなくなる。

 

今のこの人の

行動は、

 

心の痛みに

よるものか?

 

それとも

 

魂の痛みに

よるものか?

 

それによって

対応は

180度変わるからだ。

 

心の痛みは

現象であり、

 

魂の痛みは

実在だ。

 

・・・と書くと

わけがわからなくなる

と思うが、

 

基本的に

現象の痛みとは

幻影だ。

 

つまり本当は

「ここ」にはない。

 

その苦しみは

幻で、

その幻を人は

自ら創り続け、

 

その中に埋没し、

溺れる。

 

溺れた状態から

その人を救い出そう

としても

実は、キリがない。

 

何度救えたとしても、

その人は

同じ幻影を自ら

創り続けるからだ。

 

だから、

「幻影創り」そのものを

 

その癖を

 

直さなければ

ならない。

 

しかし実はこれは

それほど難しい

ことではない。

 

真本音度合いを

高めれば良い

からだ。

 

それをすることで

癖創り(幻影創り)は

だんだんと

止まる。

 

その人は

幻影に苦しむ人生

から

脱け出せる。

 

問題は、

 

魂の痛み

の方だ。

 

これは通常は

あまりに苦しい

ため、

 

多くの人は

この痛みに

麻痺がかかっている。

 

痛みを

自覚できない。

 

自覚できないが、

それは

とてつもない痛みなので、

 

その痛みを

感じていなくても

その痛みが

怖いので、

 

そこから逃れるための

行動パターンを

自ら無意識に

創り出す。

 

そしてその結果、

今度は

心の痛みを伴うような

現実を創り出して

しまう。

 

つまりは、

実在の痛みから

逃れるために

幻影の痛みを

創り出す、

 

・・・というのが

我々人間が

常にやり続けている

ことだ。

 

だからもちろん

対処法としては

真本音度合いを

高めることは必須だ。

 

しかしながら、

それによって

心の痛み(幻影)は

消えていくが、

 

実在の痛み(魂の痛み)は

残る。

 

実在している

からだ。

 

むしろ人によっては

真本音度合いが

高まることで、

 

麻痺が取れて、

痛みを感じるように

なることも。

 

しかしその痛みは

やはり

尋常な痛みや苦しみ

ではない。

 

尋常ではない

のだが、

 

それでもしかし、

 

麻痺していたのが

痛みを自覚できるように

なるのは

大きな進歩だ。

 

痛みがわかれば

対処ができるから。

 

いやむしろ、

対処ではなく

根本解決ができる

のだ。

 

だから

変な言い方だが、

 

私はクライアントさんが

魂の痛みを感じるように

なると、

 

やった!

 

と、密かに

喜んでいる。

 

これでこの人は

生きながらにして

生まれ変わることが

できるからだ。

 

生まれ変わる

と言っても、

別の人間や人格に

なるのではない。

 

これまでずっと

苦しめられてきた

痛みから

解放されるのだ。

 

その人の

本来の姿、

 

本来の行動、

 

本来の人生を

 

その人は

痛みのないところで

健康的に

創り出せるように

なるのだ。

 

こんな

嬉しいことはない。

 

しかしそのためには

魂の痛みを

超えていかねば

ならない。

 

これが私のサポート

の本質であり、

 

これができる人を

私は「コーチ」と

呼んでいる。

 

「コーチ」を

増やしたい。

 

一人ひとり

丁寧に。

 

つづく

 

ポツリ、ポツリ、と

 

「コーチ」として

人と向き合う時、

 

私のあらゆる

メッセージは、

 

その人の

真本音に向けられた

ものとなる。

 

コーチとは

鏡である。

 

と私は思っているが、

その鏡とは、

 

真本音の鏡

 

だ。

 

目の前の人の

反応本音が

どれだけ強烈でも、

 

基本的に

私はそれをすべて

存在承認しながらも

 

付き合わない。

 

基本的には、

だが。

 

そして「鏡」として、

本当に必要な

一言だけを、

 

ポツリ、ポツリ、と

 

池に石を

一つずつ投げ込む

ように

語る。

 

一つの石を

投げたら、

 

その波紋を

確認する。

 

しっかりと

波紋が心全体に

行き渡ったのを

確認できると、

 

次の言葉を

投げる。

 

時には

立て続けに喋ることも

あるが、

 

それはまったく

意図しているものでは

なく、

 

その人の真本音が

そのように

少し強めの波紋を

望んでいる時だ。

 

私は

その人の真本音の

意思を受け、

 

それをそのまま

要望のままに

返す。

 

その人の真本音を

そこに

映し出すのだ。

 

つまりその人は

私という存在を

介して、

 

自分自身の真本音

と向き合うことに

なる。

 

これが

コーチングだ。

 

残念ながら

今の社会においては、

じっくりと

自分自身の真本音と

向き合う時間を

取れている人は

少ない。

 

本当は

セルフコーチングで

できれば良いが、

 

それには訓練が

必要だ。

 

だから私は

コーチングを通じて、

 

その人が

セルフコーチング

できるように

サポートする。

 

最初は、

私自身が鏡となるが、

 

だんだんと

コーチングの場は、

 

セルフコーチングの

サポートの場

へと変貌していく。

 

そして

私という存在が

必要なくなっていく。

 

そして私は

離れていくのだ。

スーッと。

 

その離れ際も

大切だ。

 

いかに絶妙な

タイミングで

その人から

離れるか?

 

具体的には

 

いつ

コーチングセッションによる

サポートを終了させるか?

 

私はとてつもなく

大切にしている。

 

そしてその瞬間が

来ることが、

 

私の最大の

喜びだ。

 

つづく

 

鏡となる

 

すべては

なるように

なっていく。

 

しかも、

何がどのように

なっていくかは、

 

私達自身が

本当はよく

わかっている。

 

わかっている

ことが

わかっている

ように

起こるだけ。

 

・・・高い次元の

意識からみれば、

そういうことだ。

 

しかし、

 

3次元のこの世界に

生きている

私達(の顕在意識)は、

 

何も

わからない。

 

1分先の未来さえ

わからない。

 

その

「わからない」

ことにこそ

価値がある。

 

「わからない」

からこそ

ここに生まれてきた

意味がある。

 

本当は

わかっているけど、

何も

わからない。

 

それが

私達人間だ。

 

人として生きる

とは、

 

わからないことを

わからないままに

生きる、

と言ってもいい。

 

人として生きる

とは、

 

本当はわかっている

自分自身を

信じて、

自分にすべてを

委ねるところまで

自己を成長させること、

とも言える。

 

まったくもって

おかしな存在だ、

人間とは。

 

目の前の

Aさんが

 

「YES」

 

と言った。

 

しかしそのほぼ

同じ瞬間に

Aさんの実在は

 

「NO」

 

と言った。

 

同じAさんなのに、

現象と実在から

まったく逆の答えを

投げられた。

 

じゃあいったい

私はどうすれば

いいんだ?

 

・・・と。

 

こんなことがほぼ

毎日続いている。

 

実在と現象の

不一致。

 

これが

この世界の

最大の問題だ。

 

とはいえ、

 

その問題を

引き受けながら

生きるのがまた

人間だ。

 

まったく

おかしな存在だ。

 

もっとみんなが

自分の真本音が

わかるといい。

 

だって

自分の真本音

なのだから。

 

実在と現象が

不一致を起こして

いる時に、

 

せめてその

違和感を

自覚できるように

なるといい。

 

せめてそのくらいの

健康は

取り戻したいものだ。

 

だから私は

鏡となる。

 

「コーチ」とは

鏡だ。

 

鏡が足りない。

 

今の世の中には

まったく足りない。

 

だから

鏡を増やしたい。

 

つづく

 

コーチがいない

 

私達大人が

自分の心に蓋を

してしまうと、

 

子供たちだって

してしまう。

 

子供は大人の

真似をする。

 

しかし

これからの時代を

担う

若い世代の人たちは

 

私と同じ世代よりも

感受性が豊かだ。

 

だから

蓋をする生き方を

すれば、

言いようのない

気持ち悪さ

を感じるはずだ。

 

気持ち悪さを

感じて

自ら生き方を変える

ことができれば

良いが、

 

そう都合良くは

いかないだろう。

 

むしろ

その気持ち悪さに

さらに蓋をする

 

ということに

なるのではないか。

 

ますます

心は閉じこもって

しまうだろう。

 

私はそういう

社会になることを

本当に

避けたいと思う。

 

今の社会を

引っ張っている

我々の世代が

 

大人たちが

 

ちゃんと

自らの心と向き合い、

 

自分の本当に望む

生き方を

 

社会において

実践する。

 

それこそが

最も大事なこと

であり、

 

次世代に

良い世の中を

引き継いていくために

 

まずはできること

だと私は

思う。

 

・・・・・・

 

蓋をして

自分を誤魔化し

ながら生きることは

 

とてつもなく

深くて強い

ストレスを生み出す。

 

しかし、

それをしている

当の本人に

 

その自覚は

ない。

 

だからどうしても

サポート役が

必要だ。

 

最近、改めて

つくづく

思う。

 

世の中には

「コーチ」が

必要だ。

 

本物の

「コーチ」が

必要だ。

 

「コーチ」が

足りない。

 

「コーチ」が

いない。

 

何とかしたいと

改めて

強く思う。

 

つづく

 

すべての人が輝くために

 

自分自身の

輝きを

知るためには、

 

自分自身の

暗さを

見つめる必要が

ある。

 

真に輝きを放つ人

ほど、

自分の「すべて」と

向き合っている。

 

どのような

見たくない自分も

ちゃんと観て、

 

そのまま

あるがままを

ちゃんと観て、

 

「これが自分なんだな」

と、

受け止める。

 

ある意味、

すべての自分を

許す。

 

「許せない」

と言っている自分さえも

そのまま許す。

 

それができる人は

その人の

「真」の部分が

輝き出す。

 

「真の輝き」こそが

その人の

最大の魅力。

 

すべてを受け止める

人こそが、

真の魅力を

発現する。

 

自分を許す

ことのできる人は、

人を許す

こともできる。

 

人を許すことの

できる人は、

逆に

人に厳しくすることが

できる。

 

人の指導が

できる。

 

人のサポートが

できる。

 

私の願いは、

すべての人が

そうなること。

 

しかし

現時点では

なかなかにね。

 

だからまずは

「コーチ」を

育てたい。

 

ちゃんと人を

サポートし、

時には指導できる

「コーチ」を

育てたい。

 

その素養を持った

人達を、

これから

まだまだたくさん

発掘したい。

 

コーチの発掘と

育成は、

ようやく

始まったばかりだ。

 

つづく

 

約束は守るよ

 

私はコーチとして、

最低限のサポート

しかしない、

決めている。

 

しかもその

最低限のサポート

とは、

私自身が決める

のではなく、

その人の真本音が

決めることだ。

 

・・・・・・

 

その人は、

 

今、

 

片膝をついている。

 

目を瞑り、

両手を合わせ、

祈りの姿勢のまま

動かない。

 

じっとしたまま

もう

何日も

動かない。

 

私はその人の

強い意志を

知っている。

 

人生を

超加速させようと

決意していることも、

その覚悟を

すでに持ち合わせている

ことも

知っている。

 

だからこそ

私は

慎重にその人に

問うている。

 

今は

私のサポートが

必要ですか?

