相手の立場に立てる?

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視点を外す、

というのは

結構難しいこと

なのかな。

 

例えば私達は

 

「私」という視点

 

から

すべての物事を

捉えている。

 

まぁ当たり前

だね。

 

その

「私」という視点を

外すこと。

 

これは難しい

のかな?

 

きっと難しい

のだろうね。

 

よく、

相手の立場に

立ちなさい、

言われるけど、

 

これ

とても大事だけど、

 

立てる?

 

相手の立場に?

 

本当に?

 

結局、

相手の立場に立つ

と言いながらも、

 

立ったつもりになって

自分の視点から

発想しているだけ、

 

ということは

多いようだ。

 

まぁでも

それをわかった上で

相手の立場に立とう

とすることは

とても尊いと思う。

 

私の場合は

と言えば、

 

私は相手の立場に

立つこと、

とても苦手。

 

今書いたように、

相手の立場に立てた

と思いながらも

それは単なる思い込みで、

 

単なる自己満足で

 

判断してしまうこと

ばかり。

 

相手のことを

考えれば考えるほどに

自己満足に

なっていく。

 

そして

思った通りの展開に

まったく、

 

本当に、まったく!

 

ならんのよ。

 

だいたい、

思ったことの真逆に

物事は展開するね。笑

 

これは自信を

持って言える。

 

だから私は

(あくまでも私はね)

 

相手の立場に立つ

ことは

諦めた。

 

10年くらい前に。

 

その代わり、

 

相手と一つになる

 

ということを

やり始めた。

 

イメージじゃない。

 

実在で。

 

実在で一つになる。

 

すると

自分と相手の

区別がつかなくなる。

 

その状態で

「自分事として」

物事の発想を

するようになった。

 

すると、

 

その日から途端に

物事が

調和するようになった。

 

念のために

言うと、

 

調和するようになった

というのは、

「予測通りに物事が

進むようになった」

ということではない。

 

私の予測なんざ、

ほぼほぼ

当たらない。

 

でも、

すべてがちゃんと

調和してるな、と

わかるようになった。

 

だから

何がどう起きても、

それらの現実と

ちゃんと対峙し、

 

次の一手が

打てるようになった。

 

やるべきことと

やっちゃいけないことが

わかるようになった。

 

それは

相手の立場に

立っているからでは

ない。

 

相手と

一つになっているから。

 

相手と一つになった

自分として

判断しているから。

 

私は私だ。

 

いろんなものと

一つになれる

私なんだ。

 

つづく

 

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