守ってやれよ

 

人生に

疲れてしまうと、

エネルギーも

湧いてこない

ものさ。

 

安心するが

いい。

 

人間は

そうなるよ。

 

もともと人生とは

疲れるものでは

ないか。

 

それを知っている

のが

我々ではないか。

 

疲れるものを

疲れる、と

感じるのは

 

とても

健康的だと

思わないか。

 

休めよ。

 

心をさ。

 

心を

休めてあげなよ。

 

休日をとっても

難しいよ、

その疲れは。

 

物理的な

時間をとっても

なかなか

取れないだろう。

 

そういう

疲れだ。

 

心を

休めるんだ。

 

そのための

最も簡単な方法は

 

好きなことに

集中する

 

ことさ。

 

例えば、

漫画が好きなら

漫画を読みまくる

とか。

 

何かに夢中に

なることで

 

心は

休まるんだ。

 

休めて

あげなよ。

 

ちょっと

酷使しすぎだろう。

 

心はね、

そんなに強い

ものではない。

 

誰の心も。

 

私?

 

私だって

当然あるよ。

 

人生、疲れたなぁ、

もう、やめたいなぁ、

・・・なんて、

数えきれないよ。

 

今?

 

今だって

あるよ、当然。

 

そりゃ

がんばってる

からさ。

 

疲れるの

当たり前だろ。

 

それが

人間だろ。

 

心に

栄養を与えて

あげなよ。

 

自分のことだぜ。

 

心は

ちゃんと

守って

やるもんだよ。

 

つづく

 

これは心か念か

 

恐れの深い人ほど

怒りは深く、

 

怒りの深い人ほど

恐れは深い。

 

恐れと怒りは

表裏一体の関係。

 

どんな時も

多かれ少なかれ

この二つと共に

私達は歩んでいる。

 

そして二つ共が

非常に

エンティティになりやすい

ものだ。

 

エンティティとは

念の塊であり、

 

ストレスがある一定以上

の濃度に

固まったものだ。

 

すべての人に

エンティティはある。

 

私達のコミュニケーション

とは、

エンティティの交換でも

ある。

 

・・・と言っても

過言ではない。

 

つまりは、

各々の念の塊を

様々な人達と

お互いに交換し合いながら、

私達は日常を

生きているのだ。

 

すると

どれが自分の心で

どれが他人の念なのか

が、

ほとんど見分けが

つかなくなってくる。

 

ストレスが多く、

特に恐れや怒りが

激しい人のサポートは

 

この

・自分の心

・他人の念

区別をつけるところから

始まるケースが多い。

 

区別がつくだけで

相当に楽になるからだ。

 

最も多いケースは

他人の念である

恐れや怒りを

自分の心であると

誤解をし、

 

そんな自分を

自分で責め続ける

というケースだ。

 

これは

辛い。

 

エンティティにプラス

罪悪感。

 

これは

私達を苦しめる

二大巨頭だ。

 

これにより

完全に自分を

失っている人は

多い。

 

そして、

 

そんな人が

組織のかなりの割合で

存在している

という会社も多い。

 

そうなると今度は

エンティティ同士の

交換も激しくなり、

 

いやな言い方だが、

 

エンティティと

エンティティの

相乗効果まで

発生する。

 

そうするともう

その会社の事務所に

入るだけで、

 

ドーンと

気持ちが落ち込んで

しまう。

 

そんな状態で

「頑張れ!」

と追い立てても、

それはやはり

無理な話だろう。

 

私達のコミュニケーション

は、

目に見えないところでの

影響が

とてつもなく大きい。

 

現象面だけの

一元的な見方と対処では、

 

人は間違いなく

疲弊し、

さらに落ちていく。

 

だから、

いろんな意味で

自分自身と向き合う

ことは

基本だ。

 

ちゃんと自分の

心の中にあるものと

対峙し、

 

どれが

本当に自分の

心なのか?

 

まずは自分自身で

見極める力は

 

誰もに

必要だろう。

 

今の時代

だからこそ。

 

つづく

 

区別をつければ楽なんだ

 

目の前に

船がある。

 

船と言っても、

ボートのように

小さい。

 

しかも

よく見ると、

泥でできているのでは

ないか、

思うくらいに

不安定で弱々しい。

 

こんな船で

荒海に飛び出せば、

一発で

沈んでしまいそうだ。

 

命の保証は

ない。

 

普通であれば

こんな船、

絶対に乗りたくない

のだが、

 

でも、

私の魂が

「ここに乗るのが

私だ」

ほざいてやがる。笑

 

・・・こんな場合

私はどうするかと

言うと、

 

迷うことなく

その船に乗る。

 

たとえ沈んでも

恐らく

(本当に、恐らくだが)

後悔はしない。

 

・・・・・・

 

目の前に

船がある。

 

今度は

「超」がつくような

豪華客船だ。

 

最新型だ。

 

遊ぶ施設も

充実してそうだ。

 

毎日、

美味しい料理も

満喫できそうだ。

 

快適な日々が

過ごせそうだ。

 

こんな船で

世界一周できたら

さぞかし楽しいだろうなぁ、

と思う。

 

そんな人生

いいなぁ、

と思う。

 

でも、

私の魂が、

「この船には

乗らない」

と言えば、

 

私は決して

乗らない。

 

多分、

(本当に、多分だが)

後悔はしない。

 

・・・・・・

 

これを

「真本音で生きる」

私は呼んでいる。

 

真本音で生きる

とは、

自分の心に素直に

生きるのとは

ちょっと違う。

 

余計に難しくなるかも

しれないが、

あえて言えば、

 

自分の魂の意志

に素直に生きる

 

ということだ。

 

心と魂の違いに

ついては、

あえてここでは

触れないが、

 

この違いを

区別できることは

人生において

とても有意義だ。

 

・・・・・・

 

これは、

心を置き去りにする

生き方、

 

というわけでは

ない。

 

なぜなら、

魂の意志通りに

生きれば、

 

結果として

必ず、

どっかのタイミングで、

心も満足する

からだ。

 

逆に言えば、

どれだけその時の

心が望んだとしても、

それが

魂の意志とは異なる

選択であれば、

 

心は後で

必ず

苦しくなる。

 

心と魂は

分離しているのだが、

 

しかし

根底では

つながっている。

 

心にエネルギーを

与えているのは

魂だ。

 

魂の意志とは

別の生き方をすれば、

エネルギーは間違いなく

減退する。

 

だから、

自分自身の魂の意志を

ちゃんと

自分で知る必要が

ある。

 

・・・・・・

 

私の推奨する

セルフコーチングとは、

 

この、

魂と心の

区別をつける力を

身につけることに

直結する。

 

魂と心の意志の

区別をしながら生きる

状態になるための

自分との向き合い方

だ。

 

言葉を換えれば、

 

真本音と反応本音

の区別をつける

 

ために行なうのが

私の推奨する

セルフコーチングだ。

 

今の世の中は

この区別がないために

混乱している。

 

区別がないから

人生も混乱する。

 

区別をつければ、

すべてが

調和を始める。

 

単純なこと

なんだ。

 

区別は

大人も子どもも

誰もがつけられるように

なる。

 

ただ、みんな

そのやり方を知らない

だけだ。

 

知らないのであれば、

ちゃんと伝えていこう。

 

今の私の活動の

ほぼすべては、

 

これに尽きるかな。

 

つづく

 

心は弱くとも

 

あぁこの道で

よかったのだな。

 

とわかる瞬間は

頻繁に来る。

 

自然に

来る。

 

だから、

意図的に、無理に、

そう思わなくてもいい。

 

自分を信じられない

のなら、

無理に

信じなくてもいい。

 

ただ、

 

次の一歩、

その次の一歩、

 

誠実に

進めばいい。

 

・・・・・・

 

私達の心は

それほど強くは

できていない。

 

にも関わらず、

「心は強くあらねば」

皆、思い過ぎだ。

 

もちろん

そう思うこと自体が

悪いわけではないが、

 

心が弱いことを

言い訳に

し過ぎてないか?