 

と。

 

その人は

無言のまま、

しかし

とても明瞭な意志を

言葉ではなく

ダイレクトに

伝えてきた。

 

「何もしないで

ください」

 

と。

 

「今は自力で

すべてをやります」

 

と。

 

では私は

何もしませんね。

 

その人に告げ、

私はその人から

離れた。

 

・・・・・・

 

人生とは

自力で進むものだ。

 

しかし、

自力で進むために

どうしても

サポートが必要になる

ときがある。

 

「自力で進む

ためのサポート」

 

私は

これしかしないと

決めている。

 

これしかしない

のが、

コーチであると

思っている。

 

その人との

約束であると

思っている。

 

つづく

 

ここは自力で進んでください

 

コーチというお仕事を

する上で、

最も大切なことは

何ですか?

 

というご質問を

いただくことがある。

 

もちろん

様々な視点から

様々な答えがある

のだが、

 

そんな時に

私がよくお答えするのは、

 

「サポートしては

ならない時に、

決してサポートしないこと」

 

ということだ。

 

私はこれを

本当に大切にしている。

 

人は、

自力で進まねば

ならない時が

ある。

 

人からの

サポートを

受けてはならない

時がある。

 

その見極めは

残念ながら

本人がすることは

とても難しい。

 

コーチである私が

せねばならないことだと

思っている。

 

だから私は

コーチングのご依頼を

お断りすることが

時々ある。

 

特に多いのが、

以前のクライアントさん

から、

「もう一度、コーチングを

お願いします」

と言われる時だ。

 

もちろん、

サポートさせていただくことが

最善のこともある。

 

しかし、

私のコーチングをご卒業

された方は、

基本的にはもう

私のコーチングは

必要ない。

 

どれだけ

苦しくても、

どれだけ

混乱しても、

ちゃんと自らの力で

道を開く力を

すでにお持ちだからだ。

 

真本音で生きる

ということの本質を

もう

会得しているからだ。

 

もし今、

かつてないような

混乱に見舞われていたと

しても、

 

それは、

自らの真本音が

自らに

与えているもの。

 

次のステージ進むために

自らに

課しているもの。

 

そこは

自力で行かねば

ならない。

 

自力で行かねば

先はない。

 

同じ場所を

堂々巡りするだけだ。

 

それをわかっていて

サポートをしてしまう

というような

ひどいことを

私はどうしても

することができない。

 

コーチとして

というよりも、

人として

することができない。

 

・・・・・・

 

手を差し伸べては

ならない時に

 

手を差し伸べて

しまったら、

 

私はその時点で

コーチを

辞めるだろうな。

 

つづく

 

答えは現場にある

 

料理を作るためには

材料と道具が

必要だ。

 

材料と道具は

いろんな種類が

あるほど、

いろんな料理が

作れて良いだろう。

 

だから

たくさんの材料と道具を

仕入れる。

 

たくさんの材料と道具を

抱える。

 

たくさんの材料と道具を

増やし続ける。

 

・・・で、

そこで満足して

終わり。

 

という人を

私はたくさん見てきた。

 

大事なのは

そこか?

 

もちろんそれも大事だけど、

もっと大事なことが

あるのではないか?

 

それは、

 

自分は

誰のために

どんな料理を

本当は

作りたいか?

 

・・・ではないか?

 

どれだけ材料があっても

道具があっても

そこで満足するのではなく、

それらを活用して

何をするか?

 

何のために

何をするか?

 

・・・ここに対して

私達はもっと真剣に

なるべきではないか。

 

・・・・・・

 

人生を進ませる、

とは、その

「何のために何をするか?」

に向かうことを言う。

 

ただし、

この答えはなかなか

見つからないことも

確かだ。

 

だから真剣に

見つけようとする。

 

見つけようとするだけでも、

人生は進む。

 

ただ漠然と

材料や道具を集めるのではなく、

その答えを

真剣に見つけようと進むことで、

自ずと、

良い材料にも道具にも

出会えるのだ。

 

・・・・・・

 

実は。

 

この仕事を始めた

20数年前の私は、

かなりの不勉強だった。

 

本を読んだりしながら

勉強するのが

億劫で億劫で。

 

だから、

ほぼ何のノウハウも

ないままに

コンサル現場に入った。

 

それはそれで

大問題なのだが、

でも、

何も知らなかったからこそ

必死に

人と向き合った。

 

今、目の前にいる

この人は、

どうすれば元気に

なるのだろうか?

 

どうすれば

成果を上げられる

のだろうか?

 

そればかりを

考えて考えて考え

尽くした。

 

で、

目の前の人に

試してみた。

 

というよりも、

その人本人と一緒に

試してみた。

 

当然、上手くいくこと

いかないこと、

様々だった。

 

しかし私は

「現場」から学ぶことが

できた。

 

本から学ぶよりも

先に

現場から学べた。

 

本で学んだり、

セミナーを受講して

学んだりしたのは、

「現場」での自分の学びが

間違っていないかどうか、を

確認するためだった。

 

今となっては

この順番で良かったと

思っている。

 

おかげで

「現場にこそ、本当の

答えがある」

ということを

私は知ることができた。

 

・・・・・・

 

たった一つの

材料でいい。

 

たった一つの

道具でいい。

 

今、自分が持っている

ものを使って、

 

真剣に、

 

自分は

何のために

何をするか?

 

を考えながら

目の前の「現場」に

向かってほしい。

 

特に

「コーチ」を目指す人には

それをしてもらいたい。

 

ちゃんと勉強して

力をつけてから

コーチの仕事を始めます。

 

・・・じゃないのだ。

 

それ言っているうちは

一生、コーチにはなれない。

 

人生は

「現場」だ。

 

仕事も

「現場」だ。

 

経営も

「現場」だ。

 

机の上には

ない。

 

自分にしか

創れない料理を

現場で創ろうではないか。

 

つづく

 

コーチになるなら自律せよ

 

私がどうして

経営者の方々を中心に

コーチをさせていただいて

いるかと言うと、

 

やはり経営者は

立場上、

真剣にならざるを得ない

環境にあるからだ。

 

一歩間違えれば

ビジネスも人生も

大きく左右してしまう、

 

自分の人生だけなら

まだしも、

社員さん達もそのご家族も

含めた人生を

大きく左右してしまう、

 

そんなヒリヒリするような

決断をしなければならない

立場であるからだ。

 

本気で悩むし、

本気で落ちるし、

本気で這いつくばる。

 

もちろん

経営者以外の人達だって

同じだろう。

 

人生みんな

本当に悩みながら

進んでいる。

 

しかしやはり

社会的影響の大きさと

独特の孤独感と

圧倒的な重圧と、

 

それらに苛まれ、

真本音を忘れ、

反応本音にまみれながらも

それでも必死に

進もうとしている人を見れば

 

どうしたって

応援したくなる。

 

それが結果的に

経営者の方々が多かった

ということだ。

 

そして、

いつも書かせていただいて

いることだが、

 

私は「コーチ」を

育成したい。

 

世の中には「コーチ」が

足りなさ過ぎるから。

 

しかもその「コーチ」は

本物のサポート力を

持っていなければならない。

 

だからよく

「コーチになりたいのですが、

私を指導してくださいますか?」

とご依頼をいただくのだが、

 

そんな時に私が必ず

お伝えするのが、

 

「ではまずは

コーチとして独立をしてください。

小さくても良いですから、

自分で経営を始めてください」

 

ということだ。

 

自らが自らの

経営もできない人が

「コーチ」はできないからだ。

 

以前はそうでもない、

とも思っていたが、

やはり本物のサポート力は

 

「自律」した人からしか

出てこない、

つくづくわかったのだ。

この数年で。

 

私はすでに

自律している人を

サポートしたいし、

 

今はできていなくても

本気で自律しようと

している人を

サポートしたい。

 

そんな人にこそ、

「真本音で生きる」

ということの真髄を

体験を通じて

会得してほしいのだ。

 

自律した人が

さらに自律度合いを

高めれば、

 

調和の波が起こる。

 

自律調和。

 

そんな社会に

早くたどり着くためにも

私はさらに加速しなければ

ならないな。

 

つづく

 

本来の力を知ってる?

 

私は

「コーチ」

を名乗っているが、

 

コーチというお仕事の

重要な役割は、

 

その人の本来の

魅力や力を

その人自身が

活用できるようにするサポート

 

だと思っている。

 

自分自身の

「本来」

人はあまりにも

知らない。

 

「本来」ではない部分の

魅力や力を

伸ばそうと努力している。

 

しかし残念ながら

そこはなかなか

伸びない。

 

伸びないから

自信喪失する。

 

結果として、

「自分なんて価値がない」

本気で思い込むように

なる。

 

今日も実はちょっと

そんな場面が

あったのだが、

 

そんな時、私は

実に悲しくなる。

 

私はもう長く

このお仕事を続けているので、

ある時から

その人の本来のエネルギーを

感じ取れるようになった。

 

しかしそのエネルギーを

ちゃんと使っている人は

ほぼいない

という事実を知った。

 

エネルギーが

そこにあるのに

その存在に気づかず、

 

魅力や力が

充分にあるのに

「価値がない」と

思い込む。

 

人により

程度の差はあるが、

 

私の目から観ると

9割以上の人が

そうだと映る。

 

いや。

 

ここは躊躇せずに

言おう。

 

99.9%以上の人が

そうだと

私の目には

映っている。

 

だから

思う。

 

いったい

この世の中は

何なんだ!と。

 

人の本来を

発揮できない

世の中。

 

しかしそれは

世の中が

悪いわけではない。

 

世の中は

一人ひとりが

創り出している。

 

だから、

一人ひとり

その人本人、

つまりは

「自分」のせいだ。

 

と、

悲しくなるのだ。

 

もちろん、

そういう私だって

まだまだ「本来」は

出せていないだろう。

 

でも少なくとも

私は

「本来を出せていない」

という事実を

知っている。

 

そして

何とかしよう!と

している。

 

何とかしよう!と

する人が

増えるといいな。

 

そのためにも

私は今のお仕事を

がんばるよ。

 

つづく

 

目は開いているかな?

