苦しまなくてもよいかもしれぬが

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相変わらず、
日々、
たくさんの人の
ストレスを
受け取っている。

身体が
捻じ曲がりそうに
なるくらいに、
苦しくなることも。

もう慣れた。

が、
苦しいものは
苦しい。

次の
クライアントさんとの
時間までに、

急いで
浄化する。

浄化するのだが、
その最中には
それらストレスと
向き合うことに
なる。

具体的な現象は
わからない。

でも、
様々な苦しみが
一つ一つ
順番に、

列をつくって
並んでいるように、

私の目の前に
現れる。

人の性。

人の業。

人の宿命。

人の必然。

いろんなことを
感じながら、

私も
共に苦しむ。

本当はここで
苦しまなくても
良いかも
しれない。

ただ、
流すだけで。

実はそれも
可能だ。

でも私は
それをやらない。

やりたく
ない。

自己満足
だろうが
何だろうが、

クライアントさんの
その苦しみを
私も
知りたい。

具体的事象は
わからないに
しても、
その感覚は
共有したい。

でないと、
私のサポートは
薄っぺらなものに
なりそうだ。

いや、
本当は
ならないかも
しれない。

ストレスと
向き合わずに
サポートしても
今のサポートと
結果として
変わらないかも。

いつも
そう思うのだが、

でもやはり
私は真本音で

苦しみを
共有しよう


決めている。

この生き方で
私の寿命は
縮まっている
だろうか?

わからない。

この生き方に
本当に
意味はある
だろうか?

わからない。

でも、
決めているから
やる。

昨日も
今日も
明日も。

人生は
生半可では
ないのだ。

だから
サポートも
生半可では
できない。

したくない。

私は
私のやれる
最大を
いつもやりたい。

つづく

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