 

心が整わないことを

言い訳に

止まっている

だけではないか?

 

心は

弱いものだ。

 

なかなか

整ってくれない

ものだ。

 

それはもう

諦めてしまおう。

 

それよりも、

前に

進もう。

 

・・・・・・

 

心は弱くとも、

私達の魂は

常に

ちゃんとここにある。

 

心とは、

外の影響

環境の影響によって

揺らいだり

右往左往するものだが、

 

魂は

そうじゃない。

 

ちゃんと常に

ここにあり、

 

ちゃんと常に

次の一歩を

示してくれる。

 

そんな魂の意思

のことを私は

 

『真本音』

 

と呼んでいる。

 

・・・・・・

 

心が傷ついているから

真本音が出ない。

 

ということは

あり得ない。

 

それは自らが

真本音から

目をそらしているか、

 

もしくは、

目をつぶっているか。

 

どちらかだ。

 

・・・・・・

 

この道が

正しいかどうか?

 

自分にとっての

正解かどうか?

 

それは

後でよくわかる。

 

今は

考えなくてもいい。

 

それよりも、

素直に誠実に、

 

現実を見つめ、

 

次の一歩を

決めよう。

 

それが

あなたの真本音

だよ。

 

つづく

 

もう、心はそのままでいいよ

 

私達は人間だから、

いろんな心が

ある。

 

この心は好きだが、

この心は嫌い。

 

できれば

こういった考え方に

縛られる自分からは

卒業したい。

 

こんな風に感じて

こんな風に思ってしまう

自分は

本当に嫌だ。

 

・・・というように、

自分の望まない心達は

私達の中には

無数に存在するだろう。

 

傲慢な自分。

 

情けない自分。

 

後ろ向きな自分。

 

いい加減な自分。

 

勝手な自分。

 

・・・いろんな自分が

いる。

 

もう、

いいじゃないか。

 

そういった自分の

ことで

悩み続けるのは。

 

そういった

気に入らない自分を

どうにかこうにか

しながら

消そう、とか

コントロールしよう、とか

 

そういったことで

悩み続ける時間は

もう、

いいじゃないか。

 

私達は

人間なのだから。

 

いろんな心が

あるのが

人間なのだから。

 

あるがままで

良いではないか。

 

それよりも。

 

もっと大事な

ことがあるだろう?

 

私達が

すべきことが。

 

正確に言えば、

本当に心の底から、

魂から

したいことが。

 

自分との

約束が。

 

人生の

目的が。

 

「こんな自分だから

まだダメだ」

 

「まだまだ未熟だから

私は進めない」

 

「もっと精進してから

人生の目的に

向かうんだ」

 

という声を

本当によく聴くが、

 

はっきり言うが、

その時点でもう

間違ってるよ。

 

自分がここにいる

ということを、

 

人間として

ここに存在している

ということを、

 

もっと

毅然と見つめて

ほしい。

 

心は、

いろんな心が

発生するようにできている。

だから、

どんな心が

発生したって

それでいい。

 

それと

「進めない」

というのは

まったく別のことだ。

 

自分に自信が

ないから

毅然とできない。

 

というのも

本当はまったく

関係のないことだし、

 

自分が嫌いだから

毅然とできない、

というのも

関係ないのだ、

本当は。

 

私達は

今すぐにでも

毅然と立つことは

できるんだ。

 

毅然と

進むことは

できるんだ。

 

その事実から

目を逸らし続けている

その姿勢こそに

 

大きな問題が

あるんだ。

 

あなたの中に

揺るがぬ願いが

あるだろう。

 

それは、

心がどのような状態に

なったとしても

関係なく

揺るがないままで

あるだろう。

 

それを

大事にしようよ。

 

それが

本来のあなた

なのだから。

 

心は、

大事にしよう。

 

大事にする、

とは

「どんな心があっても

いいや」

いい意味で諦める

ことだ。

 

すべてを

存在承認することだ。

 

あるがままに

すること。

 

それが心を

大事にするという

こと。

 

それさえ

できれば、

 

進め!

 

進みたいのだろう?

 

なら、

進め!

 

毅然と。

 

つづく

 

世界が語ってくるもの

 

目を閉じて

静かにしている。

 

何もせずに

いる。

 

すると

自分の心の中が

ありありと

観えてくる。

 

心の一つ一つを

丁寧に

横に置いていく。

 

すると

心の中には

何もなくなった。

 

しかし実は

そうではない。

 

何もなくなった

ように見えて、

本当は

「すべてがある」

状態となる。

 

光と同じで、

「すべてがある」

と、

それは

無色透明となる。

 

実は心とは

焦点化に

過ぎない。

 

焦点を当てた

ところが

強調されて、

他から分離

される。

 

分離されたものを

自分の心だ

と、

私達は

認識しているに

過ぎない。

 

本当は

最初から、

すべてここにある

のだ。

 

まぁそれは

ともかくとして、

 

一つ一つの

分離されたものを

横に置き終えると、

 

心は

無色透明に

なり、

 

すると、

 

世界のざわめき

聴こえてくる。

 

森羅万象の

ざわめき

言えばよいだろうか。

 

私はいつも

このざわめきを

聴きながら、

 

世の中全体の

把握を

している。

 

自分の仕事の

影響力と

自分の仕事の

未熟さと

自分の仕事の

成長ぶりを

 

把握している。

 

そして、

明日からのテーマ

明らかにする。

 

世界のざわめき

は、

数年前に比べれば

随分と

静かになった。

 

それはそれで

良いことだが、

 

静かになるが故に

聴こえてくる

雑音もある。

 

それらを

聴きながら、

 

一つのテーマが

明確になった。

 

それをあえて

言葉で表現すれば、

 

『助けない』

 

となる。

 

もう、

助けるのは

やめよう。

 

明日から。

 

随分と

助けちゃった

かな。

 

助け過ぎちゃった

かな。

 

もうちょいと

あらゆることに

厳しく

関わることに

しよう。

 

つづく

 

覚悟の日

 