 

本当は私達は、

実に見通しの良い

道に

立っている。

 

さえぎるものは、

何一つとして

ない。

 

霞みさえない、

濃い青空のもと、

 

穏やかな風を

受けながら、

 

伸びやかに

私達は

立っている。

 

しかしそれでも

人は

「何も見えない」

言う。

 

「自分の道が見えない」

言う。

 

目を

閉じている

からだ。

 

もしくは、

目隠しを

し続けているから、

 

もしくは、

相当に分厚いフィルターの

眼鏡を

かけている、

からだ。

 

どれだけ気持ちよく

どれだけ安定した

道でも、

 

目を閉じていれば

進むのは

怖い。

 

当たり前の

こと。

 

だから、

目を開ければ

いい。

 

でも、

開け方が

わからない。

 

残念ながら、

そんな人達が多いのが

今の世の中だ。

 

そこで

大半の人が

とってしまう方法は、

 

目を閉じたまま

上手く進もう

すること。

 

目を閉じたままで、

どちらの方向に

どのように

進めば良いか?

他者から

教えてもらったり、

アドバイスを

もらったり。

 

目を閉じたまま、

自分の手を

引っ張ってくれる人を

見つけ、

その人に

依存したり。

 

一生、

目を閉じたままで

いい、

思っているようだ。

 

もしくは、

一生、目を開けることは

できないと

思い込んでいるか。

 

もしくは、

すでに自分は

目を開けていると

思い込んでいるか。

 

今、

まだ自分は

閉じているという

自覚をすることが

第一かな。

 

自覚できれば

開けたくなる。

 

開けたくなったら、

その自分の

想いに、

素直になることだな。

 

そうなれば

あとは

方法論だ。

 

ただし、

何かをちょっとやって

すぐにパッと

開くものでは

ない。

 

開くには、訓練が

必要だ。

 

毎日毎日の

地道な習慣が

必要だ。

 

その方法を

私は

セルフコーチング法

呼んでいる。

 

自分が

自分自身の

目を開かせるために、

 

自分を

サポート

し続ける。

 

そして

目を開くことが

できたら、

 

次は、

進むための

サポートに入る。

 

それも

セルフコーチング。

 

自分の最大の

コーチは

自分自身。

 

みんなが

そんな状態に

なれればいいな、

思う。

 

そして

自分で自分を

コーチできるように

なれば、

 

その人は今度は

他者を

コーチできるように

なる。

 

他者に

セルフコーチングを

教えることが

できるようになる。

 

私は世の中に

本物の力を持った

コーチが増えることを

切に望んでいるが、

 

そのためには

やはり、

この順番が

大切だな。

 

つづく

 

本当の成長を欲しているんだ

 

人生を進めている

つもりになっていても、

実は

まったく進んでおらず、

同じ場所で

足踏みをし続け、

 

足踏みをすることで

汗をかき、

 

汗をかくことで

「私は頑張っている」

自己満足している

人は、

残念ながら

とても多い。

 

以前にもよく

書かせていただいたが、

 

成長には

2種類があって、

それをあえて

名付けると、

 

・進化

・膨張

 

となる。

 

「進化」とは

次元を高めること。

 

「膨張」とは

同じ場所で

規模や能力など

のみが

大きくなることだ。

 

単なる膨張を

しているだけで、

満足をしている人が

多いのが

今の社会だ。

 

私は、

膨張のことを

成長とは

思っていない。

 

本来の成長とは

進化があっての

もの。

 

そして、

進化のないサポート、

つまりは

膨張のためだけの

サポートは

一切やらないと

決めている。

 

しかし

とても残念なことだが、

 

進化など

どうでもいい。

とりあえずは、

膨張さえすれば

それで

いいではないか。

 

思っている人は

とても多い。

 

経営者も

含めて。

 

注意していただき

たいのは、

 

能力の成長

 

も、

それのみであれば

膨張である

ということだ。

 

言い換えれば、

実力のみの成長

単なる膨張だ。

 

以上を踏まえた

上で

あえて断定すれば、

 

今の若者の

何割かは、

 

進化への欲求が

極めて高い。

 

逆に言えば、

単なる膨張に

対して

やりがいや生きがいを

感じなく

なって来ている。

 

膨張のために

頑張れ!

を言われても、

無気力・無関心に

なる。

 

私は、

登校拒否になって

しまっている

未成年者のサポートを

させていただくことも

あるが、

 

彼らの何割かは、

(本質的には)

膨張のみを

強いろうとする

社会に対しての

拒絶感を持っている。

 

しかし

そういった彼らでも、

進化を感じられる

物事に対しては、

途端に

エネルギーを

発揮したりする。

 

進化に対しては

苦労をしてもいい。

 

どころか、

 

進化のために

努力や苦労をしたい!

望んでいる人は

多い。

 

しかし、

それが一体

どういうことなのか、

 

どうすれば

いいのか、

 

まったくもって

わからない。

 

大人達は

そこのところを

何も教えてくれない。

 

だから

単なる無気力

無関心になる。

 

という状態だ。

 

もちろん、

そのような状態でも

私は

自らの人生は

自ら進むことで

拓いていくことが

重要だと思っている。

 

進化への欲求が

あるならば、

自ら動けよ。

 

とも思う。

 

しかし人は、

あまりにも

何もわからなければ、

何もできなくなってしまう

ものだ。

 

「守破離」という

成長の段階があるが、

 

彼らはまだ

(多くの若者はまだ)

「守」の段階だ。

 

例えば2歳の子供に、

「進化のために

自ら人生を創りなさい」

と言っても

ほぼ不可能なのと

同じだ。

 

ちゃんと彼らに

「教える」

ことのできる大人が

必要だ。

 

その役割を果たすのは、

これからの時代に

おいては、

私は

 

「企業」

 

だと思っている。

 

ビジネスや仕事を

通じて、

生活を成り立たせ、

その土壌の上で

進化を起こす。

 

そういった「企業」が

増えることこそが、

これからの時代を

創る若者達を

活性化させる

最も重要な方法だと

思っている。

 

逆に言えば、

そういった「企業」が

増えなければ、

若者達の本来の力は

発揮されない。

 

若者達の本来の力

を発揮できる

「企業」

を増やさねば

ならない。

 

しかし、

現時点では

どうすれば進化できるか?

を明確に知る「企業」は

 

実に少ない。

 

だから、

そういった「企業」を

増やすことに

私は邁進する。

 

そしてこれは当然

私一人でできることでは

なく、

進化をサポートできる

「コーチ」を

増やすことも

必須だ。

 

そして

「コーチ」の

最低条件は、

 

進化とは何か?

 

どうすれば

進化できるか?

 

を知っていること

だ。

身をもって。

 

それを知るために

絶対的に必要なのが、

 

進化のための

セルフコーチング

 

だ。

 

進化のための

自分との向き合い方

 

であり、

 

進化のための

自己マネジメント

 

だ。

 

セルフコーチング法を

広めることが、

やはり

肝要だな。

 

つづく

 

やはりコーチが必要だ

 

自分自身のことを

深く憤っている人が

増えている。

 

そのストレスたるや

半端ない。

 

それはある意味、

真本音レベルの

憤りだ。

 

「なぜ私は、

私の望んでいる通りに

動かないのだ」

 

「なぜ私は、

本当はやればできるのに

やろうとしないのだ」

 

「なぜ私は、

本当の想いに目を向けず、

どうでもいいことばかりに

意識を向けるのだ」

 

「なぜ私は、

本当に向き合うべき人から

逃げ続け、

自己満足だけで人と

関わるのだ」

 

「なぜ私は

根拠のない不安ばかりに

意識を向け、

進まない理由に

し続けるのだ」

 

・・・

 

あえて言葉にすれば

そういったことに

なる。

 

一言で言えば、

 

「本来の道に

進もうとしない自分」

 

を、心の底から

憤っている。

 

そのストレスは、

「ストレス」の臨界を

越え、

「エンティティ」という

実体となっている。

 

それは「生き霊」とも

言える念の塊

だ。

 

そういった人と

向き合うと、

エンティティ達が

ワッとこちらに

襲いかかってくる。

 

あまりにひどい場合は、

それは「殺意」の

ようにも感じられる。

 

自分への憤りの

度が過ぎて、

自分自身への殺意に

すらなっているのだ。

 

しかもそのことを

本人(の顕在意識)は

知らない。

 

自覚して

いないのだ。

 

苦しみも

限界を越えると

麻痺するからだ。

 

・・・・・・

 

世の中全体の

真本音度合いは

間違いなく

高まっている。

 

特にこの1〜2年の

上昇率は

これまでになかった

ものだ。

 

だからが故

なのだろう。

 

人々の真本音が

浮上しやすくなった。

 

真本音が浮上する

ということは、

これまで決して

気づかなかった

自分の本当の願いに

気づきやすくなった

ということ。

 

これまでは

願いに向かわなくとも

自分で自分を

ごまかし続ける

ことができた。

 

しかし今はもう、

たとえ無意識で

あろうとも、

何となく皆、

わかっているのだ。

 

自分の本当の

願いを。

 

自分の人生の

願いを。

 

だからこそ、

そこに向かおうとしない

自分自身をもまた

よくわかっている。

 

だからこその

憤りの大きさ

だ。

 

・・・・・・

 

時代は

変わった。

 

私が

「真本音の時代」

と呼んでいる時代には

6年前には

入っていたのだが、

 

ようやく世の中は

その自覚を

し始めている。

 

自分の本当の

願いに向かい

生きる、

のは

人として当たり前の

ことだ。

 

自然な

ことだ。

 

しかしその

当たり前のことを

私達はしてこなかった。

 

その当たり前が

できないのが人生だ、

くらいに

思い込んで生きてきた。

 

その癖と

本当の願いとの

せめぎ合いが

今、だ。

 

ごまかしてきた

ことが

ごまかせなくなる。

 

その傾向は

今後ますます

強まっていくだろう。

 

だから

自分の癖に

執着している場合

ではない。

 

早く、

自分自身に

素直になってほしい。

 

しかしそれは

とても怖い

ことなのだろう。

 

だからこそ

そのサポートをする

人が必要だ。

 

「コーチ」が

必要な時代だ。

 

真本音で生きる

ことを

ちゃんとサポート

できる

「コーチ」が必要だが、

 

今はその数が

あまりにも

少ない。

 

でもその素養を

持った人は

確かに

たくさんいる。

 

特に

若い人達には

多い。

 

もう私も

51歳だ。

 

私が最前線でやり続ける

べきではない。

 

早く私は

多くの若い人達に、

本物の「コーチ」の力を

伝授したい。

 

