時々、
とてつもない
発想が
くる。
とても
私自身の発想
とは
思えない。
しかし
まるで火山の
噴出のように、
それは
溢れ出す。
しょうがない
ので、
そのすべてを
見届ける。
そう。
直観とは、
「見届ける」
ようなものだ。
意図的に
自分で
創り出している
ものとは
到底、異なる
もの。
よく人によっては
「降りてくる」
という表現を
使ったりするが、
どうしても私は
その表現に
違和感を覚える。
やはりそれは
「自分自身」
から
湧いてくるものだ。
かと言って
自我の領域は
完全に超えている。
いつも言うように
自分の過去を
「思い出す」
感覚だ。
「未来を思い出す」
という
表現を使ったことも
ある。
思い出すの
だから
そこには微塵も
迷いはない。
思い出して
しまったら
それを
当たり前のように
やるしかないでは
ないか。
それが怖いので
自分の直観を
自分でみることを
放棄する人も
多い。
無意識に。
しかしやはり
私は
「見届ける」
ことをお奨めする。
せっかくの
プレゼント
なのだ。
自分自身
からの。
プレゼントは
素直に
受け取った方が
いい。
それが
自分を生きる
ということでは
ないか。
私達は
果てしない
存在だ。
自分を理解
など
到底できない。
宇宙のすべてを
理解するよりも、
自分のすべてを
理解する方が、
私は
何倍も難しいと
思っている。
私達は
果てしない
存在だ。
限界のたくさん
ある
この世界で、
果てしない存在
である
私達が
向き合っていく。
それが
ここで
生きるということだ。
自分として
生きる、
ということだ。
つづく