青空は

すがすがしい。

 

晴れ渡った空を

見上げると、

私達は

すべてから解放された

爽快さを感じる。

 

そこに

無限さを感じたり、

自然の偉大さを

感じることもある。

 

空は

大きい。

 

私達は思う。

 

ところが、

別の視点から見れば、

 

空は

私達の限界を

示してしまっている、

 

とも言える。

 

空の下で

生きるのが、

人間。

 

と、

私達は

思い込んでいる。

 

青空があることで

その向こうの

世界が

見えなくなっている。

 

私達の世界は

青空に囲まれた

中だけである、

 

と、

私達はみんな

どこかで

そう思い込んで

生きている。

 

「無限」

を思わすと同時に、

それが

「限界」

をも表している。

 

「空」

とは不思議な

存在だ。

 

・・・・・・

 

「無限」

だと思っているのに、

実はそれこそ

自体が

「限界」

を表している。

 

というが、

私達人間の

「心」

の特徴でもある。

 

「空」

「心」

とてもよく似ている。

 

というよりも、

私達の

「心」

の一つの反映が

「空」

とも言える。

 

そんな

私達の「心」に

 

2月2日、

一つの大きな

「扉」

が開いた、

 

という実感を

私は強く

抱いた。

 

これまで

「空」

だと思っていたものに

大きな穴があき、

もっとその先の

広く深い世界、

つまりは「宇宙」を

身近に

感じ取るようになった、

 

・・・みたいな

感じ。

 

もしくは、

 

これまで

「空」だと思っていた

ものが、

いったん崩れ去り、

もっともっと

大きな世界が

広がった、

 

・・・とも

言えるか。

 

そう感じ取れた

原因も

よくわかる。

 

「覚悟」

 

をしたのだ。

 

多くの人達

が。

 

「進む覚悟」

だ。

 

心の中の現実

である

「実在」

に意識を向けると、

 

とても多くの人達が

2月1日を境に

自分の人生を

大きく前進させようと

「覚悟」

しようとした。

 

それは

これまでの「前進」

とは

次元が異なり、

 

まるで

それまでの自分達の

限界であった「空」を

超えていくような

「覚悟」

だ。

 

「実在」のレベルでは

そういった

「覚悟」

を完了させた人が、

この2月2日は

とても多かったのでは

ないか。

 

・・・・・・

 

私の5歳の息子は

とても珍しく、

最近はずっと

体調がすぐれなかった。

 

そして

ついには

インフルエンザに

かかった。

 

そして

2月2日、

体調が復活した。

 

復活した彼は

立ち上がり、

 

私と妻の前に

立ち、

 

静かに、

しかし

とても深く、

 

力強く、

 

一言

語った。

 

「僕は

進む。」

 

一つの

象徴だな、と

思った。

 

つづく

 

元気であればいい、わけではない

 

心を開放する

のと、

魂を開放する

のは

違う。

 

恐らく、

この区別が

つかないことが、

今の世の中の

現状を

招いていると

私は考える。

 

心を開放すれば、

心は

元気になる。

 

しかし、

魂を開放したからと

言って、

魂が元気になる

とは限らない。

 

むしろ、

私達の魂は、

自分自身の元気さを

いつも

調整している。

 

つまり、

元気でない状態を

意図的に

創り出している。

 

この真実に

気づかないと

道を誤ることが

多い。

 

私達の

決めている道

とは、

単純に

魂が元気になる

方向

・・・ではないのだ。

 

・・・・・・

 

魂の意思を

私は

『真本音』

と呼んでいる。

 

厳密に言えば、

ちょっと違うのだが、

まぁ、ほぼ

そうなので、

ここでは

そういうことにする。

 

真本音に素直に

生き(行き)、

真本音度合いが

高まることで、

何が起こるかと言えば、

 

魂の元気度合いを

調整できる

ようになる

 

のだ。

 

つまり、

いつも元気であろう

と欲求する

状態から卒業し、

 

今はこの

元気度合いで

進もう

 

という

魂の意思に

そのまま素直に

進むことができる

ようになるのだ。

 

私達の魂が

最も大事にしている

ことの一つは、

 

「自分自身の

エネルギー量」

 

 

「周り(もしくは現実)の

エネルギー量」

 

 

「調和」

である。

 

ここで不調和が

起こってしまうと、

進むべき道が

開かなくなってしまう

ことがあるからだ。

 

私は、

「尊重」

という行為の

最も根本的

根源的な要素は

これであると

思っている。

 

人を尊重する。

 

現実を

尊重する。

 

社会を

尊重する。

 

とは、

まずは

エネルギー量を

尊重するところから

始まるのだ、

と。

 

エネルギー量の

尊重は、

その場その場の

「調和」には

なくてはならない

要素だ。

 

ここが上手くいけば、

エネルギーの循環

が起こる。

 

すべての物事は

この

「循環」によって

進められていく。

 

循環が

スムーズに行けば

行くほど、

それは

真本音の道

となる。

 

循環が

スムーズでなければ、

一見して

どれだけ現実が

上手く展開していても、

必ずどこかで

淀みが起こる。

 

するとその

淀みを解消するための

新たな流れを

起こさねば

ならなくなる。

 

大体の場合、

そこで使われる

エネルギー量は

果てしなく

大きい。

我々が思っている

以上に。

 

そして結果として、

その「調整」のために

(「調和」のために、ではない)

大半のエネルギーを

費やさねばならなく

なる。

 

つまりそれは、

本来

エネルギーを

使うべきところに

使えていない

状態だ。

 

これでは結果として、

道は

開かない。

 

どのような

「循環」を

起こすか?

 

そのためには、

今、自分の発する

エネルギーは

どれくらいが

良いのか?

 

この調和を、

私達の魂は

最も大事にする。

 

そしてその

指針を

一つの「意思」として

心の中に

浮上させる。

 

それこそが、

「真本音」

である。

 

・・・・・・

 

真本音で生きる

ことで

すべては

調和を始める。

 

真本音を無視する

ことで

すべては

不調和となって行く。

 

間違っては

ならないのは、

 

現実が上手く

行っている

ことが

調和とは限らない

ということだ。

 

現実が

思うように進まなく、

試行錯誤が

続いたり、

暗中模索に

入っていても、

 

それが

調和のために

起きているのか、

それとも

不調和の結果として

起きているのか、

 

その判別を

きちんとすること。

 

ちゃんと

真本音で進めて

いるのであれば、

今のこの視点を

持つだけで、

答えは

わかるはずだ。

 

ここで

答えがわからない

のであれば、

そこには

何らかの不調和が

存在している。

 

・・・・・・

 

今回はちょっと

難しい文章の

表現になったかな。

 

でも

この文章の意味の

本質が

ピンとすぐに

わかる人は

「コーチ」の素養が

あると

私は

思うけどね。

 

つづく

 

真剣に人間を学びませんか?

