生きる、
ということを
真剣に
考え始めたのは、
私の場合、
小学4年生の
頃だったかな。
学校から
帰る途中で
一人で歩いて
いたら、
今でも
ありありと
思い出すよ、
ふと、
死の恐怖が
襲ってきたんだ。
そして
当たり前の現実
と
向き合うことに
なった。
僕はいつか
必ず、死ぬ。
・・・と。
途端に
足がすくんで
動けなくなった。
道端の
ちょっとした林を
見つめていたら、
急に
そうなった。
その林の様相が
今もありありと
蘇る。
いつかは
必ず
死ぬ。
その
リアリティが
私を硬直させた。
今になって
みれば、
よくわかる。
もちろんそれは
無意識では
あるが、
私はその時から
ずっと
「死」と
向かい合ってきた。
それは
私の人生に
プラスだったのか
マイナスだったのか
わからない。
私はすぐに
諦める少年と
なった。
誰かと闘うことから
いつも逃れた。
スポーツを
やっても
個人競技で
自分が勝ちそうに
なると、
相手が可哀想に
なって、
わざと負けた。
いや、
当時は
わざと負けようと
していたわけでは
ない。
でも今はよく
わかる。
私は常に
わざと負けていた。
基本、
自分のことなど
どうでもいい、
という
虚無感があった。
よくそれで
生きてこれたと
思う。
高校の時には、
私は
全人類で
自分が最も
劣った人間であると
完全に
思い込んでいた。
それが
確固たる信念として
自分の中に
確立した。
今となっては
ありありと
それが観えてくる。
あれはあれで
必要だったのだ、
とは
安易に結論は
つけないでおこう。
今も私は
常に
「死」と
向かい合っている。
人はなぜ
「死」を恐怖
するのか?
その恐怖に
意味は
あるのか?
「死」の先には
何があるのか?
それらの
問いに対して
今の私は
明確な答えを
言える。
だが、
それは
本当の答え
なのか?
という
問いは
絶対になくさない
でおこうと
決めている。
つづく