誰か決めてくれよ

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私は

私のままで

いられるだろうか?

 

という

極度の不安に

襲われたことは

あるだろうか?

 

願いが

強ければ強いほど、

 

その願いに

向かおうという

意志が強まるほど、

 

その不安は

強大化する。

 

それはもう

致し方ないことだな

私は思う。

 

人間の宿命の

一つかな、と。

 

自分のその

願いに

 

本当に向かうのか

向かわないのか

 

その選択権は

自分自身にある。

 

その事実を

わかればわかるほど、

 

悲しくなることが

ある。

 

こんなことなら

いっそのこと、

 

誰か私のために

私の代わりに

決めてくれよ、

 

と。

 

主体性なんか

要らない。

 

私はもう

その人の言う通りに

生きていくから。

 

何も考えず、

 

指示通りに

生きていくから。

 

・・・と

誰かに何かを

すがるような

気持ちになる。

 

私はこれまでの

人生で

そういうのが

何度もあった。

 

が、

その度に

 

やっぱり

その「誰か」なんてのは

いないのだな、

 

やっぱり

自分の人生は

自分で背負い、

 

自分で決めなければ

ならないのだな、

 

結局はそこに

帰結した。

 

そしてただ

ただ、

 

その不安と

そのまま

向き合い続け、

 

不安を

抱き続けた。

 

今だって

そういうのはもちろん

あるのだが、

 

でも

今になって思うのは、

 

その不安や

悲しみがなかったら

ヤバかったな、

ということ。

 

これがなければ

私の場合、

きっとどこかで

間違っていただろう。

 

傲慢への道に

入り込んで

いただろう。

 

だからまぁ

しゃーないか、と

思う。

 

何がどうあっても

目の前に

道はあってね。

 

その道は

まっすぐに前に

続いていてね。

 

こんなにも

大きな不安なのに、

そこには

まったく何の障害も

本当は

一つもないのだと、

 

どっかで

わかっている。

 

やることは

たった一つ。

 

今やることを、

今やる。

 

たったそれだけの

こと。

 

それを続ける

だけ。

 

そういうのすべて

ちゃんとわかっていて

それでも

不安になる。

 

これがまぁ、

やっぱ人間なのかな、

 

いや、

私という人間なのかな、

思うね。

 

つづく

 

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