「伝授」と言うと

おこがましいが、

 

でもあえて

言う。

 

ちゃんと

伝授したい。

 

丁寧に

伝授したい。

 

つづく

 

もっと素直になればいい

 

自分の中から

真本音の想いが

浮上し、

顕在化しているにも

関わらず、

 

「こんな気持ちを

現してはダメだ」

 

と、

その想いを

必死に抑えながら、

 

違った自分を

懸命に出しながら

仕事に向かっている

人がいる。

 

多い。

 

実に

もったいないねぇ。

 

その想いに

素直に動けば、

すべてが

調和を始めるのに、

 

その人は

「この想いは

混乱しか生まない」

信じてしまっている。

 

真本音の想いに

素直に動くことは

俗にいう

「わがまま」

ではない。

 

なぜなら

真本音は皆、

つながっているから。

 

自分の真本音の

想いと

自分以外の人の

真本音の想いは

つながっている。

 

一人が

その想いに素直に

動けば、

隣の人も

真本音が活性化

する。

 

その人がまた

素直に動けば、

さらに隣の人の

真本音も活性化する。

 

その連鎖が起き、

組織は

完全調和へと

向かっていく。

 

「わがまま」とは

たくさんある反応本音の中の

たった一つの想いに

執着し、

それを頑なに、強引に

押し通すこと。

 

反応本音は

残念ながら

他の人とは

つながっていない。

 

だから

「わがまま」

となる。

 

真本音と

反応本音の

区別がつくように

なると

本当にいい。

 

本当に

楽になる。

 

個人も

組織も。

 

そんな世の中に

したい。

 

そのために

今は「コーチ」が

必要なんだ。

 

真本音サポート

のできる

「コーチ」が。

 

つづく

 

上手くやろうとすんなよ

 

混乱。

 

そして、

 

混沌。

 

これらは、普通、

誰もが

嫌うものだ。

 

混乱するよりは

スムーズに進みたい。

 

と、普通は

思うだろう。

 

もちろん私も

そうだ。

 

ただ、

私はあえて

混乱や混沌を

その人や

その組織に

もたらすことを

大事にしている。

 

ちょっと極端に

言えば、

 

混乱・混沌をもたらす

人が「コーチ」である。

 

くらいに

思っている。

 

もちろんそれは

良い混乱

であり

良い混沌

だ。

 

「良い」とは

つまり、

「進化へとつながる」

ということ。

 

結果として

これまでよりも

次元を高めた

「調和へとつながる」

ための

混乱であり

混沌だ。

 

・・・・・・

 

混乱・混沌を

恐れる人は

結果として、

その心の内では

混乱・混沌が

大きくなる。

 

という傾向を

私は企業サポートの

現場で、

いやというほど

見てきた。

 

例えば、

人間関係を上手く

収めよう、

いつも努力している

人ほど、

 

表面上の関係を

繕うだけで、

心の内面では

そこにいる皆の中に、

日々、

混乱・混沌、

そして怒りや苛立ちが

増幅する、

 

という現実を

創り出してしまう。

 

しかも本人は

それに気づかない。

 

しかし、

望んでいない

出来事が

日々、

次々に起こってしまう。

 

自分は毎日

こんなにも

頑張っているのに、

なんで

悪いことばかりが

起こるのだろうか。

 

と、

その人は

悩んでいる。

 

実は自分が

すべての原因で

あることに

本当に

気づいていない。

 

混乱・混沌への

恐れは、

ますますの

混乱・混沌の増長と

共に、

麻痺すらも

起こす。

 

だから私は

わかりやすく

混乱・混沌が

起こりやすい状況を

創っていく。

 

いや、

そう書くと大変

おこがましいな。

 

私が創る

のではない。

 

私はただ、

「自業自得」が

働きやすい状態に

サポートする

だけだ。

 

真本音度合いが

高まれば、

自業自得が

起こりやすくなる。

 

自業自得と言うと、

悪い印象が

あるかもしれないが、

私はこれこそが

健康な状態

だと思っている。

 

調和に向かう

ことをすれば、

ちゃんと物事が

調和し、

 

不調和に向かう

ことをすれば、

ちゃんと物事は

不調和していく。

 

この状態が

できて初めて、

人は

健康的に進化を

始めるからだ。

 

子どもの育成

と同じ。

 

悪いことを

すれば

叱られるし、

 

良いことを

すれば

褒められる。

 

それを

親が行なうのでは

なく、

「現実」が

わかりやすく

行なってくれる。

 

これが

自業自得が機能

している状態だ。

 

自業自得が

機能するように

なれば、

 

必然的に

これまで

誤魔化し誤魔化しで

来たことが

そうはいかなく

なる。

 

次々に

不調和が起こり、

混乱・混沌が

増えてくる。

 

しかしそれは

本当に

一時的なものだ。

 

混乱・混沌の

おかげで、

自分が何を

修正し、

何をさらに進めれば

良いか?

よ〜くわかる。

 

それがわかれば、

日々、

面白いように

現実は

調和していく。

 

こういったことを

意図せずに

意図的に

もたらす

(意味、わかっていただけるかな?)

のが

「コーチ」だと

私は思っている。

 

つづく

 

やはりここが原点だな

 

嬉しいことが

あると、

 

悦びのあまり、

内側から

凄いエネルギーが

湧いてくるが、

 

最近の私の

それは、

ちょっと尋常ではなく、

 

自分を

見失いそうに

なる。

 

今日も

嬉しい日だったのだが、

少しの時間、

私の顕在意識は

私自身の

エネルギーの中に

埋没してしまった。

 

注意せねば。

 

エネルギーが

出ること自体は

良いことなのだが、

 

そのエネルギーを

自らコントロール

するのではなく、

 

エネルギーの

放流に

呑まれてしまうと、

気がつけば

単なる

イケイケどんどん

になってしまう。

 

イケイケどんどん

のまま

行動すれば、

その時は

気持ち良いのだが、

 

あとで必ず

その反動が来る。

 

これは恐らく

私だけのことでは

なく、

すべての人が

そうなのだと思う。

 

気持ちが良い時

ほど、

自分のコントロールが

効かなくなる。

 

ここを

乗り越えることも

我々人間の

テーマの一つだ。

 

エネルギーが

高まれば

ガンガン進み、

 

エネルギーが

静まれば

止まってしまう。

 

その不安定さから

抜け出ることが

人生に調和を

もたらすし、

 

そこを私達の

真本音は

望んでいる。

 

・・・・・・

 

とは言え、

 

悦びは悦び

として

感じ取ろう。

 

以前にも

書いたことがあるが、

 

悦びによって

発生するエネルギー

は、

しっかりそれを

噛み締めながら、

 

自分の体の

中心に

大切に抱く

ようにしよう。

 

すると、

ずっと体の中心から

あたたかさが、

 

トツトツと

全身に

行き渡り続ける。

 

そのあたたかさは

私達を

安定させてくれる。

 

実は

この状態にするまでが

今日の私は

とても苦労したのだが、

今は

落ち着いている。

 

私の悦びの

多くは、

 

人の進化を

感じたときだ。

 

特に、

その人の進化が

具体的な形となって

現れたときだ。

 

それが今日、

あったものだから、

とても

嬉しかった。

 

・・・・・・

 

悦びのエネルギー

自分の中心に

抱いたら、

 

そんな時こそ、

自分の「願い」

について

思いを巡らせよう。

 

今、

改めて私は

「コーチ」を

増やしたいと

思う。

 

本物の

「コーチ」を。

 

ただし

私の言う「コーチ」

とは、

 

別に「コーチ」と

名乗らなくても

いい。

 

プロが増えれば

増えるだけいい、

とは思うが、

 

プロになるかどうか、

にこだわらなくても

いい。

 

ただ、

人や組織の

「人生」を

「進化」を

「道」を

本質的にしっかりと

サポートできる

「コーチ」を

発掘し、

育成したい。

 

日本にとどまらず、

世界中で。

 

エネルギーが

高まれば高まる

ほど、

 

やはりその原点に

戻るのだな、

思う。

 

つづく

 

幻影の中で生きるのか

 

心の中の現実を

私は

『実在』

と呼んでいるが、

 

心の中には

現実ではないものも

存在している。

 

それを

『幻影』

と呼ぶことにしている。

 

つまり心の中には

「実在」

「幻影」

の二つがある。

 

残念ながら

ほとんどの人は

この二つの区別が

ついていない。

 

しかし本当は

この二つはまるで

 

本物の青空

 

 

絵の具で描いた青空

 

くらいの差があり、

それくらいの

違いがわかるはずなのだ、

私達人間は。

 

本来は。

 

・・・・・・

 

私の言葉で

表現すれば、

 

実在のことを

「真本音」

 

幻影のことを

「反応本音」

 

と言う。

 

真本音とは

実在であるので、

確固たるものだ。

 

どのような状況でも

揺らぐことはない。

 

しかし

反応本音は逆に

幻影であるだけに

すぐに

揺らぐし、

消える。

 

確固たる度合いを

比喩的に表現すれば、

 

真本音は

地球。

 

反応本音は

雲。

 

くらいの違いがある。

 

雲は確かに

その瞬間は現れるし、

時には大きくなるが、

 

必ず

いつかは消えていく。

 

掴もうと思っても

掴めない。

 

乗っかろうと

思っても

乗っかれない。

 

それだけ

不確かなものだ。

 

ところが、

雲に一度巻かれて

しまうと

何も見えなくなる。

 

例えば、

怒り、という反応本音に

巻かれてしまうと

怒り以外のものが

見えなくなってしまう。

 

そしてそのまま

雲(怒り)に巻かれた状態で

私達は

次の自分の言動を

起こす。

 

本当は

地球はあるのに。

 

いつだって。

 

本当は

私達は地球に

いるのに。

 

それすら

わからなくなる。

 

地球にいることを

思い出せば、

私達は本当は

自分が何を望んでいるか

も思い出せる。

 

しかし

忘れたまま

生きていく。

 

幻影に

巻かれたまま

生きていく。

 

たとえ

一つの幻影から

抜け出ても、

次の幻影に

巻かれる。

 

幻影から幻影に

移り変わるだけ。

 

地球を思い出さずに

幻影の中のみ

を移り変わるだけ。

 

そのような状態で

生きている人が

残念ながら

ほとんとだ。

 

幻影に巻かれて

行動を決める、

ということは、

 

幻影に基づいた

心の外の現実

(これを現象という)

を創り上げることに

なる。

 

幻影に基づいた

現象を創るということは、

 

当然であるが、

 

実在の望む現象とは

別の現象を

生み出すことになる。

 

ここに、

「実在と現象の不一致」

が起こる。

 

そして

その不一致によって

さらなるストレスが

発生し、

 

