常に「世界」を
感じながら生きる。
ということを
大切にし始めたのは
いつからだろうか?
きっと
実在を感じ取れる
ようになった
11〜2年くらい前から、
かな。
この「世界」は
どうやら
自分が思っている以上に
奥深く、幅広く、
無限の「?」に
満ちている、と
痛烈に感じたんだよな、
きっとあの頃からだ。
そうしたら、
1分1秒、いつもいつも
「世界」を
感じ取っていたいと
欲求するように
なった。
だからそこから
私は自分を
「オープン」にした。
「世界」に対して
開いている状態で
生きることにした。
実際に
人間関係やコミュニケーションが
オープンになったのか
どうかは
わからない。
しかし私自身の
在り方としては、
「私」と「私以外(=世界)」
の間に存在していた
見えない壁のようなもの、
見えない境界の
ようなものを
すべて取り払った。
その状態で
日常を過ごすように
なった。
すると、
常に「世界」を感じ取り、
その「感触」を
得ながら、
「今ここ」にいる
自分を認識した。
すると、
今の1秒1秒が
とても愛おしくなり、
もっともっと
噛み締め、
味わいたくなり、
すると
この1秒1秒に
「生きている実感」を
得るようになった。
すると
その感覚自体が
人間にとっては
とても幸せなことなんだと
知った。
そして
「孤独」ではなくなった。
逆に言えば、
それまでの私はずっと
孤独だった。
どれだけ
様々な人と接しても、
仕事が順調でも、
仲間がいても、
孤独だった。
それが
いつの間にか
完全になくなった。
そしていつの間にか、
「世界」と「私」の
区別をつけながらも、
世界は私であり、
私は世界である、
という
感覚に満たされるように
なった。
そして
その状態における
その後の必然的な「出会い」は
恐らく、
私の「命」を
救ってくれた。
今はよくわかる。
以前の「孤独」のままの
私でいたならば、
きっと私は
ここまで生きてはいまい。
生命力が
持たなかったと
思うのだ。
それくらいに
人生に疲弊
していた。
今も、毎日のように
生命エネルギーを
使いまくっている。
一日が終わると、
全エネルギーを
使い果たしている。
でも
私は世界であり、
世界は私であり、
だから
世界が私を
常に守ってくれるし、
エネルギーを
与えてくれる。
どうしても
「感謝」という
ありきたりな言葉に
なってしまうのだが、
本当に
すべてに
感謝したい。
つづく