 

苦しい体験をすることで

成長ができる

わけではありません。

 

苦しみを抱き続ける

からこそ、

私達は成長できるのです。

 

心が激しく

揺さぶられる過去と

対峙しながらも

「今」を進む人。

 

そんな人は、

揺れ動く心が

そこにあるにも関わらず、

とてつもなく

静謐です。

 

心は嗚咽しても

魂が

静かなのです。

 

そんな人と

向かい合うと、

こちらも

静かになっていきますね。

 

私は

そんな人を

どこまでも

応援したいなぁ。

 

・・・・・・

 

心と魂の

区別のつく

コーチが

増えるといいなと

思います。

 

心は

揺れて

いいんだよ。

 

揺れるままで

いいんだよ。

 

でも、

魂が揺れ、

魂が傷つくことは

やめようよ。

 

・・・そんな

ちょっとした助言の

できるコーチが

今の世には

必要です。

 

心は

そのままでいい。

 

たったその一言を

聴くだけで、

どれだけ私達は

救われることか。

 

・・・・・・

 

魂を大切にできる

コーチとは、

命を大切にできる

コーチです。

 

心の痛みから

逃れることで、

命を傷つけてしまう人が

います。

 

それを

止めるのは

残念ながら

本人には難しいのです。

 

そこは

ちょっとお節介でも、

傍にいる人が

止めなければいけません。

 

しかしそれができる人は

多くはありません。

 

私達はもっと

「人間」を学ぶべきでは

ないでしょうか。

 

「人間」を真剣に

学ぼうとする人に

私は

コーチになって

もらいたいな。

 

つづく

 

あなたの魂は怒ってませんか?

『反応本音』。

 

・・・真本音に対する言葉として

私はよく使います。

 

外からの影響により、

その反応として

出来上がる私達の心。

 

それが反応本音です。

 

反応として

出来上がりますので、

それは基本的には

弱いものです。

 

不安定です。

 

しかし、これは

私達の心の表面に常に

現れ続けますので、

反応本音そのものを

自分である、

という認識をしている人が

多いです。

 

もしくは、

反応本音のパターンを

「これが私である」

と思い込んでいる人も。

 

ただ、

いつもこういった書き方を

しますので、

反応本音は良くないものだ、

とか、

薄っぺらいものだ、

とか、

レベルの低いものだ、

とか、

そんな印象を持ってしまうかも

しれませんね。

 

ですからあえて申しますが、

反応本音とは

私達人間にとって

なくてはならないものであり、

宝でもあります。

 

反応本音があるが故に

私達は

人としての幸せを

感じることができます。

 

反応本音があるが故に

現実とより深く

関わり合うことができます。

 

反応本音があるが故に

真本音が活きる

のです。

 

もともと

反応本音とは、

現実世界において

真本音で生きやすいように

という目的のために

私達の真本音が自ら

発生させているものです。

 

私達は

真本音のみでは

この現実世界は

生きられません。

 

真本音と反応本音の

コラボによって初めて

生きる(活きる)ことが

できます。

 

ちょっと

わかりづらいですか?

 

ではあえて、

反応本音を「心」、

真本音を「魂」、

という言葉に

置き換えてみます。

(本当はちょっと短絡的な

置き換え方ですが。)

 

私達はこの現実世界では

魂のみでは

生きられないのです。

 

魂と心が

結びついて初めて

この世での

成長が成り立ちます。

 

今、目の前に一つの

現実があり、

その現実に対して

「どのような心で

関わって行こうか?」

を魂が決めるのです。

 

つまり、

魂が上司で

心が部下のようなもの

ですね。

 

魂が心を

活かすのです。

 

つまり、

真本音が

反応本音を活かす

のです。

 

反応本音は、

現実世界における経験によって

次々に生み出されます。

 

つまり、

経験を積めば積むほど

反応本音のバリエーションが

増えます。

 

その増えたバリエーションの中で

「今回は、どの反応本音に

活躍してもらおうかな」

ということを

真本音が決めるわけです。

 

つまり、

真本音と反応本音は

セットなのです。

 

それが

本来の姿です。

 

ところが、

反応本音が増え過ぎると

私達は

肝心要の真本音を

忘れてしまいます。

 

自分自身の真本音を

無視するように

なってしまいます。

 

すると、

真本音のないままで、

もしくは、

真本音にフタをした状態で、

反応本音のみで

現実に関わるようになります。

 

それにより、

現実も自分自身も

おかしなことに

なっていきます。

 

本来は

真本音と反応本音はセット

なのに、

真本音を忘れて

反応本音のみで

生きてしまう。

 

言い換えれば、

本来は

魂と心はセットなのに、

魂の意思を忘れて

その時その時の心の意思

のみで生きてしまう。

 

それにより、

その人の人生の一貫性は

失われ、

いったい何のために

自分は生まれてきたのか?

何のための

人生だったのか?

を忘れた状態で

ただただ惰性で生きていく、

ということになります。

 

その状態を実は、

最も嫌うのが

私達の真本音であり、

魂です。

 

ですので、

真本音(魂)は怒ってしまいます。

(喩えです。)

 

怒ってしまった結果として

真本音(魂)は

隠れてしまいます。

(これも喩えです。)

 

それにより、

「中心」を失った私達は

非常に不安定となります。

 

ストレスも

大量発生します。

 

残念ながら、

そういった状態になっている人が

とても多いのが

今の世の中です。

 

「中心」がないのは

とても不安であり

不安定ですので、

私達はとりあえずの「中心」を

無理矢理に自分に

設定します。

無意識に。

 

その多くは

反応本音による「中心」です。

 

本来は

真本音が「中心」に

来るはずなのですが、

それとは別の「中心」を

無理矢理に「中心」と

してしまうのです。

 

それでますます

真本音(魂)は怒り、

ますますストレスが発生し、

ますます、

自分がわからなくなります。

 

それも、

今の世の中の多くの人の

傾向です。

 

ですから、

「中心」を本来のものに

戻さなければなりません。

 

きちんと、

自らの真本音に

「中心」になってもらうのです。

 

それにより初めて、

私達は

「本来の自分」

を取り戻します。

 

逆に言えば、

「中心」を本来に戻さずして

私達に安定は

訪れません。

 

本来の「中心」ではないままで

自分を変えようとしても

それは難しい相談です。

 

たとえ自分が変わったとしても

本来の「中心」でないならば、

どのような自分に変わっても

不安定さは変わりません。

 

真本音中心の自分に

戻ること。

 

それにより、

あらゆる反応本音達も

生きて(活きて)きます。

 

自分自身が

活きて来るのです。

 

ですから私のサポートは

まずは

「中心を変える」

つまり、

「中心を真本音に戻す」

ところから始まります。

 

そこから始めるのが

最も簡単で、

最も楽だからです。

 

つづく

 

崩壊、の前で立ちすくんでいる人へ

これまで何十年もかけて

培ってきたもの、

育んできたもの、

継続してきたもの、

などが、

一気に崩壊してしまう。

 

音を立てて、

崩れ落ちてしまう。

 

そんな人生展開や

組織展開をしている人が

今、急激に増えています。

 

「ずっとここにあったもの」

が、

なくなる。

 

「ここにあるのが当然なもの」

が、

なくなる。

 

その、

茫然と自失。

 

その後にやってくる

絶望。

 

虚無感。

 

それらの大きさは

到底、耐えられる気が

しません。

 

これまでずっと

がんばってきたことは

いったい何だったのだ?