それが心の中に

大量の「苦しみの幻影」

を巻き起こす。

 

そして私達は

その「苦しみ」からさらに

次の行動を

決めてしまう。

 

そのサイクルを

延々と続ける。

 

それが人生であると

思い込みながら。

 

・・・・・・

 

そのサイクルから

抜け出ていただく

のが、

私のサポートの

第一段階だ。

 

ちなみに、

第二段階は、

抜け出た後に今度は

望む現実(現象)を

創り出していく。

 

それによって

 

「実在と現象が一致」

 

する。

 

これが私のサポート

の本質であり、

 

私はこのような

サポートのできる人を

「コーチ」

と呼んでいる。

 

「実在と現象を一致させる」

ためのサポート力。

 

これを修得していただく

ための場を

春くらいを目処に

立ち上げようと

思っている。

 

それは恐らく

一つではなく、

いくつかの

バリエーションを持たせて。

 

まだ現時点では

明確ではないが、

すでに準備には

入っている。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

現実には二つある

 

「世界」とは

二つある。

 

一つは、

「心の内の世界」、

 

もう一つは、

「心の外の世界」。

 

そして

それぞれに

「現実」

がある。

 

心の内の現実

のことを

私はいつも

「実在」

と呼んでいる。

 

心の外の現実

のことを

私はいつも

「現象」

と呼んでいる。

 

一般的には

心の外で起きていること

(つまりは「現象」)

のことを

「現実」と

呼んでいるのだろうが、

 

今書いたように、

「現実」は

心の外だけで

起きていることでは

ない。

 

この視点がないから

「現実」を変えることが

極めて困難になる。

 

私が大事にしている

サポートとは、

 

心の内と外の

二つの「現実」を

 

一致させる

 

ことだ。

 

心の外の現実

(つまり、現象)

のみを

上手くいかせようと

皆、し過ぎている。

 

たまたま

上手くいくかも

しれないが、

 

しかしそれにより、

心の内と外が

不一致になる可能性が

高い。

 

この「不一致」が

あらゆる

不調和を起こす。

 

実は、

「不一致」による

ストレスが

私達人間にとって

最もキツい。

 

現実(この場合は、現象)が

上手くいっているのに、

本人はそれほど

幸せでなかったり、

 

物事が上手く

進んでいるのに、

疲労感・疲弊感ばかりが

高まっていくのは

そこに原因がある。

 

心の内の状態が

悪ければ、

心の外の状態も

悪くなる。

 

心の内の状態が

良ければ、

心の外の状態も

良くなる。

 

これが

「健康」

ということだ。

 

心の内の状態が

良くないのに、

心の外の状態のみが

良くなっていく。

 

この状態に

なっている人や組織

を、

私は最も

「危険」

とみる。

 

そのため、

私が行なっている

サポートには

大まかには

次の二つの段階が

ある。

 

①心の内を良い状態にする。

 

②心の外を良い状態にする。

 

つまり、

心の内の状態を

整えた上で、

それが心の外に

反映するように

する。

 

これを

一言で表現すれば、

 

『実在を現象化する』

 

となる。

 

これさえできれば、

もう私のサポートは

要らないのではないか、

 

とすら

私は思っている。

 

・・・・・・

 

以上の話に

「真本音」

という言葉を絡めると、

次のようになる。

 

①心の内の

真本音度合いを

高めた上で、

 

②心の外の

真本音度合いを

高める。

 

ということだ。

 

つまり、

「真本音度合い」

という尺度には

2種類ある

ということだ。

 

①を

「潜在的真本音度合い」

 

②を

「顕在的真本音度合い」

 

私は呼んでいる。

 

心の内の真本音度合いを

高める、とは

どういうことか?

の詳細については

また改めて

書かせていただくとして、

 

人は、

まずは心の内が整えば、

かなり元気になる。

 

しかし

本当の元気さとは、

それがちゃんと

心の外に反映する

ことだ。

 

つまりは、

心の内にある

本当の想いに基づき、

 

それを

行動に移し、

結果を出す。

 

それが

できるように

なってこそ、

本当の元気さ、

永続的な元気さ、

つながっていく。

 

ところが、

②は

勇気が要る。

 

①までは

できたのに、

②で止まってしまう

人がいる。

 

私が最近

「進め!」

と言っているのは、

 

②をせよ!

 

ということだ。

 

要するに、

「行動せい!」

ということだ。

 

①だけで

気持ちよくなって

満足するな、

と。

 

そして当然であるが、

②までをサポート

できる「コーチ」が

必要だ。

 

そしてさらに

当然であるが、

 

そのためには

コーチ自らが、

自身の人生において、

②までが

できていなければ

ならない。

 

①しか

できていないのに、

 

もしくは、

①すら

できていないのに、

 

「私は人のサポートを

します」

 

と言っている人が

多過ぎはしないか。

 

そういった

コーチによるサポート

を受けた人は、

 

①すらどんどん

ひどくなっていく

のだ。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

私達には役割がある

 

世の中は、

自分一人だけでは

力及ばぬこと

ばかりである。

 

私には

「できないこと」

ばかりである。

 

「できないこと」

というのには

二つの要素がある。

 

「能力的にできない」

ということと、

「やってはならない」

ということだ。

 

そしてこの二つは

完全に

つながっている。

 

私達には

「役割」

がある。

 

それは私達自身が

真本音で

決めている。

 

自らの本当の役割を

見つけ出すことが

人生の最初の

目的だ。

 

そして

その「役割」を

全うするために

私達は皆、

先天的な能力を

持ち合わせている。

 

これをつまりは

「才能」

と呼ぶ。

 

「才能」とは

少しの努力で

ぐんぐんと伸びて行く

力を言う。

 

しかし

面白いことに、

どれだけ優れた

「才能」があっても、

 

それを

使わなければ

それは

まったく発揮されない。

 

だから

自分の「才能」に

気づかずに

人生を終えてしまう

人も多い。

 

多い、

と言うか、

びっくりしないで

いただきたいのだが、

私の現場感覚では

9割以上の人が

自らの「才能」に

気づいていない。

 

そして

「才能」以外の部分を

必死に努力して

伸ばしながら

生きているし、

仕事をしている

という現状がある。

 

だから私の

「コーチ」としての

目的の一つは、

 

その人の

「才能」を見出すこと。

 

そして

その人の真本音が

望む「役割」

を見出すことだ。

 

組織において、

(組織外でも同じだが)

その「役割」と「才能」が

合致し、発揮されれば、

 

そういった人達が

増えれば、

間違いなくその組織は

「調和」する。

 

そして

「進化」を始める。

 

それが如実に

「数字」となって

現れる。

 

・・・・・・

 

「才能」は

見つけ出さねば

発揮されないが、

 

見つけ出すだけ

ではダメだ。

 

次は、

それを伸ばす努力

が必要だ。

 

「才能」は

努力をすれば

すぐに伸びるが、

 

努力もしなければ

まったく伸びないように

できている。

 

まったく

人間というのは

面白い。

 

「才能」が伸びるように

努力するということは、

イコール、

その「才能」に見合った

「役割」に挑戦する

ということだ。

 

その「役割」を

担うのが

私達の人生の望み

であり、

真本音の望みなので、

 

要するに、

真本音に素直に

生きることで、

「役割」を見つけ、

「才能」も掘り出される。

 

その結果、

 

・自分がすべきこと

・自分がすべきではないこと

 

が自然に

明確になる。

 

組織も社会も

ここが混乱している

ので、

不調和が起きてしまう。

 

一人一人が

真本音で望む「役割」を

しっかりと担えば、

組織も社会も

自然に調和する。

 

つまり、

本当に面白いことだが、

 

「この組織を

こうするために

人をどうするか?」

 

という方向で

考えるよりも、

 

「この人を

本当に活かすために

どうするか?」

 

を出発点にする

ことで、

 

自然に組織は

進化して行く。

 

組織とは

人の集まり

だからだ。

 

この原則を

実践しているのが、

私のサポートの

真髄だと言ってもいい。

 

私は

こういった「コーチ」を

育成したいのだ。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

人生の本流を見出そう

 

私には

やりたいことが

山のようにある。

 

だからこそ、

一本道を

創っている。

 

たくさんのことに

エネルギーを

分散するよりも、

 

常に

「一点」を

決める。

 

というのを

基本にしている。

 

一点を決めると、

自然に

一本道が

観えてくる。

 

まるで

川の水が

流れるかのような

一本道が。

 

川には

至る所に

岩や障害があり、

 

そこでは

水はせき止められて

いたり、

濁流を生んだり

しているが、

 

そういった箇所には

できるだけ

寄らない。

 

水が最も

スムーズに流れる

「本流」を

見つける。

 

つまりは

最も楽な行き方

を見つける。

 

最も

楽だと思える

道筋で、

最も

集中すべき

ことに

集中する。

 

これを私は

「戦略」

と呼んでいる。

 

「戦いを略す」。

 

要らぬ戦いを

せずして

目的に至る

最善の道だ。

 

・・・・・・

 

人生には

戦略が必要だ。

 

人の成長(進化)

にも

戦略が必要だ。

 

最も楽な

行き方をするから

こそ、

 

最も大事な

課題に

全エネルギーを

集中できる。

 

それにより

「最速」

で進める。

 

もちろん

今の自分に出せる

「最速」

だ。

 

・・・・・・

 

最速で進む

には

「覚悟」が

必要だ。

 

その「覚悟」を

持った人には

私は

「戦略」を

オススメしている。

 

実際に、

覚悟のある人

こそ、

戦略が

生きてくる。

 

覚悟とは

気合いのことでは

ない。

 

いつも言うことだが、

覚悟のある人は

静かだ。

 

スッキリクッキリと

物事が

観えている。

 

そして

淡々と

すべきことを

している。

 

あーだこーだと

できない理由を

並べ立てることは

しないし、

 

力を鼓舞する

こともない。

 

一つを決め、

一つをやる。

 

その連続を

まるで呼吸の

ように

進めていく。

 

その行き方と

戦略が

合致すると、

 

その人は

独特の空気感を

発する人

となる。

 

その人と

一緒にいるだけで

こちらの心は

洗われ、

 

その人と

一緒にいるだけで

こちらの道も

観えてくる。

 

余分な悩みや

迷いは消散し、

自分がなぜ

あんなことで

ウダウダと止まっていたのか、

わからなくなる。

 

心も体も

楽になるが、

背中に一本の軸が

通ったような

爽快さも感じるように

なる。

 

つまり、

その人と一緒に

いるだけで、

周りの誰もが

「自律」し始める。

 

・・・・・・

 

そんな

「リーダー」

を増やすために

私はサポートを

しているし、

 

