後悔。
悔恨。
そういった
念の深い人は
私は
好きだ。
もちろん
ただ
ウジウジしているだけ
であれば、
ちょっと嫌だけど。
後悔に
基づいて
前に向かおうと
している人。
私は
好きだね。
後悔と
本当の意味で
向き合える人は
謙虚だしね。
私自身が
深い後悔を
何度もしてきたので、
上辺だけの
後悔か、
本当の後悔か、
は
やはり区別できる。
本当の後悔
というのはもう
どうしようも
ないね。
ズブズブと
底なし沼に
はまっているようで。
どこまでも
堕ちていく。
自分を
堕としていくんだ。
そして
決して自分を
幸せにしようとは
しない。
本当の幸せが
手に入りそうに
なると、
自分を不幸の
方向に
追い詰めていく。
私自身が
そうだった。
私にとって
この人生は
償いのための
人生
だった。
途中までは。
それだけ
後悔を抱えて
いた。
でも、
償いの人生を
続けることは
自分も
他人も
誰をも
喜ばせないし
幸せにはしない、
ということに
途中で
気づくことが
できた。
本当に
償いをするならば、
まずは
自分が幸せに
向かわねければ
ならない、
ということが
途中でわかり、
私の人生は
そこから
根本的に変わった。
根本的に
変わったが、
しかしそれは
本当に難しい
ことだった。
償わねば
ならないと
根本的に
思い込んでいる人が
幸せに向かうのは
至難の業だ。
しかし
絶対にできない
というものでも
ない。
私の場合は、
自分の真本音の
願いの方向に
人生を進めることで、
自然にそこから
脱け出ることが
できた。
今から思えば、
償いの人生など
自己満足そのもの
だったな、と
わかる。
が、
その時は
当然、わからんよ。
人間は。
自分のことは
わからん。
それでいい。
いずれにしても
本当に
後悔と向き合って
いれば、
自ずと
そこからは
脱け出せる。
だから、
苦しみのあまりに
後悔の
フリをする、
ことだけは
やめよう。
フリをすれば、
余計に
苦しみが深くなる
だけだ。
自分の
後悔だ。
自分でしっかり
引き受けよう。
つづく