 

自分はいったい

何のためにここまで

きたのだろうか?

 

自分がここにいる

意味も

意義も

すべてが白紙になり、

生きることへの

気力が

なくなります。

 

そのように、

自分という人間が

耐えられる範疇を

逸脱してしまっている展開に、

我を失っている人が

増えています。

 

それでも

さらにがんばって

踏ん張ろう、

立ち続けよう、と

するのですが、

足元の地面そのものが

崩れ落ちていく感覚で、

踏ん張るどころの

騒ぎではありません。

 

その人にとっては

すべての崩壊に等しく、

かつ、

自己崩壊に

等しいものです。

 

肉体だけでなく、

魂さえもが

死んでしまう感覚。

 

崩壊の現実の前で

そのように

自分のすべてが崩壊してしまう

感覚の中にいる人が

増えています。

 

崩壊の波。

 

これが、

今の世の中に流れる

潮流の一つです。

 

その潮流に

呑み込まれそうになった

場合、

まずはぜひ

していただきたいことが

あります。

 

それは、

「現実の崩壊」

「自分の心や魂の崩壊」

区別をつけること

です。

 

今、目の前にある

その現実は、

過去の自分のとってきた

様々な選択や行動の

「結果」です。

 

つまりは、

「過去の原因」による

「結果」が、

今、目の前に現れている

ということです。

 

今、目の前にありますが

それは

過去にすでに創られたもの

ということです。

 

その現実は

過去のもの。

 

そして、

その結果を見つめている

今のあなたのその心と魂は

今のもの、

です。

 

過去のものを

今のもので

見つめています。

 

その、

過去のものと

今のものを

区別してください。

 

一度、完全に

切り離してください。

 

分離

させてください。

 

「現実」が崩壊したからと言って、

今ここにあるあなたの

心や魂までもが

崩壊する必要は

まったく

ないのです。

 

その分離が

しっかりできたら、

今度は、

今の自分の心と魂そのものに

だけ

意識を向けてみて

ください。

 

まずは、

心へ。

 

恐らく、心は

目の前の「現実」を見て

相当のショックを受け、

取り乱しているでしょう。

 

目の前の「現実」と

同じように、

崩壊しようとしているかも

しれません。

 

でも、

安心してください。

 

それが、

心というものです。

 

現実からのショックを

そのまま受け取るのが

心であり、

現実による反応を起こすのが

心です。

 

反応本音の集合体、

それが心です。

 

ですから

取り乱すのが

普通です。

 

その普通の現象としての

心をそのまま

観察してください。

 

あぁ、ただ、

取り乱しているだけだな

と、

わかるはずです。

 

それでOK。

 

次に、

魂へ

意識を向けます。

 

魂だけに

意識を向けます。

 

あなたの魂は今、

光を放っていますか?

それとも

光を失おうと

していますか?

 

心ではありません。

魂です。

魂だけに

意識を向けます。

 

輝いているでしょ?

 

わかります?

 

なぜなら今、

あなたは

甚大なる「崩壊」と

しっかりと向かい合っている

からです。

 

崩壊に対して

目を瞑ってしまえば、

それは現実逃避です。

 

現実逃避に入った

その瞬間から、

私達の魂は

光を失います。

 

しかし、

どれだけ厳しい現実が

あろうとも、

その現実と向かい合う

その姿勢がある限り、

魂は強い光を

放ち続けます。

 

そしてその光が

ある限り、

私達人間は

大丈夫です。

 

その光を見つめ、

その光に

癒されてください。

 

それは

自分自身の光です。

 

命の光です。

 

それを見つめ続ければ、

ある瞬間に、

次の一歩がわかるはずです。

 

このような激しい崩壊の中でも

次に自分が何をすればよいか?

が観えるはずです。

 

それが観えるまでは

じっとしていればよいです。

 

その代わり、

観えたらその通りに

動きましょう。

 

それが新たな

道となります。

 

たった一歩でも道を創れば

その道は続きます。

 

そしてある時に

必ずわかります。

 

あぁそれは、

自分にとって必要な

崩壊だったのだな、と。

 

今は

無理にわかる必要は

ありませんし、

無理にわかっては

ダメです。

 

余裕もゆとりもなくて

よいです。

そのままで。

 

ただ、

・現実と

・心と

・魂の

区別をつけましょう。

 

最後に私達を

救い、

導いてくれるのは

私達自身の魂の意志です。

 

それこそが、

真本音です。

 

つづく

 

みんな、真本音で生きようよ

どのような心があろうとも、

それらをただ

あるがままに

観察することのできる

自分。

 

なんの操作もなく、

なんの評価もなく、

なんの解釈もなく。

 

ただその存在を

存在のままに

承認できる自分。

 

そんな自分になれた時、

それができているその「自分」とは

いったい何者でしょうか?

 

当然、

今ものを考えたり

ものを見ているこの自分は

私達自身の

顕在意識です。

 

しかし、

顕在意識そのものは

非常に不安定な

存在です。

 

すぐに揺らぐし、

すぐに不安になるし、

すぐに自信をなくします。

 

なのに

この安定感は

どうしたことでしょう?

 

すべての自分と

あるがままに向き合う

自分になることにより、

私達のこの

もともと不安定だった顕在意識は

とてつもない

安定感を得ます。

 

まるで、

永久不滅の

大地に立っているようです。

 

この

大地は何でしょう?

 

この

安定感は何でしょう?

 

この

安心感は何でしょう?

 

この

満たされた感覚は?

 

この

自然に溢れる確信は?

 

・・・これが、

私の言うところの

『真本音』

です。

 

最も醜い自分自身と

完全に向き合える人のみが

初めて実感できる

心の大地です。

 

心の大地とはつまり、

「魂」そのものです。

 

もしこの

真本音という大地を

実感できるようになりましたら、

ぜひ

自分自身に問うてみてください。

 

自分の真本音に問う、

最初の質問です。

 

『私は今この瞬間、

どんな生き方を

したいのだろうか?』

 

・・・と。

 

それは極めて

シンプルな答えとして

返ってくるでしょう。

 

もし理由づけや

説明の必要な

複雑な言葉であれば、

残念ながらそれはまだ

真本音ではありません。

 

その一言を

つぶやくだけで、

身も心もすべてが

スッとする、

説明不要の

納得の一言が返ってこれば、

それは紛れもなく

真本音の答えです。

 

その「生き方」が

真本音で生きるための

最初のキーワードと

なります。

 

これを私は

 

『人生理念』

 

と呼んでいます。

 

人生理念は、

日常のあらゆる場面で

その一言をつぶやけば、

「本来の自分」

を思い出させてくれるでしょう。

 

私は本当は

どんな生き方を

今ここで実践したい

人間であるか?

