自分の生の姿を
自分は見たことが
ない。
誰もが
そうだろう。
私の姿は
鏡を通してしか
知らない。
だから自分が
普段どのような
空気感を
発しているか?
誰も
わかっちゃいない。
自分のことを
一番知っているのは
自分自身だ、
という考えは
やはり傲慢だろう。
自分のことを
一番わかっていない
存在こそが
自分である、
くらいのことは
言えるのではないか。
私はそれを
10年くらい前に
痛切に知った。
もうちょうど
10年になるんだな。
2010年から2011年
にかけて、
私は自分の
「実在」
を、
次々に体感することに
なった。
そこで観たものは、
自分の知らない
自分ばかりだった。
自分の知らない
自分が
無限に溢れ出てくる。
そのほとんどは
到底、自分とは
思えない
自分の姿だった。
自己イメージが
一気に変わった。
「これが私だ」
というイメージが
いかに
浅く淡く儚いものかを
毎日、
痛感し続けた。
では、
「これが私だ」と
思い込んでいた私が
描いていた
あの夢は、
あのビジョンは、
いったい何だったの
だろうか?
という疑問と
疑念。
いったんは
すべてが
わからなくなった。
すべてが
白紙になった。
ある意味、
あの時に私は
生まれ変わったのかも
しれない。
自分が自分のことで
信じていたもの、
自分が自分のことで
守っていたもの、
自分が自分のことで
描いていたもの。
それらが
気泡のように
消えてしまう。
今、
そんな体験をしている人
は多いのではないか。
でも、
それを恐れては
ならない。
それは大事な
ステップだ。
本来の自分を
取り戻すための、ね。
つづく