真っ二つに斬られた

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自分自身が
真っ二つに斬られる

というイメージが
鮮明に浮かんだ。

まるで
白昼夢のように。

普通であれば
なんて怖いことだと
恐れ慄きそうだが、

まったく逆で、
とてつもなく
すがすがしさを
感じてしまった。

真っ二つに
ぶった斬られる、
というのを
私はどこか
いつも望んでいる
気がする。

そんなことを
書けば、
頭がおかしいと
言われそうだが、

皆さんの中にも
そういった願望は
ないか?
(ないよ。)

二つに斬られた
私は
明確な区別を
される。

その「区別」が
私の道を
より明確にして
くれそうだ。

だからむしろ
私は
その、
斬られた感覚を
何度も反芻しながら

しっかりと
思い出し続けて
いる。
(変態か?)

「区別する」という行為は、
これまで混乱していた
あらゆるものを
明確に分別して
くれる。

思えば、
真本音・反応本音
という区別も
そうだった。

区別のつかない
ことが
混乱を起こす。

そういった意味で
私のコーチングとは

区別のための時間

とも言える。

真っ二つに
斬られた私は、

右の私は、
混乱を見据え、
それへの最善の
対応をしようと
目を凝らしている。

左の私は、
私の人生のゴールを
まるで光り輝く
出口に観えるそれを、
ずっと
仰ぎ見続けている。

右からくる
発想と、

左からくる
発想。

その区別がつけば、
きっと
私のサポートも
さらにすっきりした
ものとなるだろうな。

つづく

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