そんな

「コーチ」

を私は

たくさん育成したい。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

ちゃんと壊すから次に進める

 

私は恐らく、

とても厳しいコーチ

なんだと思う。

 

厳しいと言っても、

怒鳴ったり

けなしたり

するわけではない。

 

しかし

ある時ある瞬間に、

躊躇なく

クライアントさんの

「すべて」

壊すことがある。

 

ただし当然だが、

本当に

「すべてを壊す」

のではない。

 

その時のクライアントさん

ご本人が

「これが私の

すべてである」

と思い込んでいるもの

を壊す

のだ。

 

しかし

側から観れば

そうなのだが、

クライアントさんご本人に

してみれば、

たまったものではない。

 

すべてを

完全否定される

以上の

ショックや衝撃、

そして

痛みを感じるだろう。

 

・・・・・・

 

これを

中途半端に

相手をフォローしながら

上手くやろうとする

人がいる。

 

しかし

そのサポートは

逆に危険だ。

 

やる時は

一気にやる。

 

のが

実は一番

安全だ。

 

中途半端に

やれば、

壊れるべきものが

中途半端に

残ったままになる。

 

それはある意味

ゾンビのような

状態だ。

 

その状態で

中途半端にまた

生き返ろうと

してしまう。

 

しかし当然

生き返れない。

 

で、

その状態で

苦しみ続ける。

 

これが

一番きついことだと

私は思う。

 

壊すべき時は

一気に

完全に

壊す。

 

これが

次に進める

最善のやり方だ。

 

しかしそのためには、

それをやる側の

「コーチ」の覚悟

がいる。

 

しかもその覚悟

とは

エイヤッという

気合いや

勢いによるもので

あっては

ならない。

 

目を瞑って

我を忘れて

行なうものであっては

ならない。

 

壊すこちらも

「痛み」を一緒に

伴わねばならない。

 

これがなかなか

できない。

 

ここまでできる

「コーチ」に

残念ながら

私はまだ出会った

経験がない。

 

だから

これができる

「コーチ」を

私は育成すると

決めている。

 

・・・・・・

 

「壊す」ためには

もう一つ重要な

ことがある。

 

それは

「タイミング」

だ。

 

大雑把に言えば、

「もう壊しても

この人は大丈夫だ」

という

タイミングまで

「待つ」

のだ。

 

壊すことで

その人が本当に

壊れてしまっては

ならない。

 

その人が

「すべてだと

思い込んでいるもの」

を壊しても、

 

そのすぐ後に、

「新たなその人」

であり、かつ

「本来のその人」

浮上できる、

・・・という

その状態になるのを

待たねばならない。

 

そこまでに

結構時間が

かかってしまう。

 

しかも

その状態になれたら、

「すぐさま」

壊さねばならない。

 

その

「新たなその人」

であり

「本来のその人」

は、

すぐに引っ込んで

しまうからだ。

 

つまり、

「本来のその人」

「芽」

が出始めたところで

壊すのだ。

 

この

「タイミング」

こそが

命かもしれない。

 

・・・・・・

 

で、

以上のことを

ぶっちゃけて

一言で表現すれば

こうなる。

 

「真本音度合いを

高め、

強くなったところで、

その人を壊す」

 

・・・だ。

 

まだ弱いうちに

壊してしまうと

本当に壊れてしまう。

 

だから

強くした上で

壊す。

 

要するに

そういうことだ。

 

表現だけ見れば

とても怖い感じだ。

 

しかし私は

これこそが

「コーチング」の本質

であると

思っている。

 

人を壊す

覚悟を持っている

人は、

自分を壊す

覚悟をも常に

持ち合わせている

人だ。

 

そんな人に

私は

「コーチ」を

目指してほしい。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

我に返るのが始まりだ

 

人生の選択に

迷ったら、

できるだけ

遠くを

観てみよう。

 

視野をできるだけ

大きく

取るのだ。

 

私は常に、

3年後の自分と

30年後の自分と

対話をし続けて

いる。

 

もちろんそれは

セルフコーチングの

一種であるので、

自己対話を

しているに過ぎない

のだが、

 

それでも

遠くを見つめれば、

 

そして

遠くの視点から

今を見つめれば、

 

我に返る

ことができる。

 

大事なのは、

我に返る

ことだ。

 

・・・・・・

 

常に

我に返った状態で

一歩一歩を

進めば、

 

それほど

間違えることは

ないし、

後悔もなくなる。

 

ほとんどの人は

我を忘れた状態で

がんばっている。

 

我を見失った

状態で

選択をしてしまう。

 

だから

後悔する。

 

という実に

単純明快な

理由がある。

 

いつも私は

「真本音に素直に

行こうよ」

と言うが、

 

これは

「我に返って

進もうよ」

と言うのと、

 

本質的には

同じことだ。

 

・・・・・・

 

そして、

当たり前のことだが、

 

我に返った

状態で

未来を描けば、

 

自分の本当に

望む未来を

設定することが

できる。

 

我を失った

状態で

未来を描けば、

 

それは

本当の願いとは

ズレを生じさせ、

未来に向かえば

向かうほど

ストレスが発生

する。

 

そういったビジョンを

描いている人が

多過ぎる。

 

・・・・・・

 

しかも、

常に我に返って

いれば、

その「我」は

急成長する。

 

つまりは

次元が上がって

いく。

 

最初は

単なる「我」で

あったのが、

 

しだいに、

「我」が大きく

なって行く。

 

我を大事にする

とは、

自分個人を

大事にすることでは

なく、

「すべて」を大事に

することである、

 

ということを、

努力するでもなく

当たり前のように

思えるようになる。

 

それを要するに

「器が大きくなる」

と言う。

 

「器を大きくしなきゃ」

では

器は大きくならない。

 

気合いの問題でも

真面目さの問題でも

ない。

 

我に返って

我を大事にすることで、

自然に

器は大きく

なってゆく。

 

「あいつは

人のことを考えない。

だから、

人のことを考えるように

させなきゃ」

 

では、一向に

その人は変わらない。

 

我に返り

我を大事にする人

でなければ、

本当の意味で

人を大事にすることは

無理なのだ。

 

それが

摂理であり、

 

それをよく

わかっている人が

本当のサポートが

できるのだと

私は思う。

 

「コーチ」は

誰よりも

器が大きくなければ

ならない。

 

そのためには、

誰よりも

我を大事に

していなければ

ならないのだ。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

情に流されるな

 

私はかつて、

情にもろい

人間だった。

 

情に揺らされ、

情に流された。

 

私達は人間なので、

もちろん

情はある。

 

それは

大切にすべきもの

だし、

自然に大切にしようと

している人も

多いだろう。

 

しかし、

情を大切にする

ことと

情に流される

ことは

根本的に違う。

 

昔の私は

情に流されることで

随分と

人生の遠回りを

してしまった。

 

恐らく

「コーチ」をする

ということに関して、

ここが

最大の難関の一つ

かもしれない。

 

「コーチ」が

情に流されると、

コーチングそのものが

「根本的に」

おかしくなる。

 

コーチングを

すればするほど、

クライアントさんの

真本音度合いが

激減していく

結果となるのだ。

 

・・・・・・

 

私は

よく泣く。

 

年齢を重ねるごとに

その傾向が

高くなっている。

 

とはいえ、

人前で泣くことは

ほとんどない。

 

でも

一人になった時に

クライアントさんの

苦しみや感情と

「一つ」となってしまい、

さめざめと

泣き続ける。

 

なんて

可哀想なんだろう、

と泣くこともあれば、

 

なんでこの人はこんなに

苦しい目に遭わねば

ならないんだろう、

と泣くこともある。

 

もちろん

嬉しくて泣くことも

多いが、

苦しみはさらに

多い。

 

私は夜中に

一人で

いつも泣き、

 

そして、

その上で

毅然と

クライアントさん達と

向かい合う。

 

そして私は

一切、

情には流されない。

 

一切、

である。

 

・・・・・・

 

私が人として

願うのは、

 

(「祈るのは」

と言った方が

よいかもしれないが)

 

一人ひとりが

真本音で生きる

ことである。

 

情に流される

ということは、

反応本音に流される

ということと

イコールの場合が

多い。

 

だから言葉を

換えれば、

 

私は一切、

その人の反応本音

には

流されない。

 

恐らく、

死んでも

流されないだろう。

 

それは

コーチングの場

だけではない。

 

プライベートでも

すべて同じ。

 

両親だろうが、

妻でだろうが、

子供にだろうが、

 

その人が

真本音で生きる

ことを阻害するもので

あれば、

一切そこには

流されない。

 

例えば、

その人が

苦しみの状況を

「自力で」

乗り越えようと

真本音で決めている

のであれば、

 

私はその

真本音を尊重し、

一切の

援助もヘルプも

しない。

 

だから

私のことを

とてつもなく

冷たい人間だと

思っている人は

多いのではないか。

 

しかしどう思われようが、

私がこの部分で

揺らぐことは

死ぬまでないだろう。

 

・・・・・・

 

以上を

私が本当に覚悟

してからである。

 

私自身の

人生も、

 

私のする

コーチングも、

 

すべてが

調和を始めたのは。

 

特に

コーチングにおいての

クライアントさん達の

道を開く度合いは

次元を変えた。

 

だから私は

「コーチ」になろうと

している人に

 

これを求める。

 

情に流されるな。

 

情に流された

サポートを

するな、

と。

 

情に流される

ことと、

 

愛を注ぐ、

 

ということは

根本的に異なる

どころか、

真逆の行為に

なることが多い。

 

「コーチ」に

なろうとする人は

 

ここに逃げずに

立ち向かってほしい。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

ちゃんと全部、観てる?

