愛の場面

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分離している
二つの存在が

一つに
なろうとする。

その際に
発生するエネルギーを
私は
“愛”
と呼んでいる。

この仕事を
長年やっていると、
どうしても
このエネルギーとしての
“愛”を
感じ取ってしまう。

ある同じ人でも
“愛”が
大量に発生する
瞬間と
そうでない時が
ある。

あぁこの人は
こんな場面で
“愛”が湧き出るのだな、

という気づきは
その人への
サポートの大きな
指針となる。

どんな瞬間に
“愛”が大量発生
するか?

そこにこそ
その人の個性や
役割や能力が

さらには
使命が

凝縮されている
から。

“愛”のない
人はいない。

しかし
日常生活で
“愛”が
発生されていない人は

残念ながら
多い。

ないのでは
ない。

あるのに
発生させられない
のだ。

つまりは
そういった場面を
自らの人生で
創り出すことが
できていないのだ。

反応本音のみで
生きる、とは
そう言うことである。

それは自らの
“愛”を
減退させる、

・・・というよりも、

“愛”の場面を
減少させる。

自分の輝ける
場面は
自分で
創り上げる。

これが本来の
人生だ。

これが
自律ということ
でもある。

“愛”のない
人はいない。

自分を活かす
とは、

自分ならでは

“愛”の場面を
増やす
ということだ。

つづく

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