空っぽ

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最近、このブログでは

「空っぽ」

という言葉を

よく使っている。

 

意図して使っている

わけではないが、

 

どうやら現時点での

我々のキーワード

のようだ。

 

私達は

あえて

「空っぽ」に

ならねばならない。

 

「空っぽ」に

なることで初めて

見つかるものがある。

 

例えば、

 

心の中を

「空っぽ」にすると、

 

そこで初めて

自分の中心に

 

「源泉」

 

のようなものが

あるんだ、

ということがわかる。

 

そこでは

まるで泉のように

透明な水のようなものが

湧き続けている。

 

そして

あ〜なるほど、

これが「私自身」か。

 

これが

私の「原点」か。

 

実感できる。

 

「空っぽ」にした

つもりが

実は私達は

「空っぽ」にはなり得ない

ということがわかる。

 

常に私達の

中心には

「創造」

があるのだ。

 

また、

 

例えば、

「空っぽ」になることで

初めて、

 

自分以外の「世界」の

 

「豊饒さ」

 

がわかる。

 

「世界」がいかに

エネルギーに

満ちているか。

 

愛に満ちているか。

 

そしてそれらが

自分自身に

どれだけの恩恵を

もたらしてくれて

いるか。

 

という、

理屈ではない実感を

ただただ

得られる。

 

私達はきっと

余分なものを

持ち過ぎなのだ。

 

「空っぽ」になる

ことで、

あるがままの真実を

知ることができる。

 

そういうことで

言えば、

 

「空っぽ」とは

空っぽではない。

 

「空っぽ」とは

満ちること、

満たされること、

イコールなのかも

しれない。

 

さて。

 

自分の「源泉」と、

世界の「豊饒」を、

 

共に感じた

我々は、

 

次に何をしようか?

 

何のために

どの一歩を

踏み出そうか?

 

これこそが

今の我々にとって

最も大事な

問いなのかも知れないね。

 

つづく

 

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