どのような心があろうとも、
それらをただ
あるがままに
観察することのできる
自分。
なんの操作もなく、
なんの評価もなく、
なんの解釈もなく。
ただその存在を
存在のままに
承認できる自分。
そんな自分になれた時、
それができているその「自分」とは
いったい何者でしょうか?
当然、
今ものを考えたり
ものを見ているこの自分は
私達自身の
顕在意識です。
しかし、
顕在意識そのものは
非常に不安定な
存在です。
すぐに揺らぐし、
すぐに不安になるし、
すぐに自信をなくします。
なのに
この安定感は
どうしたことでしょう?
すべての自分と
あるがままに向き合う
自分になることにより、
私達のこの
もともと不安定だった顕在意識は
とてつもない
安定感を得ます。
まるで、
永久不滅の
大地に立っているようです。
この
大地は何でしょう?
この
安定感は何でしょう?
この
安心感は何でしょう?
この
満たされた感覚は?
この
自然に溢れる確信は?
・・・これが、
私の言うところの
『真本音』
です。
最も醜い自分自身と
完全に向き合える人のみが
初めて実感できる
心の大地です。
心の大地とはつまり、
「魂」そのものです。
もしこの
真本音という大地を
実感できるようになりましたら、
ぜひ
自分自身に問うてみてください。
自分の真本音に問う、
最初の質問です。
『私は今この瞬間、
どんな生き方を
したいのだろうか?』
・・・と。
それは極めて
シンプルな答えとして
返ってくるでしょう。
もし理由づけや
説明の必要な
複雑な言葉であれば、
残念ながらそれはまだ
真本音ではありません。
その一言を
つぶやくだけで、
身も心もすべてが
スッとする、
説明不要の
納得の一言が返ってこれば、
それは紛れもなく
真本音の答えです。
その「生き方」が
真本音で生きるための
最初のキーワードと
なります。
これを私は
『人生理念』
と呼んでいます。
人生理念は、
日常のあらゆる場面で
その一言をつぶやけば、
「本来の自分」
を思い出させてくれるでしょう。
私は本当は
どんな生き方を
今ここで実践したい
人間であるか?
・・・を思い出させてくれます。
いつもそれを
つぶやきながら
今この瞬間を大切に
自分の行動や振る舞いを
決めていくことが、
真本音で生きる
ファーストステップです。
これができている状態が
人としての「普通の生き方」
です。
そして、
これができていることで
私達の魂と心の
一貫性が取れ、
心から淀みが消えていきます。
淀みが消えることで
自然に浮上するのが、
『直観』
です。
次に自分が何をすればよいか?
をありありと教えてくれる
確信の答えです。
あとはその確信に
従って動く
だけのことです。
思えば・・・。
私達人間は、
この、
真本音と反応本音の区別が
つかなくなったところから
「普通の生き方」が
できなくなったのだと思います。
本当は、
「区別をつける」などという
言葉そのものが不自然なくらい、
その二つは
あまりにも違います。
目と鼻の区別をつけるのと
同じくらいに
それは簡単なことだった
はずです。
しかし私達人間は、
自分の真本音のことを
あまりにも忘れて
しまいました。
あまりにも
無視し続けて
しまいました。
だから、
人としての「普通の生き方」も
人としての「本来の幸せ」を
感じることも、
できなくなってしまいました。
もう一度、私達は
人間としての
原点に戻る必要があると
私は思います。
自分を理解する。
反応本音達を理解し、
真本音を理解する。
そこから始めるのが
最も大切なことだと
私は思うのです。
つづく