人生に辛さを感じている人、
特に、
「虚無感」に苛まれている人が
今、本当に増えているのを
実感しています。
ですから今日は、
「虚無」について
書かねばなりません。
「虚無」とは
何だと思いますか?
「虚無」と言うと
何もない状態であると
思われる人が多いでしょう。
しかし。
「虚無」
とは、何もない
というものではありません。
もっと言えば・・・。
「無」という一文字も
見てみましょう。
実は、・・・。
「無」
と言うのも、何もない
というものではありません。
それは、
「無」
という一つの
かたまりなのです。
我々人間が解釈した
「何もない」
というものの、
かたまりに過ぎないのです。
解釈の
かたまり。
ただの想像の
かたまり。
本当に何もない
わけではありません。
実在のレベルで言えば、
「何もない」
という状態は本来は
あり得ないのです。
「何もない」状態は
ないのです。
ところが私達は
「無」とか「虚無」を
極度に恐れます。
我々人間の持つ
あらゆる恐怖感の
根底にあるものが
「無」や「虚無」への
言いようのない恐れです。
「無」になりたくない。
「虚無」に陥りたくない。
私達の恐れは
すべてここから
きています。
しかし、
「無」も「虚無」も
本当はありません。
ないものに対して
私達は恐怖しているのです。
よく、
次元が高まると
何もなくなる。
すべてが無になる。
という言い方をされる人が
います。
しかしそれは実は
無とは似て非なるもの
です。
それは、無ではなく、
「すべてがある」
状態です。
どういうことかと言いますと、
光をイメージするとよいでしょう。
赤い光、青い光、緑の光、・・・
様々な波長のすべての光が
合わさると、光は
無色透明になります。
無色透明ですから、
一見すると何もないように
見えますが、実は
すべてがそこに
あるのです。
すべてが完全に
存在する状態になると、
表面的には無と同じに
なります。
しかし、それは無ではなく、
一般的には
「空」(くう)
と言われる状態です。
「空」とは
あらゆるものを
生み出す源です。
すべてが最初から
そこにあります。
実は、
「創造する」
とは、
「すべてがある」状態から
一部分を分離させること
を言います。
「すべてがある」状態から
一部分だけを焦点化する
という言い方もできます。
次元が高まると、
すべては「一つ」に
なっていきます。
つまりそれは
「空」に近づく
ということです。
逆に言えば、
次元が高まり「空」に近づくことで
私達は、あらゆるものを
自由自在に
分離させたり焦点化させることが
できるようになります。
つまり、
望むものを「創造」できるのです。
次元が高まれば高まるほど、
望む現実を手に入れられる
という理由の本質は
そこにあります。
ちょっとわかりづらいお話に
なってしまったかも
しれません。
言いたいのは、
無などない
ということです。
しかし、この世には
「無」を感じさせる物事が
たくさんあります。
であるが故に
私達は惑わされます。
前回の記事でも
書かせていただいた
エンティティも、
ある意味、
「無の象徴」と言えます。
エンティティとは、
無への恐れ、という念が
実体化したものです。
無への恐れの実体なので、
まるでそれが無そのもののような
恐ろしさを感じます。
ですので私達は
エンティティから逃げようと
します。
逃げようとすれば、
逆に背後からエンティティに
取り込まれます。
知らず知らずの間に
取り込まれています。
すると、
どうせすべては
無に帰するのではないか、
という絶望感が
発生します。
それにより、
あらゆる気力やパワーが
失われます。
何日か前の記事にも
書かせていただきましたが、
このエンティティの氾濫が
今は激しくなっています。
エンティティ自体は
実は全然大したことのない
弱いものなのですが、
弱いが故に、
私達の心の弱い部分と
共鳴します。
私達は今こそ、
強い意志(意思)を持たねば
なりません。
自分の人生は
自分のものである、
ということ。
人生に
正しい、間違っている、
という答えはなく、
答えは自分で決めていくのだ
ということ。
自分で自分の願いを持ち、
自分で自分の課題を持ち、
自分で自分の決断をし、
それを実行する。
つまり
自分で決め
自分で動く。
自分で選択し、
自分で進む。
この、当たり前を続ける
覚悟。
それを持っている人に
エンティティは
絶対に寄りつけません。
当然、
心に弱さはあってもよいです。
ただ、一方で
心には揺るがぬ部分も
確かに存在しています。
それを私は
真本音と名づけています。
誰もにある揺るがぬ部分。
真本音。
それを大切にし、
次の一歩を
踏みしめる。
ただそれだけのこと。
その意志(意思)に
エンティティは近づけません。
もし仮に
一度はエンティティに
取り込まれたとしても、
真本音のパワーによって
エンティティは
すぐに成仏します。
私は自分のミッションとして
あえて、
向き合う方々のエンティティを
すべて受け取り吸収します。
私が吸収すれば、
目の前の人はエンティティから
解放されるからです。
そして後の時間で、
すべてのエンティティと向かい合って
すべてを浄化します。
真本音のパワーで浄化
するのです。
それはまさしく「成仏」と言える
ものです。
ですから、
成仏する瞬間の彼らの声を
私は毎日のように聴いています。
エンティティ達は皆、
最期にこう言うのです。
「ありがとう。」
彼らは、
無ではなく、
「すべてがある」世界に
戻っていきたいのです、
本当は。
つづく