徹底的に人と向き合い続けて実感すること

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前回、前々回と、

「若者を妨げてはならない」

というお話を書かせていただきました。

(→前回記事)

 

が、ここからは、

ただし、・・・・

というお話をしなければなりません。

 

ただし、

条件があるのです。

 

すべての若者を妨げてはならない、

ということではなく、

一つ重要な条件があるのです。

 

それは、

真剣な若者、

もしくは、

真剣になろうとしている若者

に限る、

ということです。

 

言葉を換えるならば、

自律している若者、

もしくは、

自律しようとしている若者

に限る、

ということです。

 

「自律」については、

また改めてじっくり書かせていただく

ことになると思います。

が、ここでは深追いしないままに

書き進めたいのですが、

実は、

すでに自律している若者は

結構いるのです。

 

ただし本人は

「これが自律である」

とは認識していません。

むしろ、

大人達、先人達を見ながら、

自律している自分を

「ダメな生き方だ」と認識してしまい、

せっかくの自律の芽を

自ら踏み潰してしまっている、

という状況にあります。

 

人生の先輩の生き方・行き方を

学ぶことで、

自律から依存の生き方に

自ら修正してしまっているのです。

 

これを私は

社会の損失だと

強く思います。

 

「それこそが自律で、

それこそが重要なんだ」

ということを教える大人が

必要です。

 

少し強烈な表現を使いますが、

私達の世代は、

「依存し合うことで成り立つ社会」

を創ってしまったのでは

ないでしょうか。

 

そして残念ながら、

多くの若者達は、その依存社会に

染まってしまっています。

 

しかし、そこに染まらずに

経験が少ないにも関わらずに

毅然と進もうとしている若者も

いるのです。

それが、

・自律している若者

・自律しようとしている若者

です。

 

私は、そういった彼らを

妨げたくない、かつ、

後ろから後押しができるとよいなぁ、

と思っています。

 

彼らを導くのは

彼ら自身。

 

私が、他者が

導くのではありません。

 

彼らが自らを

存分に導けるような

後押しこそが、

今の世の中には必要です。

 

さて、もう一度ここで

ただし、・・・です。

 

自律している、もしくは

自律しようとしている若者の比率は、

私の実感値だけで申せば、

恐らく2割くらいです。

(結構、多いでしょ?)

 

あとの8割は

鍛えなければなりません。

 

しかし8割の内の半分以上は、

きちんとした刺激を与えれば、

自律、もしくは、自律しよう

とし始める可能性が高いです。

 

しかし適切な刺激がなければ、

依存的人生へまっしぐら

でしょう。

 

依存ではなく自律の道へ

大きく転換するための

適切な刺激を与えるのも、

私達世代の役割であり、

私のやりたいことでもあります。

 

私はこれまで、

本当に多くの人と

向き合ってきました。

 

もちろん、

自分自身とも

徹底的に向き合い続けました。

 

その中で一番実感するのは、

人の持つ

神秘さ

です。

 

人は、

神秘です。

 

人というのは、

向き合えば向き合うほど、

理解すれば理解するほど、

神秘のベールに包まれている“何か”を

より強く実感します。

 

私はその神秘さを、

この世の中でもっともっと

発現させたい。

 

先日出会った

ある20代半ばの社長が、

言われていました。

 

「私は、

シンギュラリティの先の世界を

見届けたい。

そこに責任を持ちたい」

と。

 

この想いは

私も同じです。

 

人が為すことに対して

人として責任を持つ。

 

そのために自分には何ができるか?を

真剣に試行錯誤する。

 

この当たり前の感覚と行動力を

持つ人を

私は増やしたい。

 

これが今の私の

重要なミッションの

一つです。

 

つづく

 

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