もっと対峙せよ

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私は、

一日の終わりには

必ず

自分自身と対峙する。

 

いや、

 

場合によっては

一日のうちに何度も

自分自身と対峙する。

 

目の前に

じっと私を見つめる

私がいる。

 

それは

見張られている

というのとは

まったく異なる。

 

むしろ

真逆だ。

 

自分自身にじっと

見つめられることで、

 

私は自由に

なる。

 

そして

シャンと心が

落ち着く。

 

自由で

落ち着いた

状態。

 

そこに戻る

ことができる。

 

私は私に

告げる。

 

いらんことで

悩むな。

 

と。

 

私の悩むべきは

もっと他に

ある。

 

と。

 

言われなくても

わかっている。

 

でも

言われると

何かが

もっとわかる。

 

元来、私は

悩み過ぎの質だ。

 

すぐ悩む私を

私は大嫌い

だったが、

 

私自身と対峙し、

私自身から

「悩むな」と言われると、

 

なぜか

悩む自分も

それはそれで

人間らしくていいな。

 

思えるのだ。

 

つまりは

存在承認。

 

その上で、

もう悩むのは

やめよう、

思えるのだ。

 

これははっきり言って

 

楽だ。

 

静かに自分自身と

対峙する時間を

私は本当に

大切にしているので、

 

だから

一歩一歩の自分の

歩みに

確信を持てるのだと

思う。

 

こう感じることが

できるのは

私だけではないはずだ。

 

人間であれば

皆、

同様だと思うのだ。

 

もっと

対峙せよ。

 

自分自身と。

 

世の中は

そうお伝えしたい人

ばかりだ。

 

対峙すれば

もっと楽に

進めるのに、と。

 

もっと

対峙せよ。

 

自分自身と。

 

自分の人生

なのだから。

 

つづく

 

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