 

人の可能性を

信じる。

 

人の光を

感じる。

 

その人の良いところ

を見る。

 

・・・それらはとても

大事なことだと

思うけど、

 

でも、

 

そこしか見ないのは

私には

どうしても現実逃避に

思えてしまう。

 

人には

いろんな部分が

ある。

 

真本音もあれば

反応本音もある。

 

反応本音だって

とても良いものも

あるし、

とても醜いものも

ある。

 

それらすべてを

観て、

理解して、

 

その上で、

 

その人の

可能性を信じ、

 

その人の

光を感じ、

 

その人の良いところに

焦点を当てる

のであれば、

 

それはとても

素晴らしいことだ。

 

人を愛する

とは、

その人の

光の部分のみを

愛すること

ではない。

 

それでは

愛したことに

ならない。

 

その人のすべてを

観ること。

受け止めること。

 

それが

愛の出発点だと

私は思う。

 

そしてそれは

自分自身に対しても

同じことだ。

 

・・・・・・

 

「受け止める」

とは

ただ、受け止める

だけのことだ。

 

「理解する」

とは

ただ、「知る」だけの

ことだ。

 

無理に

「イエスマン」

になる必要はないし、

 

「私はすべてを

許します」

なんて

やる必要はない。

 

私達は

人間だ。

 

自分の等身大

以上のことを

する必要はない。

 

もちろん

成長や進化は

目指せばいい。

 

でも、

今できる最大を

すればいい。

 

好き・嫌い

があったっていい。

 

その自分の気持ちを

また、

受け止めればいい。

 

評価判断

したり、

すべてを大らかに

包み込もう

としたり、

 

そこまでのことは

無理にせず、

 

ただただ

「受け止める」

「知る」

だけで、

愛は始まる。

 

愛とは

エネルギーだ。

 

愛という

エネルギーを

発する人は、

 

すべてを

(自分も他人も)

あるがままに

受け止める

人だ。

 

・・・・・・

 

「コーチ」は

人間だ。

 

人間にしか

できない。

 

人間は

常に未熟だ。

 

常に

成長と進化を

続ける存在だ。

 

今の自分の

未熟さを

評価判断するのでは

なく、

ただそのまま

あるがままを

受け止め、

 

そこから

最大・最善の一歩を

踏み出そうと

し続ける。

 

そういった生き方

をし続ける。

 

その見本と

なるのが

「コーチ」だと

私は思っている。

 

つまりは

「あるがままに生きる」

見本だ。

 

・・・・・・

 

しかし

「あるがままに生きる」

と言うと、

 

「そうか。

今のままの自分で

いいんだ」

 

とよく

誤解される。

 

そういうことでは

ない。

 

自分の

「あるがまま」

を本当に感じ取れば、

 

「今のままの

自分ではなく、

もっともっと私は

前に進みたい」

 

という

人間としての

実に自然な欲求にも

気づくはずだ。

 

そして、

「同じ場所」にずっと

い続けることに

気持ち悪さを感じ、

 

前に進みたくて

いてもたっても

いられなくなるはずだ。

 

だから

「あるがままに生きる」

人ほど、

自然に前に進む。

 

最大速で

進もうとするのだ。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

あなたは変態か?

 

究極の人生、

というのは

どのような人生

だろうか?

 

問われたら、

 

究極の人生

とは

「自分にとっての

究極の人生」

各々の人に

あるのだ、

 

というのが

真実だろう。

 

ちなみに、

「究極」を辞書で

調べると、

 

「物事を押し詰めて行って

最後に達する所」

 

とある。

 

最後に達する

所まで、

自分の人生を

進めてみる。

 

これからは

これができる

時代である。

 

・・・・・・

 

皆さんは

どうだろうか?

 

「究極の自分」

を見てみたい

思うだろうか?

 

私は

とてつもなく

強く思う。

 

こういう人間は

単なる

変態だろうか?

 

ただ、

私の周りには

面白いことに、

そういった

変態さん達が

集っている。

 

最近は

そんな人とばかり

出会っている

気がする。

 

本当の変態は

「変態」

を繰り返す。

 

「変態」

つまりは、

「形態を変えること」

である。

 

脱皮どころか、

形態そのものが

変わってしまう。

 

そこまでして、

究極の自分に

近づきたいのか?

という

驚きと共に、

私は彼らを眺める

のだが、

 

かく言う私も

恐らく

同じである。

 

・・・・・・

 

恐らくこれからは、

そういった

変態さん達が

世の中を

引っ張っていく。

 

そして

変態さん達は

若者に多い。

 

しかし

彼らは自分が

変態にも関わらず、

普通の生き方を

しようとしている。

 

普通と言っても、

今の世の中に、

これまでの常識に、

合わせてしまっている

だけだ。

 

私からしてみれば、

「変態」こそが

「普通」であると

思うだが、

 

「普通」である

「変態」が、

普通でない

普通に

合わせてしまい

おかしくなっている。

 

何やら

わけがわからなく

なってきたが、

これが

世の中の現状

である。

 

・・・・・・

 

当然、

変態をコーチング

できるのは

「変態」のコーチ

しかいない。

 

次々に

「変態」を続けるコーチ

こそが、

変態の「変態」を

サポートできる。

 

またわけが

わからなくなって

きたが、

 

ぶっちゃけて

言えば、

 

今の世の中を

一気に正常化

させていくためには、

 

普通のサポート

では

無理である。

 

だから私は

「変態コーチ」

となれる人を

探す。

 

こういった

わけのわからない

文章を読んで、

 

「コーチって

面白いかも」

 

と思った人は、

その素質が

あるかもしれないね。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

想像のつかない世界へ

 

海の中を

自由に泳ぐ力と

 

空を

自由に飛べる力の

 

どちらかを

あげる、

 

と言われたら、

あなたは

どちらを選ぶかな?

 

私は

山とか自然が

大好きなので、

たくさんの自然を見るために

空飛ぶ力が

手に入るといいなぁ、

思うが、

 

その一方で、

 

まったく未知の世界

である

海を自由に泳ぐ力

もほしいなぁ、

とも

思うね。

 

で、結局

「未知」

の方を選ぶと

思う。

 

だって

想像がつかない

から。

 

若い頃、私は

海外を

1年半ほどかけて

ゆっくり旅した

ことがある。

 

ヒマラヤにも行き、

エベレストを

この目で

見てきた。

 

標高5〜6000mの

空気が

どんなものか、を

体験することも

できた。

 

もちろんすべての

世界や自然を

見たわけではない。

 

すべての国を

見たわけでも

ない。

 

でも、

何となくであるが、

想像は

できる。

 

この地球の

地表世界が

どんなものか、は。

 

そして、

宇宙にももちろん

行ったことは

ないが、

写真やテレビでは

知っているので

 

やはり

想像はできる。

 

しかし、

海の世界は

謎である。

 

実際、

現時点では人類は、

海の世界はまだ

ほとんど何も

知らないらしい。

 

その

「想像できない」

というのは

魅力である。

 

自分の範疇を

超えた世界。

 

想像の範疇

すら超えた

世界。

 

私はそういった

ものに

憧れる。

 

あなたは

どうだろうか?

 

・・・・・・

 

未知なものに

憧れる

というのは

私達人間の本能

の一つである。

 

深い谷間に

生まれた人が、

 

谷を挟んでいる

山の尾根の

その向こうには

何があるのだろうか?

 

見てみたくなる、

その気持ちは

誰にも湧いてくる。

 

健康であれば。

 

なぜなら

私達は

「進化」の反映

だから。

 

「進化したい」

という願いや

祈りが

カタチとなって

現れたものが

 

私達人間だ。

 

・・・・・・

 

いや、

私は進化など

したくない。

それよりも、

毎日、

安定していたい。

平穏な日々が

同じ日々が

毎日永遠に

続いてほしい。

 

・・・と

言う人もいるだろう。

 

もちろん

私の中にも

それはある。

 

未知の領域

ではなく、

安心の領域に

留まりたいという

欲求がある。

 

しかし

私は思うのだ。

 

この

安心欲求というのは、

 

あくまでも、

 

進化欲求を

助長するために

存在しているのでは

ないか、と。

 

どういうことかと

言えば、

 

もし私達に

進化欲求しか

なければ、

 

未知の領域への

欲求しか

なければ、

 

私達は

危険極まりない

行動・選択ばかりを

するだろう。

 

それでは

生き延びることは

できない。

 

結果として、

進化もない。

 

進化とは

持続性が

必須である。

 

持続して初めて

進化は

自然に成されていく。

 

私達の進化は

私達だけで

終わるわけでは

ない。

 

私達の次の世代

に引き継ぎながら、

 

命を

つなぎながら、

 

永遠に続いて

いくものが

進化である。

 

そのためにも、

安心欲求は

必須である。

 

そして

それがあるからこそ、

進化は

着実に

成されていく。

 

安心が

あるからこその

進化。

 

進化を望む

からこそ必要な

安心。

 

人間とは

まったくもって

よくできている。

 

・・・・・・

 

人と向き合う

ことは

人間探究の旅

である。

 

しかしそれは

自己満足では

まったく

意味がない。

 

探究して

見つけたことは

その次の瞬間に

すぐに

活かす。

 

気づき、

活かす。

 

そしてまた

気づき、

活かす。

 

その連続。

 

それが

「コーチ」という

仕事である。

 

「コーチ」という仕事は

常に自分を

未知の領域へと

いざなってくれる。

 

昨日もまた、

コメント

いただきました。

 

ありがとうございます。

 

まだ返信

できていない人も

います。

 

最善のタイミングで

返信させて

いただきます。

 

コメントは

いつでも

お待ちしております。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

あなたは本当に生きている?

 

この人は

誰だろう?

 

目の前にいる

今ここで

しゃべっている

この人は

いったい

誰だろう?

 

さっきから

ずっと、

口を開き

何かを懸命に

私に伝えようと

しているみたいだ。

 

でも、

何も私の

耳には届かない。

 

いや、

耳には届いているし、

声も聞こえるのだが、

 

何も私の心に

入ってこないのだ。

 

その瞬間その瞬間に

聞こえる

言葉の意味は

確かにわかる。

 

でも

それだけ。

 

あとは

何も理解できない。

 

つまりは、

何も聴いていない

のと同じ。

 

いや、

むしろ

何も聴かない方が、

 

この人が

口を開かない方が、

 

この人のことを

理解できるのではないか。

 

そうだ、

これは

幻影だ。

 

きっと

今、喋っているこの人の

この姿は

幻影なのだ。

 

本当は

この人は

何も喋っていない

のだ。

 

口も開いて

いないし、

声も出して

いないのだ。

 

私の目には

今、

幻影が映っている

だけなんだ。

 

そうに

違いない。

 

・・・・・・

 

その人の

懸命さは

さらに度を増して

きた。

 

さらに必死に何かを

私に伝えようと

している。

 

でも、

さらにさらに

何も聴こえなく

なってしまった。

 

この人の

顔の表面は

紅潮している。

 

きっと、

情熱というものを

出しているのだと

思う。

 

本人は

そのつもり

なのだろう。

 

でも私が

その幻影を

私の目から

取り払うと、

 

その人は

まるで、

死人のように

観える。

 

何も動いて

いないし、

何も発して

いない。

 

青い顔をした

人形みたいな

存在が、

ただじっと

こちらを見ている。

 

いや、

見てもいない。

 

生きて

いないのだ。

 

・・・・・・

 

この人は、

自分が

死んでしまっている

ことに

気づいていないのだ。

 

死んでしまっている、

・・・じゃないな。

 

自分で自分を

死なせてしまっている、

・・・が正確だ。

 

その事実に

この人は

気づいていないのだ。

 

