現実がゆがむ

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現実が
ゆがんで見える
感覚って
わかるかな?

そういう経験は
あるかな?

実は私は
昔からたまに
あって、

多分、病気では
ないと思うが、

その度に、
ハッと我に返る
心地がしたものだ。

いかんいかん、
この
目の前の現実に
捕らわれ過ぎだ
と。

この現実は
現象だ、
と。

実在は、
本質は、
別にある、
と。

実在の反映が
この現実だ、
と。

その真理を
忘れるな、
と。

言葉で表すと
きっとそんな風な
自分自身に対する
警告に近い
刺激を与えてくれた。

そんな風に
もちろん
明確に認識したわけ
ではないが、

実はこういった
ことが
小学生の頃から
私にはあった。

なので
そういうもんなんだ、

捉えていたのだが。

今振り返れば
ありがたい「警告」
だった。

何か意識のチャンネルが
カチッと
その度に、
変わったから。

その後の自分の
行動が
明らかに変わった
から。

我に返った行動が
でき、
結果的に
思わぬ道が開く
ことが多かった。

もちろん、

現実は
現実である。

現実は
夢幻だ、
という考え方も
あるが、

実は私は
その捉え方は
あまり好きではない。

現実は
現実だろ。

ちゃんとここに
それが
あるではないか、
と。

たとえ幻だったと
しても、
少なくとも
私は
それがここにあると
確実に思っている。

であれば
それこそが現実。

そう思えている
自分を否定しては、
人生を否定するのと
同じではないか、
と。

それは今でも
変わらないが、

でもやはり
一方で、

私達は「現実」に
縛られ過ぎだ。

きっとそれが
「3次元に縛られる」
ということ
なのだろう。

この世は次元は
いくつもある。

すべての次元に
それぞれの
「現実」がある。

現実を大切に
する、
というのは、

3次元だけでなく、
あらゆる次元の
現実を
大切にせよ、

ということ
なのだろう。

そんな視点に
立てた時、

明らかに
私は何かから
少し解放される。

きっとそれが
「自我からの解放」
なのかも。

いずれにしても
重要なことを
ハッと思い出す感覚
なので、

これはこれからも
ずっと
大切にしていきたいな。

つづく

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