本当に自由な
自分になろう
と
すればするほど、
それを阻害し、
縛りくる存在が
自分自身である
ということが
よくわかる。
自由とは
何か?
を
自分で定義し、
その定義によって
自分を
縛る。
望む自由を
自分で設定し、
その設定によって
自分を
縛る。
やっと自由に
なれた!
と
思った瞬間から
その自由に
縛られている。
自由とは
どこにもない
ではないか。
と
思うのだが、
しかし
そういった
諸々の外にこそ
自由はある。
つまり、
自由とは
我々には自覚
できないもの
なのかもしれない。
私の経験のみ
にはなるが、
側から見ていて
本当に自由だな
と感じる人は、
自分のことを
「自由だ」
とは語らない。
自由かどうか、
という
もうその次元に
いないのだ。
「私は自由です」
と語る人には逆に、
私はよく
不自由を覚えた。
ひるがえって、
今の私は
自由なのだろうか?
と
問えば、
正直、
よくわからん。
どっちでも
いい。
・・・と
思うようになった
ので、
ひょっとすると
自由に
近づいているの
かもね。
ただし、
やはり私の
探究テーマは
「自由」
だ。
自由とは何か?
を
人生の
実践現場を通じて
探究し続けたい。
その意志は
変わらない。
この意志は
自由にさせておいて
あげたい。
つづく