苦しんでいるのに、救えない・・・

LINEで送る
Pocket

「虚勢を張る」ということについて

書かせていただいています。

(→前回記事)

 

虚勢を張ることに

パワーを使い続けている人は

自分が真本音で決めている「道」を

見つけることはできません。

 

虚勢を張る心というのは

単なる反応本音の一種に

過ぎません。

 

しかしこれをし続けますと、

心全体がまるで

発泡スチロールのように

なっていきます。

 

心が動かなく

なるのです。

 

血が通わなくなります。

 

固まります。

 

しかも、

叩けばすぐに崩れて

しまうほどに、

弱いのです。

 

そんな

発泡スチロールのような自分を

一番わかっているのは

自分自身ですから、

そんな自分を守るために

その人はさらに虚勢を張る

ようになります。

 

そのうちに

そんなことをし続けている

自分に対して

罪悪感が増してきます。

 

「罪悪感」。

 

これは私達の心にとっては

最もキツく

苦しいものです。

 

なぜなら罪悪感とは

自分を責め続ける気持ち。

ですから、

喩えて言うならば、

自分の心に自分で

ナイフをぐさぐさと

突き立てているような

ものです。

 

自分で自分の心を

傷つける行為が

罪悪感を持つことです。

 

これは本当に

キツい。

 

心のエネルギーが

一気に奪われます。

 

要するに心は

格段に弱まります。

 

それにより

ますます発泡スチロール化

が進みます。

 

そしてますます

虚勢を張ります。

 

虚勢を張る、というのが

クセになり、

虚勢を張ることでしか

生きていけなくなります。

 

発泡スチロール化した

弱い自分の心を

少しでも傷つけそうな

人を見つけたら、

その人をまずはこちらから

攻撃するようになります。

 

攻撃される前に

攻撃するのです。

 

人を攻撃する

とは、

完全に

弱さの現れ以外の

何物でもありません。

 

しかし

人を攻撃しながら

それがさらなる罪悪感になり

内側から

自分で自分を攻撃

するようになります。

 

まさしくそれは、

心の八方塞がり。

 

延々と続く

悪循環です。

 

この状態では、

たとえ目の前に

自分の本当に望む道が

現れたとしても、

それに気づくことは

あり得ません。

 

ところが、

虚勢を張る自分とか、

罪悪感とか、

人を攻撃するクセは、

治そうと思っても

そうそう簡単には

いきません。

 

すべては

自己防衛の手段

なのですから、

治そうと思っても

不安感が増すだけです。

 

人は、

不安の方向に努力することは

難しいです。

 

その方向に進めば進むほど

安心感が増すとか、

希望の光を感じるようになるとか、

とにかく、

居心地の良い方向にしか

努力はできません。

 

「悪いものを治そう」

だけでは

続かないのです、

何事も。

余程、追い詰められない

限りは。

 

以前の私もそうでしたが、

こういった状態に

陥っている人に

たくさん出会います。

 

その度に

私は思います。

 

私達はもっと自分を

「救おう」

としなければならない、

と。

 

「治そう」とか

「修正しよう」ではなく、

「救おう」

としなければならない

のではないかと

私は本当に思うのです。

 

ところが

他者がその人を救う

ということは

できません。

 

自分のことを救えるのは

自分のみ

なのです。

 

私はコーチとして

多くの人と関わらせて

いただきながら、

「この人を救ってあげたい」

と、本当に毎日のように

思います。

 

でも、

「この人を救ってあげたい」

というこの気持ちの

なんと傲慢なことか。

 

上から目線とか

そういったレベルの

ことではなく、

何か、根本的に

人としての尊厳を

無視している気持ちであると

私は思うのです。

 

でもそれでも

「救ってあげたい」

と思ってしまいます。

 

それくらいに

苦しんでいる人が

今はあまりに

多いです。

 

しかも、

それだけ自分の魂や心が

苦しんでいることを

本人が気づいていない。

 

なんで気づかないままで

いられるのだろうか?と

不思議でならないのですが、

麻痺したままでいる。

 

私はその度に、

本当に失礼で良くない

表現ですが、

昔、中学生時代に

理科の授業で行なった

カエルの解剖を

思い出します。

 

解剖をされるカエルは

麻酔薬に浸けられます。

 

麻酔薬に浸けられた

カエルは

自分のお腹を

引き裂かれているのに

気づいていません。

むしろ、

気持ちの良さそうな

顔をしていることに、

当時の私はかなり

ショックを受けた覚えがあります。

 

その状態と同じ人が

今の世の中には

いっぱいいるのです。

 

思わず、

「救ってあげたい」と

思ってしまいます。

 

でも、

それは傲慢ですし、

どれだけそう思っても

不可能なことです。

 

私達人間は、

自分を救うのは自分だけである

という「摂理」の中で

生きています。

 

しかもそれが

人としての尊厳です。

 

それを私は

コーチとして決して

忘れてはならないと

いつも自分を戒めています。

 

だからこそ、

発見できたのかも

しれません。

 

自分で自分を救う

方法を。

 

その方法を

示すことが、

私の役割となりました。

 

その方法を

実際に使うかどうかは

本人しだいです。

 

努力するのも

本人しだい。

 

私ができるのは

方法を示すことだけ。

 

しかもその方法は

自然の摂理に沿った

ものでなければなりません。

 

でも私は

多くの方と向き合いながら

それを見つけることが

できました。

 

それは、

自分の本当に望む道を

見つける方法、

という言い方もできます。

 

ではその方法とは?

 

これを次回以降、

ゆっくりじっくりと

お話しさせていただきます。

 

つづく

 

コメント

コメントを残す

*