昔から
一人の時間が
好きで、
20代初頭は、
一人で山に
入り、
ずっと孤独の時間を
過ごしたりしていた。
誰もいない。
今ここで
もし自分が死んだら、
誰も気づいて
くれないのだな、
という
あの異様な雰囲気。
今から考えると
ちょっと
懐かしい。
一人になると
もう
孤独だった。
一人=孤独
だった。
今は
違う。
今でも
たった一人に
なったり、
周りをすべて
シャットダウンして
自分の心の中に
閉じ籠ることも
ある。
あえて
そうするのだが、
しかしそれでも
孤独
にはならない。
なれない。
一人になれば
なるほど、
すべて
とのつながりを
感じてしまうから。
しまうから、
という表現も
変なものだが。
つながりを
感じるのは
もちろん幸せな
ことだ。
ずっと
心の深奥では
満ち足りている。
不安になる
ことがない。
もちろん
心の表面に
様々な不安は
ある。
しかし
それらの心達を
やさしく見守るだけの
ゆとりが
常にある。
すべてと
つながっていると
わかるから。
で、
時々
その「つながり」
そのものを
シャットダウンする
ことも
できるようになった。
そうすると
孤独を
感じられる。
ゆとりが
できたからこそ
思えることなのだが、
孤独もやはり
一つの
人間らしさだ。
時々
孤独を感じることで
逆に
自分を取り戻す
こともできるだろう。
当然、
昔の孤独と
今感じる孤独は
違う。
昔は本当の
孤独なので
深刻だったが、
今は
孤独そのものを
味わえる。
でも
本当の孤独
であることに
違いはない。
人間遊び、
か?
いや、
遊びではない。
やはり
本物の孤独
だ。
でも、
やさしく感じられる。
山には行けないが、
山と同じ
空間
は、
いつでも創り出せる。
自分のために。
すべて、
セルフコーチングを
探究し続けた
成果だ。
つづく