 

・・・を思い出させてくれます。

 

いつもそれを

つぶやきながら

今この瞬間を大切に

自分の行動や振る舞いを

決めていくことが、

真本音で生きる

ファーストステップです。

 

これができている状態が

人としての「普通の生き方」

です。

 

そして、

これができていることで

私達の魂と心の

一貫性が取れ、

心から淀みが消えていきます。

 

淀みが消えることで

自然に浮上するのが、

『直観』

です。

 

次に自分が何をすればよいか?

をありありと教えてくれる

確信の答えです。

 

あとはその確信に

従って動く

だけのことです。

 

思えば・・・。

 

私達人間は、

この、

真本音と反応本音の区別が

つかなくなったところから

「普通の生き方」が

できなくなったのだと思います。

 

本当は、

「区別をつける」などという

言葉そのものが不自然なくらい、

その二つは

あまりにも違います。

 

目と鼻の区別をつけるのと

同じくらいに

それは簡単なことだった

はずです。

 

しかし私達人間は、

自分の真本音のことを

あまりにも忘れて

しまいました。

 

あまりにも

無視し続けて

しまいました。

 

だから、

人としての「普通の生き方」も

人としての「本来の幸せ」を

感じることも、

できなくなってしまいました。

 

もう一度、私達は

人間としての

原点に戻る必要があると

私は思います。

 

自分を理解する。

 

反応本音達を理解し、

真本音を理解する。

 

そこから始めるのが

最も大切なことだと

私は思うのです。

 

つづく

 

今ここで私は何を感じているのだろうか

自分の心を観察する

と言っても、

どうすればよいか?

まったくイメージを持てない

人も多いと思います。

 

実際に、

企業研修の場で

「自分の心を観てみてください」

と私が言っても

大半の方がキョトンと

されています。

 

心とは

目に見えないものです。

 

しかし、

脳を使わなければ、

心とは

ありありと観えてきます。

 

心とは

「実在」です。

 

つまり、

実際に存在するもの

です。

 

3次元のレベルで

それを把握しようとするから

難しいのであって、

もっと高い次元の眼差しを

向ければ、

それはありありと

そこに在るのがわかります。

 

心の「実在」を

感じ取れるようになると、

現代の世の中は

いかに多くの人達の心が

ボロボロであるかが、

本当によくわかります。

 

中には瀕死の重傷を

負っている人もいます。

かと言って

そういった人も

毎日を当たり前のように

お仕事をしながら、

がんばりながら

過ごしています。

 

自動車は

ガソリンが切れれば

ガス欠を起こします。

決して動くことは

ないでしょう。

 

しかし人の心は、

ガス欠を起こしても、

それでも動かしてしまうことが

可能と言えば可能です。

 

ガス欠状態でも

気合だけで動かしている人が

今、いかに多いことか。

 

私からしてみると、

本当によくやってるなぁ、

とある意味驚嘆します。

 

なぜこの人は

こんなにもエネルギーがないのに

これだけ動いていられるのか?

と驚嘆するのです。

 

しかし当たり前ですが、

それは決して良いことでは

ありません。

 

エネルギーのないのが

当たり前。

その状態でもがんばるのが

人間だ。

その状態でもがんばるのが

社会人だ。

その状態でもがんばるのが

ビジネスマンだ。

 

・・・そんな常識は

本当に私達は

捨てるべきです。

 

もっと自分を

エネルギーで満たすことを

考えましょう。

 

そして、

本来のエネルギーとは

自動車のガソリンのように

外から与えられるものでは

ありません。

 

人の心の本来のエネルギー

とは、

内側から自然に

湧き続けるものなのです。

 

つまり私達人間は

すべての人が

心のエネルギーを

自家発電できるのです。

 

しかし残念ながら

それができている人は恐らく、

1割にも満たないでしょう。

 

その事実を

まずは感じ取るためにも

自分自身の心に

意識を向ける必要が

私達にはあります。

 

では、

心に意識を向けるとは

実際には何をすれば

よいでしょうか?

 

その第一歩は、

「今自分が感じていること」

に意識を向ける

ということです。

 

「感じていること」

 

まずはこれが麻痺している人が

あまりに多いです。

 

企業サポートの中での

私の実感値で言えば、

恐らく、

7割以上の人が

麻痺しています。

 

今、自分は

何を感じているのか?

 

イライラしているのか、

心地が良いのか、

悲しいのか、

嬉しいのか、

モヤモヤしているのか、

スッキリしているのか、

恐れているのか、

安心しているのか、

・・・・・・。

 

まず単純に

「快」の状態なのか?

「不快」の状態なのか?

を自覚するとよいでしょう。

 

まず、これが

できていません。

多くの人が。

 

例えば、

Aさんから一言を

もらった。

 

その一言によって、

自分の心が

どう動いたのか?

 

「快」の方向に動いたのか?

「不快」の方向に動いたのか?

 

その時その瞬間の

特に、人との関わりの現場

において、

自分の心がどう感じているのか?

に敏感になることが

とても重要です。

 

今日一日を振り返って

どうだったか?

というのももちろん大事ですが、

それ以上に、

 

「今この瞬間、

自分はどう感じているのか?」

 

に敏感になることこそが、

人として「普通に生きる」ためには

必須です。

 

人生とは、

現場です。

 

現場とは

今この瞬間です。

 

今この瞬間に

感じていることを

自覚することが

生きる

ということなのです。

 

まずはこの当たり前のことを

できる自分に

戻ることです。

 

これが、

ファーストステップ

です。

 

つづく

 

心は込めているのに、魂が込められない

新規事業プロジェクトメンバー一人一人について

私は、木村さんと弓江さんと

語り合っています。

 

まずは、日下部さんについて

充分な語り合いができたと、

私達の中で、完了感が生まれました。

(→前回記事)

 

「たけうちさん、

次は、前芝(まえしば)について

考えたいのですが。」

 

「じゃあそうしましょう。

どんな方ですか?」

 

「まだ若いです。25歳の男性社員です。

しかし私は、彼がどう頑張るか?で

新規事業プロジェクトだけでなく、

全社に与える影響が大きい気がしています。」

 

「ということは、弓江さんからしてみれば、

彼こそが、要となる社員だと思うんですね?」

 

「そうです。」

 

「どんなところで、

そう思われるのですか?」

 

「彼はとにかく、素直なんです。」

 

「へぇ。」

 

「若い、ということもあるでしょうが。

でも、根っからの素直さがあるように

思うんです。」

 

「なるほど。

具体的にはこれまで、どんな場面やどんな瞬間に、

彼の素直さを感じましたか?」

 

「例えば彼は、お客様からの受けが

とても良いのです。

みんなが彼のファンになります。

彼の力になりたい、と思うようです。」

 

「おぉ、それは凄いですね。

彼のどんな振る舞いが、そうさせていると

思いますか?」

 

「たけうちさんの言葉を借りて言えば、

彼は、向き合う、ということが

できるのだと思います。

いつも堂々とお客様と向き合って、

しかも、相手の話を親身になって聴いて、

しかも、言われた期待には必ず答えようとします。

自分が言ったことも、必ず実行します。」

 

