運命を受け入れるとは

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運命が
覆いかぶさって
くる。

重く、
濃い
運命が。

運命とは、
命が運ばれる
道。

その道を
自覚することは、
重くて
濃くて
辛すぎる、
ということがある。

私など、
まさしくそうで、

自分が自覚した
その道から、
目を背けるか、
もしくは
なかったことに
するか、

もしくは、
わかったふり
理解できたふりを
しながら
確信犯的に
逃げ続けるか。

私がとったのは、
その
3つ目の道
だった。

ずっと。

人生で
ずっと。

しかし
その生き方では
絶対的に
いつかは
立ち行かなくなる。

逃げ続ける
ことで
追い詰められる。

追い詰められても
それでも
目を逸らそうとし、

ついには
本当に
八方塞がりに
なった。

で、
諦めた。

諦めて
また進み始めたが、
しかしまた
しばらく経って、
逃げ始めた。

逃げる、
というよりも
ペースを落として、
様々なことを
後回しにし続けた、
というか。

しかし
それもやはり
絶対的に
無理がくる。

とうとう
強引に
「すべてを思い出す」
という
目に遭った。

それが、約
15年ほど前の
話だ。

・・・・・・

人は
逃げるもの
だ。

逃げるのが
人だ。

私が
運命を
受け入れることが
できたのは、

逃げている
自分を
ちゃんと
「逃げている」

認知したからだ。

そこを
認め、
受け止めた
から。

自分で自分を
誤魔化すことを
やめた。

こんなに
弱い自分なのだ、
と。

こんなに
弱い自分が、
自分の運命として
この道を
選ぼうとしている
のだ、と。

その瞬間に、
できるかどうか?
とか
可能かどうか?
という視点が

綺麗さっぱり
吹き飛んだ。

そして、
やる、と決めて
いるのだから
やるしかないな、

諦めたのだ。

そう、

完全に
諦め切ることが
できたのだ。

・・・・・・

今だって、
私は
私の運命が
重い。

可能かどうか
で言えば、
私の心は
素直に、

不可能だ

私には
無理だ


呟いている。

が、
それが
どうしたと
言うのだろう。

そんなものは
関係ない。

私は単に、

今日、やることを
今日やる。

明日、やることは
明日やる。

その連続で
生きている。

これが
運命の道
だからだ。

つづく

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