きっと本人は

自分は生命力に溢れている

思い込んでいる

のだろう。

 

いや。

 

あなたは、

生きていないよ。

 

まったく。

 

早くそれに

気づいてほしいな。

 

そしてできれば、

一刻も早く

生き返って

ほしいな。

 

と私は

心の中で

願った。

 

・・・・・・

 

自分を

生きていない。

 

自分を

死なせてしまって

いる。

 

そんな人と

向き合うと、

いつも私は

上記のような感覚

となる。

 

そして

その人からの言葉が

まったく記憶に

残らない。

 

というか

やはり、

入ってこないのだ。

 

どれだけ

努力しても

入ってこない。

 

入ってこない言葉

どうでもいい言葉達

なんだ、

何年か前に私は

あきらめた。

 

すると、

そこからより良い

コーチングが

できるようになった。

 

入ってくる

言葉のみを

しっかりと受け取り、

 

入ってこない

言葉は

流してしまう。

 

そのメリハリが

良いコーチングを

創り上げるように

なった。

 

ということで

言えば、

 

今の世の中には

 

いかに

「無駄な」

コミュニケーションが

多いことか。

 

無駄なコミュニケーション

が、

様々な不調和を

生み出している。

 

もちろん

無駄が必要な

時もある。

 

しかし

変な言い方だが、

 

・必要な無駄

・本当に不必要な無駄

 

があるのだ。

 

本当に不必要な

無駄なコミュニケーション

は、

混乱と混沌しか

起こさない。

 

それが、

あらゆる組織で

飛び交い続けて

いる。

 

それを

なくしていくのが、

「コーチ」の

役割の一つだ。

 

そして

一人一人が

自らを

「生き返らせる」

サポートこそが

コーチングの本質だ。

 

一昨日の記事、

(→【コーチ探し、始めます】)

思ったよりも多くの

皆様から

コメントを

いただきました。

 

ありがとうございます。

 

「コーチ」という

役割になりたい人。

 

興味がある人。

 

なろうかどうかを

真剣に迷っている人。

 

そんな人は

ぜひ一度、

コメントください。

 

コメントは

公開されないように

設定されています。

 

私にしか

届きませんので

ご安心を。

 

つづく

 

コーチ探し、始めます

 

「コーチ」とは

人をサポートする

役割であるが、

 

まずもって

自らが

その見本とならねば

ならない。

 

「自分の人生を生きる」

見本である。

 

「真本音で生きる」

見本である。

 

「一つ一つに魂を込める」

見本である。

 

ただし、

完璧でなくても

いい。

 

第一、

私達人間に

「完璧」

はない。

 

なぜなら私達は

進化する存在

だからだ。

 

進化に

完成はなく、

完璧もない。

 

だから「見本」

とは、

「誰よりも

進化スピードが

速い」

という

見本である。

 

クライアントさん

よりも、

自分自身の

成長・進化度合いが

高いからこそ、

 

良いコーチングが

できる。

 

最大速で走る人

のみが放つ

空気感と

エネルギーが

ある。

 

それが、

人に本質的な

影響を与える。

 

それが

本来の「コーチ」

である。

 

・・・・・・

 

・・・と、

私は信じて

ずっとやってきた。

 

もちろん

私自身、

とても不甲斐ない

人間であるし、

 

誰よりも

弱っちいところや

ヘナチョコのところを

たくさん

持ち合わせている。

 

以前は

そんな自分に

ダメ出しをしたり、

そんな自分を

責め続けていたが、

 

今はそんな

無駄なことに

時間は費やさない。

 

あるがまま

でいい。

 

でも、

最大速で日々、

進もうとする。

 

それを

一日一日

真本音で、

真剣に

やり続ける。

 

理想通りに

物事は進まないし、

 

理想的な

自分でもない。

 

でも、

誰もが

最善を尽くす

ことはできる。

 

私はそれを

やり続けた。

 

もちろん最初は

ずっとずっと

肩に力が

入り過ぎていたが、

 

幸いなことに

私は

不器用だった。

 

だから、

上手く事を進める

術を知らず、

 

たくさん

ぶつかり、

たくさん

悩み、

たくさん

挫けた。

 

で、ある時に

フッと

力が抜けて、

 

自然体が

どういうことか?

感覚として

知ることができた。

 

もちろん今も

私は

発展途上である。

 

数年後の私から

今の私を見れば、

 

何たる未熟者か、

 

と思うだろう。

 

でも

それでいい。

 

今の私だからこそ

できることがあるし、

 

今の私だからこそ

出せる最善が

ある。

 

最善を尽くすのは

疲れることでは

ない。

 

最善を尽くすこと

こそが、

自然体で

楽で

肩の力を抜ける

状態だ。

 

ということを

多くの人に

経験してもらいたい。

 

そして、

不器用でも

弱っちくても

いいから、

 

とにかく

前に前に

進み続ける。

 

最大速で

進み続けようとする。

 

出せる

最善を尽くす。

 

そんな人に

「コーチ」に

なってもらいたい。

 

そんな

気概のある人、

 

私に

ご連絡ください。

 

このブログの

コメント欄に

コメントをいただければ、

返信いたします。

 

これまでは

あえてそれを

してきませんでした。

 

でもここからは

少し変えます。

 

ただし、

真剣さの感じられない

ものについては

返信しないかも

しれませんので、

ご了承ください。

 

コメントいただいた

方の中で、

直観的に

「会わねば」

と感じた方とは、

 

直接お会いさせて

いただくかも

しれません。

 

つづく

 

本当に決めているかい?

 

結局は、

 

・決めているか

・決めていないか

 

の違いだけ

なのだろう。

 

人生が

進むかどうか?

は。

 

決めていれば

その方向に

進み、

 

決めていなければ、

たとえどれだけ

意気込んで

いようが、

そちらの方向には

進まない。

 

それは、

声を張り上げれば

よい、

というものでは

ない。

 

気合いを入れれば

よい、

というものでも

ない。

 

第一、

本当に決めている

人は

 

静かだ。

 

気合いを入れる

必要も

情熱を昂ぶらせる

必要も

ないからだ。

 

なぜなら

決めているから。

 

それを

する。

 

ただ、

それだけの

ことだから。

 

・・・・・・

 

「決めるぞーーっ!」

 

と、

決めること自体に

気合いを入れる

人もいるが、

 

まぁ、

難しいね。

 

決めるとは

そういった

ことではない。

 

気合いを入れなければ

決められない

ということは、

 

決めていない

証拠だ。

 

そこに

波風は

必要ない。

 

状況の好転も、

潮流も、

 

実際のところは

必要ない。

 

まずは

決めること。

 

本当に

決めれば、

 

そこから

潮流は

起こるし、

 

状況は

好転を始める。

 

・・・・・・

 

決める人と

決められない人の

違いは

 

あまりにも

単純だ。

 

普段の、

 

一日一日の、

 

生き方

で決まるのだ。

 

いざ、

人生を左右する

大事なことを

決断しようと思っても、

 

普段の生き方が

自ら決める

生き方をして

いなければ、

それは土台

無理な話だ。

 

私の表現で

言えば、

 

普段、

 

一日一日を、

 

真本音で

自ら決めて

生きているか?

だ。

 

ほんの些細な

ことでもいい。

 

例えば、

今日はどこで

ランチしようか、

ということでも

いい。

 

ちゃんと、

「真本音で決める」

こと。

 

一つ一つの

仕事に

真本音で

向かうこと。

 

そうすれば

「魂」が

活性化する。

 

人生の大きな

決断とは、

心でするものでは

なく、

 

魂で

するものだから

だ。

 

いざという時に

魂が

発動するかどうか?

 

これが、

決めるか

決められないか

の境界線だ。

 

そして、

魂を込めて

決めることができた

人は

 

静かだ。

 

・・・・・・

 

魂で、

 

「コーチ」という

仕事をしよう、

 

と決める人を

これから

私は探す。

 

仕事でなくても

いい。

 

組織の中で

自分は

「コーチ」という

役割を担っていこう、

 

と決める人を

私は探す。

 

そろそろ

動き出そうと

思う。

 

つづく

 

俯瞰しながらここにいる

 

どれだけ山々が

大きく高く

猛々しくても、

 

宇宙から見降ろせば

それは

単なるヒダにしか

見えない。

 

しかし、

宇宙から見れば

単なるヒダでも、

 

近くまで寄って

見れば、

山々は一つ一つが

個性的で

実に美しい。

 

宇宙から

俯瞰する視点

と、

 

現地現場で

一つ一つの存在を

実感する視点。

 

私達は

両方の視点を

持ちながら

生きることが

できる。

 

それが

人間の一つの

特徴。

 

毎日、

一日一日、

目の前の「現実」と

向かい合い、

 

一歩一歩

必死に進んでいく

のも人生。

 

でも

人生全体から

その「一日」を

俯瞰すれば、

 

それはちょっとした

ヒダにしか

見えないかも

しれない。

 

10年前の自分が

全力で悩んでいた

ことも、

今では

「いい思い出だ」

とか

「あの経験が

あったからこそだな」

とか、

 

ゆとりを持って

客観的に、

まるで他人事のように

眺めることも

できる。

 

・・・・・・

 

視野を大きく

持つことは、

 

小さな視野を

失くすこと

 

・・・ではない。

 

むしろ、

大きな視野を

持つ人ほど、

 

目の前の

ほんの小さな

一つ一つを

 

大事にして

ほしい。

 

なぜなら、

 

「全体」

「一つ一つ」

 

同じものだから。

 

「全体を大事にする」

とは

「一つ一つを大事にする」

ことと

同じことだから。

 

器が大きい、

とは

粗野になること

ではない。

 

私の知っている

本当に器の

大きな人は、

 

目の前の

たった一つの事象や

たった一人の人を

 

真剣に見つめ、

 

そしてそれらと

真剣に

向き合う。

 

・・・・・・

 

人生を

大事にする

 

とは、

 

今日を

大事にする

 

ことであり、

 

今を

大事にする

 

ことだ。

 

と同時に、

 

人生全体の

視野を

常に持ち、

 

今の自分が見通せる

最も遠くの

ビジョンを

描き続け、

 

未来も過去も

すべてを含めた

全体の視点から

 

今を

見つめる。

 

今、

すべきことを

決める。

 

真本音で

生きる、

ということを

あえてもう少し

詳しく表現すると、

そのようなことに

なるだろうか。

 

そんな生き方の

できる人が

増えると、

いいな。

 

そのためには

今の世の中には

「コーチ」

が必要だ。

 

2月を迎え、

そろそろ

「コーチ育成」の

本格的な段取りに

入ろうと

思う。

 

「コーチ」募集と

「コーチ」探しを

始めようかな。

 

つづく