「それは、なかなか期待できる人ですね。」

 

「ただ・・・。」

 

「ただ?」

 

「はい、ただ・・・、私はなんかちょっと彼が

無理をしているようにも思うんです。」

 

「どんな風に?」

 

「ちょっと、従順過ぎると言いますか・・・。」

 

この辺りで私は、

前芝さんの「実在」を感じ始めました。

 

まるで、本人が目の前にいるかのような、

感覚があります。

 

私は、その「実在」に意識を

向けました。

 

そして私も感じました。

あぁ彼は、相当に無理をしている、と。

 

「なるほど。

私も直観的に、彼はかなり無理をしている

気がしますね。」

 

「はい。

彼の素直さは、本当に素晴らしいと

思うのですが、実はかなりストレスを

得ているのではないかと、

少し心配になります。

いつも前向きだし、笑顔も絶やさないし、

ムードメイカーなんですけどね。」

 

「では、

直観的にお答えいただきたいのですが。」

 

「はい。」

 

「彼の真本音と、今の行動は、

ズレがありますか?」

 

一瞬、弓江さんは目を閉じました。

 

そして明確に答えました。

 

「ズレズレです。

・・・そうか。

ズレズレなんだ。

あれだけ頑張ってるのに・・・。」

 

「木村さんは、どう思われます?」

 

「そうですね。

彼はある意味、とても器用なんだと

思います。

時々、世渡りが上手いなぁ、若いくせに、

と思うことがあります。

でも、かと言って、不快に思うことは

ほとんどないのですよ。

彼の素直さの方が強調されている

気がします。」

 

恐らく、前芝さんという人は、

軽薄な人ではないのでしょう。

一つ一つの物事に、心を込めて

取り組むことは間違いないと思います。

 

しかしそこには、

魂が入っていない・・・。

 

心は込められているのに、

魂は、入っていないのです。

 

実は、こういったタイプの人を

私は随分と多く見てきました。

 

実は、こういった人ほど、

若いうちはまだ良いですが、

年齢を重ねるに従い、

かなりの強烈なストレスに

苛まれるようになるのです。

 

つづく

 

脳みそを使う五感だけが、すべてではないのです

心、って何でしょうね?

 

心は目には見えないものです。

でもよくよく考えると、

「見る」という行為は、私達の脳みそが感知する行為

でしかありません。

 

私達は、脳で感知できるもののみを

「そこにある」

と判断しています。

 

が、脳で感知できる周波数はほんのわずかです。

 

「見る」ということだけでなく、

「聞く」ことも「体で感じる」ことも、

つまり私達の五感はすべてが、脳によるものです。

 

脳という機関を通じないと

私達は、私達の世界や現実を感じることは

できません。

・・・と一般的には言われています。

 

が、本当にそうでしょうか?

 

脳を使わずに、

そこにあるものを

感知することは

本当にできないのでしょうか?

 

これに対しては

私は明確な答えを持っています。

 

もちろん答えは、

「できます」

です。

 

というよりも、

「できますよ。それが当たり前のことです」

という言葉になるかな。

 

第六感という言葉がありますが、

第六感どころか、第七感も第八感も第九感も、

もっともっと私達にはあります。

 

脳を使わなければ何もわからない、

という私達の固定観念が

それらを使わなくしているだけのことです。

 

私はコーチングというお仕事を通じて

たくさんの方々の「心」と向き合いました。

 

ある時から、

脳みそを使わなくても、

皆さんの心を感知することができるように

なりました。

 

それは、「超能力」と表現するような

特別なものではありません。

 

あぁなんだ、私達人間には最初から

こういった能力が備わってるんだな、

ただ使ってないだけなんだな、みんな、

とわかりました。

 

脳の五感を使わずに感知できるものを

いつからか私は

『実在』

と表現するようになりました。

 

そこに確かに「実在」しているもの、

という意味です。

 

それに対して、脳レベルで感知するものを

『現象』

と呼ぶようにしました。

 

『実在』と『現象』。

 

すべての物事は、この二つによって

成り立っています。

 

『実在』があるからこそ

『現象』が起こります。

 

しかし、

『実在』があったとしても、それがまだ

「現象化」していないものもあります。

 

この話については、

今後、少しずつこのブログでも

明らかにしていきます。

 

さて、

木村さんの話に戻りますが、

私はコーチングをしながらも、木村さんの『実在』を

感知し続けていました。

 

木村さんの『実在』をあえて

わかりやすく表現すれば、次のようなイメージに

なります。

 

木村さんという、もの凄く強いエネルギー体が

真っ黒な雲に覆われてしまっている。

 

・・・こんなイメージです。

 

もちろん、『実在』ですので、

脳で見るわけではありませんので、

本当にそのように見えるわけではありません。

 

でも、脳を使わずに感知したことを

まるで脳を使ったように表現すると、

こうなるのです。

 

ですから、

こんなにエネルギーの高い人なのに、

あんな雲で覆われてしまって

本当にもったいない人だなぁ、

というのが、私の木村さんへの印象でした。

 

なんとかあの黒い雲を

取り払うことはできないかな、

というのが、私のコーチとしての木村さんに対する

テーマでした。

 

木村さんが

「プロのコーチになりたい」

と言い出した時、

私は、彼の黒い雲がますます黒く重くなり、

ますます彼のエネルギーが閉ざされていくのを

感じました。

 

しかし、

彼のコーチングを続けることで、

彼は自らの「真本音の言葉」を語りました。

 

それが、

「平井にもっと伸び伸びとしてもらいたい」

という願いでした。

(→前回記事)

 

彼がその一言を口にした途端に、

木村さんの実在に変化が現れたのが

わかりました。

 

イメージで言えば、

黒い雲に一箇所だけ穴が空き、

そこから彼本来のエネルギー(光)が

洩れ始めた、

・・・そんな感じです。

 

この光を大きくすればいいんだ!と

私はとっさに思いました。

 

そのためには、

私の次の一言がすべてを決めます。

 

ここがコーチとしての

最も重要な瞬間だとわかりました。

 

私は、彼の目を

見据えました。

 

そしてその時その瞬間、

自然に浮かんだ言葉をそのまま

彼に投げたのです。

 

その言葉は、

木村さんの真本音が

「今、私に投げてください!」と望んだ

一言でした。

 

つづく

 

いつまで不安解消のためだけの人生を続けるの?

私達人間の心は

二つに分けることができます。

 

一つは、揺るがない心。

もう一つは、揺らぐ心。

 

揺るがない心を、『真本音』。

揺らぐ心を、『反応本音』。

私はそう名づけました。

 

どちらが良い・悪い、ということではありません。

 

どちらにもそれぞれの存在意義があります。

 

揺らぐ心など、最初からなけりゃいい、と

思われるかもしれませんが、

揺らぐ心があるからこそ、私達は

人間としての幸せを感じることもできます。

 

揺らぐ心があるからこそ、私達は

状況に応じて生き方を対応させることができます。

 

ところが、揺らぐ心(反応本音)は

本質的には弱いです。

 

反応本音で生きる、とは

あえて短絡的に言えば、

「不安や恐怖に基づいて生きる」ということになります。

 

不安を解消するためにどうすればよいか?

