次は、現実を手放す番だ

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今、目の前に

人がいます。

 

その人と

向かい合っています。

 

その人は、

あなたですか?

 

あなた自身ですか?

 

そう問われた時、

顕在意識のレベルではもちろん

いやいやいや、

目の前にいるその人は

自分とは別の人です、

と思うはずですが、

あくまでそれは

現象レベルの話です。

 

あなたの実在(心の中の世界)では

あなたは

どう感じているでしょうか?

 

やはり心の中でも

この人は私とは別の人だ、

と感じているでしょうか。

 

それとも、

この人は私自身だ、

と感じているでしょうか。

 

どちらが良いとか、

どちらが素晴らしいか、

ということではなく、

恐らく、

両方を感じている人が

多いのではないかな?

 

実は、

それが「実在」なのです。

 

「実在」の世界には

階層があります。

 

私はそれを

「次元」

と呼んでいます。

 

しかもそれを

数値で表しています。

 

次元が高まれば高まるほど、

「すべては一つである」

という実感が強まります。

 

「すべては私自身である」

という実感が当たり前と

なります。

 

次元が低くなればなるほど、

すべてに対して

分離感を得ます。

別物である、という感覚ですね。

 

私達の心の中の世界では

そういった様々な次元が

同時に存在しています。

 

高い次元から低い次元まで

様々な次元の自分を

持ち合わせているのが

私達人間です。

 

・・・・・・

 

目を瞑り、

空をイメージ

してみてください。

 

雲一つない

濃い青空です。

 

その青空の中に

漂っている自分を

イメージしてみてください。

 

現実では

あり得ませんが、

上も下も右も左も前も後ろも

すべてが

真っ青。

 

真っ青な空間の中に

一人でポツンと

漂っています。

 

そのまましばらくの時間

ジーッとしていて

ください。

 

何も考えず、

ただ、意識は

青空の「青」に

向け続けます。

 

それを続けていますと、

自分と青空の

区別がなくなって

きます。

 

自分は青空であり、

青空が自分であり。

 

自分はここにいるのに

ここではないどこかにも

いる。

 

自分は個であり、

自分は全体でもある。

 

自分は一点であり、

自分は「すべて」でもある。

 

すると、

青空である自分から

体を持っている自分が

観えるかもしれません。

 

自分の体に入ったり、

抜け出たり、

上から自分の体を観たり、

下から観たり、

後ろから観たり、

またもどったり。

 

あらゆる場所に

自分の意識を置けるように

なります。

 

それは

「自由」

です。

 

それは

「開放」

です。

 

これを充分に楽しんだら、

目を開けましょう。

 

すると目の前には

「現実」がありますね。

 

それが

「現象」です。

 

すべての現実(現象)を

ありありと観察してみて

ください。

 

いかがですか?

 

ちょっといつもとは違った

感覚で

自分の脳に

飛び込んできませんか?

「今ここ」が。

 

この感覚で

人と向き合うと、

結構、

面白いですよ。

 

・・・・・・

 

目の前にいる

その人は

「現象」です。

 

それは、

自分自身の反映でも

あります。

 

その人が

自分に対して、

どのような雰囲気で

どのような一言を

投げてくるのか?

 

そこに

自分の生き方のすべてが

映し出されています。

 

私達はいつも、

自分自身の反映と

向かい合いながら

生きているのです。

 

最近、

目の前にいるその人の

お顔は

幸せそうですか?

自由そうですか?

それとも、

苦しそうですか?

窮屈そうですか?

 

もし、

苦しそうであり、

窮屈そうであるならば、

あなたには、

何か手放すべきものが

あるはずです。

 

手放すべきものを

手放していないからこそ、

目の前の人が

苦しむのです。

 

実在のあなたは

(心の中のあなたは)

すでにそれを

手放しているはずです。

 

次は

現実のあなたです。

 

現実のあなたが、

現実の何かを

手放すのです。

つまりは、

行動に移すのです。

 

行動に移すことで初めて

「手放す」は

完了できます。

 

早く手放して、

次に進みましょう。

 

つづく

 

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