祈り

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祈るしか

ないではないか。

 

人が人に

影響を与え、

 

人が人を

変える。

 

・・・そんな力が

自分にある

などと

勘違いするのは

傲慢の極みだ。

 

と、

 

悲しい結果を

何度も何度も

私は

体験した。

 

傲慢な自分を

反省するしか

ないのだが、

 

しかし

傲慢だとわかって

いても、

 

何とかしたい

ではないか。

 

目の前の人が

孤独に

陥っている。

 

孤独が故の

自虐的な

方向に進もうと

している。

 

それを

渾身の力で

止めたいでは

ないか。

 

傲慢と

言われようと。

 

身の程知らずだ

言われようと。

 

その人の

悲しさが

そのまま伝わって

くるのだ。

 

こんなにも

悲しいのに、

 

その人自身が

それを

知らない。

 

そっちは

ダメだって!

 

声を大にして

叫べば叫ぶほど、

 

その人は

その言葉を

拒絶する。

 

何とも

ならない。

 

この悲しみは

その人の

ものなのに、

 

私はまるで

私のもののように

受け取り、

嘆く。

 

傲慢だろう。

 

わかっている。

 

でも

何とかしたい

ではないか。

 

でも

何とも

ならんのだ。

 

私は無力だ

と思うし、

 

そう思う自分を

本当に

傲慢だと呆れる。

 

でも

もういいよ。

 

そんな心が

あるのが

私だから。

 

こんな悲しい目に

遭っても、

それでも私は

この仕事を

やめようとは

思わない。

 

これまでも

一度も思わなかったし、

 

今日も

思わなかった。

 

きっと

明日も

思わないのだろう。

 

どれだけ

何ともならんのだ

わかっていても、

 

それでも

何とかしよう

思ってしまう。

 

何者だ?俺は

自分を罵りながらも、

 

そんな自分を

止めようと

しない。

 

疲れるだけだと

わかっていても、

 

それでも私は

その人の

悲しみを

手放すことができない。

 

呆れた

ものだ。

 

自分に対しても

 

人に対しても

 

ホントに。

 

執着かな?

 

いや

違う。

 

これは

願いだ。

 

祈りだ。

 

祈りであれば、

 

祈るしか

ないだろう。

 

つづく

 

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