恐怖から逃れるためにどうすればよいか?

 

その視点からの発想に基づき、

私達は動くことになります。

 

それを「自己保身」と表現していますが、

自己保身を第一に考えてしまうと

本来の自分をいつの間にか見失ってしまいます。

 

それに対して、真本音で生きる、とは、

「自分の揺るがぬ願いに基づいて生きる」

ことになります。

 

しかしそれは決して理想論ではありません。

 

「自分の願いと、今の現実を観察しながら

今この瞬間における最善の一歩一歩を進む」

 

ということを、私達の真本音は大切にしています。

 

「今を生きる」とは

「今できる最善を尽くす」ことです。

 

最善とは、妥協ではありません。

理想でもありません。

 

自分の理想を大切にしながらも、

「今はこの一歩が最も良いな」と自分自身が納得できる

そんな一歩が「最善」です。

 

「妥協」とは自分自身が納得できていない状態を

言います。

 

反応本音で生きる場合は、

そういった最善かどうか?は考えず、

とにかく、不安や恐怖を解消するために、

妥協だろうが何だろうが、最も楽だと思える道を

とります。

 

しかしそれは極めて刹那的な判断となりますので、

後悔することが多いのです。

 

木村さんは、後悔しました。

(→前回記事)

 

村瀬さんとのやりとり。

本当は、木村さんには心の底から発したい言葉が

ありました。

それが、

「お前、すげーな!」

という村瀬さんを賞賛する一言です。

 

しかしそれを発することで、

「自分は村瀬に追い抜かれるかもしれない」

という恐怖を彼は抱きました。

その恐怖を消すために、後輩である村瀬さんの考えを

自分の経験則を前面に出しながら潰しにかかりました。

 

上司である平井さんからも、

そしてその他の社員さんからも

木村さんは「評価」を得たいのです。

 

ところが自分への評価を守るために行なった言動が、

結果的に、皆からの評価を著しく下げることになりました。

 

これが、反応本音で生きる人の

典型的なパターンです。

 

真本音で生きる人は、

評価どうこう、という視点がありません。

いえ、

正確に言えば、そういった視点や心は誰にでもありますが、

それに捕らわれずに、

本来自分が望んでいる生き方や、

自分の目指したい人生への願いに基づいて

今この瞬間の言動を決めます。

 

そこから出される一つ一つの言葉や行動は、

人々の心に響きます。

その結果として、

「あの人はいいなぁ」という印象につながります。

評価が上がります。

 

評価に捕らわれないことで

評価が上がります。

 

皮肉な感じがしますが、それが世の常ですね。

 

評価云々はともかくとして、

何よりも、木村さん本人が

「後悔する」

というところが問題です。

 

自分が後悔する行動を自分がとり続ける。

それは私達人間の心のパワーを著しく

減退させます。

それにより、パワーを失った私達は、

さらに不安や恐怖を覚え、

その解消のための言動につながる、

という悪循環に入ります。

 

その悪循環から抜け出せない人は多いです。

 

抜け出すためには、

①本来自分が望む生き方を言語化して常に思い出すこと

②自己保身のための自分のクセが現れそうになれば、

その瞬間に止めること

そして

③本来自分が望む生き方に基づいて行動してみること

 

この3つを行ない続けることです。

日常の中で行ない続けることです。

 

自己保身に基づいた行動のクセを、

願いに基づいた行動のクセに

変換していくのです。

 

それができればできるほど、

誰もが、心の根底から「楽」になってきます。

 

心に「自由」を感じるようになります。

 

本質的な「楽・自由」を手に入れるための

「クセ直し」ですね。

 

私はこれを木村さんには徹底的に

行なっていただきました。

 

すると、何が起こるか?

 

木村さんのさらに深いところに存在していた

新たな「クセ」が浮上してくるのです。

 

つづく

 

『心とはチームだ』

人の心とは
組織(チーム)です。

私達の心の中には
様々な人格・個性の自分が
存在しています。

例えば、
・がんばり屋の自分
・怠け者の自分
・思いやりのある自分
・自分勝手な自分
・慎重な自分
・大雑把な自分
などなど。

様々な個性の自分達が集まり、
チームを組んで
「私」という
一つの心を形創っています。

そして面白いことに、
それらの自分達は
本当に、まるで別人
のようです。

つまりは
この現実世界における
組織と同じように
様々な価値観をもった
人同士が集まっています。

当然そこには
「人間関係」が存在します。

現実世界の組織と
同じように
チームが一丸となる
組織(心)もあれば、
みんながバラバラで
足を引っ張り合っている
組織(心)もあります。

もちろん
前者の場合は
その人の心はパワーに溢れ
いつも元気です。

後者の場合は
その人はいつも疲弊し
深刻で暗くなります。

パワー溢れる心の人は
心にゆとりがあるので
いつも周りを
大切にできます。

いつも疲弊している人は
自分のことで精一杯なので
自分勝手になります。

心の中の状態が
現実世界における
人間関係をも
決定します。

人生の展開を
決定します。

そういった原理を
理解しているのが
チームパフォーマンスコーチ
です。

チームパフォーマンスコーチとは
まずは、
一人ひとりの「心」
というチームを
活性化サポートできる
人なのです。

つづく

“個”が組織を決める

人も組織も
2極化が進んでいます。

成長する人(組織)は
どんどん成長し、
衰退する人(組織)は
どんどん堕ちていきます。

これは世の中全体の
潮流です。

自然の流れです。

これまでの生き方と
今の生き方が
すべて結果として
反映されます。

昨年までは
その反映まで
タイムラグが
かなりありました。

でも今は、
こういう生き方をすると
こういう結果が出る、
というのが実にわかりやすく
リアルタイムに近い形で
現れます。

タイムラグのある時代は
多少の「ごまかし」や
心の中の「淀み」や
「妥協」があっても
それなりに進めました。

しかし今は
違います。

いかに
ごまかしのない生き方
淀みのない生き方
妥協のない生き方
をするか?

それは
自分自身の
問題です。

一人の心の中の
問題であり、
一人の行動の
問題です。

そしてそうした一人ひとりが
集まることで
組織が形成されます。

ですので、
一人の生き方が
組織全体の生き方に
モロに反映されます。

しかもタイムラグが
非常に少ない状態で。

ですからこれからは

『個人が変わることで
組織が変わる』

この順番が極めて
重要です。

この順番を逆さにして
方策を立てても
結果は極めて
出づらいでしょう。

一人の心があり、
その心が行動を生み、
その行動が
組織そのものの流れを
決める、
のです。

これは
摂理です。

特にこれからの時代の
摂理です。

この摂理を
本質的に理解しながら
組織の活性化を
サポートする。

そういった人のことを
『チームパフォーマンスコーチ』
と言います。

つづく