昔、地球は
平坦だと
考えられていた。
まるで
丸テーブルの
ように。
そして
丸テーブルの
果ては
超巨大な滝が
あり、
海の水が延々と
落ち続けている、
と。
世界には
果てがある、
と。
もちろん
今の我々から
すれば、
そんなはずはない
と
知っているが、
それはただ
知っている
だけだろう。
映像や写真
などで
球体の地球を
見ただけで、
実際に
生で見たわけでは
ない。
情報がない時代
は、
自分達で
想像するしかない。
その想像力が
昔の人達は
豊かだったのだと
思う。
世界の果ての
滝。
それが実際に
あるかどうか、
ではなく
そういったことを
みんなが
信じていた、
その
みんなの中に
存在した
“果ての滝”。
それを私は
実在で
感じるのだ。
いや、
逆に言えば、
実在のレベル
では
確かにその
“果ての滝”
は
存在する。
だからこそ、
昔の人達は
それと
繋がるようにして、
世界の果てを
そのように
想像し得た、とも
言えるのではないか。
今の時代、
わからない
ことに対して、
すぐに
情報を得ようと
する。
それって
本当に
人間が
豊かになっている
という
ことなのだろうか?
わからないから
攻略本を
調べる。
・・・という
だけのことでは
ないか。
そこに
“人生”は
本当にあるのか?
私達は
わからないこと
について
もっと想像して
良いのではないか。
未来は
わからない。
自分の
人生のことだと
しても。
じゃあ
未来像を
ネットで調べる
のではなく、
もっと純粋に
自分の想像で、
豊かに
自由に
描いてみては
どうだろう?
ここから
歴史を創るのは
私達だ。
攻略本で
創るわけには
いかないでは
ないか。
つづく