なぜそんな無茶な進み方を

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もし
煙が立ち込めて
いて、
周りがまったく
見えない状態に
入ってしまったら、

誰だって

煙の薄そうな
方向に逃げるだろう。

まずはそちらに
逃げてから、
客観的に
煙の外から
状況を観察する。

これが最も
妥当な
対処法だろう。

しかし私は
私の人生において
それを
して来なかったのだな、

最近、ようやく
自覚した。

煙が立ち込めて
きたら、
私はその
最も濃い方向に
自らを進めた。

自殺行為に
等しい。

でも
それをせずには
いられない
何ものかが、

何らかの
理由が

私には
明確にあったのだ。

煙の
最も濃い方向に
行けば、
死ぬかも
しれない。

しかしその代わり、
その煙の
根源を
ダイレクトに
知ることができる。

ダイレクトに
理解して
根本的対応をする方が
早いか?
それとも
私の命が尽きる方が
早いか?

そういった
スレスレのところを
私は躊躇なく
進んだ。

とてもとても
人にオススメできる
生き方ではない。

その怖さを
知っているが故に
私はこれまで
誰にもそういった
進み方を
奨めてこなかった。

実際、
これからも
奨めないだろう。

しかしなぜ
私は
そのような生き方を
続けたのだろう?

答えは
一つである。

それは
「特異点」を
見つけるためだ。

「人生の特異点」
だ。

もちろん
そんなに簡単に
見つかるものでは
ない。

それも充分に
承知の上で、
私はその生き方を
選び続けた。

煙の根源を
ダイレクトに
知るため、

煙の根源と
ダイレクトに
対峙するため。

これをしなければ
「特異点」を
見つけることは
永遠にできないだろう。

しかしどうも、
そういった
私の生き方と
似た生き方をしている人が
いるようだ。

いるようだ、
というよりも
最近はそういった
人との出会いが
増えている気がする。

あえて
こういう話は
しない。

後押しも
しない。

普通に進んで
くれればいい、と
私は
願っている。

でも
その人には
その人の進み方が
ある。

私がそうで
あったように、
これは誰にも
邪魔されたくない。

だから
そっと見守るだけに
しておく。

きっと将来、
その人とは

同じような
歩みの果てに、

共に力を
合わせている
気がする。

が、
今は何も
意図はしない。

私は私の
進み方を
ただ粛々と
これからも進める。

つづく

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